おっさんひとり犬いっぴき

家族がふえてノンキな暮らし

不自由な肉体

2018-03-12 10:37:25 | 里山探検隊

 体調不良だったり、天気が悪かったりで、2週連続アウトドアで過ごせなかったので、今日こそはと張り切っていたら、風邪をひいたのか、朝から頭が鉛のように重く、挙げ句の果てに外は強風が吹き荒れ、時折雪も舞っている。久しぶりに長距離を走りに行こうと思っていたが、コタツから抜け出せずにいる。

 この前から取りかかり、何度も背景をやり直したワラビの絵がようやく完成した。日当たりのいい山間にしたり、野原にしたりと試行錯誤を繰り返したが、最終的には林床の中の陽だまりにすることで絵としては落ち着いたように思う。

 面白いもので、創作というのは頭で考えていることはほとんどそのまま実現させることはできない。「アイデアはあるんだけど」とか「思いついているものはある」と抱負を語る人は、絶対と言っていいほどそれを実現させることはできない。思い描くことと作品にすることは全然別のものだからだ。簡単に言えば、頭の中でオリンピック競技で自分が活躍するのをイメージしたところで、それを実現させるのは自分の肉体から出ることはできない。

 ところが、最近はゲームの影響か、バーチャルの世界に親しんできた人は、自分の肉体というのを度外視して物事を考えるようになる。そこでは肉体の限界や自分の能力や、積み上げてきた経験というのを乗り越えていくことは難しいことではない。すべては脳みそが受け持っているからだ。

 が、実際に目で見て、経験し、自分の体を使って表現するということがいかに困難か、それ以上に、自分の体がこれほど自分の自由にならないものかと痛感している人なら、ひとつのアイデアや思いつきが何かを実現できるとは信用することができない。ネット社会で幅を利かせている、誰もが批評家という立場から離れ、自然と他人のやることには無口になってしまうのである。

 

 

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