これは、昨日エントリー「お答え」の続きである。25日の拙稿「ならず者国家」にお二人からこんなコメントが付いた。
【 Unknown (sica)2016-07-28 05:54:14> >世界平和組織の必要不必要論と、役に立っているか否かとは、別の論議であると言いたい<
「世界平和組織」などという、存在しておらず、また将来作られる見通しの全くない組織の必要性や役に立つかどうかなどを議論しても、全く無意味だと思います
それは政治というより宗教の部類の話です。】
【 Unknown (sagakaoruzeisyu)2016-07-28 07:19:37 ならず者国家?(エントリーはアメリカのことを書いているのだが、ここにおけるsicaさんとのコメント遣り取りで、太平洋戦争に至る日本を同じようにそう呼ぶことに同意し合っている。文科系注) 当時の日本人が、あの戦争を戦ったからこそ、今の日本も世界もあるんです。アフリカ諸国の独立も第二次世界大戦後のことですし、日露戦争がなく、第一次・第二次大戦に日本が参戦していなければ、世界は“今よりもずっと”白人上位のひどい世界でしょうね。】
このお二人に対して反論したのが、昨日のエントリ-だが、日本の戦争責任を認めているという意味でネトウヨとは思われないsicaさんも、国際連盟、国際連合について(の歴史を)知らないのは、同じなのである。そして、上の後者のような歴史認識をネトウヨ諸君が平気で書いてくるのも、事態は同じことなのである。そこで昨日も、また16日にも、僕はこんな文章を書いた。
【戦争責任と言うからには、道義的責任よりも法的責任が重いのは明らだろう。そして、20世紀の戦争には、国際連盟が出来て史上初めての法的枠組みが生まれていた。この枠組みが唯一当時の法的責任基準と言えよう。満州事変の国連リットン調査団報告によって日本はこの基準で裁かれて、これへの反対1票ということから国連を脱退している。もしこれ以外の基準があるならば、「こちらの方が重要な基準だ」という形で、これによってこの法的責任をこのように否定するというように論ずるべきではないか。
大平洋戦争は、「15年戦争」とよく語られることがあるが、満州事変の帰結とも言えるのだからまとめて「アジア太平洋戦争」と観て、日本に国際連盟法上の戦争責任があった。東京裁判もそのように裁いた。国連を脱退したのだから、その法では裁けないということにさえならない。これはこと戦争ということに関しては、こんな理屈を語るのと同じではないか。
「僕は人を殺した。が、日本国民をやめると宣言した。だからそれ以降は日本の法律を適用できない」。次いでこの言葉の先の議論もやってみよう。「そういう僕は、今後どの国にも属さないことにする。よって、誰にも死刑にされないはずだ」。と、こういうお方はたちまち誰かに殺されるはずだ。彼の命を保護する国家が居ないからである。絶好の臓器提供者とみなされるかも知れない。】
なお、25日エントリー「ならず者国家」には、こんなコメントも付けさせていただいた。こう言う僕の命題を前提として、上記お二人はコメントを書いている。
【 『世界平和組織の存否を巡る、世界史的対立と述べても良いだろう。これは、19世紀以前までの「弱肉強食」無政府的戦争世界を「名実ともに」もたらしてもよいと考えるか否かという、世界観的対立、問題なのである。』
これは日本人が苦手な、すぐれて論理的な問題である。特に、ここの『「名実ともに」』ということを今は強調してみたい。
言うまでもなく、次の二つは別の事を語るはずだ。「国連なんか平和組織として何の役にも立っていない」、「世界平和組織は要らない」。
戦国時代を終わらせて警察権を一手に握ってなされた徳川三百年の鎖国平和は、戦国時代以降築かれた技術、流通、資本が外に出て行くこともなく内需に向けられたことによって、世界でも有数の民生、識字率向上などの教育や、世界有数の二大都市(文化)などを生んだ。これがまた、アジアでも唯一の近代化日本の土台となった。これは、日本史を見る場合の一つの定説だろう。良くも悪くも、日本人は、全体組織による平和を望む民族だと、僕は理解してきた。
これと同様に、世界平和組織の必要不必要論と、役に立っているか否かとは、別の論議であると言いたい。冷戦が終わった時にアメリカが上のケネディの言葉のようにこちらよりに舵を切っていたら、今の世界はどれだけ平和になっていたことだろうかと思う。ユーゴ内戦、9・11、アフガン・イラク戦争、シリア内乱、イスラム国、アラブの春、難民、イギリス離脱などもなかったと思うのである。】
現代日本人はどうしてこれほど、国際連盟、国際連合について無知なのだろうか。小学生でも習うのに、僕には本当に不思議だった。国際連盟を無視すれば日本の戦争責任が随分軽くなることは確かだろうが。そして、今日米が同一歩調を歩むためには、アメリカと同じように日本も国連を無視しなければならない局面も多くなるはずなのかな?
失礼ながら
こいつ本当にバカなんじゃね?
仮に……
「戦争違法化」「戦争をした国は国際連盟もしくは国際連合が裁く」このふたつが本当だとして、
たとえば朝鮮戦争の当事者4か国はどうして裁かれなかったのか?
また、日本やドイツは裁かれたけど、どうしてアフリカやアジアオセアニアに植民地を持っていた他の国々は裁かれなかったのか?
不思議だねえ?
ちゃんと答えてみろ!
思考停止してるのはアンタだろ(答えは前提そのものが間違っているから)。
最終予測こいけ190ますだ120とりごえ120
中国
韓国
米国には戦争責任がないのか????
戦後の国際連合は、安保理常任理事国が拒否権を持っていて、裁けない。そして、4ヶ国の当事者に米ソと言う常任理事国が居た。
②日本と独
国際連盟は拒否権など無かったから、日本満州事変・満州国建国は国際連盟総会で裁いた。反対は日本1国だけで、日本が違法だとなった。だから脱退したのである。
③これに対して君はこう言うだろうから、予め答えておく。
「拒否権があるなら、国連など不要だろう」
「平和組織としての役割が果たせないだろうし」
それでも「役割が不十分にしか果たせない」というのと「国際組織がない」と言うのとは全く違うのだと、ここでずっと僕は語ってきた。戦争や国際紛争を裁く組織以上に裁く基準がなければ、地球が無法地帯になってしまうからだ。つまり、イラク戦争、シリア内乱工作などアメリカが随分得手勝手をやっているが、未だそれでも自制が効いているということである。アメリカが国連を抜けないのはどうしてか考えてみたらよい。必要なときには「大義名分」が欲しいからだ。この大義名分だけが現在、辛うじて地球を文字通りの弱肉強食にすることを妨げているわけである。
例えば、ライス国務長官とラムズフェルト国防長官との間で。また、テネット元CIA長官は、このラムズフェルトとチェイニー副大統領をその後の著作の中で指弾した。
日本は、この参戦に何も反省作業はしていない。9条の拡大解釈をして参戦したにも拘わらずである。日本の為政者の反戦感覚が最も遅れているということだろう。そりゃ、満州事変でさえ合法のように語るなら、国際組織、国際法の感覚など無いに等しいと言うことになるはずだ。
君もそうなのかな?
ところで今度は僕が聞くが、中国を裁いたのは国連司法裁判所で、国連海洋法を基準にしてのことじゃなかったかな。これがなければ、南沙諸島問題でさえ結局は暴力だけが飛び交うことになる。紛争を裁く基準の存在も、戦争を防ぐために凄く大事だと言うことだろう。君はそもそも、中国のあの行動を何でもって裁いているのか?
こうして、この国際化世界で、国連を知らぬ人は小物だよね。
インドのパール判事の日本無罪論を少しぐらい知ろうとする努力をおすすめします(そこには事後法で日本が裁かれようとしていることの指摘、そして戦勝国側には一切の戦争犯罪はなかったのかという当然の指弾が示されています)。
① 国際法と国際連盟があった。
② ①でもって、日本の満州事変・満州国建国が裁かれて反対1票(日本だけ)で、連盟を脱退している。
③太平洋戦争は「15年戦争」言う概念もあるように、「アジア・太平洋戦争」と満州事変から一続きの物として見る。そのようにして東京裁判でも満州事変から裁いた。
④満州事変から裁くと分かった瞬間に、近衛文麿は自殺した。「外交交渉継続派」だったから太平洋戦争には責任は薄いが、それ以前には責任ありと認めていたからである。
こういう主張に対して、ネトウヨ諸君が上げる反論はこんなのばかりである。「良いこともした」、「インド判事が・・・」。
これに対して何度も言うように、僕はこう語って来た。国際組織・国際法で裁かれる法的責任とそれ以外のこととでは、重さが全く違うということを。あなたが言っていることは、普通の裁判で言えばせいぜい情状酌量で判断される材料という程度だろう。裁判では、裁かれる事実こそ問題なのだから。
インドは、植民地に最も長く苦しみ、半植民地闘争も盛んだった国。日本の気持ちが最も分かったのだろう。それは認めても良いが、リットン調査団報告の国連総会採択は事実であって、他の何よりも重い。それこそが、紛争を多国の目と判断で解決するべきとした、多国間主義というものだ。2国間だけで争うと戦争になりやすいと言うことだろう。国際組織が出来てからは、これこそが正しい路なのであるとされている。
なお、ヒトラー、東條など全体主義指導者を庇うことになる議論など、時代錯誤も良い所だと言いたい。ニセの、または歪んだ「愛国主義」だと。
【そもそも日本が国際連盟から脱退したから裁かれることはない・無罪であるという珍説】
これに当たる部分は、僕はこう書いている。
『20世紀の戦争には、国際連盟が出来て史上初めての法的枠組みが生まれていた。この枠組みが唯一当時の法的責任基準と言えよう。満州事変の国連リットン調査団報告によって日本はこの基準で裁かれて、これへの反対1票ということから国連を脱退している』
『大平洋戦争は、「15年戦争」とよく語られることがあるが、満州事変の帰結とも言えるのだからまとめて「アジア太平洋戦争」と観て、日本に国際連盟法上の戦争責任があった。東京裁判もそのように裁いた。国連を脱退したのだから、その法では裁けないということにさえならない。これはこと戦争ということに関しては、こんな理屈を語るのと同じではないか。「僕は人を殺した。が、日本国民をやめると宣言した。だからそれ以降は日本の法律を適用できない」。次いでこの言葉の先の議論もやってみよう。「そういう僕は、今後どの国にも属さないことにする。よって、誰にも死刑にされないはずだ」』
後者の意味はこういうことだよ。そこの日本の法律を国連規約と、日本人を世界の国と読み替えればよい。そういう比喩という事ね。こうしてつまり、国連を出ても既に国連法で裁かれているということね。満州事変以降は裁かれた「既得権」を手放さず、確信犯をさらに罪の積み重ねて行ったということにもなる。満州事変以降、中国南進とさらに罪を重ねていったのだから。
こうして結局、東京裁判を認めねばならぬというのが、これら全ての理屈なのね。
満州事変による国連の裁きを拒否するのは、君たちでしょ?
中国の国連海洋法違反を批判するが、アメリカ自身がこの海洋法を批准していない。北朝鮮の核批判にも国連安保理事会決議を使っている。イラク戦争では、国連の制止を無視した。
アメリカが全面的に国連を尊重すれば、世界は今よりも遙かに平和になるだろう。また、世界平和は国連がその機能を果たさなければ実現しない。ちょうど、徳川幕府が日本を統一して300年の基本的平和が実現されたように。こうして、世界唯一の平和組織としての国連は大事である。国連尊重は大事である。
①戦前日本の国際的批判、罪を論ずる場合には、満州事変からやること。満州事変で国際連盟に全面的に批判されて、国連を脱退して以降はもう、国際法違反の確信犯だったのである。以降の、南京捕虜大虐殺も、オランダ人、中国人の強制慰安婦も。そして、太平洋戦争もみな、その確信犯の延長線上の行動に過ぎない。
②だからこそ、東京裁判は満州事変以降、太平洋戦争敗戦までの国際法違反を裁いた。もちろん、南京大虐殺もここに含まれている。松井岩根が裁かれたのは、この罪だったと聞く。
③よって、戦後の今の国際政治への態度を考える場合にも、もっと国連の目線で考え、論ずるべきだ。国連法違反を重ねるアメリカの目線ではなくて。
④何度も言うが、国際組織を無視したら、世界が無法地帯になるしかない。アメリカは国連を無視して世界の警察だけではなく、世界の法であるとも僭称してきた。トランプが「世界の警察をやめる」と語ったことだけは、もし真実にならなかったとしても、彼の口から出た良い言葉であると思う。