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愛国心と靖国参拝⑤ 落石 合理主義の崩壊 

2006年07月02日 13時34分38秒 | Weblog

前回は、空白感が政治・経済・文化を変容させていると述べました。

まず文化の面での変化について述べてみます。
一番大きな変化は科学信仰の崩壊が始まっていることでしょう。
明治維新以降、日本人が必死に摂取しようと取り組んできたのが西洋科学。
合理主義的思考です。
敗戦によっても、この合理主義信仰は揺るぎませんでした。
これが今、揺れ動いています。

その空白に気づいた人々は、空白を満たすモノを求め、
ひとつの供給源が宗教でしょう。
こころの豊かさが指摘され、なにか満たされないものを感じていた人々は
かたちのないモノを求めて、宗教へと傾斜していきました。
テレビ番組に、霊が登場するのは、以前は、お盆だけでしたが、
最近は季節に関係なく、占いや霊が取り上げられています。

日本人が宗教的なモノを求めているからでしょう。
なかには、カルトへのめりこんでいく人々も現れました。
大学で合理的な思想を学んだ若者を惹きつけたオウム真理教。
殺人事件を引き起こしたのは、空白感が生んだ悪霊の仕業でしょうか?
事件の後もオウムは名前を変え生き続けています。
(宗教的なモノは人間にとって不可欠なものでしょう。これまで、
それは合理的な精神が代りを果たしていたのかも知れません。)

     さらに


いまひとつ、文化面では、日本的伝統への回帰も、
空白感を埋める働きをしています。

こうした心理を支える要素として、経済大国を築き上げたという
自信が大きく作用しています。
この伝統への回帰は、歴史の見直しを伴っています。

社会主義神話の崩壊は、間接的に大きな影響を与えています。
ある意味で普遍性を標榜していた社会主義神話の崩壊は、
個別の文化の独自性を保証する思想的な土壌を生み出したからです。

日本の歴史観は、戦前の皇国史観。(これに至る以前の歴史観は言及しません。)
そしてマルクス史観(アメリカなどの歴史観も存在しますが省略)と、
劇的な変貌を遂げましたが、
さらなる変化の時代を迎えたことになります。

新しい普遍的な歴史観は、まだ揺籃期で、姿は定かではありません。
この空白に忍び込むように、これまでの皇国史観が復活してきました。
復活には、普通新しい衣装が必要ですが、
今回の復活には新しい衣装は間に合わなかったようです。
東京裁判で50年前に弁護側が無罪を立証するために使った理論が
そのまま復活することとなったわけです。
(歴史学者の怠慢?)

しかし若者層は空白感を埋めるために新しい歴史観に興味を持ち始めます。
そして太平洋戦争・東京裁判にたいする関心が強まりました。
靖国神社を見学して「これが本当の戦争だったのか」と呟く若者の心は、
砂に水がしみこむように、新しい歴史観に染まっていきます。

文化的な側面から見れば、小泉さんの靖国参拝も、
こうした流れの中のうえに浮く泡のひとつのような現象です。

しかし小泉さんの靖国参拝は、彼がいうような「信仰の自由」という
文化問題ではなくあきらかに政治問題です。
(ここに彼一流の詭弁がありますが)

では、政治はどう変貌したのでしょうか?
なぜ靖国参拝を導き出したのでしょうか?

   さらに


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2 コメント

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力作に期待します。 (中道左派)
2006-07-03 01:12:50
 「愛国心と靖国参拝」①から⑤興味深く読ませてもらいました。ますますの健筆、熱気さえ感じます。



 所々、もう少し説明してという思いもあり、そうかなという点もありますが現在の日本の閉塞について示唆に富む論及があり楽しみです。

 今回の空白を埋めるものの一つ非合理的なもの霊・占いのテレビの氾濫についてはやや過大評価では?

ただ既存の宗教が受け皿になりえていないのは事実ですね。折角のチャンスなのに。



 もう一つの「日本的伝統」への回帰はひしひしと感じられます。これが、どれほどの力となり、政治的に利用されて引き返し不可能の潮流になるか是非論及してください。

 ⑥の政治の変貌と靖国導入が楽しみです。



 てください。
返信する
合理は西洋のものだけでしょうか (保守系)
2006-07-10 01:32:27
落石さんのまず間違いは、科学とか技術などは文明といいます。文化ではありません。文化は、宗教性とか倫理性とか美意識などをいいます。明治維新に確かに、西洋の科学技術を取り入れますが、他のアジアの世界と異なり、日本が早く摂取したのは、江戸時代以前からの文明があったからです。また資本主義にも驚きを感じなかったのも、すでに貨幣経済もあり、株式会社なるものもあり、貸し付け、利子、資本金などもう資本主義を理解することは容易だったのです。技術力も武士が官僚であり、藩の統治上、土木・埋め立てなどの技術をしっかりと学んでいたのです。

それに医学でも例の華岡青周ではありませんが、麻酔を使っての手術は、世界に先駆けてやっています。

もう明治維新以前から、働く倫理性も出来上がっており、それ程の違和感は無かったからこそあの明治維新の偉業とその後があったのです。もうそれは、縄文時代まで巡る話です。アジアの何処の国も日本の真似が出来ないのは、明治維新以前の文明と文化が異なるからです。

マルクス史観から皇国史観の復活ですか?それはないでしょう。どの点を持って皇国史観といいのでしょうか。

日本は天皇を頂いた世界に類がない統治制度を持った国だという理解はしていますが。

若者を馬鹿にしない方がいいです。それこそ私達のように、アホなイデオロギーに染まっていないからです。

小泉の靖国参拝ですか、そうです。政治的な次元です。総理には、公人も私人もありません。公人ですから・・。

なおアーリントン墓地には、十字架が立っており、奴隷制度を擁護した南軍の将兵も祭られています。

さてカルトに嵌るのは、別に今始ったわけではありません。昔からあります。江戸末期の「ええじゃないか」もそうでしょう。藤原道長がこの世での極楽浄土を夢みたのもオカルトに近いでしょう。

でもさすがオームのあれだけの殺人をするのは、尋常ではありません。でも人間というのは業が深いですから、それを理解すると、まあああいう事件はこれからも発生するかもわかりませんね。

落石さんの新しい普遍的な歴史観とはいかなる歴史観でしょうか。落石さんの文章、自分の事を棚に上げて言うわけではないのですが、理解不能になるのですが・・。
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