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九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

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香港、もう一つの現地報告  文科系

2020年01月03日 11時20分41秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など

 香港とウイグルにおける騒乱について、僕はアメリカの工作によるものと確信してきた。自国の利益ゆえに他国に戦争を仕掛けて滅ぼすとか(イラク)、滅ぼすために長い内乱を仕掛け続けてきたとか(ベネズエラ、シリア、イラン)を頭に置き、今アメリカが仕掛けている米中冷戦勃発が懸念されるとき、そう思わないわけにはいかないからだ。米中冷戦をアメリカが仕掛けているというその必然性についても、一方に米物作り衰退と中国のその隆盛、他方で米バブル金融による中国(同時に世界)制覇の野望を観てくると、そう考えないわけには行かないのである。
 そんな折、この2日「マスコミに載らない海外記事」のサイトに「暴徒から残忍な仕打ちを受けながら、欧米報道機関に攻撃される香港警察」という記事が載った。筆者アンドレ・ブルチェクは「哲学者、小説家、映画製作者と調査ジャーナリスト。彼は多数の国で、戦争と紛争を報道している」と紹介された、このサイトの常連転載者の1人だ。以下、この調査報道者の現地報告である本文から『 』をつけて抜粋していく。書き出しは先ず、こんなふうだ。

『 人々が見せられているものより、状況は遥かに複雑だ。暴徒と、中華人民共和国を不安定化することを狙っている複雑で極めて危険な国際ネットワークの両方と、香港警察は勇ましく戦っている。

 私はこれまで、このような冷笑的な態度を決して見たことがない。香港でのこれほど低俗なマスコミのお膳立てを。私は香港での出来事全般と、特に2019年12月22日日曜に起きたことをお話している。国際金融センターから、わずか二ブロックしか離れていない都市の真ん中で、ウイグルや台湾やイギリスやアメリカ国旗を振る暴徒が、「独立」や「中国はテロリストだ」というスローガンを大声で叫んでいた。警察は完全な安全装備で、平和裡に待機していた。

 本物や偽物の、外国や地元ジャーナリスト連中が大挙して現場にいて、その後の醜悪な紛争の準備をしていた。私は「放送局」が活動しているのに気がついて、彼らの関与を写真に撮り、動画撮影することになった。
 真実は、彼らは報道していなかったのだ。全然。彼らは活動に参加し、物事を画策し、行動を挑発し、あやつっていた。
 全てのカメラレンズと携帯電話の全てのレンズは、決して暴徒にではなく、警察に向けられていた。一方、暴徒は、警察に向かってどなり、制服を着た男女を酷く侮辱していた。この部分は当然編集で削除された。ニューヨークやパリやベルリンやロンドンでは決して放映されなかった。台北や香港自身でさえ往々にして放映されない。
 どのような行動をするべきか、いつ、どの角度からものを投げるべきか、どこから攻撃するべきか、どのようにことを「効果的にする」べきか、「メディア」連中は明らかに暴徒に助言していた。

 ある時点で、暴徒が突撃し、警察にビンや他のものを投げつけ始めた。
 最終的に警察は反撃する以外ほとんど選択肢はないはずだ。彼らは暴徒に反撃し始めるはずだ。そしてそれが全てのカメラが回り始める時だ。それが「報道」開始の瞬間だった。

 テレビ画面上や欧米新聞の一面で、このような歪曲された「報道」の結果がどのように見えるか、専門家として私は、はっきり想像できた。「いわれなく残忍な警察が、自由と民主主義を愛する、平和的で、哀れな抗議行動参加者に突撃している」。』

 

 そして、本文末尾は、こう終わっている。
『香港で活動している外部勢力は多様で、しばしば非常に残虐だ。彼らの中には、台湾の右翼組織や、日本の宗派や、欧米が支援するウイグル族や、ウクライナ・ファシスト過激派戦士や、報道陣を装うヨーロッパや北アメリカの宣伝者もいる。香港や周辺地域で、北京に対する憎悪をかき立てる、欧米の反中国NGOがいくつかある。

 暴徒は益々過激化し、中東の過激イスラム集団に似ていることが多い。連中は徹底的に洗脳されており、慰安婦を利用し、「アイス」や、アンフェタミンや、欧米や同盟国のサウジアラビアによって既にシリアやイエメンで注射されている、ある種のいわゆる「戦闘用麻薬」を含め薬物を使っている。
 頻繁に、アフガニスタンやイラクやシリアのような場所(これら全ての国々が欧米の襲撃や占領により損害を与えられ、後に破壊された)で働く従軍特派員として、私は香港でも、欧米が同じ不安定化戦略を使っているのを見て衝撃を受けている。中東や中央アジアで使われた戦略だ。

 ワシントンやロンドンや他の国々の、中国に害を与えようという願望は余りにも大きく、代償が何であろうと、止まらないのは明らかだ。
 香港警察は今、途方もなく大きく、極めて危険な敵対的集団と直面しているというのが隠された真実だ。それは香港と中華人民共和国全体の安全を脅かしている顔を黒スカーフで覆った一群の暴徒だけではない。連中は人が目にすることができる単なる先兵に過ぎない。彼らの背後には、複雑で多様な国際的右翼勢力がいるのだ。政治的な、宗教的な勢力、そしてテロリストが。

 この瞬間も、英雄的な香港警察は、この都市を、無政府状態と、差し迫った崩壊から切り離す唯一の警察部隊だ。』

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「小室圭と文在寅」が面白かった記事  文科系

2019年12月12日 10時01分25秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など
 米政治週刊誌ニューズウイーク日本語版をこの7月から購読しているが、最新号に非常に、重要な現代社会問題を扱って、力作として初めてというぐらいに勉強になった記事があった。「進撃のYAHOO」という、今号の約4分の1、14ページびっしりの記事である。この内容を最も短く要約すると、なによりもまず、ヤフーとLINEが経営統合をしたという機会を捉えて、「これは『ニュースの未来』にとって良いニュースなのか」という「批判」とも覚しき側面が目に付いた。これは明らかに、中小の新聞など伝統メディアを破壊してきたニュース・プラットホーム・GAFAの功罪が米国において大問題になっていることを問題意識として書かれた記事でもあるようだ。このアメリカにくらべたら、ヤフーが既存新聞社などとより共存する道を歩んでいるらしいことについて、何かあえて日本のあら探しをしているような記事とさえ僕には読めたものだ。と書いてくれば、この記事内容が社会にとっていかに重大な問題を報告しているか、お分かりいただけるだろう。社会にニュースというものを「流す」元となる「そのニュースを集める」のが誰で、どんな価値観や体制で集めるのかという重大問題を含んでいるのである。
 
 さて、この長い長い記事で僕にとって最も面白かったのがこれ、表題のことなのだ。この特集記事を主として書いたノンフィクションライター・石戸諭という人がヤフー本社に面談を申し込んで行われた応答が報告されていて、その中でなによりも、こんな「象徴的」な報告、言葉が目にとまったのである。
『配信メディア(担当者)の1人が言う。「(ヤフー本社の)18階の会議室でヤフーの担当者からデータの説明があるわけです。最近の読まれるキーワードは「小室圭」と「文在寅」です。文在寅と見出しに入れると3倍読まれます、とかね。淡々とデータが示されるんです。そこにあらがえるか。そんなデータがあれば、入れますよね』

 これは、ヤフーニュース画面のトップ中のトップ8つの記事に毎日どれを、どういう見出しで載せていくかという編集の選定、「価値判断力」に関わった質疑応答の一部として出てきたものである。

 ちなみに、1日5000本のニュースが本社に配信されて来て、その中から作った日々のニュースサイトに月間150億PVを誇る日本最大のニュースサイトがヤフーだから、どんな新聞よりも社会的影響力が大きく、NHKニュースに相当するほどの威力を持っているのだそうだ。よって、ライターも素人でさえなんとかしてヤフーニュースに取り上げられたがるし、プロも含めたここの常連さんなどは大いに自慢になるという日本社会にもなっているのだそうだ。そういうニュース選定の基準、価値判断として出てきた象徴、典型がこれ。「小室圭と文在寅」。
 確かに今の「日本」を言い当てているかも知れない。このブログにも「日韓問題」を載せるとアクセスが増えるわけだと、納得させられた。「編集局判断基準が、過去に示されたPVの数」。こういう世界、社会って、誰かに容易く動かされやすい社会にも思えたものだ。
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あるネトウヨ女子が情けなさすぎ   文科系

2019年10月10日 11時17分10秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など

 あるネトウヨ女子のブログに、昨日コメントを書いた。それも3つも,それぞれ相当長いものを。証拠を何も挙げず、ただ「独断」というだけの、あまりにも主観的な結論だけ命題、言葉の羅列にたまりかねたからだ。ちょうど、ここの常連名無し君とうり二つ、同じ論調なのである。JALの乗務員を何十年もやった女子だそうだが、こんな論議が通用している世界があるって、本当に驚いた。

 さて、それで今日このブログを見た。僕のコメントが見事に全部削ってあるではないか? これもまた驚いたこと! というのは、このブログ14年で過去に一つのコメントも削ったことがないからである。同じコメントが二つ来るというようなも以外は、どんなひどいコメントも削らなかった。常連名無し君の罵倒コメントも含めてのことだ。それどころか、エビデンスを上げたネトウヨ文章には回答さえ書き、長い討論も付き合ってきたこと度々だった。そこで思ったのがこれ。

『せっかく書かれたコメントを削るって、言論弾圧も同じ。応える自信もからっきしないのだろうが、そんな言論弾圧も理解できず、かつ、自信もないお方は,言論などやるな! そんな資格さえない人だ』

私はあなたの意見には反対だ、だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る』(ボルテール)

 

 

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日本の米報道が、ゆがんでいる  文科系

2019年10月01日 07時27分34秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など
 日本マスコミのアメリカ報道はおかしいと思う。というよりも、安倍政権と同じように、アメリカに忖度しすぎなのか、ゆがんでいる。その大きな証拠として、マスコミがきちんと言い及ばない重大点をいくつかあげてみたい。
 
① 一方的な関税設定やブロック経済へ移行など、既に自由主義経済を投げ捨てた国である。「(新)自由主義」という標語も、どこへ行ったのか。「株主資本主義は誤っていた」とは、米経済団体がこれを自己批判し、修正を表明したようだが。
 なお、アメリカは、貿易赤字の相手国が悪いと自明のことのように言い放っているが、この赤字は国連規模で約束し合った範囲の自由(主義)競争で負けた結果に過ぎないのである。悔しかったら、国連の内部で争うとか、自国の製造を頑張るとかの努力をすべきなのだ。
 
② 国連制止を振り切って行ったイラク戦争や、イラン核合意離脱、地球温暖化対策に背を向けるなど、国際民主主義・多国間主義外交の唯一の場である国連を無視する行動が多すぎる。そのことを日本マスコミはどうして批判的に言及しないのだろう。アメリカの行動を報道する場合に、国連(規則)を対置することは今やもう不可欠な論評になっているはずだ。
 
③ こういうアメリカはもう、「自由と民主主義」の国とは言えなくなっている。これを「共通の価値観」としている国と名乗る資格もないはずだ。それでいて、他国には「自由がどうの」「民主主義に問題」と断罪するうえに、私刑とも言える経済制裁や戦争脅迫、つまり国連が排除しているはずの暴力に訴えている。
 
④ 自由と民主主義というのは、アメリカにとって「これで友好国・敵対国を決める基準」として、他のこととは違う国家運営の根本指針であった。ここを踏み外したアメリカを信頼して借りを作るなどは、今のイラン(戦争)有志国募集に見えるように戦争に巻き込まれるなど危ういことはなはだしいのではないか。
 ちなみに、これらすべてはすでにもう、トランプ治下だからこそ起こりえたこととは言えない。イラク戦争開戦など国連無視は前からだし、トランプがやった国連無視諸施策などがなくならない限りは。
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書評「アメリカ帝国の終焉」⑤最終回  文科系

2019年08月17日 00時35分07秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など
「アメリカ帝国の終焉 勃興するアジアと多極化世界」(進藤榮一筑波大学名誉教授著、講談社現代新書、2017年1月刊)の要約・書評第5回目、最終回になった。今回は、全4章「勃興するアジア」の第3節「太平洋トライアングルからアジア生産通商共同体へ」と最終章「同盟の作法──グローバル化を生き抜く智恵」の要約である。

 東アジアの生産通商状況が世界一の地域激変ぶりを示している。80年代中葉から2000年代中葉にかけて一度、2000年代中葉から後にもう一度。前者は太平洋トライアングルから東アジア・トライアングルへ、後者は「三様の新機軸」という言葉で説明がなされている。

 太平洋トライアングルというのは、日本、東アジア、アメリカの三角関係だ。日本が東アジア(主として韓国、台湾)に資本財、生産財などを輸出してそこの物作りを活発にし、日本、アジアがそろって米国に輸出した時代である。その「日本・アズ・ナンバーワン」の時代が、世紀の終わり20年程でこう換わったと語られる。アジアの生産、消費両方において、アメリカとの関係よりもアジア域内協力・互助の関係が深まったと。最終消費地としてのアメリカの役割がカジノ資本主義・超格差社会化によって縮小して、中国、東南アジアの生産と消費が急増し、東アジア自身が「世界の工場」というだけでなく、「世界の市場」にも変容したと述べるのである。
 例えば日本の東アジアへの輸出依存度を見ると1985年、2000年、2014年にかけて17・7%、29・7%、44・5%と増えた。対して対米国の同じ依存度は、46・5%、29・1%、14・4%と急減である。
 ちなみに、世界3大経済圏(の世界貿易シェア)という見方があるが、東アジアはアメリカを中心とした北米貿易協定をとっくに抜いて、EUのそれに迫っているのである。2015年の世界貿易シェアで言えば、EU5兆3968億ドル、東アジア4兆8250億ドル、北米2兆2934億ドルとあった。


 次にさて、この東アジアが2000年代中葉以降には更にこう発展してきたと語られる。
 東南アジアの生産性向上(従って消費地としても向上したということ)と、中国が主導役に躍り出たこと、および、インド、パキスタンなどの参加である。
 この地域が世界で頭抜けて大きい工場・市場に躍り出ることになった。
 例えば、世界からの直接投資受入額で言えば2013年既に、中国・アセアンの受入額だけで2493・5億ドル、EUの受入額2462・1億ドルを上回っている。
 これらの結果リーマンショックの後には、世界10大銀行ランクもすっかり換わった。中国がトップ5行中4つを占め、日本も2つ、アメリカは1つになった。


 さて、こういう世界経済の流れを踏まえてこそ、日本のあるべき発展、外交、防衛策も見えてくる。最終章「グローバル化を生き抜く智恵」というのは、そういう意味なのだ。世界経済発展の有り様と東アジア経済の世界的隆盛とを踏まえれば、日本の広義の外交の道はこうあるしかないだろうということだ。
 最初の例として、中国への各国直接投資額が、2011年から2015年にかけてこう換わったと指摘される。増えたのが、韓国、フランス、ドイツ、EU4か国などからの投資額で、それぞれ、58・0%、58・4%、38・0%、24・4%の増加。減ったのがアメリカ(11・8%減)と、日本に至っては49・9%減なのである。

 次に、新たな外交方策として、アジア重視のいろいろが提言される。アジア各国の生産と消費との良循環を作ることを通して得られる様々なものの指摘ということだ。今のアジア各国にはインフラ充実要求もその資金もあるのに日本がこれに消極的であることの愚かさが第一。この広域インフラ投資を進めれば、お互いの潜在的膨張主義を押し留めるという抑止力が働くようになるという成果が第二。こうして、アジアが経済的に結びつくことによって不戦共同体が出来るというのが、最後の意義である。

 最後に述べられるのがこのこと。日本が見本とすべきだと、日本と同じアメリカの同盟国カナダの対米外交史を示していく。アメリカと同盟関係にありつつも、中国との国交回復では米国に先行してきた。この時の元首相トルドーはアメリカのベトナム戦争に反対したし、その後のカナダもまたアメリカのシリア軍事介入に反対した。このように、カナダの対米外交は対米同盟絶対主義ではなく、国民民生重視の同盟相対主義なのだと解説される。その対中累積投資額は580億ドルとあって、カナダにとって第2位の貿易パートナーが中国なのである。アメリカ帝国の解体と日本の対中韓孤立状況を前にして、カナダのこの立場は極めて賢いものと述べられる。


 さて、この書の結びに当たるのは、こんな二つのテーマだ。英国のEU離脱とは何であり、現在のグローバル化は過去とは違うこういう積極的なものであると。
 英国のEU離脱を引き起こした『(EUの難民)問題はだから、(エマニュエル・トッドが語るような)EUではない。中東戦争の引き金を引いた米欧の軍事介入だ。それを支える米国流“民主化”政策だ」
 そして、現在のグローバル化とはもはや、米英流金融マネーゲームのそれではなく、こういうものだと語られる。
『一方で先進国の不平等を拡大させながらも、他方で先進国と途上国間の不平等を限りなく縮小させているのである』

(終わり)
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書評、「アメリカ帝国の終焉」④  文科系

2019年08月16日 00時44分55秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など
「アメリカ帝国の終焉 勃興するアジアと多極化世界」の要約、書評第4回目だ。
 今回要約部分各節の表題を上げておく。第3章「勃興するアジア──資本主義の終焉を超えて」全3節のうち、1節「ジャカルタの夏」、2節「勃興するアジア資本主義」の二つだ。と言ってもこの部分はこの書全220頁ほどの内40頁程を占める。次の第3節「太平洋トライアングルからアジア生産通商共同体へ」とともに、「アメリカ終焉」と並んで、本書のもう一方の「アジアという柱」なのである。
 ちなみに、「資本主義の終焉を超えて」というのは、近ごろこの終焉が語られるのを意識して、「どっこい、こう続いている」という意味である。「知名のエコノミスト、水野和夫教授や榊原英資氏は、・・・『資本主義の終焉』を示唆し強調する」(P137)という問題意識なのである。さて・・・・


 2014年のIMF報告によると、「新興G7」のGDPは37兆8000億ドル、いわゆるG7のそれ(34兆5000億ドル)を追い越したと言う。前者は、BRICs4国に、トルコ、メキシコ、インドネシアを加えたものだ。ちなみに後者は、米日独英仏伊加である。なお、2011年には南アが加わって、BRICsはBRICSと5か国になっている。この国連合が2015年に作ったのがBRICS開発銀行、同年12月にはアジアインフラ開発銀行(AIIB)も設立された。発足時加盟国57,17年度には82か国になる見込みだ。因みに後者には日本の鳩山由紀夫氏が国際顧問に就任したとあった。
 この「南北逆転」にかかわって、2012年の日本エコノミスト誌「2050年の世界」は、有名なアンガス・マディソン(フローニンゲン大学)の資料に基づいて、「アジアの隆盛、欧米の沈滞」という予想をしている。また同じことを、近ごろ有名なユーラシア・グループ代表イアン・ブレマーの言葉を採って「Gゼロの世界」とも呼んでいる。このグループは、世界政治の危険因子研究などを通して、企業の世界戦略策定への売り込みを糧にしようとした企業と言って良い。

 次に出てくるのが先述の「資本主義の終焉」論争である。「金利生活者の安楽死」を予言したケインズを採って、利子率の長期的低下からこの終焉到来を述べてきた水野和夫氏らの論に対して、著者はこんなことを語る。先進国はゼロ金利でも、新興G7はずっと5%金利であると。ただし、中国だけが16年にやや下げたと、断りが付いている。こうして、プラント輸出なども含めて日米の金も、水とは違ってどんどん高い所へ流れていったと。なお、国際銀行の貸付金にこの逆流が起こったのは04年のこと、アメリカなどのゼロ金利政策が固定化され始めた頃であるのが面白い。また、08年のリーマン後は、アジアへのこのお金の流れが激増した。こうして、
「資本主義の終焉ではなく、資本主義の蘇生だ」(p141)

 次にアジア資本主義の勃興ぶりだが、情報革命が物作りを換えたという。資源労働集約型から知識資本集約型へ。次いで、東アジア単一経済圏という「地理の終焉」。東京・バンコック間は、ニューヨーク・ロス間と変わらないのであって、「早朝東京を発てば先方で重要な商談をやって、その日のナイトフライトで翌朝東京本社へ」という解説もあった。

 さらに、EU統合などと比較して、こんな特徴も語られる。EUは法優先の統合だったが、アジアは事実としての統合が先に進んでいると。これについては、ある製品を面、部分に分けていろんな国で作ってこれを統合するとか(モジュール化)、その単純部分は後発国に先端部分は日本になどと発注してコストをどんどん下げるとか、後発国の所得水準をも上げることに腐心しつつ一般消費市場を拡大していくとか、等などが進んでいる。この結果としての、いくつかの製品、輸出などの国際比較例も挙げてあった。

 先ず2015年の自動車生産シェア(%単位)。アジア・北米・欧州の比率は、51・2、19・8、20・2であり、アジアの内訳は、中国27・0、日本10・2だ。
 結果として例えば、インドが、新日鉄住金を2位に、中国企業を3~5位に従えた鉄鋼世界一の企業を買い取ったというニュースも、何か象徴的で面白い。ルクセンブルグの本社を置くアルセロール・ミッタル社のことである。
 
「東アジア主要産業の対世界輸出における各国シェア」という資料もあった。電気機械、一般機械、輸送機械三区分の世界輸出シェアで、1980年、2000年、2014年との推移資料でもある。三つの部門それぞれの、1980年分と2014年分とで、日中のシェアを見てみよう。電気は、日本69・7%から11・1%へ、中国は、0・7%から42・8%へ。同じく一般機械では、日本88・6から19・1と、中国1・5から51・7。輸送機械は日本が最も健闘している部分でそれでも、97・4から44・8、中国0・2から18・5。なお、この最後の輸送機械については韓国も健闘していて、0・6から20・8へと、日本の半分に迫っているとあった。

(最終回へ続く)
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書評、「アメリカ帝国の終焉」③  文科系

2019年08月15日 09時54分40秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など
「アメリカ帝国の終焉 勃興するアジアと多極化世界」(進藤榮一・筑波大学名誉教授著、講談社現代新書、2017年2月20日の第一刷発行)の要約、書評第3回目だ。

今回要約部分、各節の表題を上げておく。第1章2節「解体するアメリカ」、3節「過剰拡張する帝国」、第4節「情報革命の逆説」、第5節「失われていく覇権」。そして、第2章に入って、その1~3節で、「テロリズムという闇」、「テロリズムとは何か」、「新軍産官複合体国家へ」。

オバマは、アメリカの荒廃に立ち向かおうとしたが、全て破れた。金融規制も医療制度改革も骨抜きにされた。その結果が、今回の大統領選挙の荒れ果てた非難中傷合戦である。2010年に企業献金の上限が撤廃されて、この選挙では70億~100億ドルが使われたという。1996年のクリントン当選時が6億ドルと言われたから、政治がどんどん凄まじく荒廃してきたということだ。

帝国は、冷戦に勝ってすぐから、その世界版図を広げ続けてきた。1991年、湾岸戦争。1992年はバルカン・東欧紛争から、95年のボスニア紛争。01年にはアフガン戦争、03年にはイラク戦争。11年がリビア空爆で、14年がウクライナ危機、シリア戦争。

「専制国家を民主主義国家に換えて、世界の平和を作る」とされた、帝国の「デモクラティック・ピース論」は全て破綻しただけではなく、3重の国際法違反を犯し続けてきたこともあって、帝国への憎しみだけを世界に振りまいてしまった。第1の違反が「平和を作るアメリカの先制攻撃は許される」。そして、ドローンなども使った「無差別攻撃」。最後が「国連の承認無しの加盟国攻撃」である。この3様の国際法違反などから、イラク戦争開始直前に行われた中東6か国の世論調査にも、こんな結果が出ている。「イラク戦争は中東にデモクラシーを呼ぶ」を否定する人69%で、「イラク戦争はテロを多くする」が82%だ。「米国に好感」に至っては、エジプト13%、サウジ4%である。つまり、その後の自爆テロや難民の激増は、必然だったとも言えるのである。

一体、テロとは何だろう。シカゴ大学の「テロと安全保障研究調査班」が、ある大々的な調査を行った。1980~2013年に起こった2702件のテロを対象にして、様々な要素(候補)との相関関係を出していく調査である。その結論はこうなったと紹介されていた。
『問題は占領なのだよ!』

喧伝されるように「文明の衝突」などでテロ起こるのではなく、祖国の占領、抑圧、困窮、それらへの恨みなどが生み出した「弱者抗議の最終手段」が自爆テロなのだと。ちなみに、占領地の現状はこんなふうだ。
バグダットの米大使館は国連本部の6倍以上の規模であり、加えてイラクには数百の米軍基地がある。と、こう報告したのは、クリントン政権下の大統領経済諮問委員会委員長、ジョセフ・スティグリッツ。基地には、3000~3500メートルの滑走路各2本、トライアスロン・コースあり、映画館やデパートまでも。米軍関係者が、要塞並みの防御壁の中で、これらを楽しんでいるとも続けている。かくて、06年の米軍海外基地建設費用は12兆円。

次に続くのは、この帝国の終焉が3様の形を、経済力の劣化、社会力の脆弱化、外交力の衰弱を取るということだ。
経済力は、高値の兵器に企業が走って、民生技術が劣化しているということ。
社会力は、戦争請負会社の繁盛。米中心に世界にこれが50社以上あって、総従業員は10数万人。冷戦後の軍人の新たな職業になっていると語る。ここで問題が、新傭兵制度。高い学資、奨学金によって年1万人以上生み出されているという借金漬け大卒者が食い物になっている。学生ローンの総残高が実に144兆円とあった。自動車、カードとそれぞれのローン残高さえ、各120兆円、80兆円程なのだ。かくして、中東からの帰還兵は累計200数十万人。言われてきたように、PTSD、自殺者も多い。

外交力の衰弱については、2例があげられている。一つは、外交即戦争ということ。この象徴が中東関連の戦費であって、今や累計9兆ドルに膨れあがった。先のスティグリッツ報告が出た当時08年には3兆ドルと報告されていたのだ。外交衰弱の2例目は、TPPの挫折。膨大な年月と人、費用を費やして追求してきたものをトランプが破棄した。

こうして、第2章の結びはこんな表現になる。
9・11とアフガン戦争から15年。イラク戦争から13年。戦争がアメリカをすっかり換えてしまった。もはや世界秩序維持を図るどころか、破壊するだけ、世界の憎まれっ子国なのである。
こういう観点からこそ、トランプのいろんな「強がりの言葉」を解釈してみることも可能だろう。
『世界の警察はやめた。その分、同盟国に応分の軍拡を求めたい』
『中東7か国国民は、米国に入ってはならぬ』
『日中は保護貿易を止めろ』
『IMFの言う事など聞かぬ。むしろ脱退したい。国連からさえも・・・(と言う雰囲気を語っている)』
これが、ここまで読んだ来た僕の、最も鮮やかな感想である。
 
(続く)
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書評、「アメリカ帝国の終焉」②  文科系

2019年08月14日 03時00分55秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など
 今の世界には、ポピュリズムとテロという二匹の妖怪がうろついているという。そして、この二匹が同じように出没した世界が過去にもあったと。19世紀末から20世紀初頭にかけて世界のグローバル化が進んだことによって大英帝国が崩れ始め、アメリカが勃興し始めた時に。なおこのポピュリズムには、著者は独特の定義を与えている。形はどうであれ「民衆が民衆の手に政治を取り戻すという意味でのポピュリズム」(P21)と。
 ストライキを巡って市民と軍隊が市街戦を繰り広げたような米ボルテイモア。世界でも、ロシア皇帝やフランス大統領の暗殺、1901年には米大統領マッキンリー、1909年には安重根による伊藤博文暗殺。米フィリッピン戦争もあったし、中国では義和団蜂起も。

 さて、20世紀初頭のアメリカ・ポピュリズム時代も、現在と同じ三つの社会本質的特徴を持っていたと、次に展開されていく。①新移民の急増、②巨大資本の誕生、③金権政治と、印刷発達による日刊新聞や雑誌などニューメディアの登場、である。ただ、20世紀開始当時のこの3点は、今のトランプ時代とはここが違うと述べて、ここから著者はトランプ政治の正確な規定をしていくのである。

 なによりもまず、往時のこの3点はアメリカを帝国に押し上げたのだが、今はその座から降ろそうとしているのだとのべて、その上で各3点の違いを展開していく。
①往時の新移民は白人人口に算入される人人であって、アメリカ社会に包摂され、帝国建設の原動力になって行った。
②過去が大工業国になっていったのに対して、今は金融だけ、物作りは縮小している。物作りが縮小して金融がマネーゲーム中心に空回りしたら、まともな職など無くなってしまう。この点で筆頭国といえるのが米英日だと思う。
③は、ニューメディアとの関わりでこれを文化問題とも観ることができて、今の米国内は文化戦争になっていると言う。国民的文化同一性が崩れているとも換言されている。つまり、国民分断が極めて深刻だと。
 この③の国民分断について、今回の大統領選挙の得票出口調査結果分類を例に取っているのをご紹介しよう。トランプ対ヒラリーの各%はこうなっている。黒人8対88、ヒスパニック29対65。ところが、白人票、男性票ということになると実に各、58対37、53対41とあり、女性票でも42対54と、トランプが結構善戦しているのである


「トランプのつくる世界」とはこんな物として描かれている。普通に新聞で触れられていない記述を中心にまとめてみる。
 まずこのこと。30年前に新自由主義を初導入したレーガン政権と「ポピュリズム右派」など非常によく似た点が多いのだが、ソ連の斜陽が始まった時に数々「成功」したように見えるレーガンに対して、トランプが国力衰微の中で生まれた政権だという例証として、以下が述べられる。
 IMF報告の購買力平価GDPで、2014年には中国に抜かれた。その傾向から17年、19年には各、2500億ドル、4500億ドルという差が広がっていくと予測されている。つまり、中国が「世界の工場」になっているだけでなく、「世界の市場」にもなっていることの意味の大きさを強調している。
今の有効需要が少ない世界で大市場というのは、アメリカが日本の王様である理屈と同じような意味を持つのである。世界金融資本にとってさえ。つまり、マネーゲーム以外のまともな投資先がなければ、所詮金融もまともには活躍できないということである。
 また、軍隊重視には違いないが、「世界の警察を返上した」ことに伴って他国にも強力にそれを求め、国内経済第一主義の中でも国内インフラ整備には邁進して行くであろうということなど。これもトランプの大きな特徴である。

 こうして、結ばれる著者の世界政治用語は、「米英中ロの多極化」という「新ヤルタ体制」ができるだろうと書かれてあった。


 さてでは、次にアメリカの衰退ぶりを改めて確認していく部分の紹介。世界一安全な日本(人)では考えられないような内容である。
 まず、物作りの大工業国家・旧アメリカの象徴デトロイトの荒廃ぶりだ。
 荒廃した旧市街地へ入りかけると、道路脇にこんな看板が立っていたという。「これから先、安全について市は責任を負いません」。警察が安全責任を持てないから、自分は自分で守れと警告しているのである。ちなみに、市域の3分の1が空き地か荒れ地で、街灯の30%が故障中、警官を呼んで来る時間が平均27分というのだから、無理もない。全米都市中2位の殺人発生率を誇るデトロイトのすぐお隣には、殺人発生率1位都市もあるのだ。GM発祥の地フリント市である。
 デトロイトの人口も最盛時185万から70万に落ちて、9割は黒人。普通の会社の従業員などは郊外の「警護付き街区(ゲイテッド・シティー」から通勤してくると続いていく。

 
 このデトロイトを象徴として、米国二重の困窮という事項が次に解説されていく。一つが物作りの零落、今一つが連邦政府が地方政府を支援不能となったのに市民の互助活動も廃れたという、連邦赤字と市民社会劣化である。食うに困る人々だけの貧民街に公共財が何もなくては、政治など吹っ飛んでしまうということであろう。


(続く、ここまでで約4分の1。あと、3回続くと思います)


 追加としての感想
 なお、この本を読んでいると、ここ「9条バトル」で僕が書評で紹介してきたいろんな著者が出て来て面白い。まず、その国連調査報告を紹介したノーベル経済学賞受賞者ジョセフ・スティグリッツの言葉が出てくるし、最近長々と紹介した「金融が乗っ取る世界経済」、ドナルド・ドーアの言葉も。さらには、最も最近の書評、エマニュエル・トッドへの言及。これは、トッドの学問の限界を指摘した学問的内容をもって、1頁近く言及されている。この内容は、僕がここでトッドの書評を書いたときに言及したことと同じ内容だと思われたものだ。トッドの「専門領域」からすると、各国のことについては何か言えても、その相互作用や世界・国連の動きなどは語れないはずなのである。例えば、経済についてはピケティやスティグリッツ、クルーグマンらを読めばよいとトッドは語っているし、国連のことは門外漢だと自認しているようだ。
 そして何よりも、この書の「おわりに」に、こんな献辞まであった。
『最期に、出版のきっかけを作って下さった孫崎享先生と・・・に深謝します』
 孫崎の著書もここで何回扱ったことだろう。
 ただし、これらのこと全て僕にとって、この本を読み始めてから分かった、偶然のことである。

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書評「アメリカ帝国の終焉」 ①  文科系

2019年08月14日 01時56分05秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など
 次の書評予告をしたい。ここでの僕の書評は、ご存知の方も多いはずだが、ただ感想,意見などを述べるものではなく、最近は先ず要約を何回にも渡って行う。そして最後に少しだけ意見を述べてみると、そういったものだ。今回は「アメリカ帝国の終焉 勃興するアジアと多極化世界」(進藤榮一・筑波大学名誉教授著、講談社現代新書、2017年2月20日第一刷発行)。
 著者略歴だが、1939年生まれで、京都大学大学院法学研究科で法学博士をとって、専門はアメリカ外交、国際政治経済学。ハーバード大学、プリンストン大学などでも研究員を務めて来られたアメリカ政治経済学専門のお方である。

 先ず初めに、例によってこの書の目次をご紹介する。

はじめに──晩秋の旅から
序章 トランプ・ショック以降
第一章 衰退する帝国──情報革命の逆説
第二章 テロリズムと新軍産官複合体国家──喪失するヘゲモニー
第三章 勃興するアジア──資本主義の終焉を超えて
終章 同盟の作法──グローバル化を生き抜く智恵
おわりに


 さて、今日第一回目は、「はじめに」を要約して、その主要点を本書内容でもっていくらか補足することにしたい。言うまでもなくこの書は、トランプが当選した後に書き上げられたもの。そういう「最新のアメリカ」を描き出す著作全体をこの「はじめに」において著者が上手くまとめ上げている、今回はそういう「はじめに」の紹介である。

 「はじめに」はまず、『この40年近く、何度も往復した太平洋便で見たこともない光景』の描写から始まる。
 15年晩秋に成田で搭乗した「マニラ発、成田経由、デトロイト行き」の『デルタ航空便でのことだ。乗客の九割以上がアジア系などの非白人だ。ネクタイを締めたビジネスマンではなく、質素な服装をしたごく普通のアジア人たちだ』と書いて、アメリカの非白人が全人口の38%に上ることが紹介されている。
 次に、この訪米「第二の衝撃」が続くのだが、それは全米随一の自動車都市だったデトロイトの光景である。
『ミシガン中央駅は、かつて世界一の高さと威容を誇り、米国の物流と人口移動の中心を彩り、「工業超大国」アメリカの偉大さを象徴していた。しかしその駅舎は廃虚と化し、周辺は立ち入り禁止の柵で囲まれている』
 そして、最後「三つ目の衝撃」は、『首都ワシントンに入って見た大統領選挙の異様な光景だ』そうだ。『広汎な民衆の不満と反発が、職業政治家と縁の遠い候補者たちを、大統領候補に押し上げているのである』。
『既存政治を罵倒する共和党候補で富豪のドナルド・トランプも、民主党候補で「社会主義者」を標榜するバーニー・サンダースも、党員歴を持っていない』・・・と語られてある。

 そしてこの『大衆の反逆の源は、二つのキャピタル、資本と首都──の有り様である』と続けられる。「金融に買われた」、『その醜悪な首都の政治の実態』という二つのキャピタルだ。こういう政治が『「世界の警察官」として二十世紀に君臨した大米帝国の終わりと二重写しになっている』として、次の文脈へと展開されていく。

『人を納得させる力、イデオロギーを不可欠の要件とする』と形容が付いた『ソフトパワー、理念の力』も失われて、デモクラシーを広める力もないと。その下りには、こんな傍証が付いていた。
『かつて米国はベトナムで、「デモクラシーを広める」ためとして、一五年の長きにわたって、自陣営に一〇〇万人もの死傷者を出し、敗北した』が、アフガニスタンから始まった中東戦争はこの一五年を既に超えているが、
『多くの人命を奪い、膨大な予算を投じたにもかかわらず、アフガニスタンでもイラクでも、リビアやシリアでも、デモクラシーを樹立できず、内戦とテロを進化させ、テロと混乱を中東全域に広げている』
 こうして、この「はじめに」の結びは、こうだ。
『二〇一五年、晩秋のアメリカで見た風景は何であったのか。トランプの登場とは何であったのか。それは欧州の動向とどう結び合って、世界をどこに導こうとしているのか』


(続く)

 補足 なおこの進藤榮一氏の書評がこのブログに既に一つ存在している。「アジア力の世紀」(岩波新書)を、14年5月5、8日に要約、紹介しているから、例によって右欄外の「バックナンバー」から、年月日で入ってお読み頂けるようになっている。ちなみにこの書は、このブログ11年ほどの数十冊に及ぶいろんな読書・学習の中で、世界情勢を学ぶ上で最も参考になったベスト5に入る1冊である。例えば、僕の中では、ノーム・チョムスキーの「覇権か、生存か──アメリカの世界戦略と人類の未来」(集英社新書)に、比肩できるような。数字を挙げた実証を中心に書かれているという意味では、チョムスキーよりも現代的説得力を持っているとも付け加えておきたい。
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書評 「白鯨」   文科系

2019年08月07日 03時11分01秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など
 アメリカの文学史にひときわ輝いているこの金字塔長編小説を、10日ほどの入院生活中に初めて通し読んだ。

 内容は言わずと知れた、白鯨に片脚先半分を食いちぎられたエイハブ捕鯨船長の白鯨に対する復讐物語。それが白鯨の逆襲で大失敗、語り手イシュメルのみを残した30人近くの乗組員が船とともに太平洋のど真ん中に沈められて終わるという結末である。
 これが分厚い文庫本たっぷり3冊に及ぶ長い物語になっているその内容は、こういうもの。

 まず、大西洋からホーン岬、喜望峰に、インド洋、太平洋と、その南北に及ぶまで(太平洋はほぼ北半球の中の、日本近くまで南半分だが)、世界の海とそこに活躍する捕鯨船の様子や活動やを細々と描写、紹介していく。乗組員もアメリカ東部の白人の他に、ポリネシア人、アメリカインディアン、黒人と、地域も人も当時としては凄まじく地球規模と言った内容である。そんな世界的な異国情緒溢れた体験記、ルポにも見える作品が1851年に出たというのだから、それだけでも価値があるうえに、山場に向かって手に汗握る復讐劇と来るから面白いのも、もー当然。
 なんせこの1851年とは日本で言えば、明治維新の15年ほど前、まだ鎖国が解けていない時代(解けたのは1854年)であって、この日本鎖国についてもこの本には言及があるという、そんなユニバーサルな異国情緒たっぷりの博覧強記を見せてくれる。ちなみに、この1851年を合衆国史で言えば、イギリスからの独立(戦争)が70年前、南北戦争の10年前ということになる。 

 さて、この小説に象徴性とか哲学とかを読み取る向きもあるようだが、それには僕は賛成できない。エイハブ船長の人生、その回顧らしいものが第132章になって初めて出てくるのだし、白鯨に何かを象徴させているとしたらむしろ、それが成功しているとも思われなかった。代わりに、ここまでにも書いたようにただこう読めばよい。世界の海と捕鯨などの地理や風俗をも紹介して見せた大海洋小説・エイハブ晩年の人生を掛けた復讐活劇と。

 ただし一言。エイハブの復讐心の根深さ、凄まじさには、作者が何かを付与しているのかもしれない。例えば実存主義的な人間意志をデフォルメして賛美したものとか。もしそうなら、世界的にこの思想の先頭近くを切ったことになる。同じ人間意志のデフォルメをやって実存主義の元祖とも言われるフリードリッヒ・ニーチェは、この小説発刊のほんのちょっと前、調べてみたら1844年の生まれだったから。というように、この凄まじさこそこの小説のテーマ、モチーフと言える。このこと自身については小説全編、その構成・表現すべてに徹底されてある。

 また、この小説には西欧近代民主主義感覚の生新な息吹といったものが満ち溢れ、人間のやり取りなど何のひっかかりも古さも感じずに、ごく自然に読みすすむことができた。明治維新のちょっと前、フランス革命の60年後に書かれた古い小説とは、とても思えないのである。当時のアメリカの英仏と並ぶ世界最先端のヒューマンな民主主義感覚を描いていると読めばよいのだろう。だからこその、米文学史に輝く金字塔ということでもあるはずだ。
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徴用工問題、蒸し返される訳   文科系

2019年08月05日 04時09分15秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など
徴用工問題、蒸し返される訳  文科系
書評、『前川喜平「官」を語る』(宝島社、2018年7月第一刷発行)として



 入院中に読んだ本の一つに、『前川喜平「官」を語る』(宝島社、18年7月第1刷)があった。毎日放送、朝日新聞に勤めていた山田厚史を質問者・聞き手とする対談本だ。そのなかに、徴用工問題応酬が近年再燃した発端とも見える、ある事件が報告されている。文科省に勤めていた前川氏の体験報告なのだが、安倍政権の韓国に対するこういう構え、態度が、この問題が韓国側から蒸し返されていつまでも終われない原因になっているのではないか。体験報告を要約し、僕としてのその批評を述べてみたい。

①2015年7月、「明治日本の産業革命遺産」がユネスコ世界遺産に登録された。長崎の軍艦島、八幡製鉄などの明治以降産業遺産群である。これが今で言う「首相案件」。長崎キリスト教遺産群など先行候補を強引に追い越して急浮上、年に一つの日本代表に推されることになった結果のユネスコ登録だった。

②この問題のユネスコ審議過程において、これらの遺産群における徴用工の扱いで韓国が反発、紛糾した末に、この様な決着があったという。まず、こんな形で。
『そのとき日本は、徴用工の正しい歴史や資料を訪問者に啓蒙するインフォメーションセンターを設置することを約束しているんです。
 実は、この約束はきちんと履行されているかモニタリングされることになっており、チェックされるのがまさに今年、2018年です。しかし、私が知る限り、現段階ではまだ設置されていない』


③ところが、この約束に関わって文科省がこんな相談も受けることになったという。
『私は文科省在職時代、和泉洋人・首相補佐官に呼ばれ「徴用工に関するインフォメーションセンターを六本木の国立新美術館の別館に作ることはできないか」と聞かれたことがあります。(中略)できるだけ現地から遠い、東京にひっそり作りたかったのでしょう』


 どうだろう、「地方創世」という名の「観光地作り」を「首相案件(その上での実績作り、功績)」として急ぐ余り、韓国とユネスコに急場しのぎの心にもない約束をして、後で見かけだけという辻褄合わせに努めようとしたと、韓国からは見えないか。このようなインフォメーションセンターは実質が伴わない「羊頭狗肉」、謝罪の心もないから、言うならば嘘の約束である。これでは、韓国が怒ることさえも予期できたはずで、どこか何かで韓国が怒ったら今やっているようにこう返せばよいと、初めから考えていたとしか思えないのである。
『徴用工問題は1965年の日韓条約でもう終わっている』

こういう誠意のない「謝罪も、償いもした。もう終わっている問題だ」とは、慰安婦問題にも通じるもの。終わっているのだから、日本が何をどう語っても、どう振る舞っても文句など言うなということにはならないはずだが。こういう態度は、「こちらの『歴史的恥部』をずっと言い募ろうというのなら、上等、いつでもケンカに応じてやる」と常に居丈高に対すること。

 歴史的加害者の方がこれでは、日韓紛糾は永久に終わらない。
 度々よく伝えられてきたように、こんな構え、考え方をさえにじみ出しているのではないか。
『当時の法では、植民地は合法。文句など言うな!』
 まともな時代なら、国家の品格が問われる態度だと言いたい。
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僕が政治論以外も書くわけ    文科系

2019年07月28日 11時23分24秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など
 旧拙稿の何回目かの掲載です。明日からここを一週間ほど書くことが出来ないこともあって今日またこれを載せますので、真意をお酌み取り願えればうれしいです。結果として、この一週間にいろんな過去ログを引っ張り出して読んでくださる方が現れることも期待しています。画面右欄外の、カテゴリーのどれかからとか、「バックナンバー」と書いた「年月」のクリックからとか、過去ログに入るいろんな方法をお試し下さい。よろしくお願いいたします。


『 改めて、僕がここに政治論以外も書くわけ   文科系  2012年01月15日 | 文化一般

 表記のことを、改めてまとめてみたい。随筆、サッカー評論、ランニング日誌などなど政治や9条とは一見関係ないようなことを僕はなぜここに書いてきたか。ここが始まった6年前からしばらくはかなり気にしていたことだが、最近はあまりこれを書いたことがなかったと思いついて。

 僕がまだ若い頃から、こんなことが当時の大学で当たり前であった左翼の世界の常識のように広く語られていた。「外では『民主的な夫』、家での実質は関白亭主。そんなのがごろごろ」。そういう男たちの政治論に接する機会があると、正直どこか斜めに構えてこれを聞いていたものだ。どんな偉い左翼人士に対しても。レーニンの著作にたびたび出てくるこういった内容の言葉も、そんなわけでなぜか身に染みて受け取れたものだった。
「どんな有力な反動政治家の気の利いた名演説や、そういう反動政治方針よりも、恐るべきものは人々の生活習慣である」
 こういう僕の身についた感覚から僕の左翼隣人、いや人間一般を観る目も、いつしかこうなっていた。その人の言葉を聞いていてもそれをそのままには信じず、実は、言葉をも参考にしつつその人の実生活がどうかといつも観察していた。誤解されては困るが、これは人間不信というのではなくって、自分をも含んだ以下のような人間認識と言ってよい。人は一般に自分自身を知っているわけではなくって、自分の行為と言葉が知らずに自分にとって重大な矛盾をはらんでいることなどはいっぱいあるものだ、と。こういう人間観は実は、哲学をちょっとでもまじめに学んだことがある者の宿命でもあろう。哲学史では、自覚が最も難しくって大切なことだと語ってきたのだから。ソクラテスの「汝自身を知れ」、近代以降でもデカルトの「私は、思う(疑う)。そういう私も含めてすべてを疑う私こそ、まず第一に存在すると言えるものだ」などは、みなこれと同じことを述べているものだ。

 さて、だとしたら政治論だけやっていても何か広く本質的なことを語っているなんてことはないだろう。そんなのはリアリティーに欠けて、ナンセンスな政治論ということもあるし、「非現実的話」「非現実的世界」もはなはだしいことさえもあるわけである。それでこうなる。生活も語ってほしい。その人の最も生活らしい生活と言える、好きなこと、文化活動なんかも知りたい。どういう人がその論を語っているかということもなければ、説得力不十分なのではないか、などなどと。もちろん、何を書いてもそれが文章である限りは嘘も書けるのだけれど、その人の実際や自覚のにおいのしない政治論だけの話よりはまだはるかにましだろうし、随筆なんかでもリアリティーのない文章は結構馬脚が顕れているものだと、などなど、そういうことである。

 やがて、こんな風にも考えるようになった。幸せな活動が自分自身に実質希薄な人が人を幸せにするなんて?とか、人の困難を除くことだけが幸せと語っているに等しい人の言葉なんて?とか。そういう人を見ると今の僕は、まずこう言いたくなる。人の困難を除くよりもまず、自分、人生にはこれだけ楽しいこともあると子孫に実際に示して見せてみろよ、と。

 なお、以上は政治論だけをやっているのだと、人生の一断面の話だけしているという自覚がある論じ方ならばそれはそれでよく、五月蠅いことは言わない。だが、当時の左翼政治論壇では、こんなことさえ語られたのである。「歴史進歩の方向に沿って進むのが、人間のあるべき道である」と。つまり、政治と哲学が結びついていたのだ。それどころか、戦前から政治が文学や哲学や政治学、そういう学者たちの上位に君臨していたと言える現象のなんと多かったことか。
 そんなわけで僕は、当時では当たり前であった大学自治会には近づいたことがなかった。そして、左翼になってからもこの「政治優位哲学」には常に距離を置いていたものだった。これはなぜか僕の宿痾のようなものになっていた。


 なお、こういう「公的な場所」に「私的な文章」を載せるなんて?という感覚も日本には非常に多いはずだ。こういう「公私の峻別」がまた、日本の公的なもののリアリティーをなくしてはいなかったか。公的発言に私的な事を入れると、まるで何か邪な意図があるに違いないとでも言うような。逆に日本ではもっともっとこんな事が必要なのだろう。政治をもっと私的な事に引きつけて、随筆風に語ること。正真正銘の公私混同はいけないが、私の実際に裏付けられないような公(の言葉)は日本という国においてはそのままでは、こういったものと同等扱いされることも多いはずだ。自分の子供をエリートにするためだけに高給をもらっているに等しい文科省官僚の公的発言、「貴男が男女平等を語っているの?」と連れ合いに冷笑される亭主。

 ややこしい内容を、舌足らずに書いたなと、自分でも隔靴掻痒。最近のここをお読み頂いている皆様にはどうか、意のある所をお酌み取り頂きたい。なお僕の文章はブログも同人誌随筆も、ほぼすべて連れ合いや同居に等しい娘にもしょっちゅう読んでもらっている。例えば、ハーちゃん随筆などは、彼らとの対話、共同生活の場所にもなっている。』
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書評「国家と教養」(藤原正彦著)④ 教養の3本柱と「情緒と形」  文科系

2019年07月22日 00時46分52秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など
 さて、以上のように国が売られて惨めになった21世紀日本に対して、著者は古代ギリシャにまで遡った教養の復興と、そこへの追加を一つ、叫ぶ。「民主主義は、国民に教養がなければ結局、自国も守れない衆愚政治になる」と。その下りはこんな風に。

『まとめますと、これからの教養には四本柱があります。まず長い歴史をもつ文学や哲学などの「人文教養」、政治、経済、歴史、地政学などの「社会教養」、それに自然科学や統計を含めた「科学教養」です。(中略)
 力説したいのは、これに加えて、そういったものを書斎の死んだ知識としないため、生を吹き込むこと、すなわち情緒とか形の習得が不可欠ということです。これが四つ目の柱となります。それには先に詳述した、我が国の誇る「大衆文化教養」が役立ちます』

人文、社会、自然と語られれば、人文科学、社会科学、自然科学という概念をば、日本の学問伝統を知っている知識人なら誰でも想起する。これが、旧制帝大以来ながく伝統であった大学の3学問部門、分類だったから。著者は、これがギリシャ以来人類に保たれてきて、ヨーロッパ・ルネッサンスでさらに花開き、西欧を近代させて時代の先頭に立てたのだと述べていく。

 ところで、この3つだけでは20世紀世界の二つの人類悲劇には対応できなかったというところで、4番目の柱を登場させる。20世紀にこれが強かった二つの国、ドイツと日本が全体主義国になり、あの酷い戦争を起こしてしまったという事実を重視して、そこから辿り着いた結論でもあると示されるのである。「情緒と形」とか、具体的には「大衆文化教養」とか「知情意」とかにも触れて説明されるものが欠けると、教養の上滑りが起こるというこの部分が、この著作の最大眼目と言える。

 この書のこの最大眼目は、著者が最も長くあれこれと説明しているところだが、はっきり言ってこの点は成功しているとは言えないと考える。少なくとも学問としては。敢えて言えば、数学者が愛国の義憤から仕入れた教養には、人文、社会両料学がまだ不足していると、僕は読んだ。なお、この点は著者も十分自覚していて、だからこそ、まさに自分のベース、土台からこの様に叫んでいるのである。この声は著者が好きなジェントルマンらしく、今の惨めな日本にとって大切なものとも思うが、
『私は教養人と言えるような人間ではありません。ただ、規制の緩和とか撤廃がどんどん進むにつれ、弱者が追いやられているように感じ始めたのです。』

 ちなみに、人文科学の20世紀世界最大の人物の1人ノーム・チョムスキーは、人文科学から社会科学へと晩年の研究を移していった感がある。最近では、世界的ベストセラー「サピエンス全史」を書いた若い人文科学者・歴史家、ユバル・ノア・ハラリもどんどんそうなっていくはずだと愚考している。

 金融独裁世界がもし出来上がってしまったとしたら、この世界は、「1984年」の中に描かれたまさにあのようなものにしかならないと、チョムスキーもハラリも言うだろう。藤原氏がこの本で見ているよりもはるかに深刻な人類世界、未来を今既に覗けるわけである。チョムスキーの著「覇権か、生存か・・・アメリカの世界戦略と人類の未来」とは、そういう意味である。

(終わります)
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書評「国家と教養」(藤原正彦著)③ 冷戦直後から、米金融が日本改造    文科系

2019年07月21日 10時20分16秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など
 この書の第一章「教養はなぜ必要なのか」では、標記題名のことを描いている。国民が今の日本人の生活悪化で最も重要なこのことを見抜く教養こそが必要だったのだと、ご自分の反省も込めて、語られる。目次に紹介されている各章の概要ではまず、第一章分はこの様なまとめなっていた。

『「グローバル・スタンダード」の背後にある、「アメリカの意図」を見抜けなかった日本、情報の取捨選択を可能にする「芯」のない国は、永遠に他国の思惑に流される』

 というように、冷戦終結後世界の未来が不透明な時期で、かつ、日本住宅バブルが恐らくアメリカによって弾けさせられたという時期に、世紀の移り目のようなどさくさまぎれのそんな時に始まった日本へのアメリカの思惑諸行動が描かれていく。日本大改造、規制緩和、「巨大ヘッジファンドや巨大多国籍企業などが・・」、「金融資本主義の完成」、「アメリカ政府の年次改革要望書と、日米投資イニシアティブ報告書」などなど。時の政府が騙されるようにしてこれら全部を受け入れてしまったそのさわり部分に、その典型例としてこんな記述がある。

『2005年、小泉純一郎首相による一方的な郵政解散の2ヶ月前、自民党の城内実議員が衆議院の委員会で、竹中平蔵郵政民営化担当大臣にこう質問しました。
 事前にこの質問だけはしないよう懇願されていたものを、城内実氏がアメリカの露骨な内政干渉に対する義憤から強行したのでした。これに対し竹中大臣は、「17回」と渋々答えました。露骨で執拗な内政干渉がなされたことを認めたのです。300兆円に上る郵貯や簡保に狙いを定めたアメリカが、いかに熱心に郵政民営化を求めたかを物語ります。
(中略)
 実際、上場する時のゆうちょ銀行の社長はジティバンク銀行の元会長、運用部門のトップはゴールドマン・サックス証券の元副会長になっています。そして、保有する米国債は、ゆうちょ銀行スタート直後の2008年にはゼロでしたが、2016年には51兆円に増加しています。その間に日本国債の保有は159兆円から74兆円に減少しました。地方の衰退や国内産業の空洞化に拍車がかかりそうです。この売国的とも言える郵政改革を、郵政選挙で国民は熱狂的に支持したのです。
 アメリカの欲する日本改造を、なぜか我が国の政官財と大メディアが一致して賛同するばかりか、その旗を振り、国民を洗脳し、ついには実現させてしまう、という流れは今も続いています。(これらを)大新聞が一致して支持する様はまさに壮観かつ異様です』


 僕、文科系がここで何度も書いてきた異常な日本の貧困化の原因がこんなアメリカの金融行動とそれを受け入れた日本政府だと、同じように藤原氏も語っているのである。日本国民1人当たり購買力換算GDP世界順位が、90年代前半には1桁代前半であった国が、一向に「物価2%目標」も達成されぬ長期のデフレの末の今や32位。こんな酷い貧困化数字を、ここのブログでずっと強調してきた。

 藤原氏はなお、こういうアメリカの世界戦略出発点を、こんな世界史大転換時期に求めていく。

『冷戦終結で、瞬く間に共産圏という主敵が霧散してしまいました。巨大情報網の人員や予算の大幅削減が必至であることを考えると、彼らが青ざめるのは当然です。生き残りの手段として彼らは、主たるターゲットを共産圏から経済戦略に切り替えました』

 こうして起こったのが、世界第2位の経済大国としてアメリカに『狙い撃ちされた日本』であり、『改革によって損なわれた「国柄」』なのだと、藤原氏は展開していく。藤原氏自身も日本最大の友好国と考えていたアメリカが、その日本をソ連の次の最大のターゲットにしたという驚愕の事実。何と我々日本人はお人好しだったかと、こう述懐するのである。

『(冷戦終結と同じ頃に起こった日本の)バブル崩壊後の日本経済を立て直すための、盟友からの暖かいアドバイスと受け止めてしまいました』
『軍事上の無二の盟友アメリカが、経済上では庇護者から敵に変わったことに、世界一お人好しの日本人が気付かなかったための悲劇』



(続く、次回4回目で終わります)
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書評「国家と教養」(藤原正彦著)②問題意識と回答  文科系

2019年07月20日 10時51分39秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など
この書の問題意識とそれへの回答


 この書評二回目の今回まとめるのは、表題の通りのこと、この二つそれぞれが全6章のうちの、初めの第1章と終章第6章とに書かれている。まず第1章の内容については、作者自身が端的にこうまとめているので、活用させて頂こう。
 なお、以下の重要語などの詳しい説明は次回③回目以降に譲り、今回は問題と結論に関わる著者の重要語の提起に留めておくということである。

『第一章で、1990年代後半から始まり小泉竹中政権で絶頂に達した、異常とも言える構造改革フィーバーの本質について、私自身長いこと気付かなかった、21世紀に入りしばらくしてやっと疑問を抱き始めた、と書きました。私は教養人と言えるような人間ではありません。ただ、規制の緩和とか撤廃がどんどん進むにつれ、弱者が追いやられているように感じ始めたのです。
 (中略)
 まず惻隠の情が働きました。弱いものがいじめられていると感じました。規則とは弱者を守るためにあったのだ、規則なしの自由競争とは弱肉強食そのものだ、まさに獣の世界ではないか、人類は何世紀もかけ少しずつそこから離れようとしてきたのではなかったか、などと考えました』


 そして、この問題意識に対する回答、第6章の主要部分は結局こういうことになっている。古代ギリシャも含めた今までの民主主義国家は、国民に教養がなかったから結局、衆愚政治になってしまったものばかり、と。この下りについては、20世紀の英国首相チャーチルの考え方として世に有名なこんな政治思想が展開されている。

『民主主義国家は、古代ギリシャから現在に至るまで、例外なく衆愚政治国家でした。一言で言うと民主主義とは、世界の宿痾とも言うべき国民の未熟を考えると、最低の政治システムなのです。ただ、フランス革命前のブルボン王朝、清朝、ヒットラー、スターリン、毛沢東、北朝鮮などを考えると、絶対王政や独裁制や共産制よりはまだまし、というレベルにあるのです』

 そこから作者は、国民のこの未熟を埋めていくべき「これからの教養」の4本柱を提起する。その部分を抜粋してみよう。

『まとめますと、これからの教養には四本柱があります。まず長い歴史をもつ文学や哲学などの「人文教養」、政治、経済、歴史、地政学などの「社会教養」、それに自然科学や統計を含めた「科学教養」です。(中略)
 力説したいのは、これに加えて、そういったものを書斎の死んだ知識としないため、生を吹き込むこと、すなわち情緒とか形の習得が不可欠ということです。これが四つ目の柱となります。それには先に詳述した、我が国の誇る「大衆文化教養」が役立ちます』

これが作者の問題意識に対する結論なのだが、ここに言う前3本柱の世界史・日本史的説明とか、これが世界有数であっても独裁・軍国主義を招いてしまった国、ヒトラー・ドイツや戦前日本はなぜそうなってしまったのかとかが、2~5章で展開される。この最後の問いからこそ、この書の何よりの特徴第4の柱「その国の歴史に刻み込まれた情緒とか形」とか、「大衆文化教養」が浮かび上がってくると書かれているのだ。


(続く)
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