分類・文
小説 ひとつの選択
いわきの総合文藝誌風舎7号掲載 箱 崎 昭
花枝が住んでいる樫ノ木ニュータウンから母が居る実家までは車で10分と掛からない距離にあり父の死後、母が1人になって花枝は頻繁に実家へ立ち寄るようになっていた。
仕事の帰りや暇を見つけては母に声を掛けながら生活状況を常に見守り、その内容を報告してくれていたので繁は親元から離れていても安心していられたのは事実だ。
そのことは長い間の繁と花枝による暗黙の了解事項となっていた。
ところが今回の電話ばかりは、花枝の悲鳴にも似た痛切なメッセージが込められているのを繁は直感せざるを得なかった。
花枝には自分たち家族の身辺を維持していくだけで、おそらく精一杯になってきたのだろう。生活のサイクルに余裕がなくなってきた時なのだ。
花枝の夫も昨年会社を定年退職してからは毎日家に居ることが多くなったと聞いているから精神的な負担も増えたのかも知れない。
繁は敢えて聞くまでもなく、これから母については花枝に全てを依存していた部分を強く感じていたので相手の立場を考えるとよく理解できた。
「分かった。これまで花枝には母さんのことで随分心配を掛けてきてしまったものな。オレにも家族があるから即刻実家へ戻るというのは無理だけど、前から考えていたことでもあるし家族ともよく相談した上で準備を進めていくので、それまでもう少し待っていてくらないだろうか」
繁がいま言えるのはこの位だったが花枝はそれを聞いて、兄がこの機会に何らかのアクションを起こしてくれると信じたのだろう。不平も不満らしい言葉もピタリと止んでこの件に関して快く応じた。
繁は長男で、その下に花枝と咲江の妹がいるから3人兄妹ということになるが、母に何かが起こった時には最終的に面倒を看るのは繁であると皆が思っている。
それは長男であるという只、それだけを理由に、世間一般的には跡取り息子として容認されてしまう訳だから繁にとっては誠に迷惑千万だと思っている。
現代の法律的な解釈では『誰とは限定しなくても親の面倒を看ることが可能な者』となっているらしい。
これも極めて曖昧な法解釈で、親に相当な財産でもあれば何も長男に限らず、それを目当てに頼まれなくても親の傍に付いて離れなくなるなる者がわんさと集まってくるのだろうが、猫の額ほどの土地と今にも壊れそうな家屋しかない所には、例え実子であっても1度家を出てしまってからは戻って来ようと思わなくなるのが現実だ。
年老いた親を何人かの子供同士が日数を決めて、順番制で世話をしているというのが職場仲間にいて、それが効率的で合理性のある方法だと言っていたのを思い出した。
花枝と電話のやりとりで、余程この件についての提案をしてみようかなと思ったが流石に口には出せなかった。
それは確かに合理的で子供には平等性に富んでいるかのように思えるが、別の意味で考えると体裁の良い親のタライ回しで、兄妹同士が母を厄介者扱いにしているように思われてしまう可能性はないだろうかと危惧したからだ。
そうなったら母はきっと屈辱感を味わうばかりでなく、子供たちには既に親としての存在を否定されてしまったのかと心に深傷を受けるに違いない。
若い時から家を出てしまい母には苦労の掛けっ放しだった繁にしてみれば、今こそ母の余生に付き添って出来るだけのことをしてあげることが親孝行の真似事にもなるし、繁自身にとっても後々悔いを残さずに済むのではないかと改めて思い直すようになった。
しかし、時と場合によってはそれに替わる何かが犠牲になることも有り得るという不安と予感が一瞬脳裏を掠めた。 (続)
小説 ひとつの選択
いわきの総合文藝誌風舎7号掲載 箱 崎 昭
花枝が住んでいる樫ノ木ニュータウンから母が居る実家までは車で10分と掛からない距離にあり父の死後、母が1人になって花枝は頻繁に実家へ立ち寄るようになっていた。
仕事の帰りや暇を見つけては母に声を掛けながら生活状況を常に見守り、その内容を報告してくれていたので繁は親元から離れていても安心していられたのは事実だ。
そのことは長い間の繁と花枝による暗黙の了解事項となっていた。
ところが今回の電話ばかりは、花枝の悲鳴にも似た痛切なメッセージが込められているのを繁は直感せざるを得なかった。
花枝には自分たち家族の身辺を維持していくだけで、おそらく精一杯になってきたのだろう。生活のサイクルに余裕がなくなってきた時なのだ。
花枝の夫も昨年会社を定年退職してからは毎日家に居ることが多くなったと聞いているから精神的な負担も増えたのかも知れない。
繁は敢えて聞くまでもなく、これから母については花枝に全てを依存していた部分を強く感じていたので相手の立場を考えるとよく理解できた。
「分かった。これまで花枝には母さんのことで随分心配を掛けてきてしまったものな。オレにも家族があるから即刻実家へ戻るというのは無理だけど、前から考えていたことでもあるし家族ともよく相談した上で準備を進めていくので、それまでもう少し待っていてくらないだろうか」
繁がいま言えるのはこの位だったが花枝はそれを聞いて、兄がこの機会に何らかのアクションを起こしてくれると信じたのだろう。不平も不満らしい言葉もピタリと止んでこの件に関して快く応じた。
繁は長男で、その下に花枝と咲江の妹がいるから3人兄妹ということになるが、母に何かが起こった時には最終的に面倒を看るのは繁であると皆が思っている。
それは長男であるという只、それだけを理由に、世間一般的には跡取り息子として容認されてしまう訳だから繁にとっては誠に迷惑千万だと思っている。
現代の法律的な解釈では『誰とは限定しなくても親の面倒を看ることが可能な者』となっているらしい。
これも極めて曖昧な法解釈で、親に相当な財産でもあれば何も長男に限らず、それを目当てに頼まれなくても親の傍に付いて離れなくなるなる者がわんさと集まってくるのだろうが、猫の額ほどの土地と今にも壊れそうな家屋しかない所には、例え実子であっても1度家を出てしまってからは戻って来ようと思わなくなるのが現実だ。
年老いた親を何人かの子供同士が日数を決めて、順番制で世話をしているというのが職場仲間にいて、それが効率的で合理性のある方法だと言っていたのを思い出した。
花枝と電話のやりとりで、余程この件についての提案をしてみようかなと思ったが流石に口には出せなかった。
それは確かに合理的で子供には平等性に富んでいるかのように思えるが、別の意味で考えると体裁の良い親のタライ回しで、兄妹同士が母を厄介者扱いにしているように思われてしまう可能性はないだろうかと危惧したからだ。
そうなったら母はきっと屈辱感を味わうばかりでなく、子供たちには既に親としての存在を否定されてしまったのかと心に深傷を受けるに違いない。
若い時から家を出てしまい母には苦労の掛けっ放しだった繁にしてみれば、今こそ母の余生に付き添って出来るだけのことをしてあげることが親孝行の真似事にもなるし、繁自身にとっても後々悔いを残さずに済むのではないかと改めて思い直すようになった。
しかし、時と場合によってはそれに替わる何かが犠牲になることも有り得るという不安と予感が一瞬脳裏を掠めた。 (続)