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小説  ハーちゃんと俺(後編)   文科系

2018年09月06日 11時34分16秒 | 文芸作品
 ハーちゃんが四歳を過ぎた二〇一四年一〇月に弟、セイちゃんが生まれた。娘のその育休が終わった後には、俺のイクメン仕事はさらにハードになっていく。保育園病欠も行事参加なども二人分になったからだ。二人分の育休が済んだ一六年四月以降は、中堅の小学校教員である娘の仕事が急に忙しくなったことも重なっていた。なんせ、平均帰宅時間は先ず二一時。「教員過労の時代」と言われるだけあって、夕食もお風呂入れもほぼパパだけの任務となっては、見るに見かねることが多いのだ。お風呂入れも、食器洗いとか、レンジ周り拭き掃除。俺の手伝いを条件に大掃除までを促して通っていくこともあるという始末だった。
「三八度五分の熱と連絡があったから、悪いけど保育園に迎えに行ってくれる? 二人とも都合がつかんの」
「お迎えに行って、区役所・保健所で三時からある検診に連れてってくれない?」
「保育園のデイ・キャンプが、父母同伴なんだけど、パパが出れないから来てくれない?」
「保育園の同じ組の父母が家でパーティーやるけど、ワインと何か一品作って参加してくれない?」
 こんな注文が、どんどん増えていった。「家族で蓼科の遊園地に行くけど、来てくれない?」、などということさえ度々になったが、ほとんど子守の為なのだ。二人の子ども連れだと、何か大小の緊急事態があったときにとても助かるらしい。
 イクメンという以上に教育パパならぬ教育ジジもやってきた。自転車に乗れるようにしたり、運動会のための竹馬も俺が作って、俺が教えた。週一土曜日の水泳教室はほとんど、若いママやパパに混じって見学しに行きたくなるのだし、二か月に一度のその教室進級テストの一~二週前などは二人で市営プールに行って欠点を修正してやったりもする。そんな帰りの公園で運動会の前などは正しい走り方まで教えてきた。だからこそなのだと固く信じているが、水泳はもう二五メートルがクロールできるクラスだし、保育園最後の運動会リレーではバネの利いたダイナミックな速さを見せていると、教育ジジは目を細めていた。ただし俺にとっては、これらすべてが、我が子に日曜日などにやってきたことを繰り返しているに過ぎない。ハーちゃんが習っているピアノ・レッスンも、娘にしてきたように付き合っている。「小学校前教育は、何かスポーツと芸術一つずつ。それが一番」という教育方針も俺と娘夫婦で一致しているのである。もちろん、お婿さんもこれらをともにやってきた。彼と俺が大変仲が良いのもこうして、ハーちゃんの御陰なのだ。孫も鎹ということだろう。
 それにしても気軽に注文が来る。余程頼みやすい人間なのだろう。これでお婿さんがさぼっていたら俺もここまでは出来ないが、彼も娘以上に主夫を頑張る人だったから、このほとんど全てを彼とも協同してやった。これら連日のような注文に働き者とは言えない俺がどうして応えるようになったのか、自分でもよく分からない。がとにかく、ハーちゃんのこととなると、どんな注文にも身体が自然に動いて行くのである。

 さて、というように表面は元気に見える俺も、既に七五歳。ハーちゃんが年長さんになったこの年一年は前立腺癌の発見、その陽子線治療もあって、他人からは見えにくい身体の中身はかなり綻びている。
 鉄筋コンクリートの白壁が薄汚れた我が家は父母が建てた物で、築五四年。その二階東端にある南向き畳の書斎兼寝室の南壁半分以上を占めるガラス窓のカーテンの端から突き刺さってくる陽光で目が覚めた。よっこらしょっと身体を起こして、机の前の椅子に座り、毎朝の日課が始まる。まず最初に、耳の上を引っ張ったり、頭側面や首から肩にかけて指圧、マッサージをしていくのは、難聴を予防、改善できるという体操のようなもの。確かに効果があるのだ。それを約五分の後は、左耳穴だけに補聴器を入れる。先生について習っているギターの弾きすぎと医者が診断したのだが、左耳だけが、それも高音域が聞こえない。特に子音が聞き取れないから、補聴器がないとアイウエオだけのように聞こえてしまう。耳の次が、目薬。これは白内障予防のためで、この眼科通院が始まってもう三年は経っている。網膜剥離でレーザーを入れたその事後観察という狙いもあるこの通院も、今は月一ほどに減っているのだが、軽いものだそうだが間もなく手術ということになるのだろう。それを少しでも遅らせるための点眼なのである。その次には、おもむろに鼻をかむ。かむだけではなく紙を太くよじって穴の奥深くまで入れた掃除をする。耳や目よりもずっと年季が入って悪いのが鼻で、原因不明のアレルギーもあるとのこと。このごろはいつも鼻紙に血が混じる。先日の高齢者検診胃内視鏡検査では「鼻の中が浮腫んでいますねー」と言われてしまった。と、こんな風に始まる一日も、例えばある午後は、
 晩秋の午後三時きっかり、保育園玄関出入り口を開けるとすぐの廊下端に、六歳の孫、ハーちゃんが早帰りの準備万端を整えて待ち構えていた。手早く靴を履きながら、「ジジ、遅いねー!」。
「ここでずっと待っていたんですよ」
 脇の職員室から出てきた仲良しの保母さんが笑いながらそう告げてくれた。それにしてはと、ハーちゃんの全身が喜びを表しているから嬉しくなった。歯医者に行くための早迎えだと言ってあるのに。
「恋人同士みたいだね」。これは、この夏に白樺湖の大きな遊園地に出かけた時に娘夫婦がかけた言葉だ。ほぼ全ての遊び遊具目指して、俺と二人であちこち飛び回っていたその光景を評したもの。こんな時は、「俺ももう七五歳、ランナー現役を続けていて良かったー!」と自分ながらしみじみと思うのである。
〈一緒に遊んできて、教育ジジやってきたけど、恋人ねー……。まーそんな要素もあるかな。俺をこれだけ回春させてくれたんだから……。そう言えば先日一緒に行った音楽会デビューも、デイトみたいなもんだったし。二時間を優に超える合唱だったのに、最後までちゃんと聴いてたな。途中で出てくることになると予想した実験だったんだけど、随分大人になったもんだよなー〉
 日曜日の午後、玄関のブザーが鳴る。パパが開けた扉の鍵音諸共、居間でテレビ・サッカーを観ている俺の膝めがけてハーちゃんが駆け込み、飛び込んでくる。こんなところも確かに、恋人みたいなのだ。膝の上のハーちゃんは時にお姫様抱っこの体勢も取るし、首筋に両手を回したりもするから、大好きなごっこ遊びで、その恋人同士。ただ、娘がいっぱい買い揃えてあるディズニー・アニメの男女場面のごっこ遊びかも知れぬと気付いてからは、途方に暮れてしまうようになった。


 二〇一七年四月、ハーちゃんは小学一年生になった。俺はその学童保育のお迎え係。娘の家のすぐ前にある小学校には学童保育が無くって、自分の昔と同じようにこれがある小学校を希望したから、市の許可を得て隣の小学校まで通うことになったのである。お婿さんが三キロほど離れたセイちゃんの保育園の、俺が学童保育のお迎えということだ。当面は毎日引き受けたが、やがては日数を減らしていくつもりだった。そんなお迎え場面の初めの頃にハーちゃんと俺に起こったことが……。

 保育園のお迎えの時などに年長さん相手にやっていて彼女が名付けた「パンチ遊び」というものを、俺がお迎えに行く学童保育でもすぐにやってみた。両脚を広げて腰を落とし、サンドバッグよろしく腹筋を子どもらにパンチさせる遊びだ。ボクシングの拳の作り方と、打撃時の足腰の使い方なども初めから教えるから、少々本格的なスポーツにもなっている。これを、四年生までは我も我もとやりたがる。因みに、それより上になるとどういうか「子どもじゃないよ! 遠慮します」という感じが多くなって面白いのだが、とにかく学童保育でも女の子も含めて大人気になった。なんせギリシャの昔からの男のスポーツ。今ならアニメやゲームの影響もあるのだろうが、迎えに来た俺を見つけると五人、六人と列を作って挑戦してくる。俺の方は人間の腹筋が思う以上に強いものだと改めて知ったのだが、ランニング練習のジムでウエートトレーニングも一通りやっているからなのかどうか、五年生までなら大丈夫とすぐに分かった。こういう遊びを学童保育で始めた時のハーちゃんの感嘆ぶりこそ、おったまげたもの。集まってきた上級生らを見上げながら、周囲を飛び回るようにして、はしゃいでいる。
〈彼女が遊んでもらいたくて仕方ない三~四年生までが自ら希望していつもいつもずらずらと並ぶのだから、指導員先生でもなかなか作れる光景じゃないのかも知れない……〉。
 そんな「パンチ遊び」を終えた秋のある日。お迎え帰りの自動車の中で、
「ジイジって、七十六歳だよね?」。「そうだよ。何かあったの?」。「先生が訊くからそう答えたら『うそーっ?』って言ったんだよ。別の先生が本当だよって言ってくれたけどね」
「でももーお爺さんだよ。運動会の駆けっこなら、ハーちゃんにはきっと、追い抜かれるよ」
「ジイジはお爺さんじゃないよ。お父さんだよ。先生もそう言ってるし。パンチにもあんなに強いし。いつも走ってるし、……ちょっと痩せぽっちだけどね」。
 その時の俺の気持ち! 毎日当たり前のようにやっていることを誰かに褒められても嬉しくはないのだが この時ばかりはまったく違っていた。だからこそ、一言。「僕が痩せぽっちなんじゃないの。パパ、ママがお腹も出て来たし、ふっくらし過ぎなの。分かる?」。
 そう、今の中年以上が皆太りすぎで、俺が大学生のような身体なのだ。それが、現代日本の普通の大人の認識……。などというのはともかくとして、こう続けた。
「痩せっぽっちも、パンチに強いのも、みんな走ってきたおかげ。そして、ハーちゃんは知らないことだけど、僕が走り続けていられるのも、ハーちゃんが生まれたおかげなんだよ」
 こんな思いの時の俺は、ゼロ歳のハーちゃんが取り持ってくれた家族四人の散歩をいつも思い浮かべている。そして、思い出のゼロ歳の時から今もまだやっているこんな習慣は、これからいつまで出来るのだろうかと、寂しい笑いをもらすのだ。古家の改築から生まれた二つの階段を使って二階を回ってくる「肩車一周」。我が家にいて二人のピアノ練習が上手く行かないときなどの気分転換なんかに、いつもやってきたことだ。彼女は一年生の今もこれが大好きなのだが、最近は相当重たく感じられて、足を運ぶにも気を使うようになった。


(三日続きの前中後編。読んで下さった方、ありがとうございました)

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