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アギーレジャパン(20) 岡崎、また得点ランク首位  文科系

2014年11月30日 11時00分21秒 | スポーツ
アギーレジャパン(20) 岡崎、また首位  文科系

岡崎がまた得点ランク首位に躍り出た。ISMニュースがこのように報道している。
『(2失点を追いかけるマインツの前半44分に)ベルの放ったシュートは一度相手に阻まれたが、ゴール前に詰めていた岡崎がそのこぼれ球をすかさず押し込み、1点を返す。1日のブレーメン戦を最後にブンデスでゴールのなかった岡崎だが、これで今季7点目とし、得点ランク首位タイに浮上した』
 こぼれ球を押し込むって、同じく泥臭いゴンを師匠と公言する岡崎の得意技である。味方シュートに対して、常に前へ詰めるという「無駄走り」の労を無数に、最後まで厭わないから報われることなのである。

 さて、首位と言っても、同じ7得点が5人いる大混戦だが、その凄さ実力は現在なお、一目瞭然である。なんせまず、12ゲームでこの得点ということ。次いで、現在世界ランク1位のドイツで、独代表ゲッツェとかオランダ代表フンテラールとかと並んでいるということ。さらにはこのことが何より大きいのではないか。
 去年の岡崎は初めてベスト10に入り15得点で7位になったのだが、そのペースを上回っている今は、精神的にかなり落ち着いていられるのではないか。つまり、メンタルがとても強くなっていると思う。

 期待が高まるばかりの岡崎から、ますます目が離せなくなった。08年から彼をここで見続け、書き続けてきた僕としては、本当にわくわくしている。今のドイツはブラジルWCにも優勝して、世界ランク1位だし、クラブレベルでも、バイエルン、ドルトムントはヨーロッパチャンピオンズリーグベスト4の常連を維持していくだろう。だからこそ、ロッベン、リベリーなど世界中から点取り屋、名選手が集まっているのであり、岡崎はそういう相手と競り合っているのだ。もし最終的に本当に「ブンデスリーグ・得点ランク1位」なんてことになったら、世界的にどんな騒ぎが起こるのだろうか。日本の株が上がることだけは確かだろう。
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小説 「歩く」 (前編)  文科系

2014年11月30日 10時43分27秒 | 文芸作品
 二台並んだエレベーターの出入り口外が、そのままホールになっている。このフロアー入所者全員の倍も座ることができるほどのリビングダイニングのホールで、四方の廊下や小部屋の機能までを取り込んだような広々とした空間である。ベージュや薄いクリームなど明るい茶系統でまとめられ、壁や天井なども直線や角を消して曲線、曲面を多用している。安らぎをコンセプトとしたとでもいうような、柔らかさに徹した設計のようだ。そして、一つ一つの椅子上面と背もたれに張ってある布の緑をこの空間全体のアクセントとして設計しているらしく、これは「入所者が主人公です」という主張ではないか。この広く、明るく、ソフトで、優しい空間の緑の上に身をのせて、今、数十人の老人たちが夕食をとっている。
〈いつも思うけど、こんなに多くの人たちの言うならば『会食』が、なんと静かなこと。動作がゆっくりで、おしゃべりをしないからだ〉
 改めてこの空間全体を見回しながら森本次郎はつぶやいた。老人集団の端っこの椅子から、背もたれの上に両腕とアゴをのせたスタイルで、前後逆さに腰掛けた待機姿勢をとって。
 老人保健施設M、6月中旬十八時の光景である。発足一年ほどのMの職員森本は、この静けさに未だに慣れることができない。ちなみにいつも思い浮かぶことだが、〈子どもがこれだけいたら、収拾もつかないよなぁ〉。彼は、Mと同系列の養護施設から、介護士の資格を取ってここへ志願デューダしてきたのだ。年齢三八歳、二児の父親である。

 その時、同じ広間の一角から、巨大なテレビジョンがことさら大きな声を張り上げたように聞こえた。入所者数人が、頭をゆっくりとそちらに向けるのが、森本の目にはっきりと見える。
「僕は人というものを殺してみたかった。若い未来のある人はいけないと思ったけど、表札の名前を見て、年寄りらしいと分かったので」
 つい最近この県内で起こった主婦刺殺事件の分析報道で、容疑者の高校生が動機に関わって話したものらしい。母親がいない彼は祖父母と同居の四人家族だが、彼らがいつもこんなふうにこの子を育ててきたのだろうか。「私らはもうどうでも良いけど、お前はかけがえのない跡継ぎなんだよ」などと。この祖父はもと教師、父も教師らしい。人間を機能としてだけ見ている。ありそうなことだ。こんな想像が森本の頭をかすめる。
〈たしかに日本の老人たちはみんな自己主張が苦手で、とても我慢強い。『預けっぱなし』の『老健施設タライ回し』がいっぱいで、それが常識だとベテラン職員は言うけど、それにしても『終わり良ければ全て良し』と言うじゃないか!死ぬときがその人の人生の結果なんだと。そのころにこれだけ邪魔者扱いされているような今のお年寄りは、その人生をどう決算したら良いんだろう!〉

 森本は、目の前の老人一人一人を改めて見つめてみた。アゴを突きだし、いつも目をつぶったままゆっくりと噛み締める、体も顔もまん丸の加藤さん。職員に食べさせてもらわないとまったく進まないこともある、赤いほっぺたが可愛い、小さな小さなカオルさん。そんな時の彼女は、なにか拗ねるようなことを抱えてでもいるのだろうか。大川さんがさっさと終えてしまって、両隣など周囲の器までを整理し始めているのはいつものことだ。
〈戦争の中で大人になってきた人たちだ。その後はみんな、働いて働いてきた。学校では『お前らの命は鳥の羽毛よりも軽い』などと教えられて育ち、その子どもたちは今度は『地球よりも重い一人一人』なんて言われ始めたから、今の老人の自己主張下手は当たり前って、誰かが言ってたなぁ〉
 そういう人たちがある日突然倒れる。心臓病、あるいは脳溢血、いずれにしても自分にも周囲にも寝耳に水で訪れる病だ。ただただ呆然としているままに、しばらく病院にいて、歩く練習もそこそこにやがてここへ。一人歩きができない車椅子の老人が寝付いていくのは瞬く間である。その瞬く間に頬の肉、顔色、表情が失われ、生気は消えていき、老いが人間まる一人全てを破壊していく。この破壊は惨いもので、たまにしか訪れない家族は〈あれよあれよ〉と傍観するだけだ。いま森本にはそんな例ばかりが思い浮かぶのだが、何か眼が潤んでくるようだった。
 この頃疲れすぎて、ちょっと鬱病気味なのかも知れない。無理もない。全く面識もない、これまでの世界も年齢も違う急ごしらえの職員仲間が、二千年度の介護保険制度発足前にはと、志だけで突っ走ってきたような一年だったから。森本はしばらくの間目を閉じて、頭を空っぽにしようと努めてみた。


 ふっと頭に浮かんだことがあって開けた目を、森本は佐伯律子の席に向けた。今年間もなく九十歳になるという小さく痩せた律子は、曲がった背骨のせいで随分前屈みになって口を動かしている。水晶体代わりだという分厚い眼鏡で空中の一点を見つめるようにしながら。三年前の左脳内出血、その出血が脳室圧迫にまで進んで死にかけた人、発病時は寝たきり生活約四か月、右半身不随の後遺症、加えてさらに全失語症で読み書きはおろか話もほとんどできず、他人の話は少しは分かるという。ただし、痴呆は全くなく、意識は極めて正常。森本が調べた律子の病歴である。
〈律子さんとこは『預けっ放し』とは違うけど、あれは律子さんが注文してるからかなぁ?〉
 今、こんな疑問を自分に出してみながら、森本は昨夜八時過ぎの出来事を思い浮かべた。
 その夜、夜勤の職員たちの一部で、ある会話が交わされていた。丁度その時、佐伯親子が、以前のように「回廊一周歩行」をしている真っ最中だったという、そのことについてである。ここ十日ほどの彼女は、職員が手を引いてももう歩くことができず、車椅子だけで移動するようになっていたので、話題になったらしい。
 律子が息子の雅実に右手を支えられてゆっくりとフロアーを歩く。右膝が曲がったままだし、背骨が右前への傾きをさらに強めているようだが、律子は歩いている。厚いレンズで前方を見つめ、左腕を大きく振って、皺の多い口許を心持ち引き締め、律子が歩いている。そして二人がリビングダイニングの広間にさしかかると、居合わせた入所者の幾人かからいつも声がかかるのだ。
「おおっ、律子さんやっとるな! ええなぁ、がんばれよ!」
「息子さん、えらいねぇ。ホントにありがとねぇ」
 励ましとは違ったこの種のお礼の声が、歩いている二人によくかけられるのであるが、森本はいまだにこれに慣れることができない。雅実が律子の手を引くことで、当然声の主も大切にされているというニュアンスなのである。
 この光景直後、事務室の会話はこんなふうに続いていった。
「律子さん、休みなしで一周しちゃったよ。それに、なんか、歩き方が違ってた。一歩一歩が前より大きいし、なんで急に歩けるようになったんかなぁ?」
「律子さんは、脚は強いよ。家族がしょっちゅう規律訓練してるし。歩けないのは、真っ直ぐ立つ姿勢の平衡感覚の問題なんだって、リハビリの先生が言ってた。息子さんがその訓練したんだよ、きっと」
「確かにここんとこずっと『キヲツケ』とか言って、姿勢の練習ばっかりやってたわね。やっぱり家族の力があるとねぇ」

 森本は改めて、目の前の律子に視線を合わせ直した。
 確かに佐伯の家はここでは珍しい存在である。入所半年になる今でも、来訪者は週のほとんどの日にあり、毎週末の金曜夜か土曜日には雅実に連れられて自宅泊まりへと帰っていく。この毎週末「外泊」というのは、ここの発足以来他には例がないものだ。中心になって通ってくるのが息子の雅実、つまり男性だというのがまた珍しい。彼は、仕事を終えた夜七、八時に通って来て、門限の八時をかなり過ぎてから帰っていく。また、ずっと共働きを続けてきたと聞く妻など家族の来訪者はもちろん、律子の友人とおぼしき人の一部でさえが一定の決まったリハビリに律子を、導いていくというのも、職員がその成り立ちをいぶかるようなことだった。リハビリ室まで出かけて器具で両肩を回し、椅子やベッドの端っこに腰掛けた律子の両手をとって二十回ほどの規律訓練を行い、手をつなぎあって『回廊一周歩行』。最近はこういうコースが普通だった。
〈『終わり良ければ全て良し』と言うなら、律子さんは『全て良し』かも知れない。そして、これは律子さんの人生の結果で、子どもさんたちにやってきたことのお返しなんだろうか、どんな人生だったんだろう?〉
 ここまで来て森本は、こういう問いが、律子という人物が、みずから選び直した職業の将来を左右するような重い疑問符になってきたようだと考え込んでいた。
〈とにかく、事実を見てやろう。話を聞くのはそれからでよい〉
 心の中で呟いた、大きな決意だった。

(後編へ続く)
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