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望郷の詩人杜甫に想う   その1 飛天

2006年10月30日 21時53分23秒 | Weblog
 松尾芭蕉も杜甫を好み、傾倒していたようである。芭蕉の遺品のなかに「杜子美詩集」(杜子とは杜甫のこと)があり、生涯を通して杜甫を尊敬していたことが窺える。「奥の細道」の冒頭にも、杜甫の人生のように、「旅の道中」で息を引き取りたいと述べている。
 有名な冒頭の部分を次に記す。「月日は百台の過客にして、行かふ年も又旅人也。‥‥古人も多く旅に死せるあり」と。この「古人」を西行、宗祇などと解釈する場合が多いが、私はそれに杜甫を加えて考えている。
 中尊寺に立ち寄ったときの有名な俳句、「夏草や 兵どもが 夢のあと」の前の文章に、「さても義臣すぐってこの城にこもり、功名一時のくさむらとなる。国破れて山河あり、城春にして草青みたりと」と杜甫の詩「望春」を引用している。

 この「望春」の詩は、安禄山の乱の最中に賊に捕らわれ、幽閉中の作である。都長安は破壊され、幽閉から逃げ出した杜甫は流浪の旅の果て、天険の蜀道を通って成都へ行く。成都では、知人でもある蜀の長官厳武から官職を得て、成都郊外に草庵を営み、やっと安定した生活に戻ることができた。その時代の代表的な名詩を次に示す。
  
 絶句ニ首 其ニ

 江碧鳥逾白   江碧にして 鳥逾いよ白く
           (みどり)    (いよ)
 山青花欲然   山青くして 花然えんと欲す
                   (も)
 今春看又過   今春 看すみす又過ぐ
                (み)     (す)
 何日是帰年   何の日か こ是れ帰年ならん
          (いずれ)      (きねん)

 この平和で落ち着いた生活のなかでも、長安・洛陽への望郷の想いは絶つことはできないのだ。瑞々しい春の情景を歌ったあと、「今年の春もまた過ぎていった。いずれの日に、長安に戻れるのであろうか」と。            

 成都の草庵に住まう杜甫のもとに河南・河北の地が賊の手から回復された知らせが届く。故郷洛陽へ戻ることができるようになった杜甫の喜びがいかほどか。その喜びを胸に次の名詩が生まれる。
         
  絶句四首 其一

 両箇黄鸝鳴翠柳   両箇の黄鸝 翠柳に鳴き
             (りょう)(こうり)(すいりゅう)
 一行白鷺上青天   一行の白鷺 青天に上る
            (いっこう)(はくろ)  (のぼ) 
 牖含西嶺千秋雪   窓に含む 西嶺千秋の雪(成都の北西に聳える雪山)
                   (せいれい せんしゅう)
 門泊東呉萬里船   門には泊す 東呉万里の船(東呉=現在の南京市周辺)

 「洛陽へ向かう」という想いを胸に秘め、窓から見える美しい風景を絵画的に詠っている。
 「東呉萬里船」の語に杜甫の篤い思いは込められていよう。万里離れた東のほうの呉の沢山の船が停泊しているのを見て、杜甫は長江を下り、呉を通って洛陽へ帰れる日を願ったことであろう。
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日本国は君主制か?共和制か?  落石

2006年10月30日 09時38分07秒 | Weblog

日本国憲法第一条
 天皇は日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴であって
 その地位は主権の存する日本国民の総意に基づく。

分かったような分からないような条文。
これって君主制ということかな?
そこで読んだ本が「天皇がわかれば日本がわかる」
               (斎川真)

以下、簡単な紹介。

天皇は、なぜ続いたのか?
   天皇家が滅びなかったから。

なぜ滅びなかった?
   政治の主導権力(武家)が滅ぼさなかった。

なぜ?
   
   天皇を打ち倒し、自分を唯一の権力とする
   政治思想を持たなかった。
   中国のように、「天」「天命」のような抽象的な
   思想が存在しなかった。
   (採り入れなかった。稲作文化は中国では豚の飼育と
    セットであったが、豚は採り入れなかった)

   また、天皇が直属の軍を持っていなかった。
   軍事抗争から離れた位置にいたことが幸い。
   (後醍醐天皇は例外的)

また現在の日本国について、革命がなかったことから、
今日の日本は「大東亜戦争」を戦った日本の後継者である。
としています。

著者の結論は、次々に様々な政治形態が積み重なって
出来ているのが、現在の日本国という考えです。
つまり、

  部族制+律令制(江戸時代まで)
  +イギリス・プロシャ政体(明治から敗戦まで)
  +アメリカ政体の混合政体(敗戦後から現在)

という混合政治体制だそうです。
天皇は律令制で誕生した権威で、確かに、
現在もつづいていますね。

       


そう言われれば、
「日本国民」の総意という部分の「 」のなかが、
武家から日本国民に変っただけかも。


日本は辺境。文化の吹き溜まり。
政治体制も吹き溜まり的? 
結論は君主制???

一条と九条はセットだそうです。
一条を保障するために九条があるとか。
天皇制は平和とセットということかな?
ならば君主制でも良いか?


   

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