★わたしも参加している 「575の会」という俳句ブログに友人の遅足さんがタイトルのような記事を載せています。花鳥風月だけではない俳句という世界を知ってほしくて転載させてもらいました。 (まもる)
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{戦争を俳句は、どのように詠んだのか?}
雪の上にけもののごとく屠りたり 長谷川素逝
昭和13年の刊行された長谷川素逝の句集「砲車」は、まさにそうした句集です。
長谷川素逝は、明治40年、大阪生まれ。本名・長谷川直次郎
三重県の津中学卒業、第三高等学校を経て、昭和3年、京都大学へ。
この年、ホトトギスに初入選。
卒業後、津中学の国語教師に。
日中戦争が本格化した昭和12年8月召集。
京都の野砲兵第22連隊に入隊。第二小隊長に。
馬の乗って駅まで行進。日の丸に送られて戦地へ。
汗の目に人も故郷も遠ざかる
砲兵隊の小隊長として、南京攻略戦に参加。
戦場体験を詠んだ句が、翌13年、ホトトギス1月号雑詠の巻頭に。
みいくさは酷寒の野をおほひ征く
友をはふりなみだせし目に雁たかく
ねむれねば夜の焚火をとりかこむ
をのこわれいくさのにはの明治節
南京陥落後、帰国する間もなく転戦。北支へ。
討伐行が続く。
昭和13年4月の句。
「ふたたび討伐に出づ、黄河北岸を掃討す」の前書き。
匪ら棲むと李花咲く村をとりかこむ
李花咲いて平和な村のすがたなれど
おぼろ夜のいくさのあとのしかばねよ
麦の芽をしとねと君がかばねおく
おぼろ夜のはふり火に立つわれ隊長
おぼろ夜の頬をひきつらせ泣かじ男
同じ13年の句
「討伐、敗残兵多し」の前書き。
かをりやんの中よりわれをねらいしたま
かをりやんの中よりひかれ来し漢
てむかしゆゑ炎天に撲ちたふされ
汗と泥にまみれ敵意の目を伏せず
最後のこうりゃんの句は、昔、見た映画「赤いコーリャン」を思い出しました。
(つづく)