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随筆 最高の退院祝い  文科系

2022年11月03日 20時50分14秒 | 文芸作品
 膀胱に癌ができて全摘手術、四十日ほどで退院になったその日の夜、二人の孫を連れて娘のマサがお祝いに来てくれた。九時間近い大手術が八一歳の身体に与えたストレス後遺症と言われたものだが胃にムカつきが続き味覚が狂っている中で、唯一何でも食べられるのが果物。娘が持ってきてくれたシャインマスカットの一粒を皮ごと一噛みした味は、まさに慈雨。やわらかな甘い香りとその中から飛び出て来た小さく鋭い甘さとが、乾きがちの身体全体に染み渡っていったものだ。
 さて、そんな僕に六年生女子になったハーちゃんが早速、ある近況のご報告。
「体操の授業でハードルやってるんだけど、また、学年一番。一つも倒さず速く通せるからね」
〈起立調節性障害から来る不登校で半分ほどは休んでると聞いてたけど、よしよし体操の授業は出てるんだ……〉、そう思い巡らしながら、二人だけに通じる過去についてのある質問を思いついた。
「二人でハードルの練習になるようなことをやったのを一つ思いつくけど、何か分かるかな?」
「分かって当然。この家から私の家に帰るときにいつもやってた馬跳びでしょ?」
 懐かしい思い出である。彼女が四歳から三年生ぐらいまで、保育園や学童保育にお迎えに行って我が家に連れ帰り、風呂、夕食などを済ませて四百メートルほど離れた娘の家に送っていくことになった夜のその道中の話なのだ。きれいに整備されたジグザグの生活道路の歩道端のポールの列をリズムよく馬跳びしていけるようになるまでの思い出がある。走りながらある高さを飛び越えていく感覚、その瞬間前後の上下半身の協調。馬跳びとハードルのスタイルは全く違うけど、根底にある原理は同じなのだと思う。
「ただ、ハードルは短距離ね。もう一方の長距離関係の方で、自転車はちゃんと乗ってるの? 近頃太り気味みたいだから、そんな君には最良のダイエットだよ」
「乗ってる乗ってる。ていうか、その自転車でジイに一つお願いがあったよ。ダイちゃんに『速い乗り方』を教えてほしい。ジイと三人でサイクリングしてみたいって言うんだよね」
 ダイちゃんというのは、最近母親同士含めて家族ぐるみで付き合っている同級生のボーイフレンドのこと。「速い乗り方」の方は、こんな解説になる。人が普通に乗るやり方よりも、サドルの高さを二段階ほど高くする。ペダルが最下段に来たときにその膝がほぼ伸びているほどに。こうすると、同じ脚の回転力でも優に時速五キロほどは速くなるし、長距離の疲れも少なくなるから、ハーちゃんは一日五十キロほどのサイクリング力を持っているのだ。ただし、この乗り方に慣れるのには少々の訓練がいるのである。こんな申し出はもう嬉しすぎるけど、はて九時間の大手術、四〇日の入院からの八一歳のこの身体のリハビリがちゃんとできて、ロードバイクにもきちんと乗れるようになるのだろうか。十日も延びた入院の間も、歩行訓練はしてきたから、退院一日目の今日も僕のリハビリの常道、家の十八階段往復を四〇ほどはできるようになっていたけど。
「分かった。ダイちゃんのバイクをちゃんと調節して、きちんと乗れるように教えるよ。こんな嬉しい目標があれば、僕の身体自身を戻すよう頑張りがいもあるというもの。むしろ僕がハーちゃんにお礼を言わんといかん」
「負うた子に教えられ」ならぬ励まされて、最高の退院見舞いに恵まれた。この翌日の階段往復は自然に五〇を越えて、肝心のウオームアップ後の心拍数も相当落ち着いてきた。普通の自転車はもう乗ったから、明日辺り、あのロード・バイクの方にまたがってみようか。
コメント (2)
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