不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています

いわき鹿島の極楽蜻蛉庵

いわき市鹿島町の歴史と情報。
それに周辺の話題。
時折、プライベートも少々。

小説 カケス婆っぱ(5)

2013-02-28 06:35:23 | Weblog
                                             分類・文
     小説 カケス婆っぱ
           第31回 吉野せい賞奨励賞受賞             箱 崎  昭

 寺世話人だという男が2人、キクの側に来て頭を下げた。
「キクさん、私らは順周りで今年度いっぱいは寺の世話人という事になっています。お寺の行事やそれに関する諸々の仕事をする訳だけっどもキクさんがここに住んでみて不平不満が生じたら、何でも構わねえから先ず俺らに言ってくんちぇない。出来る限りの要望には応えるようにすっから」
 2人のうちでは年上らしい赤ら顔の男が言った。素顔なのか酒焼けした赭顔(あかかお)なのかキクには判断しかねた。
 更に赤ら顔の男が続ける。
「それと明日にでも見ると分かっけども階段側の墓の一番隅っこに猫の額ほどの空地があるんです。もともと墓地として使う積りであるんだけっども新しい檀家が出来ねえ限り、畑として好きなように使っていいかんね。これはもうの人らの了解済みだからない。うん」
 自分で言って自分で首を縦に振り納得してみせた。
「まだ仏様は入っていねえから安心して耕せっから」
 もう一人の若い方が悪戯っぽい目で笑うと、赤ら顔の男とキクも釣られて笑った。 
 隣りに座っている和起の側にも女連中が交互に寄ってきては何か聞いたり冗談を言って笑い声が絶えない。
           
                   《現在の蔵福寺(遠景)》 
 どのくらいの時間が経過したのであろうか、区長が頃合を見計らって興の中に言葉を差し込んだ。
「それでは時間も大分経っていることだしキクさんたちも疲れていると思いますので、この辺でお開きにしたいと思いますがどうだっぺね」
 盛り上がっている座から反論が出た。
「なんだっぺ、まだ酒は残ってんだぞー」早くも出来上がった男が茶々を入れたものだから皆がどっと哄笑(おおわらい)した。
 拍手が起こったが、それは区長の締めの挨拶に対しての応えだったから全員が立ち上がり片付けに取り掛かった。
 男女が手分けして行われ座卓の積み重ねや戸締りは男で、座布団を部屋の隅に運んだり食器類をキクの住まいとなる部屋の台所まで持って行き洗うのは女の仕事になっている。
 村に何かある度に行われる暗黙の作業手順で手際が良かった。
 寺から1人去り2人去りして結局、最後はキクと和起だけになってしまった。 
 集会の華やかさから一転して、その反動が今までに体験したことのないような静寂さだけが残った。
 キクと和起が居住する場所は本堂裏側の一角にある八畳一間で、本堂とは壁で遮られているので出入り口の階段は別になっていた。
 部屋の横に台所と押入れがあって、八畳の中央には畳半分ほどの囲炉裏が据えられている。                                  (続)
              
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小説 カケス婆っぱ(4)

2013-02-27 06:33:24 | Weblog
                                             分類・文
     小説 カケス婆っぱ
           第31回 吉野せい賞奨励賞受賞           箱 崎  昭

 周りにいた人達が2人を見ると、一斉に小忙しい動きをして座卓の前に正座する様子が真正面だからよく見えた。
 最初に2人を見つけた散切り頭で削切れた頬に無精髭を生やした男が、高床を飛び降りるようにして草履を引っ掛けると足早に寄ってきた。
 以前、キクが下見に訪ねた時に会っている区長の田中だった。
「皆が首を長くして待っていましたよ。遠い所を本当にご苦労さまでした。ささ、どうぞ上がってくだっせ」
 田中は腰を低くしてヤクザが仁義を切るような恰好で片手を本堂の方へ向けた。
「この子が和起君けえ、頭の良さそうな子だない」
 キクに月並みの世辞を言うと、和起には「こんな辺鄙な所さ来てたまげたっぺ。早くこの村に慣れて婆ちゃん孝行してやんだぞ」と言ってイガグリ頭を撫でた。
 本堂の中仕切り襖を外して長い座卓をコの字型に並べ、男女20数人が興味有り気に座っていた。
 キクたちが縁側から本堂の畳に足を踏み入れると、皆の視線が集中して歓迎の拍手が沸き起こった。
 キクと和起は案内された場所に座ると、キクが村人たちを前にして深々と頭を下げた。和起はキクの脇で周囲の状況に圧倒されながら、鼻を付けるとカビの臭気が漂いそうな畳の目を黙って見ていた。
 区長の散切り頭が立ち上がり徐(おもむろ)に横を向いて咳払いを1つすると、それが合図のように一瞬、雑談が止まり本堂内が静まり返った。
「えー、それでは只今から、この総福寺の留守番と墓守をお願いする事になった中村さんを紹介します。すでにご承知の通り中村さんは、お孫さんと2人の生活になります。慣れない所で苦労されるとは思いますが皆さんの力強い後押しをお願いします」
 区長の後に続けてキクが挨拶をした。
                    
                  《蔵福寺へ上る階段》
「磯原の重内から来た中村キクと孫の和起です。ご縁があってこうしてお世話になるようになりましたが、生活や習慣が変われば自分では良かれと思ってしたことが結果的に皆さんに迷惑を掛けてしまうような時もあるかも知れません。そんな時にはどうぞ注意やご指導をお願いします。どうかこれから宜しくお願い致します」
 キクは挨拶中に無意識の内に2度、3度と頭を下げていた。
 再び拍手が湧く中で歓迎会は進行していった。
 長テーブルには酒やジュース、そして各自が持ち寄った手作りのお新香と煮物類が並べられた。
 キクと和起は上座に置かれて歓待を受けたが、このように皆に喜んで貰えることは重責を感じたがキクも嬉しかった。
 キクは1人1人に丁寧に挨拶をして、男たちには酒を注ぎながら1通り席を回った。
 気が付けば、もう外はすっかり暗くなって本堂の裸電球だけがいやに明るく感じた。
                                        (続)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小説 カケス婆っぱ(3)

2013-02-26 06:32:08 | Weblog
                                            分類・文
     小説 カケス婆っぱ
           第31回 吉野せい賞奨励賞受賞          箱 崎  昭

 トンネルを通り抜けると左側にバラック建ての華奢(きゃしゃ)な家が4,5軒寄り添うようにして建っている。
 山の斜面に危なっかしく張り付いたような家は、おそらく流浪の炭礦夫が勝手に建てて居座っているのだろうと思われる。
 このバラック小屋を最後に、暫らくの間は人家が無くなくなり道幅も極端に狭くなって、山と山が2人を圧迫するかのように身近に迫ってきていた。
 土砂道の両端にリヤカーが通った痕跡があり、その凹みが人家のある方へ案内しているように思えた。
           
 薄暮の陽射しは弱々しそうに山の中腹を照らしているが、どこからか山鳩が日暮れの早いことを知らせて啼いている。
「随分遠いんだな、おらあ足が痛くなってきたよ」
 和起が眉間に皺を寄せて訴えた。
 キクは和起の顔を見ながらウン、ウンという仕種をして頷いた。
「だから婆ちゃんが駅に着いたときに最初に、頑張って歩くべなと言ったっぺ。頑張れえ」と元気付けて笑って見せた。
 和起は本当に足が痛くなっていたし、キクもそれは充分に承知していた。
「もう少し歩くと農家がポツンポツンと見えてくっから、そうしたら着いたも同然だ。暗くなんねえ内に行けるようにすっぺな」
 米田まで来ると確かに農家が散在し田圃も一段と広がりを見せてきた。走熊(はしりくま)に近いことを知らせている。
 和起は道端にしゃがみ込んでしまいたい心境だったが、キクが「もう少しだ」と言うので我慢して歩いた。
「和起、見えてきたぞ。あそこが婆ちゃんたちが住む所だ」
 キクが大きな声を張り上げて前方に見えてきた小高い山の上を指差して言った。
 2人は山峡の道を辿り歩いて、やっと総福寺を目前にした。
 寺は雑木林に全体が覆われていて裏山からは見えなかったが、落葉樹の隙間から僅かに数基の墓石を確認することができた。
 三和橋を渡り右方向に曲がって半周するように進むと、中腹に鹿島村役場があり、その下の道を100メートルほど先へ行ったところに寺へ上る階段があった。
 切り通しに出来た階段は粒子の粗い大谷石で、どの石も湿気を含んで隅々には青苔をを蓄えていた。
 両側の法面が熊笹で覆われている。
 境内に上るまでに幾つも泥土の踊り場があって、踊り場ごとに出来て間もない複数の足跡が境内に向いて付いている。すでにの人たちが集まり、2人を待ってくれているのが分かった。
 石段を上り切ると境内に入るが、その入口に松福院総福寺と刻まれた白御影の石柱が彫りを深くして迎えているようだった。

     (二)
 キクと和起が境内に顔を見せたのと同時に、本堂正面にいた何人かの内の1人が叫んだ。
「中村さんが来たぞー」 (続)
            
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小説 カケス婆っぱ(2)

2013-02-25 06:14:25 | Weblog
                                            分類・文
      小説 カケス婆っぱ
          第31回 吉野せい賞奨励賞受賞        箱 崎  昭


 キクが一緒に付いてくる和起と顔を合わせると、にっこりと笑顔を作り、さあ行くぞ、という無言の気合を入れたのを和起は見てとった。
 駅前を始発とする各方面行きのバスは、乗客を乗せると2人から逃げるようにして慌しく去っていく。
 キクと和起は駅前広場の角を曲がり細い路地を抜けて石畑踏切の方へ歩いて行ったが、人通りが疎(まば)らになったところでキクが思い付いたように和起に声を掛けた。
「和起はもう4年生なんだから、これから向こうさ行って暮らすようになっても寂しいだとか、また重内さ帰りてえだとか決して弱音を吐いては駄目だかんなあ。それこそ村の人らの笑い者になってしまうんだから。婆ちゃんと2人で一生懸命にやっていけば必ず良い時がくっから。分るな」
「分っているって。だからこうやって婆ちゃんと一緒に来て婆ちゃんと一緒に歩いているんだっぺよ」
 和起は自分が置かれている今の立場を、子供ながらに理解してくれているのだなと思うとキクは和起が不憫であり、又それとは逆に喜びと心強さの相矛盾するものを感じた。
 石畑踏切を渡ると直ぐに陸前浜街道に出て、その道は炭礦夫が水野谷礦から来る人、向かう人で賑わった。
 ぞろぞろと歩いてくる礦夫たちはキクと和起と擦れ違っても別に関心を示す訳でもなく時折、後ろを振り返り見る者が何人かいるくらいだった。
 2人は話しながら歩くと疲労が増すように思えたので必要以外の会話は避けて寡黙になって歩いた。
 和起は手持ちの雑誌が気になるらしく、立ち止まってはページを捲り、キクとの間隔が開くとまた慌てて追いかけた。
 磯原で汽車に乗る前にねだって、駅前の本屋から買ってもらった〈少年クラブ〉だった。いつもは友だちが買ったものを仲間内で順番を決めて読み回す月刊誌なのだが、今日は特別にキクが購入してやったのだ。誰の物でもない正真正銘、和起自身の所有物だから嬉しくて仕方がなかった。
 関船の十字路を左に折れると、矢鱈と平屋建ての家屋が目立つようになってきた。
 相変わらず炭礦夫の往来は激しいが、その中に主婦や子供たちも混じってきたことは炭礦長屋の生活圏にも足を踏み入れたことを知らされている。
 なだらかな坂道を進んで行くと、礦業所が現れて周辺に石炭積み込み場や貨車の引っ込み線があり、ズリ山が几帳面に円錐形を作り上げ天を突いている。
 駅前からこの辺りまで来ると湯本町と鹿島村の境が目と鼻の先になって、目的地まではそこを一山越えることになる。
 傾斜がきつくなり、坂を上り切った所に三沢トンネルがある。
           
                    《現在の三沢トンネル》 
 採炭場の坑道にも似たトンネルは双方の地域を繋ぐ重要な役割を果たしているのだが、トンネル内は照明がなく荒く削られた天井からは穴の空いたヤカン同様に水が滴り落ちている。
 ポタポタと止め処なく落ちてくる雫によって水溜りができ、泥濘(でいねい)の道は搗きたての餅のように足にへばり付いて歩行を困難にした。
 出口から射し込んでくる唯一の淡い光を頼りに、覚束ない足元を気にしながらゆっくりと進んだ。 (続)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小説 カケス婆っぱ(1)

2013-02-24 06:58:47 | Weblog
                                             分類・文
      小説 カケス婆っぱ
          第31回吉野せい賞奨励賞受賞        箱 崎  昭
     (一)
 磐城の地形は遠く阿武隈山脈を背にして、太平洋側に細く長く伸びた山々によって形成されている。
 常磐線は上野駅を始発に水戸を経由して仙台方面へ走り抜ける幹線だが、その山間と海岸沿いをまるで縫うようにしながら途中の常磐炭田地帯を通過していく。
 常磐炭田から産出する石炭を、京浜方面へ輸送する最大の交通機関としての役割も担っている重要な路線でもある。
 湯本駅界隈は、常磐炭礦として唯一、お湯が湧出している地域ということもあって駅前から北西に向かって温泉宿が林立している。
 この駅に列車が滑り込んでくると、乗客の殆んどが停車中に車窓を開け放ち物珍し気に視線をホームに傾注させる。
 ホームには湯ノ嶽で捕獲された親子イノシシの剥製が置かれ、黒いダイヤといわれる上質石炭が展示され、更にこの土地の自然と郷愁を瞬時でも乗客に味わってもらおうと地下からお湯を吹き上げさせているからである。
 広大な構内側線には、採炭されて間もない石炭が無蓋貨車に満載され途切れなく並んで牽引していく機関車を待っている。
           
 貨車に積まれた石炭には普通炭と上質炭の区別がなされてあり、上質炭には最上部に石灰が満遍なく撒かれ吹っ掛け雪が被さったように真っ白になっている。これは目的地に到着する迄の間に途中で荷抜きをされるのを防止する意味も兼ねている。
 側線が途切れた端にはドブ川が流れている。
 単にドブ川というよりも、炭礦の構内から湧き出てくる温水が汚物と混じり合い、赤銅色となって排出されてくる川と云ったほうが正しいのかもしれない。
 その川と並行して陸前浜街道があって、道路の両端をヘルメットを被り顔中が石炭の粉塵で真っ黒になった炭礦夫が、蟻の行列のように気忙しく往来している。目だけが異様なほど光って見える。
 そこを湯気の上がった石炭を満載したダンプカーが狭い道を更に狭くしながら、荷台の煽り板から汚水を垂れ流していくので道路は土砂降り雨のように跳ね返る。
 近くにある立坑の送風機が山鳴りのように唸っている。
 一帯が山に包囲されている湯本駅前周辺は、炭礦と観光の両面を兼ね備えた独特の活気に満ちているが、狭い土地ゆえに町全体が凝縮されていて通称、陸前浜街道と呼ばれている国道6号線さえ窮屈そうに町中を抜けている。
 11月の中旬ともなると、朝晩など寒さが一層増してくる頃でもあるが、日中はまだまだ暖かさを感じる時期だった。
 全てのものを吸い込みそうな紺碧の空が広がり、山々の稜線はすっかり紅葉に染まって温泉客にとっては絶好の季節を迎えていた。
 そんな日の昼下がりに、下り鈍行列車から降りてくる人だかりの中に、観光を目的にこの地にやってきた訳ではないが60歳になる小柄で浅黒い顔をした老婆が、10歳になる孫を連れて改札口から出てきた。
 老婆はキク、孫は和起という名の2人連れだった。
 キクは年齢こそいっているが大きな荷物を背負い、両手に風呂敷包みを下げていた。まるで終戦直後の買出し姿のような恰好をして、精悍な面魂(つらだましい)をしていた。
 和起は色褪せたリュックサックを背にして、片手には1冊の真新しい雑誌を持っていた。
「婆ちゃん、ここからバスは出ていねえのけ?」
 子供は駅前のバス発着場を見回しながら聞いた。
「いや、出ていね。今からゆっくり歩いて行っても夕方までには楽に着くから頑張って歩いていくべな。村の人たちも待っていてくれることだし、婆ちゃんも頑張っから」 
 これから行く先のバスが出ていないというのが、如何にも辺鄙な場所であるかを暗示していた。 (続)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小説 辿り着いた道(20) 

2013-02-23 06:53:35 | Weblog
                                            分類・文
      小説 辿り着いた道            箱 崎  昭

 いつ死亡したのかは警察当局の捜査を待たなければはっきりしないが、少なくとも88歳までは生存していたということだけは、市から米寿の祝い金が出ていることから推測できる。
 ただ、受領する祝い金と記念品は予め支給日が郵便で通知され、その書状と印鑑を指定された場所へ持参すれば代理受領も可能なので、その時点で必ずしも本人が生きているのか、死亡しているのかを確かめることはできないという盲点がある。
 警察の発表で、白骨遺体が見つかった事件でトキ子が死亡したのは5年前で、死因は衰弱死であったことが判明した。泰治69歳。
 泰治の部屋から1冊のノートが見つかり、病気で衰弱したトキ子が死に至るまでの様子とこれまでの経緯を記録してあったのだ。
 そこにはトキ子が88歳の後半から体調が極端に悪化していき、無職で全く収入のない泰治が「母に病院へ行こうと言ったら断られた。金が掛かるので遠慮したのだと思う」と書かれてあり、その後は断片的だが[床ずれができた][呼びかけには応える][意識がない]などと日付け入りで記録されていたという。
 トキ子が死亡してから5年間に亘り、年金を不正取得していた泰治は警察の調べに、葬式代が無かった。他人に知られると大騒ぎになるし、自分には収入が無いから生活費が欲しかった。とも述べた。
 かつて、団地内全体に勢いがあった郷見ケ丘マイタウンを回顧すると、開発当初から居住してきた人々の夢と希望は長い年月の間に多種多様な生活を織り交ぜて、それぞれの壁に突き当たった者たちが崩壊していく姿をまざまざと見せ付けてきた。
・隣近所と折り合いが付かずに転居していった家族。
・ローンの返済に行き詰まり、家を止む無く明け渡した家族。
・会社経営に失敗して夜逃げ同然に姿を消した家族。…… など泣きの涙でこの地から離れていった人々を数えたら枚挙に暇が無く、時代の栄枯盛衰を物語っている。
 紺野泰治のように全く別の事例が沸き起こったことは、郷見ケ丘マイタウンにとって生活環境のイメージを更に悪化させる要因を加味してしまった。
 これから少子化社会が右肩上がりで進んでいく一方で、高齢化による夫婦同士や親と子が関係する老々介護の問題を考えると、紺野一家が辿った生き方は単なる氷山の一角で、類似の事件は今後も全国に波及する可能性を秘めている。
 閑散とした郷見ケ丘マイタウンへ上り詰める通りの両側には、開発当初に植栽された街路樹のプラタナスが大きな幹となって団地の歴史を物語り、球形の果実を下垂した緑の葉は通り過ぎる人たちに木陰を与えながら無言で歳月の経過を知らせていた。 (了)  
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小説 辿り着いた道(19)

2013-02-22 06:25:56 | Weblog
                              分類・文
       小説 辿り着いた道             箱崎 昭

 この頃、時期(とき)を同じくして警察では泰治に関する重大な疑惑を内偵していたが、いよいよ実行に移す日を迎えていた。
 泰治はいつもながらに朝の目覚めが悪く、何度か起きようとは試みたものの鉛のようになった重い身体は蒲団から這い出る勇気を与えない。
 蒲団の中の温もりと心地良い感触が身体に馴染んだままで、起きるタイミングを邪魔している。この時間に必ず起きなければならないという必要もないから尚更起きる意欲など湧いてはこない。
 6畳部屋の薄汚れた窓から湿気を含んだ蒲団に、朝陽が差し込もうとしているのだが曇りガラスが光の度合いを弱くしている。
 憂鬱で気だるい身体は、今日も時間の経過を無意味に待つ以外に方法はない。
 しかし、この日に泰治が今まで抱いていた不安と恐怖が現実的になるのが予期できなかっただけのことであって、警察では大きな動きがあり年金詐欺容疑で刑事と警察官が、閑静な郷見ケ丘団地に居住する泰治の部屋に向っていた。
 パトカーがA号棟の前に滑り込むようにして停まり、ドアの開閉が緊迫した音を発した。
 親子3人が移り住んだ当時の団地は、白亜の城を思わせるほど輝いて見えたものだが今では薄汚れた鉛色に変色し老朽化した階段を、足早に上っていく複数の靴音だけが陰湿で暗い音響となって通路全体に跳ね返っていく。
 401号室の玄関前で靴音は止み、ドアが開くのと同時に刑事の一人が泰治の鼻っ先に警察手帳を提示し、紺野泰治本人であるかどうかの確認をした後、年金不正受給容疑の捜査令状を見せ付けると同行した刑事たちが部屋の中に雪崩込むように入った。 
 果たして、奥の6帖押入れの中からトキ子の死体が発見された。
 すでに白骨化した遺体は押入れの中段をベッド代わりに寝かされていて、空洞になった目の窪みは仰向けのまま天井を見つめていた。
 頭部の側に治男の位牌が一つ添えられてあった。
 泰治の容疑は年金不正受給容疑から一転して、事態は警察が当初から内偵していた通りの死体遺棄容疑にまで発展した。
 死亡した母親を押入れに隠し続け、数年に亘って不正年金を受領しながら泰治の生活費の支えとしていたところに、この事件の複雑な問題が隠されているとして騒がれた。 近年、全国各地で年金詐欺事件が浮上してきて多数の高齢者が所在不明にも拘らず、戸籍上は生存となっているのを重視して、行政では担当者らによる該当者の本格的な所在確認作業が急務とされていた。
 その中に、いつ訪問しても紺野トキ子の所在が判然としないことに不信を抱き、最重要案件の処理項目に挙げられて確認の必要性に迫られていた。
 今度の事件発覚までの経緯は年金課、長寿介護課、福祉課の各部署と民生委員などが連携して細かい調査をしている内に、泰治が「母はここには居ません。生家の長野県に行って実妹の世話を受けています」と言っていたのは虚偽であるという確信を得て、警察に調査を委ねた結果であった。
 トキ子が生存していれば、この年93歳になっている。 (続)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小説 辿り着いた道(18)

2013-02-21 06:38:16 | Weblog
                                             分類・文
      小説 辿り着いた道              箱 崎  昭

 トキ子が病気で寝込んでいるにしても、息子に面会をさせてもらった人は誰一人としていないというのは不自然で、そこには何かの事情があるに違いないという憶測があったからだ。
 これが行政の福祉担当課の耳に届いて黙認する訳にもいかず、真偽の程は定かではないにしても訪問調査の必要ありと判断して、地域の民生委員と共に泰治を訪ねた。 
 泰治が玄関を開けると担当課員が物腰柔らかに、トキ子の安否と生活状況について質問した。
「母は生家の長野県に行って実妹の世話を受けているのでここには居ません」
 泰治の素っ気ない受け応えにそれ以上の情報を得る術もなく、現在トキ子は泰治と同居していないという判断をしたから、家の中に入ってこられるのは回避できた。
 泰治は他人に部屋へ入られるのを最も嫌う。父親を亡くしてからずっと長い間、母子で暮らしてきた根城を簡単に踏み入れさせることに大きな抵抗がある。
 母親であるために自分のような者でもずっと面倒をみてくれていた場所を誰にも邪魔をされずに、いつまでも母子の聖域にしておきたいからだった。

     (九)
 泰治は惰性的で全く夢のない生活に悲壮感を抱いていた。
 いつまでも勝手な生き方をしていてもそこには限界というものが生じ、今の状態は長続きする筈がないから泰治は常に得体の知れない何かが自分の身に深く静かに、そして確実に忍び寄ってくる恐怖に怯えた。
 既に観念はしているものの、いつどんな時にその瞬間を迎えるのか不安でいたが、泰治の身辺に刻々と迫ってきている結末は容易に予感できた。
 泰治が現況から少しでも逃れようとする方法としては最早、酒に頼るだけだった。  酒は若い時から缶ビールの1つぐらいは飲んでいたが、今ではアルコール依存症とも思えるほど酒量が多くなってしまった。
 あとは自分の人生に終止符を打つ最たるものに、自殺という手段もあるがその勇気はない。ただ悶々とした心況の中で酒に逃げ場を求める以外は何もなかった。
 勇気とは、ものに恐れない気概のことを云うから泰治が自ら命を絶つというのは到底無理だ。それだけの気概を持ち合わせているならば、これまでの生き方に幾らでも積極的な行動がとれた筈だからだ。
 “社会に馴染めず、親の手挃足枷(てかせあしかせ)となって60代半ばを過ぎても無気力でいられるのは何という体たらく振りなのか”それは他人に言われるまでもなく、泰治が身を以って感じていることだ。
 自分であって自分でない―。何かをしようと思っても行動が伴わない―。泰治に纏わり付いているこの悪循環が呪縛となって全てをそうさせてきた。
 泰治には余りにも辛くて悲しい運命(さだめ)となってしまった。 (続)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小説 辿り着いた道(17)

2013-02-20 06:48:03 | Weblog
                                             分類・文
      小説 辿り着いた道              箱 崎  昭

 この頃から泰治は部屋を交換して奥の6帖間にトキ子を寝かせ、居間と隣側にある6畳の部屋を使用するようになったので実質的に2部屋を占有できるようになった。
 泰治は冷蔵庫のドアを閉める音と同時に左手に缶ビールを握っていた。最近になってアルコールを飲む量が多くなってきた。
 それはこれまでのように部屋を締め切り、閉じ籠っていた時よりも動きの自由空間が広まり、何をしてもトキ子には目が届かないという精神的な安心感と、なによりも苦情苦言を言われることがなくなった開放感によるものだった。
 泰治が財布を握るようになってからは食料品の買い物は缶詰、パン、インスタントラーメン、出来合いの弁当などのような品で冷蔵庫の中を満たすようになり、1度買い込んでくると暫らくの間はもつようになった。
 嗜好品のタバコや酒類は食費を最小限にすれば自分の裁量でどうにでもなる。
 トキ子と泰治の間では、もう直接的な会話は少なくなっていたが、それでも酔いが回ってくると独り言だがトキ子まで届く筈がない声掛けはする。
「母さーん、何か食べるー? まったく何を言っても答えないんだからなあ」
 空しい呼びかけだが、なるべく絶やさないようにしてやるのが泰治には何故か気が安らぐのだった。
 しかし、このような生活状態が長く続いていると、さすがに泰治も疲れてくるし強烈な不安と居た堪れない罪悪感に苛(さいな)まれる。
 郷見ケ丘団地内にも、いつの間にか高齢世帯が占める割合が多くなってきたので、一定の年齢に達した人たちの所在と健康状態を把握するために、民生委員が対象者の居る家庭を訪問して歩くようになった。
 泰治にとってはこれが煩わしく思えた。だから、これらの訪問を一切拒絶してしまうのが自分にとって一番好都合になる方法ではないかと考え、いつも門前払いをすることに決め込んだ。
 来訪時には玄関先で対応し、直接トキ子に会って話を聞きたいと言われると「母は誰にも会いたがらない」「病院へは必要に応じて自分が連れて行く」「母の世話は自分が全てやっているから心配ない」などと、その都度答え方を変えているうちに訪問は極端に減少した。
 民生委員は家人にそこまで言われるとプライバシーに対する配慮もあるし、強制的に部屋まで立ち入る義務も権限もないから、訪問調査は肝心なところで暗礁に乗り上げてしまう弱点がある。泰治のところもこの例に該当した。
 やがて、いつとは無しに泰治が住んでいるA4号棟の近隣者から、良からぬ噂話が流布されていった。 (続)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小説 辿り着いた道(16)

2013-02-19 06:23:56 | Weblog
                                             分類・文
      小説 辿り着いた道              箱 崎  昭

 金銭的な問題は最初から正社員と臨時社員の違いがあった訳だから不平不満はなく、むしろ長い間に会社の経営状況も厳しくなっていく中で、社員と同じく60歳の年齢まで解雇されずに済んだことを感謝すべきだと思っていた。
 トキ子は福島漁網を辞めてからも身体を休めることなく、今度は小名浜にある仕出し弁当屋へ毎朝6時から11時までパートで働きに出掛けていた。
 仕事場までは徒歩で30分ほどの道程になるが、行き帰りはいつも治男と2人で歩いているような積りでいるからさほど苦にならない。
 それに時折声を出して問いかけてみたりすると、実際に治男が傍に居て応えてくれているような錯覚を起こすから無駄な時間とは思えなかった。
 肝心の支え柱がいなくなっても泰治に対する悩みの種は一向に解消することはなく、ただ働くだけに追われていた。
「あなた、助けてよ。私どうすればいいの?」
 歩きながら独り言を発して女の脆さを出してしまう。
「私、出来ることなら直ぐにでもあなたのところへ行きたい」
 つい弱音とも本音とも受け取れる言葉を吐いている自分に気付いて、慌てて活を入れ直す時もある。
 働きながら弱音が出るようでは意気込みに甘さがあり、そろそろ身体に無理が生じてきた証拠ともいえるのかも知れない。
 泰治は統合失調症であることを医者から診断されて以来、自然治癒に一縷の望みを掛けてきたのだがいまの歳になっても快方への進展がみられないのは既に絶望的であった。
 
     (八)
 誰にでも年月は平等に来て、しかも否応なしに経過していく。
 トキ子が88歳で泰治が64歳になった年に、トキ子は市から米寿の記念品と祝い金を授与されたが、祝い金の方は泰治が予(かね)てより欲しがっていたパソコン購入のために使われた。
 マンガ本からゲーム機へ、そして待望のパソコンへと移行し以前にも増して部屋から1歩も出る必要のない、泰治にとっては恰好の『個室満足型時間消費機器』というものを手に入れた。
 トキ子は既に足腰が弱くなって団地の部屋から外へ出ることもなくなって、トキ子を知る人たちの話題からも次第に外されていった。
 治男が生存中に積み立ててきた厚生年金の一部と、トキ子自身が加入していた厚生年金と国民年金を合算したものを受給しているので、生活に余裕こそないが生きるためには最少限度の保障があった。
 トキ子が動ける時は雑用から買い物まで全てを小まめにこなしていたが、今では泰治がその役目を果たしているので、団地内の人は泰治が月に何度か買い物をしたビニール袋をぶら下げて歩いている姿を見るくらいだ。
 泰治と出会うと、トキ子を見かけなくなったのを心配して問い掛けてくるのだが、そんな時、泰治は軽く会釈をする程度で面倒くさそうにしてその場から足早に去ることにしている。
 周囲の住人は泰治を変わり者と見ているから、その行動がむしろ自然だった。 (続)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小説 辿り着いた道(15)

2013-02-18 06:35:07 | Weblog
                                             分類・文
      小説 辿り着いた道               箱 崎  昭

「今日はお訪ねした甲斐がありました。紺野さんに喜んで頂けるなら私もこんなに嬉しいことはありません。営業で近くまで来たものですから寄らせてもらいました」
 滝沢は置物の福助のように両肘を丁寧に折って挨拶を済ませると、本業に向けてまた気忙しそうに暖地の階段を下りていった。
 結果は即決に近いような恰好で採用され、トキ子は40代後半にして臨時雇用の身分ではあったが勤め先が決まった。
 海原が見え隠れするバス通りを暫らく行くと海岸通に出るが、バス停の福島漁網前で下車したところが会社なので通勤には至って便利な場所だった。
 会社から道を1本跨いだ砂浜から遠浅の海が広がり、新鮮な潮の香が漂ってくる。
 福島漁網の前身は福島紡績といって、本社が四日市市にある大きな紡績工場だったが時代の変遷によって、いまでは全国の漁港に支店や営業所を数多く持つ漁網の製造販売と補修作業を行っている会社になっている。
 昭和の初期頃までは多くの女工を雇って綿撚糸の製造を行っていたが、当時繊維業界では画期的な合成繊維漁網の製造を開始し事業は一気に拡大していった。
 磐城に福島漁網事業所を置いて浜通り一帯の漁船を対象に取引をしており、順調な業績を上げている。
 社員は網職人と営業マン、それに事務員の総勢20数人だが、網の修理に手が回らない時は他県の営業所から応援を受けたりするので、現場はいつも見慣れない顔が入り混じっていた。
 所長も事務員も、生前の治男のことは銀行との取引の関係でよく知っていてくらたからトキ子にとってそれだけ早く職場に馴染めた。
 治男が営業で事業所に寄ると、必ず誰彼となく気さくに声を掛けてくれたのでよく覚えているし、実直さと勤勉振りが強く印象に残っているとまで言われると、嬉しさと共に目の前に治男の姿が鮮明に現れてくるようだった。
 トキ子は臨時の事務員で誰よりも年長だったが、どんな雑用でも厭な顔をせず素直に仕事をこなしたので、女性同士に有りがちな陰口を叩かれる対象にされずに済んだ。  それどころか古株の事務員で関根という女性からは特に気に入られて、トキ子が現在加入している国民年金から厚生年金に切り替えてくれるという有り難い恩恵に授かるようになった。
「大丈夫よ、紺野さんのように真面目に勤務している人が社員になれないこと自体がおかしいんだから。厚生年金の加入手続きなんか私たちのオハコ(十八番)でしょう。私が所長に直談判してあげる」
 そう言って近視メガネの中央を、中指で軽くずり上げながら目で笑ってみせた。
 暫らく経ってから本当に所長の承認を得るようになって、トキ子の厚生年金加入が実現した。これはトキ子にとって働いていく上での大きな励みとなり嬉しいプレゼントになったのは間違いなく、老後になって治男からの寡婦年金と重複して受給できるようになれば他人様のお世話にならなくても、死なない程度には暮らしていけるのではないかという望みに、淡い兆しが見えてきたような感じがした。
 福島漁網での勤続期間中は、職場の人間関係に恵まれたこともあるが仕事の楽しさを教えてもらって、とても有意義な経験をしたと思った。
 とうとう社員にこそなれなかったが、給与やボーナス面での違いを除けば順調で長続きのする職場としてトキ子には最適だった。 (続)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小説 辿り着いた道(14)

2013-02-17 06:43:00 | Weblog
                                            分類・文
      小説 辿り着いた道              箱 崎  昭

 治男が生前勤めていた銀行から支払われた退職金と、相手からの僅かな保険金が入っただけなので、これから先は前途多難な生活を強いられるのは火を見るよりも明らかだった。
 トキ子や治男の身内の者たちから、この際いま住んでいる所から引き上げて暮らすことが厭な思い出を断ち切るためにも良いのではないかとアドバイスを受けたりもしたが、トキ子は最終的に自分の判断で郷見ケ丘団地に居残るのを決意した。
 治男と共に暮らした最後の場所でもあるし、この土地に愛着も感じている。今更どこへ行ったからといって楽しいことが保障される訳でもなく、それなら思い出に耽りながらここで頑張ってみようと思った。
 それに不肖の子、泰治を抱えている以上は泣き言を吐いている暇などない。
 治男が小名浜支店に勤務していた時の滝沢が、ある日ひょっこり訪ねてきたのはトキ子にとっては思い掛けない出来事といってよかった。
 団地へ引越しの時に世話になった部下で、治男が亡きあと部長に昇格し金子の他にもう1人の新人が加わって奮闘しているのを報告がてら寄らせてもらったのだと言った。
 治男の遺影に両手を合わせてから進められた座布団に正座すると、考え深げに当時の思い出を語りながら今日訪ねてきたもう1つの話に触れた。
「ご主人が不慮の事故に遭われて奥さんのお気持ちを察すると、そのご心痛には思い余るものがありますが、いつまでも部屋の中に折られるのも却って気持ちが滅入ってしまうのではないかと思います。それで余計なことかとは思いますが、実は私どもが懇意にして頂いているお得意さんに福島漁網という会社があります。そこで事務の補助をしてくれる人を紹介してくれと頼まれているものですから、このお話を最初に奥さんに持ってきたという訳なんです」
 滝沢は引越しの時の会話とは違って、訛りはあるが極めて丁寧な言葉を使った。
「まあ、そうですか。態々ご丁寧に有り難うございます。主人は生前、滝沢さんには随分お世話になって碌な御礼もできないままだというのにご心配をお掛けしてしまいます」トキ子は治男がなくなった後にも心に掛けてくれる滝沢を有り難いと思った。
 現実的に収入が途絶えた今の生活状態を長く維持していくことは無理である。 できることならどんな仕事でも良いので働きたいと考えるようになってきた矢先に、滝沢の方から持ち掛けてきてくれた。
 まさに渡りに船とはこの事をいうのだろうかと思ったが、トキ子には事務員としての経験が浅いし、それに古い話になるから答えに詰まった。
「何しろ不慣れなものですから紹介された滝沢さんにご迷惑を掛けるようなことがあってはと思うと迷ってしまいます」
 トキ子の受け応えから興味を示していると滝沢は素早く察知した。
「紺野さん、ご心配なく。私が初めに言ったように事務の補助ですから難しい仕事ではないんです。おそらく帳簿記入の手伝いや、場合によっては来客の際にお茶を出してあげたりするような簡単なものですよ。ただ、紺野さんのように大学での方がこんな田舎町でお茶出しなどと云われるとプライドが許さないでしょうけどね」
 滝沢はトキ子へ進める仕事としては失礼かと迷ったところもあったが、思い切って言ってみたのだ。
「とんでもありません、私たちの事情を知っておられる滝沢さんからの朗報に感謝しています。1日も早く仕事に就いて形振り(なりふり)構わず働くことが夫への供養であり、私自身も精神面からの解放に繋がります。もし先方さんが私のような者でも雇って下さるというのでしたら、このお話を滝沢さんからぜひとm進めて欲しいです。お願いできますか?」
 「分かりました。早速、所長さんにお話をしておきます。詳しいことが分かりましたら追って連絡を致します」
 滝沢の話は何か人を惹き付けるものを持っている。会話の流れの中に人を和ませ安心感を与え、即座に答を引き出させるような魅力を兼ね備えている。小名浜支店での部長昇格は当然だと思った。 (続)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小説 辿り着いた道(13)

2013-02-16 06:28:14 | Weblog
                                            分類・文
      小説 辿り着いた道              箱 崎  昭

 受話器の向こうから事務的で冷静な言葉は、治男が交通事故に遭って亡くなったという事実を知らせた。
 小名浜警察署からの連絡で、所持品の免許証と着ていたネーム入りの雨合羽などの状況判断から治男本人であることにほぼ間違いないと思うと言うのだ。
 死亡者確認のために本署まで来て欲しいという要請であった。
「泰治、お父さんが交通事故で亡くなったよ」
 声になったかどうか、トキ子はそう言うなり畳の上に身を伏して号泣した。 
 泰治が「えっ」と言ったあとは、トキ子の傍で呆然と立ち尽くしているだけだった。 突然の悲報に、2人は奈落の底に突き落とされた。

     (七)
 治男の死は加害者の酒酔い運転によるものだった。
 雨の中にバイクもろとも飛ばされて、治男はまるでマネキンのように軽く宙に浮いたと目撃した人が語った。
 警察の検視官に案内されて霊安室に入ると、ストレッチャーに仰向けになった治男だけが1人、陰気な部屋の中央に置かれて最愛のトキ子と泰治が来るのを待っていたかのように見えた。
 雨でずぶ濡れになったせいもあるのだろうか、蝋人形のように血の気を失い冷たくなった身体を白い布が覆っていたが、そこには紛れもなく無念そうな表情をした治男がいた。
「お父さーん、目を開けてえ。私たち2人を置いていってこれからどうしろと言うのよう」トキ子はところ構わずに大声で泣き叫んだ。静まり返った部屋にトキ子の声だけが拡声器のように響き渡った。
 これは悪い夢でも見ているのだろうか、いや絶対に夢であって欲しい。そういう思いが頭の中を頻繁に駆け巡った。
 加害者は32歳の独身男で、土木会社で働いている派手好きで身の丈知らずの生活に、親も呆れ果てて勘当されている身だった。
 会社の寮に入ってはいるといっても名ばかりで、飯場のような部屋に複数の作業員が頭を並べて寝泊りしているプレハブの建物だ。
 地元の高利貸から借金をしているらしく、自家用車もローンを組んでまだ支払いも終わっていないというのをトキ子は聞いたので、賠償問題にも大きな支障が出てくることを懸念すると共に、今後の生活面に不安を抱かざるを得なかった。
 案の定、車の保険も自賠責しか加入しておらず、相手から確固たる補償を得るのは不可能であることを思い知らされた。 (続)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小説 辿り着いた道(12)

2013-02-15 06:26:45 | Weblog
                                            分類・文
     小説 辿り着いた道               箱 崎  昭

 団地を出る時よりも雨脚が強くなってきたのは、舗装道路に跳ね返った雨粒が大きな水玉を作っているのでも容易に分かる。
「ただいまー」
 トキ子はいつも外出先から帰ると独り言のようにそう言って玄関に入るが、丁度その時に泰治は居間から自分の部屋に戻るところだった。
「お帰りなさい」擦れ違いざまに泰治が無表情で言った。普段、天気が良い日でも滅多に外へは出ないから、今日のような悪天候の時に外出する筈はない。
 きっとトキ子がいなくなったのを幸いに、居間で解放された気分になって寛ぎながら冷蔵庫の中でも覗いていたのだろう。
 親子関係は家の中でもこのような擦れ違いが日常的に行われているのが、紺野家の生活パターンだった。
 高台に住んでいると風向きによって強弱はあるが、大概の音が下から舞い上がってくるように聞こえてくる。特に雨雲が低く垂れ下がっている日は、音が逃げ場を失って遠くのものが雲と地面の間を擦り抜けて伝わってくる。
 港で入出港する船の霧笛や、直線的に8キロ前後は離れているであろう常磐線の列車が走行している音さえもリズミカルな響きとなってこだまする。
 今日は珍しく救急車のサイレン音が鳴っている。あの音からして小名浜の本町通りあたりなのだろうか。
 治男がいつ帰宅しても温かい食事が摂れるように、台所で晩御飯の仕度をしながら救急車の位置関係を推測していた。
 壁掛け時計に目をやると午後7時30分を少し過ぎたところだ。
 急病人でも出たのだろうか、それとも喧嘩による怪我人なのだろうかと思いながらも、あのサイレンと火の見櫓の半鐘には子供の頃から敏感で、いつも胸の高鳴りを覚える。
 小名浜は漁港町だから、夜ともなると羽振りのいい船方相手の赤提灯やバーが賑わうが、たまに飲んだ勢いで客同士の喧嘩騒ぎが起きるのも珍しくはない。
 1日中雨が降り続いて、いまだに止む気配はなく今夜半から明日朝方にかけて大雨注意報が出ているくらいだ。
 泰治が居間に新聞を置きに来たその時だった。部屋の隅に置かれている電話機が家族の者を急かすように呼んだ。
「あっ、はい……。ちょっと待ってください、変わります。お母さーん電話」  
 要領の得ない応対にトキ子が台所から前掛けで手をぬぐって「誰から?」と聞くと「警察署だって」と泰治は言い、持っていた受話器を渡した。
「えっ、嘘でしょう。確かに主人はまだ帰ってきてはいませんが、そんなことがある筈がありません」
 トキ子は咄嗟にそうは否定したものの、あとは絶句して顔面蒼白になり全身の力が一気に抜けて、両膝が崩れるように屈折した。 (続)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小説 辿り着いた道(11)

2013-02-14 06:21:31 | Weblog
                                            分類・文
      小説 辿り着いた道              箱 崎  昭

     (六)
「今日も多分、遅くなるかも知れない」
 治男は出掛けに前かがみになって、靴ベラを踵(かかと)に押し当てながら大体の帰宅時間を知らせた。
「あまり無理をしないで、たまには早く帰ってきて下さいね。無理がたたると身体にも悪いし……」
 仕事が多忙であれば帰りたくても帰れないのは百も承知のトキ子がそんなことを口に出した。治男が一歩でも外へ出ればいつも帰宅まで安心できない性格であったが、今朝のようなセリフを言ったのは珍しい。
 治男の後姿が心なしか寂しげに映ったせいもあるが、できることならトキ子も一緒に付いていきたいという衝動に駆られたのが不思議だった。
 外は生憎の雨で、このあと天気は更に悪くなっていくようだ。
 早朝の天気予報では温暖前線が本州南岸を通過し、東海から関東にかけて雷を伴って局地的に大雨が降る所があるので土砂災害には充分な注意が必要であると報じていた。 早くも、磐城の浜通り地方でもその前兆を窺い知ることができる。
 団地の周囲を取り巻くように植え込まれている欅の葉が、時折吹いてくる風の強弱に合わせてザワザワと音をたてながら揺れ動いていた。
 4階ベランダからの遠景は小雨に煙って、水墨画のように灰色の空間に木々や建物が黒い固体となって点在して見える。
 団地に来た当初は買い物が不便で、いちいち下の鹿島街道まで下りて行くか、小名浜や平の町へ出掛けた際についでに用を済ませていたが、最近では食料品を主とするスーパーをはじめ衣料品店や雑貨屋、理容店などが矢継ぎ早に軒を並べるようになり、中には開発によって農業を辞めた住民が商店を経営するというほどの活気が出てきた。
 治男の家では3人とも夕食時間が遅く、泰治は7時前後に食べるしトキ子は治男が帰宅したら一緒に食べるので8時以降というのが通例になっている。
 だから、いつも買い物は決して慌てる必要はなかったが、今日のように悪天候になると分かっている日は早めに済ませておくようにしている。
 足元が悪い日は、どこの店先を通っても客寄せに余念がない。
 それはどうしても、普段よりも客足が減るので仕入れた商品を売り捌くのに焦りを感じるからなのだろうか。
「奥さーん、カツオの活きの良いのが入っているよ! 持っていきなー」
 店先に立っていた魚屋の主人がトキ子を見ると拍手を一つ打って、頭に巻いたタオルを締めなおした。
この店は主人が仲買人で、毎朝早くから小名浜中央魚市場に出向いて魚を仕入れてくるので常に新鮮なモノを扱っていることは有名で評判が良い。
 治男が帰ってきたら晩酌の肴にもなるし、御飯に添え物の一品としても加えられると思い魚屋の誘いに乗った。
「活きのいいのが入っていると言っていたけれど、お宅の魚は全部活きが良いのに決まっているんじゃないの?」
 トキ子は笑みを浮かべ、からかい半分に言った。
「今日はカツオが特に良いんだよ。常磐沿海の黒潮に乗ってきたヤツをとっ摑まえてきたんだから美味いよー」
 魚屋は自分が獲ってきたように言って「今日のお薦め品だ!」と太鼓判を押した。  マナ板の上でカツオ身が手際よく捌かれて経木(きょうぎ)の中に納まった。 (続)


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする