おっさんひとり犬いっぴき

家族がふえてノンキな暮らし

晴耕雨読な日々

2015-09-25 14:42:44 | 福島

 今週はせっせと畑を耕した。その後、天候が崩れ、昨日今日と雨降りだ。土曜日には図書館に本を返しに行かなければならないが、借りてきた本のうち、まだ2冊が未読だったので慌てて読み始める。

 そのうちの一冊、アルピニストの野口健さんが書いた「それでも僕は『現場』へ行く」はなかなか興味深い内容だった。ヒマラヤ登山中に遭難しかけ、テントの中で遺書を書くところまで行くのだが、なんとしてでも帰りたいと強く思った経験から、きっと第二次大戦で南方で死んでいった兵隊さんたちも故郷に帰りたかったに違いないだろうと、遺骨収集作業に参加する。いまだ戦地で行方不明になったままの兵隊さんは百万人以上いるという。

 世界では、戦争に行って亡くなった人間の骨を自国へ持って帰るのは当たり前だ。キリスト教国では、死んだ体には魂が宿っていないからという理由で、日本人ほど遺骨にこだわることはないが、それでも硫黄島で亡くなったアメリカ兵の行方不明の遺骨はあと一体だという。軍隊の中に400人ほどの遺骨の調査・収集する所属がちゃんとあるらしい。年間数百億円の予算を組んでいるというが、それに引き換え日本の担当者は20人、10億円ほどの規模でやっている。さらに問題なのは、日本政府の見解では、遺骨の帰還作業についてはすでに終わったものとしてしまったのだ。徴兵し戦地へ送り込むことには熱心でも、死んだら放ったらかしというのが今の日本のやり方だ。

 で、なぜ急にこんなことが気になったかというと、新国立競技場に1500億円の予算内でなんてことを言っているからだ。鉄道や橋のように毎日使うものならまだしも、一年のうち数回しか使わないものにこれだけの予算である。元首相の森さんなんかは「たかだか2500億円も出せないのか」と憮然として言い放った。

コメント
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