いわき鹿島の極楽蜻蛉庵

いわき市鹿島町の歴史と情報。
それに周辺の話題。
時折、プライベートも少々。

八代義定を語る

2020-01-25 18:46:20 | Weblog

                             分類:催

                 場所 : 鹿島公民館
                     いわき市鹿島町走熊字鬼越83-1
   考古学者で福島県に功績を残した人
       
             《遺跡に関して数々の業績を残した八代義定》 
    
 今日(25日)、鹿島民俗見聞会では渡邊一雄さん(福島県考古学会顧問・いわき地域学会顧問)を招いて、地元鹿島の考古学者だった八代義定(明治22年~昭和31年)との交流を含め、その事績、人柄などを2時間に亘って講演して頂きました。

              《満席になった公民館の講座室》

 八代義定(やしろよしさだ)は、村(当時)の人たちから「義定(ぎてい)」さんと呼ばれて親しまれ、昭和22年の公職選挙法による鹿島村長選で当選し、同26年に再選され、同29年に町村合併の先鞭をつけて退職した人でもあります。
 昭和27年、福島県古文化財の研究と保存に尽力した多年の功績を讃えられて、第1回福島県文化功労賞を受賞しました。

        《若い時代の交流を懐古しながら熱弁を振るう渡邊講師》

 1町歩(約9,900㎡)近い水田を自ら耕作する百姓でありながら、人類・考古学専攻の学究でもあり、また若い時から筋の通った社会主義者としても知られました。このため八代の監視に村の駐在所の巡査が別途、特別手当が支給されていたと伝わっています。
 自宅の隅に茅葺(かやぶき)の隠居所を設けて、窓から遠く湯ノ岳の南端が望まれるこの書斎を自ら残丘舎と呼びました。 ※一時期、「静観荘」とも言っていたようですが、当時の写真(玄関先表札)を見る限り、「残丘舎」と書かれています。
 部屋には思想的な文学書が山積されていたが、考古学的な資料や土器などが置かれている1部屋だけは誰にも見せなかったとも語られました。

 大正9年から昭和20年にかけて文化財の保護活動を精力的に行い、史跡名勝天然記念物60件、国宝指定19件、重要美術品指定30件、仮指定4件とされ、国指定件数は全国一と云われています。勿論、これらは単独ではなく、各委員(スタッフ)の協力・活動の結果でもあります。

 いわきの作家、吉野せい(1899~1977)の小説 『』 に出てくる原さんという人物は、八代義定がモデルとされています。
 実直で人に好かれ、信念を貫いた人=八代義定は昭和31年9月25日没。享年67歳。
  

 

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金光寺で初観音の行事

2020-01-18 20:47:32 | Weblog
                             分類:催

                  金光寺 いわき市鹿島町久保字西ノ作71                 
                         
      久保中山観音(本尊:十一面観音)
                                                           
   開運招福の祈願は初観音で
 観世音菩薩は「あまねく衆生を救うために相手に応じて、「仏身」「声聞身」「梵王身」など、33の姿に変身する」と、法華経(通称、観音経)の『観世音菩薩普門品第二十五』には記されていますが、いわゆるこれが三十三の観音堂に関連してきます。 
 
 《写真の中央が金光寺で、上が磐城三十三所観音霊場第16番札所になる中山観音堂》
                          
 久保中山観音は磐城三十三所観音霊場の第16番札所ですが、今日(18日)は今年初めての観世音菩薩の縁日で、午前10時より 「初観音」 の行事が行われました。
 金光寺では当寺の住職(箱崎亮弘師)をはじめ、総勢7名の僧侶が集まり本堂内で護摩を焚いて、檀家や信徒の方たちに護摩札を渡し、講話がありました。

       《厳(おごそ)かに読経が行われ、護摩札が焚かれます》

 観音様は人々を救うために姿を変えて現れると言われています。つまり、変身できる数は33で、相手に応じてお爺さん、お婆さん、男の子、女の子、僧侶など、さまざまな姿で現れて下さるそうです。、  
 
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とり小屋と松送り

2020-01-08 07:37:53 | Weblog

                            分類:催

                   場所:いわき市鹿島町下蔵持字八合
                   主催:鹿島地区地域振興協議会
                    歴史と文化委員会・地元有志


   (とり)小屋で無病息災と五穀豊穣を祈願
 今年(令和2年)で第9回目を迎えた鹿島地区の酉小屋は、今日(8日)6時から上記地内の休耕田で松送りが行われました。
 正月を終えると地域の人たちが酉小屋に正月飾りやお札を持って集まり、酉小屋と一緒に焚き上げて今年1年の家内安全・身体賢庫固・五穀豊穣などを祈念する伝統行事で、早朝から約40人が集まりました。

       《休耕田の中に設けられた酉小屋に集まってきた人たち》      
       
《餅を竹の先に刺して焼くのを「どんと焼き」 と言い、食べると1年中、風邪をひかないといわれる》

 かつて、鹿島では60年以上前まで各地区ごとに行われていましたが、地区の事情や安全性の問題などから廃止になった経緯があります。
 しかし、平成11年から鹿島地区地域振興協議会とその内部組織である歴史と文化委員会が、伝承文化保存継承事業の一環として、地域有志の皆さんたちと連携を取りながら復活を果たし、毎年継続しています。
 酉小屋内は寒さ対策に地面に廃カーペットを敷き、周りに茣蓙(ゴザ)を張って6日には地区の園児や学童を招待して、囲炉裏を囲んで餅や、おでんなどで振舞いました。

             《午前6時に酉小屋が点火された》
    
 
 酉小屋が完成するまでの制作工程は簡単ではなく、昨年の暮れから「竹取班(篠竹刈り)」「組み付け班」「とり小屋制作班」に分担し、それに酉小屋設置場所までの運搬作業などが加わり、その苦労が窺われます。
                   
    《酉小屋に点火する準備》       《万全の態勢で松送りは終了した》

  ▲写真の上にポインターを合わせてクリックすると拡大されます。        

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