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憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

南京虐殺を記録した皇軍兵士たち  楽石

2007年12月27日 19時52分55秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など
今から70年前の昭和12年。
日本軍は南京を攻略しました。
皇軍の兵士たちは、陣中日記を書き残していました。
その一部を紹介します。 


 目黒福治伍長の陣中日記
  
十二月十三日晴天
 
午前三時起床、四時出発、南京爆布(幕府)山砲台攻撃ノ為前進ス、
途中敵捕虜各所ニ集結、其ノ数約一万三千名トノ事、
十二三才ノ小供ヨリ五十才位迄ノ雑兵ニテ中ニ婦人二名有リ、
残兵尚続々ノ(ト)投降ス、各隊ニテ捕イタル総数約十万トノ事、
午後五時南京城壁ヲ眺メテ城外ニ宿営ス。


十二月十六日 晴天 南京城外

休養、市内ニ徴発ニ行ク、到ル処支那兵日本兵ノ徴発セル跡ノミ、
午後四時山田部隊ニテ捕イタル敵兵約七千人ヲ銃殺ス、
揚子江岸壁モ一時死人ノ山トナル、実ニ惨タル様ナリキ。

(二三日前捕虜セシ支那兵ノ一部五千名ヲ揚子江ノ沿岸ニ連レ出シ
機関銃ヲ以テ射殺ス、其ノ後銃剣ニテ思フ存分ニ突刺ス、
自分モ此ノ時バガリト憎キ支那兵ヲ三十人モ突刺シタ事デアロウ。
山となって居ル死人ノ上をアガッテ突刺ス気持ハ鬼ヲモ
ヒヒガン勇気ガ出テ力一ぱい突刺シタリ、
ウーンウーントウメク支那兵ノ声、年寄モ居レバ子供モ居ル、
一人残ラズ殺ス、刀ヲ借リテ首ヲモ切ツテ見タ 
・・・帰リシ時ハ午後八時トナリ腕は相当ツカレテ居タ
  この部分は、黒須忠信上等兵の陣中日記)


十二月十七日 晴天 南京郊外

午前九時宿営地出発、軍司令官ノ南京入城式、歴史的盛儀ニ参列ス、
午後五時敵兵約一万三千名ヲ銃殺ノ使役ニ行ク、
二日間ニテ山田部隊二万人近ク銃殺ス、
各部隊ノ捕虜ハ全部銃殺スルモノノ如ス。


十二月十八日 晴天 南京郊外

・・朝起床シテ見ルト各山々ハ白ク雪ヲ頂キ初雪トナル、
・・・午後五時残敵一万三千程射殺ス。


十二月十九日 晴天 南京郊外

休養ノ筈ナル処午前六時起床、昨日銃殺セル敵死体一万数千名ヲ
揚子江ニ捨テル、午後一時マデ、午後出発準備、衛兵司令服ム。

・・・
年夜 下給品 スルメ 羊カン 梨 リンゴ 酒一合五勺


コメント (9)
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沖縄の集団自決に軍が関与?   楽石

2007年12月27日 16時11分40秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など
集団自決の問題。
教科書の記述に「日本軍の関与」という記述が
復活したという報道があります。

しかし、本当に勝ったのは沖縄県民なのか?
検定調査審議会なのか?

一見、沖縄県民の意見が通ったように
読めますが、
審議会は「日本軍の命令があった根拠は確認できない」という
意見を変更していません。
これでは、今後の状況次第で、いつでも自分の意見を
押し通すことが出来るわけです。

だいたいオカシイのは、審議会が今回のような意見に
変わったことです。

これは一種のクー・デ・ターではないでしょうか?
文部科学省のなかでのクー・デ・ターでしょう。

一体、どういう経緯で、検定意見が変わったのか?
その根拠は正しいのか?
その点についての検証報道が不可欠です。
根拠がなかったのなら、なぜ今までは認めてきたのか?
こんなクー・デ・ターを許していいのでしょうか?

根拠がないという考え方の土台には、
あの「公的な文書がない」という従軍慰安婦の時に
聞かされた決まり文句があるのでは?






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「スポーツ賛歌」的サッカー観戦法  文科系

2007年12月27日 10時33分20秒 | スポーツ
年末年始は天皇杯。29日に、準決勝2ゲーム、ガンバ大阪・サンフレッチェ広島戦と、川崎フロンターレ・鹿島アンアトラーズ戦です。そして、決勝が元日の14時。以下、少々押し付けがましいことを承知で、表記のことを書きます。

サッカーも野球も、およそスポーツというものは、結果、点だけ観ていたのではその面白さは全く分からないと思います。スポーツの「過程」が観られない観方は、はっきり言って知性も、面白さの程度も全く低いと言いたい。マスコミに踊らされる観方、操られている観方だと言いたい。
「ヒーロー作って視聴率上げる」、「話題作って視聴率上げる」、「変わったパフォーマンスやらせて視聴率上げる」。こんなマッチポンプに人々が乗ってきたから、テレビが馬鹿馬鹿しいものになり、若者の人気もなくなってきた。はっきり言って、民放なんて、お笑い芸人だけじゃないですか。
こんなマスコミ世界への象徴的抗議としての気分からなのでしょうか、僕は学生のころから「紅白」はほとんど観た事がありません。

対して、真の「サッカー賛歌」として、その過程を見るこんな観方はどうでしょうか?

①敵ボールをうまく奪うかどうか。それも敵ゴール近くで奪うかどうか。それに貢献している選手を見ます。直接奪う人だけではなく、ボールの出し所をふさぐなど、間接的に貢献している人もね。こういう地味な人が多いチーム(そういう人が監督からはっきりと評価されているチームです)は、強いです。
②攻撃は、「敵にボールを奪われずに決定的シュート近辺まで行く回数」を観ます。味方ボールを受けるために前方などへ走っている選手が多くなければ、パスの出し所を探しているうちにすぐに奪われてしまいますから、走り込んでいく選手がどちらが多いかを観ます。こういう「無駄走り」が多いチーム(それが監督からはっきりと評価されているチーム)は、やはり強いです。
③FWとか、攻撃的MFとかの前の方に外人が多いチームよりも少ないチームを応援します。安易だからです。最も欲しい選手を育てる苦労を避けて、その力がないくせに結果だけを出そうとしている「嫌なチーム」だからです。あのオシムは、巻、山岸、羽生、水野、林らを育てました。前の方に外人や「移籍組」ばかりのチームを応援するのはやめましょう。「育てる力を軽視して、結果だけを求め、スポーツの王道に反する嫌なチーム」だからです。

以上。
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高村光太郎など誌(真珠湾攻撃の日)ー保守系ー

2007年12月27日 00時38分53秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など
大東亜戦争開始の12月8日の真珠湾攻撃成功の日を、高村光太郎は、「記憶せよ、十二月八日。この日世界の歴史あらたまる。アングロサクソンの主権、この日東亜の陸と海に否定さる(中略)、われらの否定は義による。東亜を東亜に帰せというのみ。彼等の搾取に隣邦ことごとく痩せたり。われらまさに其の爪牙(そうが)をくじかんとす。(中略)世界の歴史を両断する。十二月八日を記憶せよ。と。
また同じく詩人の神保光太郎も「日本の朝ー歴史の日十二月八日に対して、「世界史は大きく転回する、ああこの荘厳なる日本の朝!(中略)大君の邊(へ)に醜(しこ)の御楯になりて、父祖の土地、古き亜細亜を守らん」。また歌人の斉藤茂吉は、「おのづから立ちのぼりたる新しき歴史建立のさきがけの火よ」・「大東亜戦争と言う日本語のひびき大きなるこの語感を聴け」などと、日米開戦の日をここまで到った日本の我慢に対して、よくっやったという感激とこれまでの鬱積した気持ちを歌ったのでしょう。
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