九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

平素が肝心 楽石

2008年02月13日 11時00分04秒 | 国内政治・経済・社会問題
平和のために戦争に備える。自衛のために軍隊は必要。
しかし戦争を始める国は、自衛戦争であると言う。
そして戦争は始まってきた。
このメカニズムに対して普通の人はなにが出来るのか?

開戦間近では、もう手遅れ。戦争になる前の状態を考えてみよう。

   

戦争がなければ平和なのか?
多くの人が極度の貧困にあり、飢えている社会は平和か?
人種や性の差別のある社会は平和か?
一方で大金持ちがいて、もう一方に働いても食べることも
ままならない多くの人がいる社会は平和か?

戦争の本質が暴力ならば、
社会構造が原因で生み出された社会的な暴力は戦争の弟では?

アフリカの優等生ケニアの混乱はなぜ起きたのか?
政権党が自分たちの部族の利益を重視、
野党の部族の不満が、政権党を脅かす選挙結果となったために
引き起こされたという。
格差社会の存在が大きな原因となっている。

岩国市長選挙で、若者の支持が福田候補に集まったのも、
格差社会のしわ寄せが若者に集中しているためという指摘も。


   

戦争がない状態が平和とされるが、戦争がなくても平和ではない状態はある。
戦争に走りやすい体質の国。
その体質改善、社会的な暴力のない社会の実現が
平和への道だとしたら普通の市民が平和のために出来ることがある。

   

安全保障という考え方にも、少し変えてみる必要も。
人間のいのちを守るという安全保障を大切にすれば、
軍事費と格差是正のための費用のバランスの取り方にも
工夫の余地があるはず。
慢性的に戦争病に侵されているアメリカとは違って、
今の日本なら、こうした選択も可能なはずでは?

平素が肝心。


   

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岩国市長選挙密着日記(若者の心を掴むことが課題)               さとうしゅういち

2008年02月13日 10時04分43秒 | Weblog
★岩国市長選は残念な結果に終わりました。JANJANにこの選挙で井原候補に密着取材した「さとうしゅういち氏」の報告が載っていました。とても興味深く教訓にも富んでいるように思えますので転載します。  「まもる」

 ************************************

★10日投票された岩国市長選は、前自民党衆院議員の福田良彦さんが当選しました。私はこの選挙で、仕事がある平日以外、前市長の井原勝介さんに密着しました。

 私は、井原さんは、利益政治を断ち切ったことを知っていました。住民投票条例も、広島市が岩国市のものを参考にした部分もあるくらい、先進的です。井原さんが、少ない予算でも運行できる小型の循環バスをつくるなど、よく工夫されていることも存じ上げていました。

 国が補助金カットまでして、米軍空母艦載機移転を飲ませようとしたことは暴挙と考えていました。そこで、いてもたってもいられず、岩国市に行きました。

■「ふつうの人」+全国からの応援
 井原さんを応援しているのは、地元では、利権政治ではない、市民全体のための政治を望んでいる「ふつうの人」でした。とくに、50代以上の女性の方が多くおられました。


2月9日。最終日のアピール合戦。道を隔てて両陣営が支持を訴える。 一方で、「いてもたってもいられず」、ということで、東京から森田実さん(評論家)、天木直人さん(元外務官僚)、佐高信さん(経済評論家)、上原公子さん(元国立市長)、川田龍平さん(参院議員)など多くの人が井原さんのためにいれかわりたちかわり、かけつけました。

 山口以外で岩国に関心があるのは、騒音被害が及ぶ隣の県である広島だけではないのだと改めて驚き、日本人も捨てたものではない、と思いました。

 告示前日は、雨の中を森田さん、井原さんに密着。

 「国とけんかしていようとしているのではない。市民の安全のため、こどもたちのためを考えれば、考えれば考えるほど、簡単にあきらめられない」とおっしゃった井原さん。

 「もし、万が一、井原さんを落とせば岩国市民の恥だ」と森田さん。

 屋内の集会では天木さんから「岩国が意思を示せば、アメリカも変わる」と励ましていただきました。

■若者の動向に不安
 私はここで、井原さんを批判しようというわけではありません。今は、井原さん、みなさんお疲れ様と申し上げたい。しかし今後のためにも、このころ気づいたことを述べさせていただきます。

 この時期やや気になっていたのは、井原さんの支持者に、若者がきわめて少ないということでした。年配者では、自民党をかつては支持していたような保守層も含め、とくに女性を中心に幅広い方々がおられて、心強かった。ところが、どうも支持者が薄いように思ったのは、私のような、いわば「民主党寄りの若いもの」だったのです。

 私と同年代やそれ以下のものの傾向としては、小泉さんの政治による矛盾が噴出するまでは、小泉支持が多く、その後は、「だまされた」と感じて、民主党支持に鞍替えした人が少なくないのです。実は意外と「護憲派」は多いのですが、「憲法より飯」という人も多いのです。就職氷河期世代ですから、「とにかくなんとか飯を食わせろ」という要求が強いのです。「安倍も左翼もだめ」という心情が強いと思います。広島県でも、参院選では、男性の若者はほとんどが、民主党に投票していました。そのような若者たちが、どう動くか。私は不安でなりませんでした。

 若者が集会などで少ない様子を見て、私のかつての仲間だった左翼の人は、悲憤慷慨して「若者はどこへ行った」と怒鳴り散らしていました。その態度には私はまったく賛成できません。

 若者や女性たちの生活不安には答えずに、イデオロギーばかりを振り回す。そんな左翼の態度に嫌気が差して私は、数年前、左翼をやめて民主党ないし国民新党支持に鞍替えしたのです。

 井原さんは、人徳のある方ですから、その左翼のようには、若者を敵にまわすことはしないだろう。しかし、相手方が若者に食い込んだら。福田さんは年齢も37歳と若い。やばいなあとおもいました。

■組織の締め付けvs.ふつうの人の良識
 今回の選挙で、福田さんは、政党の推薦を取り付けなかったのですが、地域や業界を通じた締め付けを大変激しく行っていたようです。というのも電話で支持を訴えると、「井原に入れたら、仕事がなくなるぞ」と脅された。しかし、私は何があっても井原さんだからね」という方がたくさんおられたのです。

 組織が締め付ける一方で、「ふつうの人」が、ごくごくふつうの良識に基づき、それに抗っていく。そんな構図が、生き生きと見えてきました。また選挙戦終盤になると、候補者の行く先々で、すごい勢いで、人が飛び出してきました。

 わかっている人はわかっている。そう感じたのです。しかし、一方で、依然、新人の福田さんと横一線という世論調査もある。気が気でなりませんでした。


左:上原公子さんから選挙戦最終日、すばらしい励まし。右:もう少しの辛抱、と励ます森田さん。
■受身ではいけない、と盛り上がる(最終日)
 選挙戦最終日の9日は、上原公子さんから、以下のようなすばらしい励ましもいただきました。

 「東京では昔、砂川闘争で農民が立ち上がったのですよ」、「1955年のことです。米軍はもくろんでいた、基地の拡張をあきらめたどころか撤退してしまいました」、「アメリカも米軍再編では「地域の理解」を前提としているのです」、「だからここで意地をみせて欲しい」と檄を飛ばしました。

 森田実さんは、「一時は運動が衰退するピンチもあったが、当時の宮崎町長が頑張り、鳩山総理を引っ張りだしたのです。井原さんは第2の宮崎町長です」、「中央の官僚や政界でも岩国に対して守屋被告がしたことについて懸念が広がっています」とフォローされました。

 そうなのです。あきらめてはいけない。受身になってはいけない。こちらが動けば変わる。そう、みな盛り上がったのです。

■組織とボランティアの「訓練度」の差に不安も(最終日)
 しかし、福田さんの陣営は、プロ集団です。一方こちらは、ボランティア中心。「ふつうの人」が多いが、実は「ふつうの人」に浸透する「技術」は「プロ」である、福田陣営が上ではないかとふと不安に思わされることもありました。

 選挙戦最終日、岩国市役所前では、両候補の陣営が、旗をもって、肉声でアピールしました。こちらは、ボランティアで、中高年以上が圧倒的に多いのです。向こうは、私と同じかそれ以下の年代の、男女です。しかも、手の振り方は力強く、スムーズでした。

 ふと見ると、左翼を辞めて創価学会に寝返った人がいました。私は、昔のように近視を矯正手術で直したために、めがねをかけていませんし、筋トレをして体格も変わっていますから、向こうも気づかなかったようです。

 間違いない。公明党さんです。ただ、何も知らない人は、「若者が多くてさわやか」と思ってしまうだろう。そして、同年代に共感してしまうだろう。こう、不吉な予感がしたのです。

■若者の動向について再び不安が……(最終日)
 私は、中高年についてはあまり心配していませんでした。業者の締め付けで動くような中高年は、もとから、福田さんで決まりです。が、それは「想定内」です。政策本位で決める中高年以上は、信念を貫くだろうと、選挙戦の反応から感じていました。

 しかし、経済重視の反自民無党派ないし民主党支持の若者(「憲法9条より、飯を優先せざるをえない層」)がどう動くか。選挙戦中から「福田候補が若者、民主党支持層にも浸透」という報道があり、それが気にかかっていたのです。 
 
 それが、「不安」の具体的な中身でした。艦載機移転は、「賛成の人」なんて、街の人の話を聞いてもほとんどいません。

 福田候補でさえ、最終盤には「国の言いなりにならない」と叫んでいました。私はマスコミが「艦載機移転容認の福田さん」と報道するのは、実は間違いだとさえ思っています。福田さんは、「国が土日の訓練中止など条件が飲めないなら反対」という趣旨の演説さえされたからです。ただ、もちろん、自公という支持基盤に頼った以上は、反対というわけにはいかないのは明らかですが、そうは思わない市民も多くいました。

 だから、「不景気は井原のせい」「福田さんは福祉や教育を充実させてくれる」といわれると、そちらへ若者へ流れる。こちらに、若者が少ないだけにその不安がさらに増幅しました。

■不吉な予感的中(投開票日)
 10日、いよいよ運命の日。

 開票が始まるころ、私も、ほかの支持者とともに事務所で着席しTVを見ました。テレビ山口が次々に速報を流します。

 「優劣つかず、大接戦」

 「投票率は76%。前回より11%に上がりました」

 「出口調査では、艦載機移転は『賛成』はわずか11%。『反対』は45%ですが、『反対だがやむを得ない』が32%です」

 「これが大接戦の原因になっているようです。空母艦載機問題を争点にする人は35%。しかし財政再建を争点にする人も27%。福田候補には、財政再建や地域振興争点にする方が多い」

 「20代、30代の男性では7割が福田支持。民主党支持層の3割が福田、無党派層でも4割以上が福田」

 やばい、と私は思いました。やはり不吉な予感が的中したか……。

 小泉自民党に改革を期待したが、散々に裏切られた私と同年代の若者たち。貧困が増える中で、2007年の参院選では私の地元の広島県内でも社民主義的な公約の民主党の候補者に大量に流れました。

 そんな人の中でも藁をもすがる思いで今回は福田さんという人もおられたことを、冷徹に、TVに映ったグラフは示していました。私の分析が間違っていてくれと、祈っていたが、残念ながら正しかったのです。「今回は、心臓に悪いのう」と話し合ったりしていました。

 私は、平和運動の先輩でもある、元広島県内の首長といろいろ話していました。彼も「もうしがらみ政治はおしまいにせんといけんのう」と話しておられました。


皆さんにお礼の言葉を述べる井原さん■福田当確……(投開票日)
 福田さんの当確が、午後11時過ぎでしょうか、出てしまいました。その、テロップが流れると、ため息がいっせいに漏れました(やんぬるかな。不安が的中してしまった。皆さんベストは尽くしたと思うが)。

 「何で……。」と泣き出す方もおられました。

 井原さんが現れました。

 「私の力不足でこんなことになってすみません」と。でも、落ち着き払っておられました。

 その後、記者会見があり、「正しい情報に基づいて、正しい議論をしてほしかった」と井原さんの声が聞こえました。

 一方、TVは、福田さんの顔を映し出していました。福田さんはかなり不安そうな表情でした。選挙期間中からずっとああいう表情だったと、どの方もおっしゃいます。

 これでは、どっちが当選したかわからないじゃないか。と現場にいた私はそう実感しました。なぜだろうといぶかるみなさんに、私は自分の公務員としての経験から申し上げました。

 「いろいろ、約束しすぎたんですよ、当選するために。岩国駅舎も新設する。病院も移転新築する。教育も福祉も、で、予算が組めるはずないじゃないですか?たかだか134億円の基地交付金をもらっても、福田さんの公約は実現不可能です。収拾がつかないんじゃないですか」と指摘すると、なるほど、とみなさん、感心しておられました。

 これからは、市政をチェックしていかねばならない。そう、みなさん、気持ちを切り替えておられました。

■「やったことはなくならない」と励まされる
 井原さんから、改めて正式にご挨拶をいただきました。

 「やったことがなくなるわけではない。今後ともよろしくおねがいします。」と、言われ、むしろ我々支持者のほうが励まされた思いでした。

 差は1,800票もなかったのです。そういう意味では、福田良彦さんとて、反対派の意見を無視はできないのです。そして、選挙戦中バラまきを公約しすぎたことで、今後必ず矛盾が出てきます。

 なにより、皆さんが一生懸命、議論するなどの努力をされたことは今後の財産になる。そう思いました。

 私は「何かあればまたはせ参じますよ。これでも、行政の経験と知識はありますから」と言い残し、岩国を後にしました。

 最後の最後、若者で「圧倒的敗北」をしたのは痛かった。ボランティアができやすいとなると、どうしても中高年女性、年金生活者中心にならざるをえない。でも、不景気で飯が食えなくなってきている若い人も、うまく立ち上がるような環境ができれば、いいのではないか、そんなことを感じました。

 彼らも自民党政府を支持しているわけではなく、参院選などでは野党を支持している。でも、今回は、「表向き、飯を食わせてくれそうな福田さん」に流れてしまった。実はこの辺が岩国に限らず、日本の民主主義全体の大きな課題なのでしょう。

 若造に免じてご無礼は許していただきたいのですが、一般論として、若い人の思いや課題も年配者がもっと、尊重していただくことが大事だと思います。でも、皆さんお疲れ様でした、と申し上げるのが一番よいのでしょう。
(さとうしゅういち)
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掌編小説「楽園の人」その2  文科系

2008年02月13日 00時26分02秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など
「凄いスピードで進まれて、本当にギターがお好きなんですね。一日どれぐらい練習されるんですか。楽譜を初見で弾くのが得意なほう、それとも暗譜派のほう?」
 これには、特に長いメールが返されてきた。要点は、こんなものだ。好きだという様子はかくかくしかじかということ。定年退職のままで働く気はなく一日三、四時間はやっていると思うのだが、妻は五、六時間やっていると断言するということ。初見で弾くのが全く苦手だからこそ、完全な暗譜派になったということ、などである。そんな中に、今回特に私の目を引いた言葉があった。「この曲は本当に難しくって、つっかえつっかえの多くの箇所がなかなか直せません。全体仕上げは、これらの箇所で反復練習を繰り返したその末のことになると思いますので、いつ終わるのやら、です。」と。〈あらこの人、弱音も、弱点も平気でしゃべるんだ〉、初めてそんな印象を受けた。それで前のメールも読み返してみたのだけれど、急にこんな思いが強まってきた。
〈彼の言葉の『自慢の面』ばかりを私が読み込んでいたのかも知れない、それにしてもまぁ、凄いエネルギー〉
 そんな興味がわいたが、とにかく質問。
「反復練習って、どんなふうにされてるんですか。そして、暗譜派って、どんなふうに暗譜されるんでしょう?」
 その日のうちに、また長い回答が届いた。たとえば二小節程度を三、四十回も繰り返すこと。そして、それを少しづつ長くつないでいくということ。経験上いつかは覚えられると今現在は気軽に思えるから、あせらず気長にやっているということ。難しい箇所ほどそこの和音などに作曲者の思い入れが強いから、そこをすらっと弾けるともっと美しくとかおしゃれにとかの希望もいっぱい持てるのだということ。そして、そのメールの最後には、私がいままでのどれよりも驚いた彼の言葉が続いていた。
「暗譜の様子って、こんな答えで良いですか。魔笛を一応最後までやったと言った先日、つまり約一ヶ月ぐらいでなんとか暗譜してたと思います。」
 この言葉は、私のサークル、教室などでの見聞きからすると、全く信じられないものだ。二十歳前の成長期でもないのだから。それで、彼のその暗譜力について私と彼との質疑応答がしばらく続いていくことになる。彼は、それが自分の長所だとちゃんと自覚していて、懸命に説明してくれた。「僕はこんな感じで暗譜している」という、音程、リズム、それらの流れ、指づかいの流れなどが絡まり合った総合的な感覚の世界のことで、ご本人でも言葉にし難いような話だ。それはここでは省くが、とにかくその話が尽きた頃にはなによりも、私の彼に対する認識がなんというか全く一八〇度逆転してしまっていたのである。
 彼がギターに対するように、私にもそのように振る舞っていただけなんだ。彼としてはきっと、ごく自然に。自分がこれだけ楽しめるものは、他人とも同じようなエネルギーでしゃべりあいたいってね。ところで、彼くらい時間使ってみたら私も本当に同じように暗譜できるのかなぁ。彼は「絶対できる」って言うけど。凝った難しい和音なんかの箇所を中心に、一段ぐらいずつ五十回でも六十回でも? とにかく覚えるまで? 暗譜が早く終われば確かに、曲想や和音に〈自分の好み〉をあれこれと試せて、それが一番楽しい時なんだし、私もしばらく実験してみようかな。一日家にいるんだし、今は家事なんかも手抜きができる時なんだし。
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