いわき鹿島の極楽蜻蛉庵

いわき市鹿島町の歴史と情報。
それに周辺の話題。
時折、プライベートも少々。

懐かしいカメラの話

2014-07-30 12:25:15 | Weblog
                             分類:PV

  少年時代に持っていたカメラの行方
 昭和30年前後にかけて、少年雑誌に子供向けの初歩的なカメラの広告が載っていた。
 名前も「スタートカメラ」といっていかにも茶々(ちゃち)っぽいのだが、写真が撮れると思うと子供心がくすぐられて欲しくて仕方がなくなった。
 夕餉の時間に両親に拝み倒して買ってもらうようになったが約束事が一つ提案された。
 この際、風呂焚きでも、お使いでも専属に任されるようになっても構わないと思い、覚悟の上で条件を聞いたら、それは「もっと勉強をしろ」ということだった。
 その気はないが二つ返事をして欲しいカメラをゲットした。(下のイラストがそうです)

          
   《少年たちがノドから手が出るほど欲しがったカメラ「スタート35」

 ボルタ判(24㎜×24㎜)の12枚撮りで、皮ケース付きだったから値段は1200円だったと記憶している。当時の子供が貰える小遣いは1日10円が相場だったので高価なものには違いない。
 お金が掛かるのはそれだけではない。フイルム代と現像料は私がカメラを握っている限り、負担は親について回った。

 半世紀以上も前のことで、その後あのカメラはどうなってしまったのか思い続けてきたのだが行方は分からず仕舞いになっていた。ところが小中学校の同級会で謎解きができた。
 つまり私は同級生に売り飛ばしていたのだった。買ったのはO君でカメラが欲しがっていた彼に、私が「よかったら500円でいいよ」と言って譲ったのだそうだ。
 O君は農家の息子だったので親の目を盗んで、納屋から米を持ち出し駄菓子屋の婆さんに買ってもらい都合したのだと当時の事情を打ち明けた。側にいたH君が「あの頃はオレも映画が観たくなると婆さんに米を売ってよく映画館に通ったなー」と懐かしそうに言った。
 誰言うとなく「よくも、悪(わる)たちばかりが揃っていたもんだなー」と深い反省と、懐古の念に一段と花が咲いた。

            
              《豆カメラ(マイクロカメラ)
 おまけに、もう1つ付け加えると「豆カメラ」というものもあって、値段は500~600円くらいで終戦後から暫くの間、進駐軍兵士の土産用などに爆発的に売れた国産カメラがありました。
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かしま福祉まつり盛況

2014-07-26 17:24:25 | Weblog
                                       分類:催

   模擬店やステージで交流
                         場所 : かしまデイサービスセンター前広場
                              いわき市鹿島町下蔵持字中沢目24
                         主催 : かしま福祉まつり実行委員会
                             (鹿島地区ふれあい会・ネーブルシティーかしま・
                              鹿島長寿会・鹿島地区振興協議会・いわき鹿島
                              ロータリークラブ ・鹿島町区長会・かしま病院 ・
                              社会福祉法人養生会)


 今年で第32回目を迎えた 恒例の「かしま福祉まつり」 が午前11時から開催された。
              
                  《車椅子で、まつりを楽しむご高齢の方たち》
 炎天下の中、大勢の家族連れなどで賑わい、フリーマーケット方式で出店されたブースではかき氷や焼きそば、金魚すくいゲームなどが子供たちの人気を集めた。
 また、日用品や盆栽ものも格安料金で販売されていた。

              
                     《踊りや演奏が行われるステージ》
 ステージへの出場者も盛り沢山で、勿来工業フラガールによるフラダンスを皮切りに、マルヒヤ由佳里と子供たちのフラダンス、平工業高校吹奏楽部演奏、鹿島公民館サークルのフォークダンス、鹿島町上蔵持青年会のじゃんがら念仏踊り、湯本おはやし会の仮装盆踊りなどが行われた。


 
    7月26日(土)    二黒 大安  旧暦 6/30

【今日という日の過去】
ポツダム宣言発表 昭和20(1945)年 ドイツのポツダムで会談した米英ソ3首脳は、日本に無条件降伏を迫るポツダム宣言を決め、米英中3カ国名で発表。
 軍国主義の除去、日本占領などを盛り込む。日本は8月14日の御前会議で正式に受諾した。

 

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行司が四つん這(ば)い

2014-07-22 08:31:46 | Weblog
                            分類:外

          
    《力士の後にいて押され、ズッコケた行司》 NHKテレビ①の実況放送から

 大相撲名古屋場所は9日目(21日)を迎えて白鵬が単独トップに立ったが、他の取り組みではハプニングが続出した日でもあった。
 平幕の豪風(35歳)が横綱日馬富士を押し出して、昭和以降新入幕の最年長初金星をマーク。
 大関琴奨菊は横綱鶴竜に押し出されて、平幕高安と共に今場所、初黒星を喫した。

 行司の珍しい姿もお目に掛かった。(写真)
 相撲の開催中は結構テレビ観戦をするのだが、実際に行司の黒星は初めて見た。ところが、過去には行司にまつわるエピソードが沢山あるのも初めて知った。

 直近では夏場所(両国国技館)の6日目
 西の幕内土俵入りが終わり、東の花道から幕内力士が入場しようとした時に先導予定の式守錦太夫が、いつまで経っても現れなかった。花道で幕内力士はざわめき初め、西の土俵入りを終えたばかりの木村恵之介が急遽、東も先導して事なきを得た。

 初場所(両国国技館)の4日目
 三役格行司の木村庄三郎が、大関把瑠都と小結若荒雄の大戦の時に巻き込まれて土俵下へ転落し相撲診療所へ運ばれた。
 頭部を強打して約5分間、意識が朦朧として横たわったまま動けなかった。

 古くは「行事」と書いて、相撲という催しを取り仕切っていた支配人のような役割を担っていたそうだが、現在でも内容的には然程変わりはなく、取り組みを捌き、勝ち力士に軍配を上げる仕事だけではなく番付を相撲文字で書いたり、取組編成会議の書記を務めたり多忙のようです。
 ハッケヨイ(発気用意・発気揚々)残った!残った! の土俵上での活躍を見ているだけでも 「ご苦労様」 のひと声を掛けたくなってきます。


   7月22日(火)    六白 先勝  旧暦 6/26
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