今回は、中西輝政氏の「ロシア革命から現代まで-新冷戦史観を確立せよ」(雑誌「正論」2006年9月号)を取り上げる。続いて、次回に同氏編の「『日本核武装』の論点-国家存立の危機を生き抜く道」(PHP研究所, 2006年)を取り上げる。
中西氏は、京都大学、ケンブリッジ大学を卒業し、現在、彼は国際政治学・政治史を専門にする京都大学大学院教授である。
彼は、2003年に全ての言論活動を対象にして第18回正論大賞を受賞している。安部首相のブレーンと目されているし、さらに2流・3流の保守系論客からも一目おかれている。
それもあって、私は彼を保守系論客最強の論客であると思っていた。しかし、彼の著作や論文を読むと、最強の論客ではなく、最大のとんでもないデマゴーグであると私は思った。
政治的中立を基準にして編纂されている百科辞典「ウィキペディア」で中西輝政氏の項を開くと、次のように記載されている。「親米保守の代表的論客の一人。グローバル化が進展する今日にあって国家という枠組みは依然健在であるとの考えから、『押し返す保守による日本の再生』を主張する。さらに「『阪神大震災の際、倒壊家屋から北朝鮮の武器庫が多数発見された』、『2002年の小泉訪朝の際、随行員を排除して小泉純一郎首相と金正日総書記だけが密談する空白の10分間」が存在した』、『張作霖爆殺事件は旧ソ連・コミンテルンによる犯行だった』、『少子化を憂う必要はない、格差社会が広がりコンドームを買えない貧困層が増えれば子どもはすぐ増える』等、典拠が明確でなく、物議をかもした発言も少なくない」と記載している。
「ウィキペディア」ではその記述がどの論文のものか、その出典は記載していないが、彼が抗議していないところを見ると、これは実際の彼の文章であると思われる。
「ある」ものを「ない」と論述されたばあい、それを否定することはできる。存在したのであるから、いろいろな形で史料・資料が存在するからである。ところが、「ない」ものを「ある」と論述された場合、「ない」と証明することは極めて困難である。存在しないのであるから、存在するという史料・資料がどこにも存在しないからである。
中西輝政氏はこの「ない」ものを「ある」と論述する手法を多用する。これが彼の論文の特徴である。誰しもあまりのひどさに怒りを感じ、批判しようとしても中西論文の場合には手間と暇がかかるのである。
パターン8.「ない」を「ある」とするレトリック
では、前記の論文からその事例を次にしめす。ありあまるほどあるので、その選択に逆に苦労する。学者であるなら、その論拠・史料・出典を明らかにして論述するべきであるが、彼はこの手の論文の場合一切そうしたことはせず、書きっぱなしである。
・「北爆に向かうアメリカ軍機を打ち落としていたのは中国のミサイル部隊であり、前線の指揮を執ったり戦車部隊を組織して運用したりしていたのも中国軍将校だった」)
ここまで中国軍が介入した事実はないのに、彼は平気でこのように論述する。
・「大正末期から昭和初期にドイツに留学したり、東大に『委託学生』として入学したりした陸軍の軍人らが共産主義・社会主義の洗礼を受け、やはり昭和十年代に陸軍統制派として力をふるうようになった」 「当然、ソ連・中国共産党の工作はそこを突いてきた」
マルクス主義の影響を受けた日本の革新官僚がソ連を手本に経済統制を進めたという論述のあとに、この文章が続く。陸軍の統制派が共産主義の洗礼を受けていたという荒唐無稽な珍説を始めて見た。
・「1930年、上海に入稿した日本の軍艦の水兵に同文書院の学生たちが『共産党バンザイ』『日本帝国主義打倒』というビラを撒いた事件があった。それを指揮したのが、‥‥中西功と、西里龍夫‥‥。彼らはすでに中共中央と秘密裏に提携していた朝日新聞・上海支局員、尾崎秀実の指揮下にあった」
尾崎秀実が中国共産党中央と提携していたという事実はどこを探してもみつからないであろう。さらにビラを撒いたとされている中西功を尾崎が指揮していたというのもありえない。
・「共産主義者であることを隠し、『中国問題専門家』として近衛文麿内閣のブレーンとなった尾崎の役割は今日想像されるよりもはるかに大きいものがあった。彼の言論によって陸軍も漢口攻略など事変拡大論にまとまっていったし、‥‥対米戦争という悲劇の回路に尾崎は大きな役割を果たした」
これも荒唐無稽な論理である。尾崎の言論が陸軍の戦争拡大に影響を与えたことなどありえない。
・「しかし、何と言っても『日本の敵』の真打は、ハーバート・ノーマンであろう。カナダ外交官で、戦前から終戦後にかけて『知日派学者』として名を馳せたノーマンは、マルクス主義者であり、ほぼ間違いなくコミンテルン工作員であった」
「マッカッサーの初期の日本占領方針が左傾化したのは、‥‥らのニューディーラーだけでなく、コミンテルン工作員として断罪されているノーマンの影響もあったはずである」
私は学生時代に、ノーマンの著書「日本における近代国家の成立」を読んだが、決してマルクス主義者ではない。ノーマンがコミンテルンの工作員であったという証拠はどこを探しても見つかるはずがない。最初は「ほぼ間違いなく」と断定は避けていたのに、二度目に触れるときには、「コミンテルン工作員と断罪されているノーマン」と断定して書いている。しかも断罪されているそうである。このいい加減さも中西氏の特徴である。このブログの中で誰かが「ノーマンはコミンテルンの工作員だった」と書いていたので記憶に残っている人もいるであろう。その出所はこれである。マッカッサーは、ノーマンの著書「日本における近代国家の成立」を、日本を知るためのバイブルとして推奨するとともに、GHQへ招聘した。その在職は短期間にすぎない。GHQ参謀第二課長として諜報の責任者であったウィロビーがノーマンの自由主義的・民主主義的姿勢の強さに疑念を抱きFBIへ密告し(獄中の共産党員を釈放したのはノーマンのせいだと)、アメリカ本国からの圧力でノーマンの排除に成功したからである。「赤狩り」を推進するマッカッシー旋風の吹き荒れたなか、アメリカ政府の要請でカナダ政府はノーマンを審問にかけ、ノーマンの無実を証明した。
・「日米開戦に向けて大きな役割を果たすのが、コミンテルンのスパイ・エージェントであった中国担当補佐官のロークリン・カリーである」。「カリーの“秘密指令”に基づいてラティモアは蒋介石に‥‥強い調子でルーズベルトに交渉を妥結しないように迫る電文をホワイトハウスに送らせたのである」
ロークリン・カリーがコミンテルンのエージェントであり、中国史の研究に大きな足跡を残したオーエン・ラティモアまでがその工作に加わったというが、そんな証拠があるはずはない。
この手のデマはこの中西論文に満ち満ちていている。誰も彼もコミンテルンの工作員に仕立ててしまう。上に取り上げたのは、そのほんの一部に過ぎない。ではこうしたウソとデマを積み上げて、彼が導き出す結論的部分はどうなっているのか次に見ていく。驚くべき内容、虚構のかたまりのような結論を導きだしている。「 」内は中西論文の引用である。
・「こうしたパターンのコミンテルン工作の影響が、昭和戦前期の日本の指導者層には、それこそ充満していたであろう。」
・コミンテルンの工作の影響を受けた官僚・軍人らによって「昭和十年代、国家存亡の岐路に立っていた日本の国策を大きくねじ曲げて、支那事変(日中戦争)を意図的に『泥沼の戦争』に陥らせ、故意に日本の破滅、ひいては敗戦革命を策して対米戦争へ向かわせる上で重大な役割を果たしたのである」
・日米開戦の裏にも、コミンテルンの策謀があった。
・「革命運動によっては成し得ないことを戦争によって実現しようとしたのが、第二次世界大戦の真の本質である」。「ソ連のサバイバルに必要な、自由主義国家同士の戦争や紛争を起こそうとしたのである」
このように、日中戦争から対二次世界大戦へいたる戦争の歴史は、コミンテルンの工作で、意図的に導かれたものであり、第二次世界大戦の本質は、ソ連の世界革命の戦略に乗せられたものである、という点にある。このような恣意的な「歴史解釈」を許しておいてよいのであろうか。
ウソをついて自分に有利な結論を導きたいとき、この中西氏の手法を真似ることを皆さんに勧める。
中西氏は、京都大学、ケンブリッジ大学を卒業し、現在、彼は国際政治学・政治史を専門にする京都大学大学院教授である。
彼は、2003年に全ての言論活動を対象にして第18回正論大賞を受賞している。安部首相のブレーンと目されているし、さらに2流・3流の保守系論客からも一目おかれている。
それもあって、私は彼を保守系論客最強の論客であると思っていた。しかし、彼の著作や論文を読むと、最強の論客ではなく、最大のとんでもないデマゴーグであると私は思った。
政治的中立を基準にして編纂されている百科辞典「ウィキペディア」で中西輝政氏の項を開くと、次のように記載されている。「親米保守の代表的論客の一人。グローバル化が進展する今日にあって国家という枠組みは依然健在であるとの考えから、『押し返す保守による日本の再生』を主張する。さらに「『阪神大震災の際、倒壊家屋から北朝鮮の武器庫が多数発見された』、『2002年の小泉訪朝の際、随行員を排除して小泉純一郎首相と金正日総書記だけが密談する空白の10分間」が存在した』、『張作霖爆殺事件は旧ソ連・コミンテルンによる犯行だった』、『少子化を憂う必要はない、格差社会が広がりコンドームを買えない貧困層が増えれば子どもはすぐ増える』等、典拠が明確でなく、物議をかもした発言も少なくない」と記載している。
「ウィキペディア」ではその記述がどの論文のものか、その出典は記載していないが、彼が抗議していないところを見ると、これは実際の彼の文章であると思われる。
「ある」ものを「ない」と論述されたばあい、それを否定することはできる。存在したのであるから、いろいろな形で史料・資料が存在するからである。ところが、「ない」ものを「ある」と論述された場合、「ない」と証明することは極めて困難である。存在しないのであるから、存在するという史料・資料がどこにも存在しないからである。
中西輝政氏はこの「ない」ものを「ある」と論述する手法を多用する。これが彼の論文の特徴である。誰しもあまりのひどさに怒りを感じ、批判しようとしても中西論文の場合には手間と暇がかかるのである。
パターン8.「ない」を「ある」とするレトリック
では、前記の論文からその事例を次にしめす。ありあまるほどあるので、その選択に逆に苦労する。学者であるなら、その論拠・史料・出典を明らかにして論述するべきであるが、彼はこの手の論文の場合一切そうしたことはせず、書きっぱなしである。
・「北爆に向かうアメリカ軍機を打ち落としていたのは中国のミサイル部隊であり、前線の指揮を執ったり戦車部隊を組織して運用したりしていたのも中国軍将校だった」)
ここまで中国軍が介入した事実はないのに、彼は平気でこのように論述する。
・「大正末期から昭和初期にドイツに留学したり、東大に『委託学生』として入学したりした陸軍の軍人らが共産主義・社会主義の洗礼を受け、やはり昭和十年代に陸軍統制派として力をふるうようになった」 「当然、ソ連・中国共産党の工作はそこを突いてきた」
マルクス主義の影響を受けた日本の革新官僚がソ連を手本に経済統制を進めたという論述のあとに、この文章が続く。陸軍の統制派が共産主義の洗礼を受けていたという荒唐無稽な珍説を始めて見た。
・「1930年、上海に入稿した日本の軍艦の水兵に同文書院の学生たちが『共産党バンザイ』『日本帝国主義打倒』というビラを撒いた事件があった。それを指揮したのが、‥‥中西功と、西里龍夫‥‥。彼らはすでに中共中央と秘密裏に提携していた朝日新聞・上海支局員、尾崎秀実の指揮下にあった」
尾崎秀実が中国共産党中央と提携していたという事実はどこを探してもみつからないであろう。さらにビラを撒いたとされている中西功を尾崎が指揮していたというのもありえない。
・「共産主義者であることを隠し、『中国問題専門家』として近衛文麿内閣のブレーンとなった尾崎の役割は今日想像されるよりもはるかに大きいものがあった。彼の言論によって陸軍も漢口攻略など事変拡大論にまとまっていったし、‥‥対米戦争という悲劇の回路に尾崎は大きな役割を果たした」
これも荒唐無稽な論理である。尾崎の言論が陸軍の戦争拡大に影響を与えたことなどありえない。
・「しかし、何と言っても『日本の敵』の真打は、ハーバート・ノーマンであろう。カナダ外交官で、戦前から終戦後にかけて『知日派学者』として名を馳せたノーマンは、マルクス主義者であり、ほぼ間違いなくコミンテルン工作員であった」
「マッカッサーの初期の日本占領方針が左傾化したのは、‥‥らのニューディーラーだけでなく、コミンテルン工作員として断罪されているノーマンの影響もあったはずである」
私は学生時代に、ノーマンの著書「日本における近代国家の成立」を読んだが、決してマルクス主義者ではない。ノーマンがコミンテルンの工作員であったという証拠はどこを探しても見つかるはずがない。最初は「ほぼ間違いなく」と断定は避けていたのに、二度目に触れるときには、「コミンテルン工作員と断罪されているノーマン」と断定して書いている。しかも断罪されているそうである。このいい加減さも中西氏の特徴である。このブログの中で誰かが「ノーマンはコミンテルンの工作員だった」と書いていたので記憶に残っている人もいるであろう。その出所はこれである。マッカッサーは、ノーマンの著書「日本における近代国家の成立」を、日本を知るためのバイブルとして推奨するとともに、GHQへ招聘した。その在職は短期間にすぎない。GHQ参謀第二課長として諜報の責任者であったウィロビーがノーマンの自由主義的・民主主義的姿勢の強さに疑念を抱きFBIへ密告し(獄中の共産党員を釈放したのはノーマンのせいだと)、アメリカ本国からの圧力でノーマンの排除に成功したからである。「赤狩り」を推進するマッカッシー旋風の吹き荒れたなか、アメリカ政府の要請でカナダ政府はノーマンを審問にかけ、ノーマンの無実を証明した。
・「日米開戦に向けて大きな役割を果たすのが、コミンテルンのスパイ・エージェントであった中国担当補佐官のロークリン・カリーである」。「カリーの“秘密指令”に基づいてラティモアは蒋介石に‥‥強い調子でルーズベルトに交渉を妥結しないように迫る電文をホワイトハウスに送らせたのである」
ロークリン・カリーがコミンテルンのエージェントであり、中国史の研究に大きな足跡を残したオーエン・ラティモアまでがその工作に加わったというが、そんな証拠があるはずはない。
この手のデマはこの中西論文に満ち満ちていている。誰も彼もコミンテルンの工作員に仕立ててしまう。上に取り上げたのは、そのほんの一部に過ぎない。ではこうしたウソとデマを積み上げて、彼が導き出す結論的部分はどうなっているのか次に見ていく。驚くべき内容、虚構のかたまりのような結論を導きだしている。「 」内は中西論文の引用である。
・「こうしたパターンのコミンテルン工作の影響が、昭和戦前期の日本の指導者層には、それこそ充満していたであろう。」
・コミンテルンの工作の影響を受けた官僚・軍人らによって「昭和十年代、国家存亡の岐路に立っていた日本の国策を大きくねじ曲げて、支那事変(日中戦争)を意図的に『泥沼の戦争』に陥らせ、故意に日本の破滅、ひいては敗戦革命を策して対米戦争へ向かわせる上で重大な役割を果たしたのである」
・日米開戦の裏にも、コミンテルンの策謀があった。
・「革命運動によっては成し得ないことを戦争によって実現しようとしたのが、第二次世界大戦の真の本質である」。「ソ連のサバイバルに必要な、自由主義国家同士の戦争や紛争を起こそうとしたのである」
このように、日中戦争から対二次世界大戦へいたる戦争の歴史は、コミンテルンの工作で、意図的に導かれたものであり、第二次世界大戦の本質は、ソ連の世界革命の戦略に乗せられたものである、という点にある。このような恣意的な「歴史解釈」を許しておいてよいのであろうか。
ウソをついて自分に有利な結論を導きたいとき、この中西氏の手法を真似ることを皆さんに勧める。