おっさんひとり犬いっぴき

家族がふえてノンキな暮らし

やらないとやれない

2024-04-17 11:19:31 | 日記
 お酒が一滴も飲めない人がいる。そういう人は大概「私はお酒飲めないんです」と言う。お酒は好きだが、病気から禁酒している人は「私はお酒飲まないんです」と言う。「飲めない」と「飲まない」と言う間には、似たようでいてずいぶん違う意味合いがある。



 ところが、これだけはっきりした言葉遣いでも、よくよく聞けば曖昧な使い方をしていることは多い。例えば、「私は株はやらないんです」と言う時、投資については詳しいが、株に関してはやらない、と言う人もいれば、そもそも株の運用の仕方そのものがよくわからないために、「株をやらない」と言う人がいる。本当は「やらない」のではなく「やれない」と言うのが正しい。

 これがパチンコくらいなら、やったことがない人が「やらない」と言っても、そんなに難しい操作じゃないから、やり方がわからなくてもわざわざ「やれない」と断ることはない。



 なぜこんなことに引っ掛かっているかというと、最近地区の仕事をするようになって、回覧板の制作やら会計の集計の表を作っているのだが、地区の世話係なんて年配の人が多いので、ほとんどの人がパソコンが苦手だ。ところが、「私はパソコンをやらないんです」と言い訳しながら、こちらに仕事を回してくる。その度に、「やらない」んじゃなく「やれない」んだろ、と心の中で突っ込んでしまうのである。



 パソコンができるけれども、なんらかの理由で「やらない」と言うのならわかるが、やれないことを「やらない」と言い換えているのがどうも気になる。そんなことを気にする方がどうかしていると言われそうだが、「やれない」ことを「やらない」と言うことで、いろんなことをごまかしてしまっているんじゃないかと思うのだ。



 「スマホはやらない」「パソコンはやらない」「株はやらない」。知っている上でやらないのなら問題はないが、「やらない」というそのことが、「やれない」ことを正当化しているとしたら、問題があるんじゃないかと思う。



 日本社会がなかなか臨機応変に変わることができない理由が、「変えない」のではなく、「変えられない」あるいは「変える力がない」のが根底にあるとしたら、自分の力では何もできないということと同じなのである。
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