九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

なんと粗悪な「解説」か!  文科系

2015年05月15日 16時26分22秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
 解説さんとやらが、続けて三つもコメントを書いてきた。何と粗悪な「解説」かと呆れつつ読んだので、総合的な反論を加えたい。なお、①~③の各冒頭の『 』文章は、彼の言葉である。

①『(独国民は)お前ら責任をぜーんぶナチスに押し付けてんやんけ。(中略)そんであろう事か国民から万歳三唱で迎えられたヒットラー政権そのものを「不法国家」にして、ドイツ国民を被害者に仕立てたんやんけ』

 日本でも、「1億総懺悔」を唱えた愚か者がいるが、誤りだ。特に陸軍幹部ら戦争を推進した権力者の責任は限りなく重い。なお僕は、昭和天皇の戦争責任はとりわけ重いという見解を持っている。それらを糾弾するのは当たり前のこと。そして、権力者と一般市民は区別すべきというのは当然のやり方である。
 なお、戦後ドイツ政治家、ワイツゼッカー大統領などは、決してナチスのせいだけにせず独国民全体で他国に責任を果たしていこうとしてきた。だからこそ、EUができたのである。9条解釈改憲に邁進する安倍首相とは大違いと思うが、いかが。
 以下は、その証明で、ウィキペディア、ワイツゼッカーから取った。
『1985年5月8日の連邦議会における演説の中の一節“過去に目を閉ざす者は、現在に対してもやはり盲目となる”で知られる。「過去についての構え」である罪と「未来についての構え」である責任とを区別し、個人によって罪が異なるとしても共同で責任を果たしていくことを呼びかけた[3]』
 「戦争推進者の重大責任」と、「過去の我が国の他国への罪、責任を今の国家、国民が引き受けていくという問題」とは、全く別の話。別の論議が必要なのだ。君にはその区別が付いていないように思うね。

②『多くの民衆の判断を、それだけバカにしておいて、最終的に本当に「99%」が勝利を収めるのでしょうかねぇ。』
「それだけバカにしておいて」ではなく、こう語ったまでですが、どこが誤りですかね。ヒットラーへの熱狂とか、東條へのそれとか、こんな歴史的超お馬鹿なこともやっているのだから、こんなのを持論の正しさの唯一の証明材料に使うあなたは、笑止と語っただけです。どこが誤りですかね!

③『検索「ポーランド765人」……文科系氏は日米を「悪」としすぎ。まあ、在日コリアンとしては仕方のないところなのか?』
 こんなことを語って、戦前日本の「戦争推進者の重大責任」や、20世紀後半以降のアメリカの大悪やを擁護するかのやり方など、これもはなはだ笑止。嘘の理由で国民を熱狂させることによって、地球の裏側まで出かけていってイラク戦争をおっぱじめた国である。イスラム国の産婆役を務めたことも含めて、イラクの今の泥沼を作った国である。そう語ったうえで、そんな戦争が出来る原子力空母を世界11艘の内10艘もアメリカが持っていて、原子力空母など一つもない中国にはそんなことは到底出来ないでしょうと述べたが、どこが誤りですかね。
 なお、「在日コリアン」の下りは感謝しておく。僕は韓国(人)大好きなので。ありがとう。
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随筆紹介 イヌ型・ネコ型    文科系

2015年05月15日 10時08分38秒 | 文芸作品
  イヌ型・ネコ型  S.Nさんの作品 

 女性は集まるとグループをつくりたがる。そしてその中での付き合いが大切になる。このことは、私の学生時代を振り返っても当てはまる。あの時、男子は女子ほどはっきりとした“塊“がなく、気楽に見えて羨ましいこともあった。

 以前、テレビで興味深い実験をやっていた。面識のない三十代、四十代と思われる男女それぞれ五人が集まって男女別々の部屋に入り、しばらくの間待たされていた。一分、五分……、隠しカメラが二部屋の彼らの様子を撮り続ける。何も知らされていない彼らは不安顔で待ち続ける。じつはこれが実験。初対面同士が同じ部屋にいた場合の言動を調べているのだ。
「長いですね」「何をするんでしょうか」「私、何も知らされていないんです」、女性の部屋では、ぼそぼそと話す声がしてきた。それをきっかけに、やがて五人が和やかに雑談をしだした。それに対して、男性の部屋は相変わらず静かだ。時々、咳払いをしたり椅子に座りなおしたりするものの、隣の人に話しかける様子もなく互いに無関心でいる。

 よく、人のタイプをイヌとネコに例えることがあるが、この実験からすると、男性は、単独行動を好むネコ型であり、女性は群れを大事にするイヌ型といえるだろう。
 私は、そのどちらにも属し、また属さない方がいい。その中間のイヌネコ型であって、双方を行き来するタイプでいたい。
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「よたよたランナーの手記」(118) 寿命に関わる体組成数値  文科系

2015年05月12日 00時08分37秒 | 文芸作品
 7日の次は、2日おいて10日と、11日に走った。間の9日にギターの15年度教室発表会があったので、2日控えざるを得なかったのがちょっと残念というような、好調。10日は、全体としてゆっくりのLSDだったが、多少涼しかったこともあってごく短時間だがスピードを頑張ってみた。前半に11キロ時で10分、後半に11.5キロ時で5分走ってみた。息も上がらずリズミカルに走れて、やはり気持ちが良くって、僕流のランニングハイという感じだった。11日には1時間半以上、13キロ近く走った。LSD基本だが、11.5キロ時で10分走ってみた。

 今日は、人の一生の体組成数値変化ということで書いてみたい。活動年齢とか寿命にも関わる数値だ。

 ここにも書いてきたように僕がランニングを始めたのは、00年の59歳の時。そして、慢性心房細動による10年の心臓カテーテル手術前後3年のラン完全休止のブランクを置いて、一度は医者にも禁じられたランを再開したのは、12年9月。その9月からこの5月10日まで、僕は体組成計(家庭用体重計の変種)に乗ってきて、そこに現れた数値を定期的に表に書き込んできた。今日は、この2年半の数値変化を書いてみたい。
 体重は、58.0キロから57.2キロ。脂肪量などを含んだ身体の大きさを示すBMIが、20.4から20.0。体脂肪率が、13.2%から9.3%。内臓脂肪が9.0㎏から5.5㎏。筋肉量、47.9㎏から49.2㎏で、全体としてのアクティブ度という数値があって、これが90から95である。このアクティブ度の説明は、「体重全体に占める脚筋肉量の割合を指標化したもの」だそうだ。この脚筋割合という数字が、標記のように寿命に関わるものということで、以下を書いてみる。

 青年時代までの最高体重が61キロほどだったから、僕の体型はほとんど変わっていないのだが、3年のブランクからランを再開したここ3年弱で体型、身体の中身が確実に変わったと分かる。そう判断できる何よりの生活体験、数値がこれだ。ジーパンのサイズである。12年当時は30インチを履いていたのに、今は28インチでないとバンドが必要になる。つまり、29,30インチではずり落ちる。腰と腿の回りが特に緩くなった。そこの脂肪分がかなり減って、その分脚筋は増えたということなのだ。それを示すのがアクティブ度という脚筋割合の数値増加なのである。

 この数字を、ランニングを続けることによって、これからどれだけ保っていられるだろうか。体組成計添付資料によれば、アクティブ度が特に落ちていく年代は、男性が20~40歳と、もう一つ75歳ほどから。女性では、40~65歳となっている。ただし、男性の75歳以上の落ち方は、女性のどの年代よりも激しいものがあって、はっきり言って死に向かっていく勢いである。60~65歳辺りからの女性のこの数字が全く落ちていかないのと対照的だと読めた。この男の落ち込みこそが、男女平均寿命の違いに繋がっていく。
 「女は毎日、家事労働をするが、これもしない男はなー?」とは、連れ合いとこれを確認しあった時の会話である。つまり、僕もこれからが本格的な勝負年代ということだろう。非常に、興味深かった。以前にも書いたが、人間の寿命に関わってこういう数値が医者の世界で語られていることでもあるし。
『時速7キロ以上で歩ける老人は、長生きする』
 脚筋は、それほどに大切な物である。活動年齢を長引かせる源と言って良いと思う。

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随筆紹介 ケンカの仲裁  文科系

2015年05月11日 11時39分12秒 | Weblog
 随筆 ケンカの仲裁  K.Kさんの作品

 保育園の延長保育の時のこと。五歳の男の子が園庭でケンカをしている。私が近寄ろうと歩き出すと、先にさーちゃんが走って来た。「どうしたの?」話を聞く。「先にこいつが叩いたんだ」。相手も、「だって、二回もグーでパンチした」。二人とも泣きながら、こぶしを握り、力を入れるしぐさをした。後に引かない。
 すると、さーちゃんは、「分かった。とりあえず一度あやまろう」。二人の顔を交互に見ながら、肩を軽く叩いて提案した。男の子たちは何を言いだすのかと驚き、一瞬黙った。でも、意外にも「ごめんね」。「いいよ」。謝ったではないか。
 あまりのあっけなさに拍子抜けした。この一言でケンカの仲裁が出来るの? 私だったら、じっくり話を聞き「どうしたらいいのかな」。考えさせただろう。男の子たちは涙をふいて「行くぞ」、走って行った。さーちゃんも、何事もなかったように遊びに戻った。それにしても見事な裁きで仲直りさせた彼女には、参った。

 さーちゃんは四姉妹の末っ子。よく動く大きな目が勝ち気な性格を表している。家でも姉妹ゲンカがあるのだろう。その時の親の対応を見て、うまくおさめるのを覚えたのかも。しっかり者の彼女もその後、友だちに言い分を聞いてもらえず悔し涙。世話好きも時に困る。ちょうど迎えに来たお母さんは話を聞き「分かったよ。さあ、おんぶして帰ろう」。さーちゃんは頷いた。また明日ね。二人の背中を見送った。 
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「よたよたランナーの手記」(117) 暑いと疲れる   文科系

2015年05月09日 03時30分34秒 | Weblog
 せっかく調子が出て来て時速12キロの一定時間走行を目指そうとしていた時に、急に暑くなってきた。年寄りのランニングには、暑さがとりわけこたえるようだ。11.5キロ時で走っていても、息が苦しい。そんな中で、26、1、2、4、6、7日と走り、27日には50キロほどのサイクルツーリングをやってきた。
 30分2回の各前半長めに7~8キロ時で走り、各後半短めに10~11.5キロ時で走るというやり方を続けているが、7日はゆっくりでもせめてLSD効果を高めようと100分ほど、13キロを走った。スピードが緩いと、これだけ走っても翌日になんの疲れも残らないものだと、改めて痛感した。オシッコもほとんど黄色にならないのである。

 僕よりも1歳若いだけのここにも紹介した立派なボディビルダーさんが僕の隣で一時とは言え12キロ時で走っていて、目を見張るという体験があった。流石に若い時からの本格的ボディビルダーさんは違うもんだ! 先日お聞きしたら、体脂肪も12%台らしい。
 僕よりも10歳近く若い、仲良しの酒好きずんぐりむっくりさんは、いつも相変わらず30分を2回、時速10キロほどで走っていかれる。
 毎日のように来て、いつも10キロ時で2~3本走っていく30そこそこのサーファー若奥さんはとうとう右脚くるぶしを疲労骨折。ひびが入り、ここ数か月は走るのを控えている。が、毎日来て身体を動かしていかれるのには感心したもの。凄い執念である。聞けば、サーファーとしての筋力を落としたくないとのこと。「毎日来なければ心配」と言うほどに、体力維持に気を遣っておられるのである。ただ、ここまでの執念になると、ちょっと病的と言えるかも知れない。
 僕がLSDの走り方をお教えした3歳ほど先輩の男性は、立派にランナーになられたようだ。ゆっくりとだが、綺麗なフォームで、堂々たる走りっぷりを見せてくださっている。スピードも次第に速くなっているのではないか。
 商業主義の下らない趣味ばかりが多い世の中で、皆さん前向きに生きている感じがして、好感が持てる方々ばかりだ。59歳から始めた僕のランニングも15年越しになるが、これをやり続けているいろんな効能、生活における意味、充実感などの深淵さは、計りかねるほどのものがある。やってきたこの暑さに顔と吐息を死にそうにして(とまでは行かないが)11.5キロ時で走っている時でも、ふっとそんな深淵に思いを馳せると、勇気百倍という調子になる。走るって、僕にとって幸せの代名詞みたいになっているらしい。

 これをお読みの方で「走ってみてもいいかな」とお思いの方は、是非やってみて下さい。65歳以上の名古屋市在住者は、4200円で市営ジム年間定期券が買えます。この定期券で、1年間どれだけの日数、時間でも通えます。定期までは?とお思いの方には、1回分60円相当の5枚綴り回数券があります。なお、僕が学び、発見した走りの効用や走れるようになる方法が昨年12月30日分のこの「よたよた・・・(95)」まで4回分にまとめてあります。時速7キロで歩ける人なら、走れるようになると確信しています。
 
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随筆 「歴史好きor 文学好き」  文科系

2015年05月08日 11時50分17秒 | 文芸作品
「文学、小説なんて要するに嘘でしょ。幻想の世界とも言える」と語るのは、男性に多い。そういう男性には、事実が大事なんだと言うわけか、結構歴史好きが多いみたいだ。古墳の同好会とか、郷土史、三英傑の研究などなどは、結構マニアが多い。近ごろは歴女というのもおられる。

 他方、文学好きの方から歴史好きに対しては、こんな「批判」も出るはずだ。事実事実と言うけれど、細かい歴史的事実の確定って案外難しいはず。嘘満載の「古文献」と事実とをごちゃごちゃにしたりしてないか? そもそも、一つの古墳の何かを確定できたとして、それでなんなの? 何が面白い? どんな意味がある? 推理ゲームと何が変わるの?

 こう語る皆さん、こんなことをご存知だろうか。旧制帝国大学の流れをくむ文学部には、おおむねこの3分類があったことを。一つは文学部門。国文学とか英米文学とか、中国文学とか。もう一つが日本史などの史学部門で、三つ目が哲学とか美学、心理学など。ところでこの三つとも、ズバリと言えば人間丸ごとそれ自身を問う学問だ。文学はそれぞれの国の文学から、史学はそれぞれの国の歴史から。もう一つは、人間自身の精神とか心とかを求めたのだろう。特に、人間の内面というものが目に見えたり手で触ったり出来ず、文章でしか現せないのだからこれらの学問が人文科学と呼ばれたのではないか。などなどと考えてみたことがあった。なお、人文科学という分類は、自然科学、社会科学などとともに使われたものだったと記憶する。経済学、法学などの社会科学が科学として成り立つか否かという問題もずーっと問われ続けてきたところだ。


 さて、文学である。文学を嘘などという人はこれをこのように誤解していることが多いのではないだろうか。推理小説やSF、時代劇のようなストーリー物と。これらについて強調しておきたいのはこうだ。小説部類で最も読まれているのは推理小説らしいが、このような物はほとんどすぐに消えていく文章に属しているはずだと。よってつまり、消えていく「文学」を文学と誤解してはいけないとも。文学とはあくまでも、人間を追究、表現するものであると言いたい。また、時代時代のそういう傑作が歴史に耐えて残っていくものだとも。

 なお、以上の問題の近接領域として「国語科は学問であるか」という随筆をここに書いているので、興味のある方にお読み頂ければ幸いである。1月29日と2月11日のここに載せている。
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琉球新報より     らくせき

2015年05月08日 08時52分06秒 | Weblog
2011年に発生した東京電力福島第1原子力発電所事故の影響を受け、現在も放射能汚染に苦しむ福島県郡山市でこのほど、保革を超えて名護市辺野古への新基地建設阻止を訴える組織が発足した。名称は「沖縄・福島連帯する郡山の会」で自民党に所属していた佐藤栄佐久元福島県知事(75)や植田英一元自民党福島県連幹事長(89)も相談役として名を連ねている。同会によると、福島県内で辺野古の新基地反対に取り組む組織の発足は初めて。
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小説  「人生最後の戦い」(後編)  文科系

2015年05月07日 05時13分44秒 | 文芸作品

 さて、もう一人のお嫁さんのこと、家出の原因になった経理委譲問題は、心配というよりも俺にとっては恐怖と言えるものだ。お嫁さんのアイちゃんもやる気満々で我が家へ通ってきているのに、この数ヶ月でまだ一割も委譲は進んでいない。なんせ、週一日通いがなかなか週二になっていかないのだ。俺が理にあふれた説得を試みてきたはずなのに、彼女がどういう答えを返し、どんなやりとりになってきたか。
「まだ私がやりたいんだよ」 
「やりたいって…… 、何度も言って来たように、万一あなたが脳梗塞とかで倒れたらと思うと、僕は恐怖に駆られるんだけど」
「その時は、その時。彼らがやってくよ………!?」
 と、こんな調子ばかりが続くのである。この問題についてははっきり言うと、賢いはずの彼女が何を考えているのか、俺にはさっぱり分からない。まるで、いつまでも居座る創業社長によくある会社、仕事の私物化か、「我が亡き後に洪水の来たれ」というエゴ丸出しのような。ちなみに息子は、三つの美容院を一つの株式会社組織で経営し、年商一億を越えるお金の出し入れはもちろん、株式会社設立実務などさえほとんど彼女が中心でやってきたはずだ。よって、代表取締役である息子に対してはもう一人の取締役による完全な過保護。だから俺の心配は大きく、このままでは行く先が恐怖なのである。七十三歳の老い先短い俺の余生で最後に残った喉のトゲだ。
〈この人の理解を俺は間違っていたかも知れない。意外に自分本位なところがあるのに、持ち前のような勤勉さに目が曇らされていた?〉
 俺の生まれて初めての家出という奴も、こういう経過を巡るある夜の喧嘩の果てに、売り言葉に買い言葉の結末として起こったものだったのである。 

 この問題に、ある朝三度目だったかの手を付けた。今度は無駄な言い合い、すれ違いなどを避けるため、文書を用意して。秋の朝まだ暗い五時起きで、あれこれ工夫してキーボードを打ったものだ。
──何回か話してきたことを今一度きちんと伝えるのに、文書を書くことにしました。このごろ眠れない夜には、このことが最も大きな原因になっています。
 自営業は夫婦で足らない所を補いつつやっていくのが一番。特に経理などは、家族がやると安心できるわけですよね。今二人は結婚したばかり。アイちゃんは完全にフリーで、ケンを助ける気もあるし、事務の力もあるとあなたから聞きました。こうして僕は「今がチャンス」と思っている訳ですよ。どういうチャンスかという説明が難しい所なのですが、こういうことかと思います。
 会社に関わって貴女が持っている立場、能力を、できるだけ早く彼女に譲って、そのうえで彼女にもっと大きく育ってもらう絶好のチャンスだということです。早く譲るほどケン夫婦の会話も増えるはずです。そして、ここが肝心な所ですが、あなたはと言えば、このように彼女を育てることができる絶好の立場、またとないチャンスのど真ん中にいるのですよね。これが上手く行けば、彼らに必ず起こるであろう商売上の危機、夫婦の危機をも救う財産になるかも知れない。
 さて、この問題を彼女の立場から考えてみましょう。もちろん今は「義母さんの仕事をいずれ私が全部継いでいく」とは思っています。が、今譲るなら砂に水がしみこむように入っていくはずだ。ケンの経歴の中で最も美しく晴れやかな店ができた一つのピークの時でもある。名古屋の一等地にできたばかりのあの店を見た後、アイちゃんがケンを見る目が、ちょっと見上げるようになったというか、そんな仕草さえ見えた気がしました。
 ところが、これが子どもでも生まれたらどうでしょう。新しいことに挑戦するなどとは、なかなかならないものです。若さっていろんな野心もあるもの。それを早く発揮しようと、四ヶ月前から彼女は構えていたかも知れません。三十ちょっとならまだ十分若い、長い人生から見れば一刻も逃してはならない貴重な時です。──
 さて、俺の、この渾身の文書を彼女が読んだ後、二人の話し合いはどうなったか。
「譲っているところだし、子どもが生まれても必要なときには人はやってくもんだよ」
「四ヶ月経っても週一日通いでは、そうは思えないんだけど……」
「委譲が、嘘だというの? そして、私から一つ残った生き甲斐を取り上げるというの?」
 これは言い掛かり。俺の話をねじ曲げている。
「生き甲斐を取り上げるって、……… むしろ、老後の大変な生き甲斐になっちゃってるから心配なんだよ。一刻も早いほうが彼らのためだと言ってるだけだ」
「譲ると言ってるじゃない。今彼女を育てる必要って、そんな大した仕事じゃないよ」
 これは言い逃れである。自覚してはいないのだろうが、自分中心でやり続けて行きたいだけだ。
「大した仕事かどうかも、彼女自身がこれから考えてくことだよ。今の仕事を全部立派に譲ってから、あなたと二人で分担し合っていろいろ手を広げて行ったっていいじゃないか。店の花飾りとか、宣伝や求人の仕方とか、若い人のアイディアが出て来るかも知れない」
「偉そうに口出すのは止めてよ。会社からすっかり手を引いたあなたに、そんな資格はないんだからね!」
 こんな威圧的もの言いも彼女の持ち前の癖の一つなのだが、威圧は威圧でしかないのであって、この場合はさらに内容的にも一蹴できる思慮の足りぬものだ。
「いや、資格はある。借金の担保を出している保証人だ。言わば株主にも等しい最大の発言権だよ」
 言葉で書けばこんな言い合いだが、こんな大声の間には例によって無数の脱線、非難が混じって来る。俺の一言に大音声の三言四言が返って来るといういつもの調子で。次々とあー言えばこー言うは流石だが、このことに関する彼女の言葉は、どう転んでも無理筋ばかりと、俺は感じなおすだけのこと。そのせいで彼女の声も大きくなるのだ。俺はと言えば、心の準備を何度も重ねてきたことだから自分を抑えているのだけど、それでも我が家の北の道路からは俺らの声は丸聞こえだったろう。せっかく文書にしてまで前進を望んだのに、その苦労も台無しになってしまった。こうして、喧嘩が激しくなればなるほど余計俺の心配、恐怖がさらに増えただけで、寝付けぬ寝直しのベッドに虚しく帰って行ったのだ。

 ところが、この論議直後から事態が一変した。この後数日間の二つの重大変化から、分かったことである。一つは、月一回の税理士来訪日に、初めてアイちゃんが同席していたこと。今ひとつは、彼女が通ってくる日が増えて、あれこれと話し合っている時間が増えたことだ。連れ合いが俺の言い分を認めたことは、俺には明らかに思えた。そう言えば、論争の時にこんな弁解をしていたなどとも思い出したものだ。「今の店が軌道に乗ったら、完全に譲るよ」。その時はこの言葉を俺はその場逃れの一つとしか受け取れなかったのだが、どうやら山は動いたようだ。

 それからさらに何日か経ったころ、俺はなにげなく彼女に声をかける。「アイちゃん、来る日が増えたんだなー」。平然と彼女も答える。「うん、ちょっとね」。
 ただ、これらの変化を娘夫婦に話したが、連れ合いの性格や経過を詳しく知っているからか、全く信じくれなかった。が、俺が正しいことは明らかなのである。

(終わり)
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弱肉強食の「通貨戦争」、その実態   文科系

2015年05月06日 11時26分45秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
 ツッコミさんのご期待に応えて、世界各国大小の「バブル」に仕掛けられる通貨戦争、「過大評価されている市場がおもちゃにされる」実態をご紹介してみたい。

 先ず、08年まで38年間のIMF発表のこの概要。
『実際、リーマン・ショックとほぼ同時期、2008年9月に発表されたIMF(国際通貨基金)の一調査によれば、1970年から2007年までの38年間に、208カ国で通貨危機が、124カ国で銀行危機が、63カ国で国家債務危機が発生しています。金融危機は、先進国、新興工業国、開発途上国を問わず、アジア、ヨーロッパ、南北アメリカ、アフリカを問わず起こっていたのです。これに対し、第二次大戦後1970年以前の時期には、国際金融危機や大規模な一国金融危機はほとんど発生していません。第二次大戦後に限れば、金融危機は1970年以降の現象だったのです。なぜ、1970年代以降、金融危機が繰り返し発生するようになったのでしょうか。また、これらの金融危機の背後にはどのような事態が存在するのでしょうか』(岩波ブックレット12年刊 伊藤正直・東京大学大学院経済学研究科教授「金融危機は再びやってくる」P3)
 この文章の後の「背景説明」3点はこうなっています。①基軸通貨の弱化から国際金融システムの不安定化。②新自由主義政策、至上主義的経済政策。③G7の弱体化、G20の台頭など。

 タイへの自己実現的通貨投機から始まったアジア通貨危機について、次に見てみます。通貨危機は、世界金融資本の最大暗躍手段・場所の一つであって、世界各国から「通貨戦争」とも呼ばれています。なお、このタイ通貨危機は、97年の東アジア通貨危機の発端・震源地になった事件として非常に重要なものです。
『「投機家はタイに自己実現的通貨投機をしかけた。一ドル二五バーツに事実上固定していたタイ・バーツが貿易収支の悪化から下落すると予想し、三ヶ月後に二五バーツでバーツを売りドルを時価で買う先物予約をすると同時に、直物でバーツを売り浴びせた。タイ中央銀行は外貨準備二五〇億ドルのほとんどすべてを動員して通貨防衛を試みたが力尽きた。」(東洋経済「現代世界経済をとらえる VER5」二〇一〇年。一二一頁)』

 毛利良一・日本福祉大学経済学部教授著「グローバリゼーションとIMF・世界銀行」(大月書店2002年刊)243~244頁から、上のことの詳論を抜粋してみたい。
『通貨危機の震源地となったタイについて、背景と投機の仕組みを少しみておこう。タイでは、すでに述べたように経常取引と資本取引の自由化、金融市場の開放が進んでいた。主要産業の参入障壁の撤廃は未曾有の設備投資競争をもたらし、石油化学、鉄鋼、自動車などで日米欧間の企業間競争がタイに持ち込まれた。バンコク・オフショアセンターは、46銀行に営業を認可し、国内金融セクターが外貨建て短期資金を取り入れる重要経路となり、邦銀を中心に銀行間の貸し込み競争を激化させて不動産・株式市場への資金流入を促進し、バブルを醸成した。
 このようにして流入した巨額の国際短期資本は、経常収支赤字の増大や大型倒産など何かきっかけがあれば、高リターンを求めて現地通貨を売って流出する。投機筋は、まずタイ・バーツに仕掛け、つぎつぎとアセアン諸国の通貨管理を破綻させ、競争的切り下げに追い込み、巨大な利益を上げたのだが、その手口はこうだ。
(中略)1ドル25バーツから30バーツへの下落というバーツ安のシナリオを予想し、3ヶ月や半年後の決済時点に1ドル25バーツ近傍でバーツを売り、ドルを買う先物予約をする。バーツ売りを開始すると市場は投機家の思惑に左右され、その思惑が新たな市場トレンドを形成していく。決算時点で30バーツに下落したバーツを現物市場で調達し、安いバーツとドルを交換すれば、莫大な為替収益が得られる。96年末から始まったバーツ売りに防戦するため、タイ中央銀行は1997年2月には外貨準備250億ドルしかないのに230億ドルのドル売りバーツ買いの先物為替契約をしていたという。短期資本が流出し、タイ中央銀行は5月14日の1日だけで100億ドルのドル売り介入で防戦したが、外貨準備が払底すると固定相場は維持できなくなり、投機筋が想定したとおりの、自己実現的な為替下落となる。通貨、債券、株式価値の下落にさいして投機で儲けるグループの対極には、損失を被った多数の投資家や通貨当局が存在する。
 投機を仕掛けたのは、ヘッジファンドのほか、日本の銀行を含む世界の主要な金融機関と、大手のミューチュアル・ファンドをはじめとする機関投資家であった。また、1999年2月にスイスのジュネーブで開かれたヘッジファンドの世界大会に出席した投資家は、「世界中を見渡せば、過大評価されている市場がどこかにあります。そこが私たちのおもちゃになるのです」と、インタビューで語っている。』

 このアジア通貨危機について、ある学者の見解の変化を振り返っておきたい。ジョセフ・スティグリッツ。世界銀行の副総裁経験者にして、ノーベル経済学賞受賞者でもある彼の変身のことだ。彼は初め、アジア通貨危機についてこう述べていた。「主流派の内因説も、外因説の方もそれぞれのイデオロギーに過ぎない。対するに、グローバル化はイデオロギーではなく、システムそのものの不可避的な進行なのである」と。まー「自然にこうなったのだ」というところだろう。それが後にはこう変わっていった。
『「ゲームのルール作りとグローバル経済の運営を託された国際機関は、先進工業国の利益のため、もっと正確にいうなら先進国内の特定の利権(農業、石油大手など)のために働いている」と指摘し、「アジア諸国が健全な金融システムと適切な政策を保持していたにしても危機は発生しえた」と主張しました。
 この見方は、当初は少数意見でしたが、その後、J・パグワッティ、J・サックスのような新古典派経済学の主流部分にも同調者が広がりました』(「金融危機は再びやってくる」)


 上の文中でこの二つを僕は特に強調したい。
『「世界中を見渡せば、過大評価されている市場がどこかにあります。そこが私たちのおもちゃになるのです」と、インタビューで語っている』
『「ゲームのルール作りとグローバル経済の運営を託された国際機関は、先進工業国の利益のため、もっと正確にいうなら先進国内の特定の利権(農業、石油大手など)のために働いている」と指摘し、「アジア諸国が健全な金融システムと適切な政策を保持していたにしても危機は発生しえた」と主張しました』

 なお、日米が通貨危機を引き起こしたという場合、主体は国家ではありません。そこの金融機関のことです。国家はそれを見て見ぬ振りをしている。不振の物輸出に対して、これが外貨獲得の最大手段になっているからです。
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ハリルジャパン(9) 「宇佐美が落選?」  文科系

2015年05月05日 09時37分50秒 | 文芸作品
 5月5日の「スポーツ報知」に面白い記事があった。題して「ハリル、また体脂肪チェック!12%以上は呼ばない」。さー大変、宇佐美や太田宏介、吉田も危ない?


『 ハリル、また体脂肪チェック!12%以上は呼ばない

 日本代表のバヒド・ハリルホジッチ監督(62)が、12、13日に行われる日本代表の国内組合宿で、3月に続き選手の体脂肪率を計測することが4日、分かった。関係者によると指揮官は、けが防止などのため体脂肪率12%以下を要求。6月からのロシアW杯アジア2次予選に向け選手を徹底的に管理する。また、合宿のメンバーとして、川崎のU―22代表MF大島僚太(22)がリストアップされたことが明らかになった。

 選手の体脂肪に、再び厳しい“ハリル・チェック”が入る。関東近郊で実施される国内組合宿で、体脂肪率を計測する準備が進んでいることが判明した。今合宿は1泊2日と短期で、哲学注入などミーティングが中心となるが、選手の徹底管理を望む指揮官の意向に沿い“抜き打ち”検査が実施されることになった。

 体脂肪率は、チュニジア、ウズベキスタン戦に向けた3月のハリル・ジャパン初合宿で計測された。「フィジカルの準備ができていない選手はけがをしやすい」というのが理由だった。さらにその後、14・1%と高い数値だったFW宇佐美貴史(G大阪)の名前を挙げ、改善を要求。指揮官が合格ラインとするのは12%以下で「それ以上の人は代表には呼ばないこともあると言っていた」と関係者。自己管理できない選手には厳しい姿勢で臨む方針だ。

 3月の計測は、体組成計という体重計のような機器を使った簡易的なものだった。15・2%の結果だったDF太田宏介はその後、所属のF東京で、より正確な数値が出るといわれる二の腕の裏の肉を挟む方法で計測すると9・4%。12・7%だったDF吉田麻也(サウサンプトン)も、クラブでの計測時は10%以下であることを強調。混乱を招いていた。

 誤差が生じれば、今後の選手の体調管理に影響が出る。その反省を踏まえ、今合宿ではより正確な数値を求めるため外部の専門家に協力を依頼。方法は未定だが「3月の計測よりも本格的な機器を導入するようです」と協会関係者は明かした。

 完璧主義を自任するハリルホジッチ監督の要求は高く、妥協は一切許さない。6月のW杯予選の代表入りを目指す選手たちは“ハリル基準”を満たすパーフェクトボディーをつくり上げなければならない。』


 それにしても、サッカー選手って厳しいんだなー。「(脂肪が多いと)怪我しやすい」? これはまー分かる。筋肉の割に体重が重いということだから、ぎりぎりまで走る脚には、怪我も起こりやすいのだろう。なんせ、1ゲーム合計で12キロも走る選手がいるのだし、岡崎などは時速24キロ以上の一定基準短距離ダッシュを1ゲームに50回近く繰り返すのである。日本国内最多選手では30回がやっとらしい。24キロ時って、400メートルを1分で走るスピードだから、100メートル15秒割合で一定短距離ダッシュを繰り返すということだ。ハリルって、合宿などで自分も選手と一緒に走っている。僕は太ったスポーツ監督って大嫌いだから、こんな彼には非常に好感を持っている。選手に要求することを自分にも一定要求していると、そんな人格に見えるのである。つまり、フィットネスに気をつけている。「スポーツ精神の体現者」と観ているのだ。
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小説 「人生最後の戦い」  文科系 

2015年05月05日 09時05分40秒 | 文芸作品
 小説 人生最後の戦い    

 外は雨で、ずーっと散歩もできない。携えてきたギターだけの民宿生活丸二日目も終わろうとしていた寝床の中の心は、ちょっとのほの暗さに、大きな開放感。そこにさっきふっとこんな不安が過ぎり、それに取り憑かれてしまった。「鼓膜が破れるとか、脳血管の一部が切れるとか、何か事故でも起こってはいないだろうか?」。前々日の夜に起こったことをあれこれ何度も思い出してみても、不安の泥沼に沈んでいくばかりだ。
 一緒になってほぼ五十年、数十年ぶりに連れ合いを張ってしまった。過去に二度このようなことがあったと覚えている。一度目は今回と同じ平手で頬を張って「倍(の暴力)になって返ってくるんだ!」と学んだ時。もう一度は、その教訓が心に引っかかっていて物に当たり、文字通りちゃぶ台をひっくり返したものだ。いずれも、俺から見たら言葉の暴力に「堪忍袋の緒が切れた」のだが、今回も同じ経過、怒りからのこと。俺らはこの寸前までの喧嘩を年に何度もやってきたが、今回驚いたのは「倍返し」関連が皆無だったことだ。山場の言葉なら俺も負けてはいないから、その相乗的エスカレートが過ぎた結果、ちょっとずつ間を置いて一発ずつ、実に三発も張ってしまったのに。それでも黙らなかった相手も大したものだが、そういう相手にかそれとも自分の行為にか、ショックからなのか自己嫌悪でなのか、とにかく、翌早朝、密かに生まれて初の家出を敢行した。預金通帳、一か月は暮らせる装備、ギター一本と楽譜数冊などを寝る前に準備しておいて、しばらくは帰らないつもりで。何せギター一本あれば一日暮らせる俺だし、生あるだけで二人の預金通帳各々に年金や家賃収入など一人前の月収が振り込まれて来ると計算もしていた。
 寝床でごそごそしているままに明けた三日目の朝も、雨は相変わらず続いている。いったん俺を襲った不安は、長年かかって選び抜いてきた大好きな暗譜曲リストを順に弾いていても、一瞬も去っていかない。もう帰宅するしかないと決意した。
 さて家について何気なく装いつつ居間兼仕事部屋に入っていくと、心配してきた俺が馬鹿みたい。敵は平然と仕事をしている。息子の美容院の経理事務を彼女が一手に引き受けているのだが、コンピューターの使い手であり、税理士や税務署に褒められるほどの仕事ぶりなのだ。そんな彼女も俺も、双方、当然、無言。俺は積もり重なったものをもう許せなくなっていたから、相手の意外な落ちつきに腹が立ってきた。
「これから喧嘩になったら黙ってすぐに家出するから」
「私はもう、何も言わないからいいよ」


 結婚して五十年近い俺ら夫婦には、その間ずーっと喧嘩が絶えたことがない。それも、結婚前六年ほど付き合ってあらかたの喧嘩をし尽くしたつもりだった後の、その上の五十年なのだ。原因を振り返ってみれば、性格が対照的に過ぎていまだに互いが理解不能で、すれ違いばかりということだろう。勤勉な分家族には過干渉がさらに過ぎてしまい、それへの批判が出てくると何倍も言い返す口うるさい連れ合い。いつも正義は我にありと振る舞っているようなお人である。人間に優しい分優柔不断のようで、そのくせある局面の感情だけは強い俺。二人の五十五年に及ぶ喧嘩の歴史を振り返るたびに、人間・人間関係の深淵ってなんと奥深いものかと何度も思い返してきたものだ。「水か空気みたいなもの」、年を経た夫婦を表すこんな比喩は、俺らとはまさに正反対だろう。この家出に繋がった喧嘩は、彼女がやっている経理業務に関わっている。息子の結婚後数ヶ月経ってもほんの一部しかお嫁さんに譲っていないことを俺が見かねて起きたものだ。つい最近の他の喧嘩の例では、こんなものもある。小さなことだが、俺ら夫婦の性格、関係がよく現れている。

「そんなこと、大したことないことでしょう!」
 大きな声で言われてしまったが、俺にとってそれは大したことだった。外の大きな生ゴミ箱から台所へ、空いた戸口を通って数匹の小さな虫が飛び込んできたのだから。流しの食器洗いをしながらの俺の眼で、すぐ脇を飛んでいくかなりの数を認めたのである。蝿をごま粒大にしたような赤っぽい茶色、俺の大嫌いな奴で、昨日も俺が懸命に退治していたのを彼女は見ていたはずなのに。それに対する「ゴミの始末は、戸を閉めてやれよぉ」への、いつもの勢いあふれた抗弁なのである。他人にこんな威圧的な物言いを返したら、ちょっと大変なことになるだろう。俺は調子を一段と低くして、こんなドスの効いただめ押しを捻り出した。一発で終わらせたかったからである。
「この場合、大したことかどうかは君が決めることじゃない。僕の思いを僕が語っているんだけど」
 一瞬の沈黙があって、意外にもこんな応えが来た。
「分かった。始末しとくわ」
〈おや、「そんなら自分でやりなさい」じゃない。昨日もこの虫に苦情を言って無視されたのだが、これを家に入れたのは自分だと、このことは認めたんだよ〉
 さて、ちょっとした用事から俺が帰ってみると、虫は鮮やかに全滅。いつもながらの彼女らしい有言実行、迅速かつ正確無比。ところが、こういう彼女の勤勉さをはじめとした仕事ぶりにも我が夫婦喧嘩史の原因が潜んでいるのである。五人兄弟母子家庭の長女として小さい頃から家計を助けつつ独力で大学まで卒業し、いつも早めに仕事の段取りを考えているような彼女。家事一通りは彼女から仕込まれたが、坊ちゃん育ちで不精者の俺。必然というのかどうなのか、彼女の「声」はその仕事のできばえよりもさらに大きく育ってしまったのだ。その「大きさ」を最もよく表しているのが、例えば四十年は続いているこんな喧嘩だろう。

 彼女が俺に運転手をお願いして乗せてもらっている車の道中で助手席から突然こんなことを言い出すのである。「今の角は右に回るべきだった。こっちは道が細くて飛び出しも危ない。あちらへ曲がればずっと速かったはずで……」。対する最近の俺はこの手の声など無視して運転していくが、一々言い返して必ず終わりのない言い争いになるという長い歴史があって、それを避けるためなのである。なんせ、以下のように道理ある何十回かの説得にも、一向に臆する所がないのだから。
「あなたは地図の読めない女ね。そもそも東西南北も分からないから、斜めの近道なんて見分けは付かないはず。僕はと言えば、地図だけで初めての目的地へも一発って、だからこそ今時ナビなし車で間に合うって、君も知ってるはずだ」
 激しい言い争いの果てにいつも俺が念を押してきたこんな究極の理屈さえも認めないらしく「僕の運転には何も言わない」とやっとこさ漕ぎ着けた過去何回もの「約束」もほとぼりがさめると反古にされてきたのだった。
 こうして最近の俺は、彼女の「大きな声」をほとんど無視することにしている。つまり、応えない。応えないままに車は好きに運転するし、自分の領域のことは、黙ったまま自分流儀を譲らないことにした。年を取って短気になり、言い返して起こる長い言い争いが我慢できなくなったからだし、俺が黙っていれば「あっ、相手の領域に踏み込んでしまった」と気付くだろうとの計算も働いている。
「母さんが五月蠅い人になったのには、父さんにも責任があると思う。そして、前は鷹揚だった父さんが最近抗弁するようになったから喧嘩が増えたんだよ」
 これは、娘マサの言葉、お見立てである。我々夫婦のこういう経過をよく見てきた娘だ。六年ほど前に結婚して、我が家から五百メートルもない近くに家庭を持ち、二人目の子どもを生んだばかりである。因みにもう一人の子ども、兄ケンのほうも今年家庭を持ち、これもマサの家から二百メートルと離れていない近くに住んでいる。この娘の言葉で言えば、抗弁しないなら喧嘩にもならないだろうという、そんな昔のやり方にちょっと戻したと言える。ただし、退職前の昔は連れ合いの「過干渉の大声」などほとんど気にならなかったにすぎないが、退職後十年を過ぎた今は、大いに気になるけど黙っているという、そんな違いがあるはずだ。
 ところで、こういう連れ合いの大声が俺だけで済んでいる内は、思えばまだ良かった。すぐ近くに住んで、生活がいろいろ重なるようになった子どもやその配偶者との関係で、気になって仕方ないことがいくつも現れてきたのだ。たとえば先日あったことだが、
 高熱が去ったばかりの身体をソファに横たえていると、隣部屋の激しい言い争いが途切れ途切れだが嫌でも耳に飛び込んで来た。ぼーっとした頭にも争いの中味などが駆け巡る。
〈我が家の近くに住んだ娘夫婦も結婚して六年。お婿さんの太ちゃんも我が連れ合いから見て「家族並み」になったのだろう。最近は、こんな険しいやりとりも起こるようになったんだよなー〉
〈争いの発端、原因はこうらしい。ケンのワゴン車を太ちゃんが借りたその「借り方、態度」に関わって、連れあいが何か苦情を思いついたようだ。太ちゃんは要するにこう応酬しているはず。「僕とケン君に関することであって、お母さんは全く関係のない話です」。その通り、彼が正しい〉

(続く。2回目で終わります)
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新聞の片隅に載ったニュースから(197)    大西五郎

2015年05月04日 20時06分17秒 | Weblog
ホロコースト忘れぬ 独首相、収容所で追悼(15.5.4 中日新聞)

【ベルリン=共同】ドイツ南部ダッハウにあるナチスの強制収容所が米軍に開放されてから七十年を迎えたことを記念し、収容所跡で三日、ドイツのメルケル首相や元収容者が参加して追悼式典が行われた。メルケル氏は「私たちは忘れない。当時の犠牲者、私たち自身、そして次世代のために」と演説し、過去と向き合う姿勢を強調した。
また、昨年起きたベルギーのユダヤ博物館のテロ事件などを例に、今もユダヤ人への憎しみが存在すると指摘。「決して目を閉じてはならない」と呼び掛けた。
ダッハウの施設は、ナチスが政権掌握後の一九三三年に初めて設置した強制収容所。のちに設置された収容所のモデルになったとされる。
鉄製の門扉にはドイツ語で「アルバイト・マハト・フライ(働けば自由になる)」との表示が取り付けられていたことでも知られる。表示はユダヤ人大量虐殺(ホロコースト)の舞台となった収容所の象徴的なスローガンとなった。
米軍が四五年四月二十九日に開放するまでに欧州全土からユダヤ人や少数民族のロマなど二十万人が収容され、四万人以上か犠牲となった。
オバマ大統領は四月二十九日に発表した声明で、同収容所の犠牲者や戦闘で命を落とした米軍兵士に哀悼の意を表明。「こうした残虐行為が二度と起きないことを誓う。歴史は繰り返さないだろう」と強調した。

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安倍首相は戦後70年の総理大臣談話で村山談話、小泉談話の「侵略」と「お詫び」は除外するつもりのようです。先日のアメリカ議会での演説でも「(戦争を行ったことへの)反省」は述べても、「お詫び」という言葉は避け、アメリカのメディアからも歴史認識を問題とされました。
そして今、地球の裏側までも出かけて行ってアメリカ軍と一緒に戦争をするという集団的自衛権の行使を可能にする安保法制を今の国会で成立させるとアメリカに約束しました。
またボストン大学での学生との交流でも、従軍慰安婦問題で「人身売買での苦痛には胸が痛む」とは云いましたが、これだと業者が悪いことになります。政府と軍の責任には触れませんでした。
安倍首相はかつて日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会の事務局長をしていましたが、この会は従軍慰安婦問題や南京大虐殺を否定し、教科書から記述を除くよう要求しました。そして内閣の責任者となった今、教科書の改訂を進めています。
 なお3日の中日新聞によりますと、メルケル首相はドイツが第二次大戦で連合国に降伏から七十年となる八日を前に、過去と向き合う決意を示す映像を政府ホームページで公開し、ナチスのホロコーストなどを念頭に「われわれは注意深く敏感に対応する責務がある。歴史に終止符はない」と述べました。
安倍首相にも歴史を正しく認識してほしいと思います。
                                    大西 五郎
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琉球新報より     らくせき

2015年05月04日 09時35分45秒 | Weblog
米軍普天間飛行場移設問題に関する全国紙の4月の世論調査で、名護市辺野古への移設を進める政府の姿勢を「評価しない」とする声が多数を占める傾向が出ている。辺野古移設への反対が県内だけでなく、全国的にも広がっていることが鮮明になっている。
 4月中旬に実施した朝日の調査では安倍政権の対応を「評価しない」が55%となり「評価する」の25%を大きく上回った。毎日の調査は政府の進め方への賛否を聞き、「反対」が53%で「賛成」は34%だった。
 読売は翁長雄志知事と菅義偉官房長官の初会談が行われた5日までの3日間で実施し「評価しない」と「評価する」が41%と拮(きっ)抗(こう)した。
 翁長知事と安倍晋三首相が会談した17日からの3日間で行われた日経調査は、辺野古移設計画を「見直すべきだ」が47%で「計画通り移設すべきだ」は36%。4月下旬に実施された産経調査は辺野古移設に「反対」が44・7%で「賛成」の39・9%を上回った。
 翁長知事が菅氏や首相と の会談で、沖縄が辺野古移設に反対する理由などを直接説明したことなどが報道さ
れたこともあり、政権の進め方に批判的な意見や辺野古移設そのものへの反対が広がり始めているとみられる。



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琉球新報より     らくせき

2015年05月02日 09時28分17秒 | Weblog
米軍普天間飛行場移設に伴う新基地建設阻止を目的とした「辺野古基金」の準備委員会は1日、那覇市内で記者会見し、4月30日時点の寄付金が1億1915万698円となったと発表した。一方、寄付が寄せられた4577件のうち、約7割が県外から寄せられたといい、新基地建設問題に対する関心が全国的な広がりを見せていることをうかがわせた。 基金の準備委員会は今月13日に結成総会を開き、基金の運用方法などを決める予定。経済界や労働組合、県議会会派、市民団体など10団体が軸となる「基金運営委員会」を設置する。
 結成総会後には現在の金融機関への振り込みに加え、街頭募金や電話を使った募金など、募金方法の多様化も検討していく。委員会には県民から「街頭募金をするのなら、ボランティアで手伝いたい」などの申し出もあるという。
 準備委員会の新里米吉代表は「対応しきれないほど問い合わせが続き、関心の高さを感じる。沖縄以外の人も何らかの形で辺野古の問題に関わりたいという意思表示でもある。心強い連帯の証しだ」と述べた。

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新聞の片隅に載ったニュースから(196)    大西五郎

2015年05月01日 19時16分55秒 | Weblog
日本軍の加害パネル廃棄 「ピースおおさか」改装(15.5.1 中日新聞)

大阪市中央区の戦争博物館「大阪国際平和センター」(ピースおおさか)が三十日、日本軍の加害行為や「侵略」の表現をなくした展示内容で改装オープンし、記念式典が開かれた。リニューアルを機に展示から外した加害に関する写真やパネル数十点が廃棄されたことも判明した。
旧展示内容に大阪維新の会や自民党の府市議らが「自虐史観」と批判。新たな展示は大阪空襲に特化し、戦時下の暮らしぶりや、焼け野原になった当時の大阪など六つのテーマで構成される。次代の担い手が戦争の悲惨さや平和の尊さを理解できるよう「子ども目線」を重視したとしている。
記念式典には松井一郎大阪府知事らが出席し、大阪空襲の犠牲者約九千人の氏名が刻まれた中庭のモニュメント「刻(とき)の庭」で献花した。
松井知事は「いい施設になった。何も得るものがないのが戦争だと実感してもらえるはず。日本の敗戦が見えている中で、無差別に焼夷弾を落とした米国はやりすぎだ」と述べた。
一方、2013年のリニューアルの構想段階から、市民団体や研究者が、アジア諸国に危害を加えた歴史を忘れないとした設置理念にそぐわないと反発。この日も市民団体メンバーらが「世界に通じる歴史認識を」との横断幕を掲げ、反対をアピールした。
日清戦争から太平洋戦争の敗戦までをたどる映像ナレーションを視聴した元博物館職員の常本一さん(57)も「強制連行や従軍慰安婦への言及がなくなり、全体の構成として日本が防衛的に戦争したとのニュアンスがにじみ出ている」と批判した。
廃棄されたのは、中国への侵略や朝鮮の植民地支配を紹介した展示室「十五年戦争」の写真パネル。一九三七年の南京事件で生き埋めにされた市民などの生々しい写真が含まれていた。常設展示にしか使用しないとする著作権上の取り決めがあり、昨年末に廃棄。市民から寄贈を受けた実物資料は、引き続き保管しているという。

□□――――――――――――――――――――――――――――――――――――――□

「ピースおおさか」は、大阪府と大阪市の出資で財団法人が作られ、そこが運営していますが、橋下大阪市長は従軍慰安婦は必要な制度だったと主張していますし、維新の会や自民党の府議らが展示内容を「自虐史観」と批判したことや、最近ネットなどで「あの戦争はアジアから欧米の支配をとり除くために、止むを得ず行った」という受身の戦争論も影響しているようです。
戦後レジームからの脱却」を唱える安倍首相は、戦後70年に当たっての総理大臣談話で村山談話、小泉談話の「お詫び」という言葉は使わないつもりのようです。アメリカ議会の上下両院合同の演説会でも、「反省」とは述べましたが、「お詫び」という言葉を避けていました。
そのことがアメリカのメディア(ワシントンポスト、ニューヨークタイムズ、ウォールストリート・ジャーナル)にも指摘されていましたが(1日中日新聞)、諸外国から日本の真意を疑われないように、安倍首相はハッキリした言葉で「お詫び」を述べるべきです。
                                    大西 五郎
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