
私には秋元氏や安住氏のような秀句は残念ながらないが、一句披露させていただく。
敗兵となりたる汗を掌で拭ふ
昭和二十年の八月は記録的な猛暑であった。ソ連軍の追撃をかわして内蒙古から山の尾根伝いに北京まで逃げる道のりの長かったこと!!!!!
ハンカチもタオルもない。あふれるように噴き出す汗を何百回掌で拭ったことか。ああ、あの汗!! 敗兵の汗!!
という気持ちを素直に述べただけの句ではあるが、私には忘れられない一句なのである。
☆小学館「週刊日本の歳時記」より
★短歌ならまだしも、十七文字の俳句で戦争体験を表現するのは至難の業である
しかし、この三句を読んでその可能性を知った次第である。(まもる)
敗兵となりたる汗を掌で拭ふ
昭和二十年の八月は記録的な猛暑であった。ソ連軍の追撃をかわして内蒙古から山の尾根伝いに北京まで逃げる道のりの長かったこと!!!!!
ハンカチもタオルもない。あふれるように噴き出す汗を何百回掌で拭ったことか。ああ、あの汗!! 敗兵の汗!!
という気持ちを素直に述べただけの句ではあるが、私には忘れられない一句なのである。
☆小学館「週刊日本の歳時記」より
★短歌ならまだしも、十七文字の俳句で戦争体験を表現するのは至難の業である
しかし、この三句を読んでその可能性を知った次第である。(まもる)
でも平和を詠むのは、そんなに
難しくないでしょう。
いのちの輝くのを詠えば
それは裏側に反戦を持っているわけ。
もっとも戦前の前衛俳句は
戦場にいかずに戦争を詠んでいたようですが。
立命館大学主催の「原爆忌全国俳句大会」が毎年開かれていますが、記憶に残っているのは「飛車の駒まつすぐ進む原爆忌」という高校生の句。7〇年代の学園では、「キャンパスは不戦の緋文字梅雨ながき」といった情景がみられましたが、今は…。
だからか、大阪には、「京大俳句を読む会」という集いがあり、名古屋から出ている小冊子の表紙には毎号、戦前の俳句事件に関わった俳人の句を掲げ、なにかを忘れまいとしているようです。
私など興味はあるのですが不勉強なので是非いろいろとご教授いただくくとともに、良い情報がありましたらごしょうかいください。
またこのブログへの投稿もお願いいたします。
IDは9vs9qvsq パスワードはq999q です
今から十年ほど前のことですが、句会というものをしてみたい、と呟かれた本山政雄さんと句会をしたことがありますが、その時の政雄さんとお連れあいの道子さんの句。
「熱燗を願ひて斃れし兵もあり」政雄
「征きし人帰らぬままに冬茜」道子
いま政雄さんは98歳で病床に伏す身…。
なお、小生、パソコンのこと不詳の身ゆえ、しばし「投稿」とのことご容赦をください。