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随筆紹介 「奇妙な絵」    文科系

2015年09月23日 20時55分37秒 | 文芸作品
 奇妙な絵   K・Kさんの作品

 四歳の孫娘が女の子の絵を描いている。隣には老人ホームから外出許可をもらった卒寿の母が座って見ていた。孫娘は髪の長い女の子に、ピンクのリボンをつけた。横にはウサギを、まわりには木と花を添えた。「できた!」顔を上げた。

 目を細めて見ていた母が話し始めた。
「私の子どものころは戦争中で、白い紙が無いから新聞の白い所を切ってね。糊もないし、ご飯粒で貼って紙を作ったんだよ」と続く。「絵といえば飛行機だったけど。カタカナのエを書くと飛行機に見えるよ。こうやってね」とエの字を三つピラミッドみたいに重ねた。
 孫娘の描いた女の子の絵の上の所に、母はエの字で黒い飛行機を幾つも書いてしまった。奇妙な絵になった。でも、よく考えると恐ろしい絵にも見える。当たり前に平和な女の子の上を、編隊を組んだ飛行機とは……。

 さらに、「B二九が頭の上をゴーと嫌な音をたてて行ってね。名古屋空襲は怖かったよ」。と言って、ぶるっと身体を震わせた。母の心の奥深く刻みつけられているのだろう。
 孫娘は不思議そうに見ていた。「これ、何に見えるかな?」、「わからない」首をかしげる。孫娘の描いた絵のような平和な毎日が続きますようにと願う。
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中央日報より    らくせき

2015年09月23日 19時15分15秒 | Weblog
日本の防衛装備庁が10月1日に新設される。防産品の開発・生産、輸出を総括する機関だ。韓国の防衛事業庁に該当する。職員数だけで1800人余り、予算も1兆6500億円(約16兆3400億ウォン)だ。日本の経団連が防衛産業の輸出を国家戦略として推進すべきだという提言をした状況だ。安保法制の目標が「防衛産業大国」という観測も出てくる。

昨年4月に安倍首相が武器輸出禁止原則を撤廃する前まで軍需産業は遅々として進まなかった。2003年以降に倒産・廃業した戦車関連の防衛産業企業だけで35社、潜水艦関連企業が30社余りにも上った。だが昨年、三菱重工業が米国のパトリオットミサイルに入る部品を納品し、今年7月には米国イージス艦用のソフトウェアと部品を三菱と富士通が輸出し始めた。英国とは空対空ミサイルの共同研究、豪州とは5月に潜水艦共同開発も始めた。

何よりも今年4月に改正した日米防衛協力のための指針(ガイドライン)は日本の防衛産業が飛躍する転機を作った。この指針は相互防衛産業についての協力などを規定している。米国はこれから日本に防衛を分担させる代わりに防衛産業に関連した技術協力・び技術供与をする可能性が高い。日本の防衛産業全体の平均防衛産業専業度は4.4%で非常に低い水準だ。三菱重工業など規模が大きい企業ほど防衛産業専業度が低い。だが、このような防衛産業企業が防衛産業分野に専業化し始めるならば、グローバル市場でこれらの地位は一瞬に変わる。米国は韓国軍が導入することにした次期戦闘機F35の核心技術の移転を拒否したが、日本とは最終組み立て・検査・エンジン製造などで協力するという声も聞こえる。

米国と日本の防衛産業同盟に、ややもすると韓国が排除される恐れがある状況だ。日本は豪州・ニュージーランド・英国とは軍事技術分野で協力しているが、韓国とはまだ前例がない。私たちとしては米国と共にするグローバル防衛産業体制に編入されなければならない。だが韓国は今、対日の敵がい心だけを育て、中では軍需不正に時間を浪費している。 ※本記事の原文著作権は「韓国経済新聞社」にあり、中央日報日本語版で翻訳しサービスします。
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「よたよたランナーの手記」(135) 右膝痛、ほぼ治癒  文科系

2015年09月23日 15時26分28秒 | スポーツ
 風邪によるブランクや夏の変則スケジュールやからの練習不足に起因すると思われる右膝蓋靱帯炎で調子が落ち込んでいたが、そこから急速に回復しつつある。
 4日続きでよたよたと外を走って、調子が回復してきた。この4日の外走りはそれぞれこんな風に走った。19日は30分でやっと3・5キロほどをほとんど歩いた。次の2日は、45分で6キロほどと、55分で7・5キロほどをよたよたと歩き走った。22日には、55分で8キロをほとんど走り通せた。こういう4日が終わってつくづくこんなことを振り返ることができる。

 9月中頃にはもう30分を普通に走り続ける力もなかったということだ。膝が不安だったということもあるが、9月9日を最後とした風邪や膝痛による長いブランクが走力をすっかり奪ってしまっていた。9日以降15日に初めて6キロほど走ってみたが膝痛を確認しただけで終わり、次に走ったのが上に書いたこの4日間なのである。だからこそ、この4日を上のようにこと更慎重に進める必要があったのだが、そのやり方が成功したようだ。

 結果として分かったことだが前回箇条書きにした手当もあって膝痛はほぼ感じない程度に軽くなっている。走力も上記のように急激に回復している。あと2~3日今のやり方の「延長」に連日励んでも膝が痛くならなければ、多分僕の最好調時に近くなると実感している。

 さて、またしても大きい教訓を得たと思う。前回にも書いたこの事だ。
『自分に無理のない距離とスピードで毎日走るのが、一番良い』
 これに付け加えるのが、このこと。
『毎日走るのが、走力向上の最大秘訣だが、それ以上にこれが身体を痛めない最大のコツでもある』
 こんなことは、仲間と走ってきた人ならすべてのランナーが聞き伝えで知っていることかも知れない。遅ればせながら高齢発心で1人で走ってきた僕が気付いた驚きを伴った発見である。
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