AcousticTao

趣味であるオーディオ・ロードバイク・車・ゴルフなどに関して経験したことや感じたことを思いつくままに書いたものです。

3948:病み上がり

2017年01月02日 | ノンジャンル
 時坂峠の峠道の方が「陰地」よりも気温が高かった。路面は少し荒れていたが、それほど走り辛くはなかった。

 まだ「病み上がり状態」からは脱していなかったので、負荷はいつもよりは若干レベルを下げた。心拍数が170前後で推移する感じでクランクを回した。

 多くの峠道がそうであるように、時坂峠の峠道もくねくねと曲がっている。そして、時坂峠の峠道は斜度が細かく変わる。

 少し緩むとまた厳しくなる。厳しいエリアを抜けると少し緩む。心拍数はその斜度の変化に実に素直に反応する。

 上る距離は3キロと少しであり、それほどは長くはない。しかし、楽な峠道ではない。削っては捨て、削っては捨てといった感じで脚の余力はどんどんすり減っていった。

 時坂峠の終盤には風景がさっと広がる。そのエリアに差し掛かると終わりが見えてくるので、心理的に少し解放感が出てくる。

 チームで上る時に設定しているゴールまで負荷を維持したまま上り続けた。調子は9割方と言ったところであったが、どうにかこうにか上り終えた。

 そこからさらにすこし先に行ったところにある見晴らしの良い場所まで行って、Kuota Khanを立て掛けて、写真を撮った。



 山々には午後の陽が当たり、輝いて見えた。時刻は既に3時を回っていた。写真撮影を終えるとすぐに下り始めた。

 時坂峠を下り終え、帰路を急いだ。「陰地」は夕暮れに向かおうとしていた。さらに気温を下げた「陰地」は薄暗く寒い。そして路面は濡れていた。

 何かしら魔界的な様相すら感じさせる「陰地」をようやく抜けた。ここまでノンストップで走ってきたが、流石に空腹に耐えられなくなった。

 戸倉のセブンイレブンに立ち寄って補給食を摂った。暖かいコーヒーと豚まんを胃袋に流し込んでから、さらに帰路を急いだ。

 檜原街道、そして睦橋通りを走った。自宅には5時前にはたどり着いた。走行距離は80キロに満たない程度であったが、体に刻まれた疲労度は想像以上であった。まだまだ「病み上がり状態」を脱したわけではないようである。
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