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面白かった本    落石

2008年04月23日 11時01分06秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など
日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか。
       (内山節  講談社現代新書)

子供の頃、母からキツネにだまされた話を聞いたことがある。
でも最近はトンとそんな話は聞かない。
この当たり前に思っていたことを採り上げた興味深い本。

著者によれば、1965年を境に、
日本人がキツネに騙される話が消えていったという。
その裏には、高度経済成長という日本の地殻変動があった。
学校教育やテレビの普及。非合理的な考えを排除する科学信仰など。

では、それまでは、なぜ騙されていたのか?
自然につつまれ、共同体につつまれた自分を感じていた日本人。
自分をみつめようとすれば、自ずから自然や共同体が出てくる。
たとえば生と死。
現在では生と死は個人のもの。
以前は自然と共同体につつまれた生と死であった。
自然との関わり方、生き物との関係が大きく変わったことが
キツネに騙されなくなった背景にあるという。

また変わったのは人間だけでなく、自然も変わった。
里山という人間を包み込んでいた自然のあり方が崩壊、
自然の一部であるキツネも騙す力を失ったのである。

   

我々が失ったものはなにだったのか?と、著者は問う。
物質の豊かさは手に入れたのに、こころは豊かになっていない。
むしろ貧しくなっている。

ここから著者の歴史観、
人々は、3つの歴史のなかで生きてきたという考えが展開されます。
知性によって捉えられた歴史。
身体によって受け継がれた歴史。
生命によって引き継がれた歴史。
私とは、この3つの歴史のなかに生きてきた個体のこと。

知性の歴史は時に過ちを犯す(人間の考えることは間違いもある)
これは人間には私があるから。
私があるから、私の欲も、私の目的も生れる。
それに囚われることから判断を誤る。
以前の日本人は、このバランスの崩れをケガレと認識、
清潔な自然に帰るという行動をとっていた。

しかし私を持つことは避けられない。
このバランスが1965年以降、大きく崩れ、私が肥大化してきた。

   

1965年以降、日本人が身体と生命を疎かにしているという
指摘は興味深かったです。


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1 コメント

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自然知らずで死す (まもる)
2008-04-23 22:55:58
 面白そうな本ですね。
 キツネのワルサの話を私は小さい頃から一度も聞いたことが無い。父も母も農家の出身で名古屋に出てきて十年以上たった昭和十八年に私は生まれ、幼児期から小中学校から大学卒業まで都会育ちで過ごした。
 問題の1960年というのが就職した年。    しかし「自然につつまれ、共同体につつまれた自分を感じていた日本人。」とはずーと無縁でした。
そしてこのまま死を迎えるのでしょう。
 極めて寂しいことです。
 私はこの頃自然の只中の「闇」に惹かれます。
 多分この年でも体験の無い「闇」に恐怖を覚えそうな予感がします。闇の中で「生と死」を思うでしょう。そして夜明けの安らぎを体験してみたいと思います。
 
 
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