おっさんひとり犬いっぴき

家族がふえてノンキな暮らし

都市に暮らすということ

2023-08-23 12:03:19 | 日記
 毎朝、散歩の途中で野菜を収穫する。たまたま出かける前にテレビで、この暑さで野菜が高騰しているというニュースを見ていたので、毎日食べきれないほど野菜が採れていることに感謝する。もっとも、野菜が採れているといっても、野菜の苗を買ったり畑に堆肥や腐葉土を入れたり、苗が倒れないように支柱を立てたり、畑の畝にマルチをしたりと、それなりにお金がかかっているわけだが、それでも野菜の値上がりに一喜一憂しなくて済むというのはありがたい。



 そう思うと、自分で畑を作れないような都市生活を送るというのは、考えてみればお金がなければ何にもできないんだなあ、と今更ながらビックリする。野菜だろうが肉だろうが、とにかく食べるものはすべてお金を出して購入する。調理するにも電気やガスを使用するのにお金がかかる。料理をやめて外食するにしても、お金がなければ何ひとつ口にすることはできない。

 それだけではない。車で出かけても駐車料金がいる。電車賃やバス代もいる。出かけた先のレジャー施設でも劇場でもお金がいる。とにかく食べるだけでなく、生きていくことすべてにお金がかかってしまうのである。

 大阪で10年、東京で10年暮らしたが、アパート住まいでは大工仕事や楽器の練習でさえ満足にできなかった。そうしたことをするために場所を借りるとなると、結構な金額を取られる。友人とテニスをしようとしたら、1時間数千円のお金が取られる。ここまでお金がかかってしまうと、「この世で一番大切なものはお金だ」「お金さえあればできないことはない」と考えるようになっても不思議ではない。都市に暮らせば、お金をたくさん持っているかどうかで、人間の順列でさえ決まってしまうのである。



 が、田舎で暮らすようになると、そこまでお金お金と考えなくなる。最も田舎でも都市生活を送ろうと思えばお金がなければ何もできないが、ポツンと一軒家で生活するならば、料理や暖房でも薪で済むだろう。野菜を育て、魚を釣り、自分で調理すれば、お金はそれほど必要ではない。そもそも大金を持っていても、日常で使う場所というのが極めて限られてしまうのである。



 そんなことを考えるなら、都市で暮らすというのは、ただひたすら人間を相手にしなければならないということに気づく。そのストレスはかなりのものになるために、人々はなるべく人と接しないで済むようなシステムを好むようになるのだろう。将来、都市生活者の日常というのは、すべて他人が用意したものに頼るようになりながら、極力人と接触しないという生活になっていくのだろう。人間は本当にそんな未来を望んでいるのだろうか。
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1 コメント

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Unknown (pickupmoriaiこのカイトは風が吹かないと用無しなんですかね。カラスは頭が良いから直ぐ見破られてしまいそう  昔の案山子さんの方が風情があった様な)
2023-08-24 10:08:42
若かりし頃、友人と金さえあれば自分の好きな彼女も作れるし、結果もできる人生
そんな、生き方を何時かも話し合った事があった
古稀を過ぎて色々な事を経験した今、無ければ困るし、あればあるで困るし未だ答えは白紙状態です

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