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九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

書評「国家と教養」(藤原正彦)①  文科系

2019年07月19日 10時48分01秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など
 この人の2005年11月に発行されたベストセラー「国家の品格」は僕が買った2006年4月版がもう第24刷とあったが、合計30万部出たとか。それに相応しい内容の本だったと、ここにも書評を書いた覚えがある。著者が日本をこれだけ悪くした近年のアメリカ批判を、僕と全く同じ視点から行い始めた本でもあった。 今回の「国家と教養」は、この点こそを真っ正面に据えて教養というものを論じたものと言える。

 お茶の水女子大学で数学を教えた名誉教授で、英米にも長い留学経験があるお方であって、特にイギリスの文化には詳しいお人だと読んだ覚えがある。そもそもイギリスの伝統やジェントルマンが好きなのだ。それを踏み外していく自分の「俗」を横から見て、「やっぱりいかんよ」としかめ面作って自分を叱って見せてますよーと、文中自ら暴露しているようなユーモアーとともに。

 今回のこの本は、題が題だけに作者のそれこそ「教養」の質量次第で成功失敗が決まるようなもの。それだけに大風呂敷を広げてよくこれだけ書かれたと読んだ。書くために改めてあれこれ色々復習、確認の読み直しなどもずいぶんされたのだろうと、そんな猛烈な熱意も伝わって来る古今東西の教養を巡る膨大な内容なのである。もちろん、彼は数学者なのだから、種本も何冊かあったのだろうが。

 こういう大志、熱意の出所はやはり、アメリカの言うがままに社会的弱者を踏みにじって恥じないような日本に変えてしまった今の日本国家への怒り、義憤と、読めた。この点は、「国家の品格」を書いた動機の一つでもあった。この2冊は言わば姉妹本なのである。
「弱者を踏みにじるという意味で惻隠の情を忘れた国家は、最も品格がないものだ」
 これに今回の「国家と教養」が付け加えたのが、このこと。
「人文教養を基礎とした旧制高校風の教養が長い目で見れば最も大切なものだが、これらの教養市民層が政治、社会、大衆文化などの教養から離れている時、ヒトラードイツもそうだったのだが、実に惨めな国になってしまった」

 ただしこの作者、僕と違って「右翼と呼んで下さっても結構だ」と言うようなお方である。日本大好きだし、そもそも武士道が好きだし。真の右翼とは、本来そういうものなのかな。「弱者を助け、強きを挫く」という惻隠の情!

(続く)
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『安倍官邸独裁「吏道廃れて国滅ぶ」』  文科系

2019年06月24日 14時30分33秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など
 大学病院の待ち時間で「サンデー毎日」6月30日号を買って、読んでいた。目次を見て、この対談記事に引かれてのこと。前川喜平と寺脇研の対談なのである。いずれも、元文部官僚で、この省は安倍忖度に抵抗したと見られてか、政権から徹底マークされていると聞いている。この対談の概要は、この通り。

・今官僚はやる気を無くしている。薬物依存官僚が出たが、酒やギャンブルにおぼれている人も出た。政権が「筋の悪い」議案をどんどん押しつけてきて出世主義でない人には「やってられない」状況がある。

・経産省が牛耳る首相官邸官僚に従う者は出世していく。現在の次官や局長の9割は管官房長官のイエスマンだろう。その官邸は、本来権限のない課長級人事にまで介入している。私(前川)が次官だった時に和泉洋人内閣官房補佐官が、そんな口出しをしてきた。

・おまけに『威勢のいい右寄りのことばかり言う安倍チルドレンみたいな議員が跋扈しています』。その文科省口出しも凄くって、パワハラも酷い。『こんな程度の政治家が大臣になるかと思うと暗澹たる思いがします』

・心ある官僚に今言いたいのはこういうこと。『時代が回るのをしばらく待ちなさい』
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「借金と財務省の黒い繋がり」??(2)  文科系

2019年06月12日 13時04分17秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など
 表題の「 」文言は、今ネット世界で大々的に宣伝されているある本広告のキャッチコピー。右半身の安倍総理が右手人差し指を立ててこちらを睨んでいる黒い画像に被せて「借金と財務省の黒いつながり」と字幕が入った、真っ黒い広告である。これに付いている「こっちへ行け」マークをクリックすると、ある本の広告が最大画像で飛び込んでくる。その本を出した趣旨、内容が書かれているのだが、これが実は次の選挙目当てと露骨すぎて大問題。日本を「こんなに貧しくした」元凶、黒幕について、安倍と会食して聞いた見解を本にしたものだとあり、そのキャッチコピーが「借金と財務省の黒い繋がり」??
 
 さて、これについて先ず言っておきたいが、日本がこんなに貧しくなったというのを安倍が認めたというのは、まことに重畳。その上で、なになに?財務省が悪い?? としたら、以下のようにこんな強引なことをその財務省にやらせたのは誰だったのか? 日本国家財政史にかってなかった大事件として残るあるできごとを描いた書評拙稿を転載させて頂く。


【 書評、前置きと予告「平成金融史」と「平成経済 衰退の本質」

 今、2冊の本を同時進行で読んでいる。1冊は「平成金融史ーーバブル崩壊からアベノミクスまで」(西野智彦著、2019年4月25日発行、中公新書)と、「平成経済 衰退の本質」(金子勝著、同4月19日発行、岩波新書)だ。いずれも、僕のこういう動機から購入することになったもの。「アベノミクスの破綻が今後どう成り行くか?」ということ。

 例えば、西野本の「金融史」の決定的瞬間を覗いてみると、有名な安倍・日銀闘争の場面もある。白川方明総裁を中心とした日銀を、安倍政権が屈服させた結果の産物「黒田バズーカ」以降の今を築いた、その決定的瞬間のことだ。

『(2013年)1月22日、金融政策決定会合で2%の物価目標設定が決まり、このあと財務省、内閣府との連名で共同声明が発表された。声明には・・・・・1ヶ月以上の長い調整過程で白川がこんな言葉を何度か漏らしたのを、周囲が記憶している。
「この様な文書で、後世歴史の評価に堪えられるだろうか」
 2月5日夕、白川は官邸を訪れ、四月の任期満了を待たず、副総裁の任期が切れる3月19日に繰り上げて辞職する、と安倍に伝えた』

 さて、この時日銀を押し切ってまで強引に決まった「2%」方針が一向に成果を上げられないままの2018年、政権内部ではどんな問題整理論議をするようになったか。その下りがまた、スリリングでさえある。
『「黒田さん、達成時期が何度も先送りされるというのはどうですかね」
「達成時期」とは2%目標の達成期限のことである。2%はアベノミクスの「御旗」であり、黒田も就任時に「2%程度を念頭において、できるだけ早期に実現する」と約束していた。だが、5年経っても達成されることはなく、既に6回先送りされてきた。
 安倍の問いかけは、実は「2%の達成時期にこだわる必要はない」というシグナルだった。』

 この2%目標こそ、2013年白川が日銀と自分の職とを賭けてまで「後世歴史の評価に堪えられるだろうか」と政権と論争して押し切られた結末を悔やんでいるその焦点の文言なのである。この論争が、当時白川が述べたことの方が正しかったと安倍が認めざるを得なくなった瞬間でもあった。「黒田バズーカは敗北する」と言った通りと現状を認めたその瞬間に安倍が「期限などどうでもよい」と開き直るように、大転換したわけであった。
『実際、首相官邸ホームページの「アベノミクス3本の矢」の欄から物価に関する記述はいつしか消えていた』というのだから、日銀からこんな声が上がるのも無理はないという無責任さなのである。
『日銀幹部の1人は「政治とはこういうものなのかと驚いた」と回想する』


 そりゃそうだろうと思うばかりだ。物価目標第一を掲げて日銀を罵倒し、屈服させた政権が、そんな目標どころか物価という言葉さえどうでも良いと鮮やかに転換したのだから。開き直ったこの鮮やかさに接すれば、誰でも唖然とするだろう。

 ただし、こういう平成日本財政史を唖然として見ているばかりではとうてい済まないのは、言うまでもない。戦後史上初めて日銀(の独立性)を押さえ込んでまで作り上げた政府目標をずるずると実践し続けても失敗に終わったとあらば、その後遺症が小さいはずがないのである。それがいわゆる「量的緩和、官製バブルからの出口が大変」という難問。タイ経済バブルがはじけたことに端を発するアジア通貨危機や、リーマンショックの時のように、バブルある所に必ず起こる大暴落の結末。これだけ無責任な政権ならば、軍事大増強(経済)の末に大破綻を来したナチスや、金融が同じく物作りを駄目にして保護貿易を強行しながら70兆円にまで軍事費だけは膨らませているという今のアメリカの行く末(米中衝突狙いから、中国の金融資産を奪い取ること)と同様に、その悪循環の果てはただで済むわけはないのである。】

 さて安倍は今、これら総ての日本社会に己が作った悲惨な結末を「財務省が悪かったからこうなった」などと、選挙の中で逃げ回るつもりなのだろうか。これこそ、この「真っ黒な安倍」広告で宣伝している本の中身なのか。

 折しも、2018年度分の国民1人当たり購買力平価GDPがIMFから4月に発表されたが、日本は31位。台湾にはとっくに追い抜かれ、32位の韓国に抜かれるのは時間の問題である。
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直前の「本の広告」エントリーのあとがき  文科系

2019年06月07日 00時37分56秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など
 直前エントリー冒頭にこう書いた。
『ここの読者の皆さん、お気づきだろうか。僕の日米政治関係エントリーには、このごろ必ずこの広告が付いてくることを。安倍総理が人差し指を立ててこちらを睨んでいる画像に被せて「借金と財務省の黒いつながり」と字幕が入った、黒い写真の広告である。これに付いている「こっちへ行け」マークをクリックすると、ある本の広告が最大画像で飛び込んでくる』

 さて、この広告は今までどんな目的どんどんこのブログにやってきていて、このエントリーの後では一体どう変わるのだろう? なんせ、「載せたい」エントリーには縦に2枚重ねてこの「真っ黒な安倍」が載ってくるのだから、非常に興味がある。そして、今まではこうだったのだから今後はこうなるだろうと確率の高い予想もしたくなるというもの。

 ブログ広告って何のために載せるか。その商品に興味ありげな人に送る。この本の広告に「興味ありげな人」ってどういう人かということで、色々試してみたらこんなことが分かった。結局「脅している」のである。

 こんな広告は大嫌いという確信犯エントリーには載せず、これに釣られそうなエントリーや人、「これを恐がりそうな人」に載せている。つまり、一種の脅し広告だと分かった。道理であの画面が真っ黒で、右を前にした半身の安倍総理が右手人差し指を挙げてこちらを睨んでいるわけだ。そう合点したのである。

 さてこれからどうなるか。確信犯エントリーには案外載せる事が多くなるかも知れない。これを読むなと言う意味で、エントリーご本人以外を脅すために。それとも、確信犯エントリーには今まで同様載せることを避けるのかな? 

いずれにしても面白い。今後の変化をまた、エントリーしよう。


このエントリーの掲載直後の追加です。
 「本批判」エントリーの方には、「真っ黒な安倍」は載っていません。が、この「あとがき」自身の方には載りました。これはつまり、確信犯には載せず、「判別無し未定」にはさし当たって載せる? でも広告って「観てくれればいい」と馬鹿だから、ダボハゼかも知れない。反対でも賛成でも、観てくれそうなエントリーにはなんでも、どんどん載せる、と。

その5分後の、追加です。
 やっぱりダボハゼだ。それも、確信犯にもどんどん載せるようになった。このダボハゼ「真っ黒な安倍」は、やはり読もうとする人への脅しを始めた?等々とにかく面白い。今後も注意してダボハゼを挑発してやろう。
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2%目標など総崩れの責任逃れ本   文科系

2019年06月07日 00時20分17秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など
 ここの読者の皆さん、お気づきだろうか。僕の日米政治関係エントリーには、このごろ必ずこの広告が付いてくることを。安倍総理が人差し指を立ててこちらを睨んでいる画像に被せて「借金と財務省の黒いつながり」と字幕が入った、黒い写真の広告である。これに付いている「こっちへ行け」マークをクリックすると、ある本の広告が最大画像で飛び込んでくる。

 総理と会食したら「協力して欲しい」と頼まれたから書いた本なのだという。三橋貴明という何処かの研究所の方と言うが、先ず学者なんかではない。だって、こんな無責任極まる宣伝文句が入っているのだから。それも「1980円の本を送料だけ550円でお渡しする」と約束する著者なのである。
『情報を掲載するにあたり、細心の注意を払っていますが、掲載されたすべての情報の内容の正確性,完全性及び安全性等を保証するものではありません』

 学問的吟味に堪えられるお方ならばこんな注釈を付ける本などあり得ない。ちょうど、百田尚樹が、その「日本史」本とかに「史実とは違う」と批判箇所が数々指摘されたのに対して、こんな弁解文句を叫んだのと同じことだろう。
『僕は歴史家ではありません。小説家ですから、僕が面白いと思うように書きました』
 という本を日本史の事実と思って読む読者がアホなのだと言わんばかりの、これ弁解になってるの??

 さて、三橋ご本人が書いた本の宣伝文句のさわりを長く引用してみよう。


『 総理の告白、「3つの敵が邪魔になっている」

どうしても、私だけでは難しい部分がある。協力して欲しい。この会食を通して、そんな声を受け取ったように感じた。そして、総理が今最も苦戦しているのは、ある3つの敵がいるからだと打ち明けてくれた。
1つ目:この勢力は、何をやっても「常に安倍総理の敵」であるとのこと。
森友問題や加計学園問題などのリークをしてあるゆる形で安倍総理を引きずり降ろそうとしています。
2つ目 : この勢力のせいで、日本は欧米から食い物にされ、日本の格差はどんどん広がっています。
3つ目:この勢力は、あらゆる政治家や官僚に根回しをしていて非常に厄介だと言います。この敵こそ最後の任期で何とかして、”彼らによる洗脳”を解き、日本を正しい方向へ導きたいと…


これらの3つの敵とずっと闘ってきたが、中々手強く、総理もここまでとは思っていなかったようである。ただ、最後の3つ目の勢力に対しては、何とかしてでも対処していかないと、本当に日本が手遅れになるかもしれないと危機感を感じていた。なぜか?
それは、2年後に迎えるかもしれない「日本経済2020年危機」を迎える可能性が極めて高く、それに対応できないからである。(中略)もし、この危機を迎えてしまうと、日本国民の給料がさらに下がり、今以上に生活が苦しくなり、貧困化が加速します。(中略)それだけではなく、超円高となり日本株が大暴落して世界的な金融危機を迎える可能性もあります。オリンピックが騒がれている一方で、水面下では「日本経済2020年危機」が進みつつあるのです。』


 さて、三つの敵というのが全部嘘である。それぞれの原因をきちんと押さえてみよう。
 第一に「森友問題や加計学園問題などのリークをして・・・引きずり下ろそうと」とのことだが、リークをした人が悪いのか、こういう問題を作った安倍自身が悪いのか。答えは自明であって、官僚にこうさせた安倍と、忖度した官僚が悪いに決まっている。リークをした人は例えば元文科省次官のように、むしろ正義の硬骨漢と言える。
 二つ目の敵が「日本は欧米から食い物にされ、日本の格差はどんどん広がって・・・」とのことだが、この責任も第一に安倍初め自公政権にあることは自明である。時価評価など会計世界基準や、「時価高額の株で株を買う仕組み」などを導入して外資の自由参入を許し、日本の物作りをアメリカ同様に駄目にしたのは一体誰だったのか? 
 正体をぼかしてこう書いてある「第3の敵」も実はご自分のことなのだ。「あらゆる政治家や官僚に根回しをしていて非常に厄介」。 ここ30年を観ても、ほとんどの政権は自民党。そして、小選挙区制と政党交付金ができてからは、自民党総裁の自民党内権限が強大になりすぎている。これは政治論議の常識に属すること。そして官僚はもちろん、安倍政権への忖度ばかり。この忖度がまた、安倍自身が元締めをやっている新設内閣人事局の高級官僚人事権によるもの。この世界に対して、安倍以上に「根回しをしていて非常に厄介」な存在などあってたまるものか。でなければ、忖度官僚があんなに生まれるわけがないのである。

 どうだろう、三つの敵なるものは,実は総てご自分がやったことをさしているのである。三つそれぞれの分野でご自分より強いものは誰もいないというそんな事項、領域ばかりだから。そこの失敗を他のせいにするためにこの本が出されたのだ。それも、アベノミクスが全て失敗し、「2%目標」やインフレターゲット自身を投げ捨てざるを得ないどころか、いまやこのためにやったずぶずぶの金融緩和、官製バブルのしっぺ返しが怖いそのことを、総て他人のせいにしようという、実に悪辣な本である。
 日銀や政府が国債や株を買う官製バブルに対する、外資からの空売り攻撃が怖いその時が近づいたからこそ、こんな本を書かせているのだろう。この時が近づいているどころか、既に去年末、日本政府は15兆円ほどと過去最大の損失を出しているのだ。ドイツのGDPを凌駕するGAFA株価時価総額が、日本のバブルに売り浴びせを始めたらと今になって恐怖にかられ、その布石として他に責任転嫁するという予防線を、安倍が張り始めた。上に引用した長い宣伝文句の最後の部分は、そういう長年懸念されてきた「長期にわたる大型金融緩和の出口に待っている危機」のことをわざわざ取り上げて、予告弁解をやっている。いままでは出口危機論に対しては必ずこう応えてきただけである。「2%が達成され緩やかなインフレ状況になれば、総てが上手く行く。必ず達成します」。この安倍自身の言葉は、今はもうみじんも残っていない。
 ・自分の永年の目標、アベノミクスは全て失敗した。
 ・その目標を下ろした瞬間に、その失敗を認めると同時に、そのすべてを「敵」のせいにする。


 何と情けない政治、政治家であるか。いつも言っているように、何の責任感も感じさせない軽すぎる言葉で、ただ選挙に勝ちさえすればよいというだけの「政治」をやってきたのである。これこそが、彼の本質なのだ。マスコミ工作とパフォーマンスだけの政治。そういえば、安倍の先輩に「小泉劇場」というのもあったな。彼はあの内閣の最高幹部、「劇場」性だけを学んだのだろう。
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「僕が政治論以外も書くわけ」  文科系

2019年05月04日 12時05分50秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など
 これも、旧稿の再掲ですが・・・。


『 改めて、「僕が政治論以外も書くわけ」  文科系  2012年01月15日 | 文化一般

 表記のことを、改めてまとめてみたい。随筆、サッカー評論などなど一見関係ないようなことを僕はなぜここに書いてきたか。ここが始まった6年前からしばらくはかなり気にしていたことだが、最近はあまりこれを書いたことがなかったと思いついて。

 僕がまだ若い頃から、こんなことが当時の大学で当たり前であった左翼の世界の常識のように広く語られていた。「外では『民主的な夫』、家での実質は関白亭主。そんなのがごろごろ」。そういう男たちの政治論に接する機会があると、正直どこか斜めに構えてこれを聞いていたものだ。どんな偉い左翼人士に対しても。レーニンの著作にたびたび出てくるこういった内容の言葉も、そんなわけでなぜか身に染みて受け取れたものだった。
「どんな有力な反動政治家の気の利いた名演説や、そういう反動政治方針よりも、恐るべきものは人々の生活習慣である」
 こういう僕の身についた感覚から僕の左翼隣人、いや人間一般を観る目も、いつしかこうなっていた。その人の言葉を聞いていてもそれをそのままには信じず、実は、言葉をも参考にしつつその人の実生活がどうかといつも観察していた。誤解されては困るが、これは人間不信というのではなくって、自分をも含んだ以下のような人間認識と言ってよい。人は一般に自分自身を知っているわけではなくって、自分の行為と言葉が知らずに自分にとって重大な矛盾をはらんでいることなどはいっぱいあるものだ、と。こういう人間観は実は、哲学をちょっとでもまじめに学んだことがある者の宿命でもあろう。哲学史では、自覚が最も難しくって大切なことだと語ってきたのだから。ソクラテスの「汝自身を知れ」、近代以降でもデカルトの「私は、思う(疑う)。そういう私も含めてすべてを疑う私こそ、まず第一に存在すると言えるものだ」などは、みなこれと同じことを述べているものだ。

 さて、だとしたら政治論だけやっていても何か広く本質的なことを語っているなんてことはないだろう。そんなのはリアリティーに欠けて、ナンセンスな政治論ということもあるし、「非現実的話」「非現実的世界」もはなはだしいことさえもあるわけである。それでこうなる。生活も語ってほしい。その人の最も生活らしい生活と言える、好きなこと、文化活動なんかも知りたい。どういう人がその論を語っているかということもなければ、説得力不十分なのではないか、などなどと。もちろん、何を書いてもそれが文章である限りは嘘も書けるのだけれど、その人の実際や自覚のにおいのしない政治論だけの話よりはまだはるかにましだろうし、随筆なんかでもリアリティーのない文章は結構馬脚が顕れているものだと、などなど、そういうことである。
 やがて、こんな風にも考えるようになった。幸せな活動が自分自身に実質希薄な人が人を幸せにするなんて?とか、人の困難を除くことだけが幸せと語っているに等しい人の言葉なんて?とか。そういう人を見ると今の僕は、まずこう言いたくなる。人の困難を除くよりもまず、自分、人生にはこれだけ楽しいこともあると子孫に実際に示して見せてみろよ、と。

 なお、以上は政治論だけをやっているのだと、人生の一断面の話だけしているという自覚がある論じ方ならばそれはそれでよく、五月蠅いことは言わない。だが、当時の左翼政治論壇では、こんなことさえ語られたのである。「歴史進歩の方向に沿って進むのが、人間のあるべき道である」と。つまり、政治と哲学が結びついていたのだ。それどころか、戦前から政治が文学や哲学や政治学、そういう学者たちの上位に君臨していたと言える現象のなんと多かったことか。
 そんなわけで僕は、当時では当たり前であった大学自治会には近づいたことがなかった。そして、左翼になってからもこの「政治優位哲学」には常に距離を置いていたものだった。これはなぜか僕の宿痾のようなものになっていた。

 なお、こういう「公的な場所」に「私的な文章」を載せるなんて?という感覚も日本には非常に多いはずだ。こういう「公私の峻別」がまた、日本の公的なもののリアリティーをなくしてはいなかったか。公的発言に私的な事を入れると、まるで何か邪な意図があるに違いないとでも言うような。逆に日本ではもっともっとこんな事が必要なのだろう。政治をもっと私的な事に引きつけて、随筆風に語ること。正真正銘の公私混同はいけないが、私の実際に裏付けられないような公(の言葉)は日本という国においてはそのままでは、こういったものと同等扱いされることも多いはずだ。自分の子供をエリートにするためだけに高給をもらっているに等しい文科省官僚の公的発言、「貴男が男女平等を語っているの?」と連れ合いに冷笑される亭主。

 ややこしい内容を、舌足らずに書いたなと、自分でも隔靴掻痒。最近のここをお読み頂いている皆様にはどうか、意のある所をお酌み取り頂きたい。なお僕の文章はブログも同人誌随筆も、ほぼすべて連れ合いや同居に等しい娘にもしょっちゅう読んでもらっている。例えば、ハーちゃん随筆などは、彼らとの対話、共同生活の場所にもなっている。』
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書評、前置きと予告「平成金融史」と「平成経済 衰退の本質」    文科系

2019年05月01日 11時49分40秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など
 今、2冊の本を同時進行で読んでいる。1冊は「平成金融史ーーバブル崩壊からアベノミクスまで」(西野智彦著、2019年4月25日発行、中公新書)と、「平成経済 衰退の本質」(金子勝著、同4月19日発行、岩波新書)だ。いずれも、僕のこういう動機から購入することになったもの。「アベノミクスの破綻が今後どう成り行くか?」ということ。
 例えば、西野本の「金融史」の決定的瞬間を覗いてみると、有名な安倍・日銀闘争の場面もある。白川方明総裁を中心とした日銀を、安倍政権が屈服させた結果の産物「黒田バズーカ」以降の今を築いた、その決定的瞬間のことだ。

『(2013年)1月22日、金融政策決定会合で2%の物価目標設定が決まり、このあと財務省、内閣府との連名で共同声明が発表された。声明には・・・・・1ヶ月以上の長い調整過程で白川がこんな言葉を何度か漏らしたのを、周囲が記憶している。
「この様な文書で、後世歴史の評価に堪えられるだろうか」
 2月5日夕、白川は官邸を訪れ、四月の任期満了を待たず、副総裁の任期が切れる3月19日に繰り上げて辞職する、と安倍に伝えた』

 さて、この時日銀を押し切ってまで強引に決まった「2%」方針が一向に成果を上げられないままの2018年、政権内部ではどんな問題整理論議をしているのか。その下りがまた、非常に面白い。
『「黒田さん、達成時期が何度も先送りされるというのはどうですかね」
 「達成時期」とは2%目標の達成期限のことである。2%はアベノミクスの「御旗」であり、黒田も就任時に「2%程度を念頭において、できるだけ早期に実現する」と約束していた。だが、5年経っても達成されることはなく、既に6回先送りされてきた。
 安倍の問いかけは、実は「2%の達成時期にこだわる必要はない」というシグナルだった。』

 この2%目標こそ、2013年白川が日銀と自分の職とを賭けてまで「後世歴史の評価に堪えられるだろうか」と政権と論争した結末を悔やんでいるその焦点の文言なのである。この論争が、当時白川が述べたことの方が正しかったと安倍が認めざるを得なくなった瞬間でもあった。「黒田バズーカは敗北する」と言った通りの現状を認めたその瞬間に安倍が「期限などどうでもよい」と開き直るように、大転換したわけであった。
『実際、首相官邸ホームページの「アベノミクス3本の矢」の欄から物価に関する記述はいつしか消えていた』というのだから、日銀からこんな声が上がるのも無理はないという無責任さなのである。
『日銀幹部の1人は「政治とはこういうものなのかと驚いた」と回想する』
 そりゃそうだろうと思うばかりだ。物価目標第一を掲げて日銀を罵倒し、屈服させた政権が、そんな目標どころか物価という言葉さえどうでも良いと鮮やかに転換したのだから。開き直ったこの鮮やかさに接すれば、誰でも唖然とするだろう。

 ただし、こういう平成日本金融史を唖然として見ているばかりではとうてい済まないのは、言うまでもない。日銀(の独立性)を押さえ込んでまで作り上げた政府方針を数年実践して失敗に終わったとあらば、その後遺症が小さいはずがないのである。それがいわゆる「量的緩和、官製バブルからの出口が大変」という難問なのだ。タイ経済バブルがはじけたことに端を発するアジア通貨危機や、リーマンショックの時のような結末? これだけ無責任な政権ならば、軍事大増強(経済)の末に大破綻を来したナチスや、同じく物作りを駄目にして保護貿易を強行しながら70兆円にまで軍事費だけは膨らませているという今のアメリカの行く末と同様に、その悪循環の果てはただで済むわけはないと見ざるをえないのである。
  
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書評 スノーデンが米世界盗聴を告発した時③   文科系

2019年04月27日 07時07分06秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など
書評「暴露 スノーデンが私に託したファイル」③  文科系

 この著作は期せずして、こんな点も同時並行で描いていくことになった。

①政府とマスコミ
 マスコミがいかにして「体制内マスコミ」にされているかという手口が描かれている。重大な記事は必ず、事前に関係部局に弁護士を通じたりしてお伺いを立てねば後でどんな不法な報復があるかわからないので闇雲には進めないのだし、このお伺いに対して当局は待ったを掛けてスクープ発表をちょっとでも先延ばしにしようとする。まるでその度合い、お伺いの丁寧さと先延ばし期間の長さとで、そのマスコミが体制的か否かが決まると言えるほどだ。
 スノーデンが英国に本社があるガーディアンとその専属のようなジャーナリストに、告発機会を長く待ってでもあくまでも拘った理由もそこにある。なおガーディアンは、この内部告発発表でピューリツァー賞を受けている。なおガーディアンや著者への報復は、前回に一部述べた通りである。

②告発者への人格攻撃
 これは内部告発者に対して常に必ず、大々的に行われることである。攻撃の強さによって、体制内の程度が分かるというほどに。
『言うまでもなく、スノーデンへの攻撃は熾烈を極めた。そして、その攻撃は奇怪にも同じ類のものばかりだった。(中略)(スノーデン自身のマスコミ告発があってから)数時間後には、スノーデンの性格や動機についての誹謗中傷ゲームが既に始まっていた。彼の行動は信念に基づくものではなく、名声を求めたナルシズムによるものだ、と彼らは口をそろえて唱えた。』

 著名マスコミ人によって実際に発されたスノーデンへのマスコミ発言はこんなものだ。
『ほかの人間より自分が賢いと思い込んでいるナルシスティックな若者』(CBSニュース司会者)
『刑務所行きがお似合いの誇大妄想型ナルシスト』(ニューヨーカー)
『(スノーデンは)男の服をまとった”赤ずきんちゃん”として歴史に名を残し』(ワシントン・ポストのリチャード・コーエン)
『高校もろくに卒業できなかった」「どこまでも孤独な人間」』(ニューヨーク・タイムズのコラムニスト)
『「社会に募る不信、痛烈なまでの皮肉、社会構造のほころび、個人主義に拘泥して他者との関わりや公益のほんとうの意味を理解できない人々」の象徴だ』(同上)
『高校を中退した負け犬』(政治メディア「ポリティコ」)

 因みに、過去の内部告発者では、こんな例もある。
 ニクソン時代にペンタゴン文書を告発したダニエル・エルズバーグ。
『政府はエルズバーグの精神科医の診療室に不法侵入してカルテを盗み、彼の性生活まで調べ上げた』

 ウィキリークスの創始者ジュリアン・アサンジも同じである。
『アサンジは髪を染め、偽名を使ってホテルにチェックインし、ソファや床で眠り、クレジットカードを使わず、友人に金を借りてまで現金払いにこだわる。その振る舞いは横柄かつ奇妙であり、被害妄想に取り憑かれているとしか思えない。今や多くの人々がアサンジは合衆国への復讐を求めているだけだと非難している』(ニューヨークタイムズ記者)


③この告発への世界の反響
 メルケル首相がオバマ大統領に電話盗聴を抗議するなど、世界の反撥があったことは有名だ。
 また、この本自身が世界24ヵ国同時翻訳書刊行という事実によって証明されるように、価値あるものとして世界の話題になっている。
 また、先にも述べたように、スノーデンのこの内部告発シリーズによって英紙ガーディアンはピューリッツァー賞を受けた。


(これで終わりです)
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書評 スノーデンが米世界盗聴を告発した時②    文科系

2019年04月26日 09時34分25秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など
書評「暴露 スノーデンが私に託したファイル」 ②暴露と報復  文科系
2014年06月05日 | 書評・番組・映画・演劇・美術展・講演など


 今回は、「第2章 香港での10日間」とその結末ということで書く。初対面の人物に会って、申し出が信用できるか否かの「証人尋問」を5時間もやって、いよいよ内部告発の世界的暴露にそのまま突入して行ったのである。厳密に選択され、ファイル分類された膨大な持ち出し資料の吟味を重ねて、まず4つの資料をターゲットに決める。最後にスノーデン自身の紹介、告発の心境吐露なども予定されることになった。
 これら総ての事が極秘体制を取りつつ、急を要する作業だった。暴露ニュースが出始めればすぐに合衆国情報機関の総力を上げた告発者捜しが始まり、スノーデン逮捕も含めていつ強制ストップが掛かるか分からないからである。スノーデン流の防諜経験から香港という場所に暴露作業場があったとは言え、そこが発見されるのも時間の問題なのである。予定の最後にスノーデン自身が配信記事に動画入りで登場するまでは、アジトの発見はどうしても隠さねばならない。

 
英国系ガーディアンから、第一弾ベライゾン
『アメリカ最大手通信業者〈ベライゾンビジネス〉に対して、外国諜報活動監視裁判所が全国民のすべての通話記録をNSAに提出するよう命じた件について』
『NSAが〈ベライゾン〉加入者数千万人の通信履歴を収集』
『〈ベライゾン〉に全通信履歴の提出を求める裁判所命令がオバマ政権による国内監視の規模を物語る』
『裁判所は〈ベライゾン〉に社内のシステム上すべての国内外通話履歴を「毎日継続して」NSAに提出することを指示した』
なお、このガーディアンというのは、著者が契約してきたマスコミ機関である。つまり、このニュースを世界に暴露し始めた専属機関と言って良い。もっともガーディアンだけに政府の風当たりが強くならないようになどの配慮もあって、他のマスコミにも意識的にいくつかのニュースは流している。 

第2弾は、ワシントンポストが初発
『米英諜報機関が大規模極秘プログラム:米インターネット九社(文科系注 フェイスブック、グーグル、アップル、ユーチューブ、スカイプなど)からデータを入手』
『国家安全保障局(NSA)とFBIが、アメリカの大手インターネット関連企業九社のセントラルサーバーに直接アクセスした事実が発覚。外国人ターゲット追跡のために分析官が必要とするボイスチャット、ビデオチャット、写真、Eメール、ドキュメント、アクセスログを入手』


スノーデンが所信を語る
 この10日間の最後が内部告発者スノーデン自身のマスコミ登場であって、ガーディアンのホームページに動画付記事を載せたのである。ここには、彼が初めて2人に連絡を取ったときの声明文から、こんな言葉が引用されている。
『私は自分の行動によって、自分が苦しみを味わわざるをえないことを理解しています。これらの情報を公開することが、私の人生の終焉を意味していることも。しかし、愛するこの世界を支配している国家の秘密法、不適切な看過、抗えないほど強力な行政権といったものが、たった一瞬であれ白日の下にさらされるのであれば、それで満足です』

 なお、この内部告発者登場自身は、本人の希望したところである。そして、「こういう人間による内部告発である」ということが、政府の大々的違法行為を順に暴露していった最後に出てくるという効果的演出狙いである。この演出は、2人のジャーナリストの助言によるものだが、この瞬間からスノーデンの境遇が激変していくと全員に覚悟されていたものだった。「NO PLACE TO HIDE  EDWARD SNOWDEN(隠れる場所もない エドワード・スノーデン)」、この著作の原題だった言葉である。もっとも、こんな演出をしなくとも、史上初のこれほどの内部告発者は政府情報機関の総力を上げて割り出されていくだろう。そもそも、国家安全保障局(NSA)から内部告発が出たなどというのは、史上初の大事件なのだから。つまり、すぐに割り出されるものをこちらから攻勢をかけてこの告発が社会に訴える力を一段と高めると、これが狙いなのであった。
 なお、スノーデンの人格などについて、こんなこともある傍証にはなるだろう。高校を中退する原因にもなったコンピューター技術により、18才で時給30ドルを稼ぎマイクロソフト認定システムエンジニアになっている。また、2004年20才で「イラク戦争を戦うために合衆国陸軍に入隊」している。あの9・11直後から「愛国者」になったことの現れなのである。このことにすぐに幻滅した後でも、「国家の仕事を」という意図で情報機関にコンタクトが取れたわけであった。その後は、前回書いた通りの経歴を経ていく。なお、29才の彼の年収は約20万ドルともあった。

逃亡と報復  さて、ここからは関係者がスノーデンをアメリカ政府に渡さない行動に腐心することになっていく。結論を言うとエドワード・スノーデンは間もなく香港からロシアへ逃げて、現在は確か、モスクワのシェレメチェボ空港で生活しているはずだ。ロシアにも迷惑をかけないように税関をくぐっていないということでもあろうか。また、いつか適切などこかの国にすぐに亡命できるようにしておこうという工夫なのでもあろう。


 以上全てに対して、アメリカ政府の怒りがどれほど凄まじいものであったか。その凄さの一端として作者はいくつかの事件を紹介している。一つは、ブラジルはリオにある著者の家から、ノートパソコン一台が「消えた」こと。
 今一つは、英国ガーディアン本社に英国政府通信本部(CGHQ)がスノーデンのディスクを引き渡せと要求してきたこと。CIA、NSA高官などは、持ち出し情報の量と質とを知らないでは枕を高くして寝られないということなのでもあろう。これに応じないでいたらこんなことが起こったという。CGHQ職員がガーディアン本社に押しかけてきて、スノーデン関連のCDすべてを要求した。編集長がこれを拒否したやりとりの結末がこうだ。
『彼らの気がすむまですべてのハードドライブを破壊することになった』
『CGHQの職員達は、編集長をはじめとする〈ガーディアン〉のスタッフに続いて地下のニュース編集室に入り、彼らがドライブを粉々にする様子をとくと眺めたそうだ』

(続く)
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書評 スノーデンが米世界盗聴を告発した時    文科系

2019年04月25日 13時02分21秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など
 旧稿の再掲を今日から3回に分けて始めることにした。同じくアメリカの告発をしたジュリアン・アサンジの運命やいかにと、世界が話題にしている時だから。


書評 「暴露 スノーデンが私に託したファイル 」①  文科系
2014年06月04日 | 書評・番組・映画・演劇・美術展・講演など

 新潮社刊「暴露 スノーデンが私に託したファイル」を読んだ。この5月13日に第一刷が出て、30日には第3刷というベストセラー。本屋さんにも山積みだった。この第3刷を一昨日買ってきて、昨日までにはこの400ページ近くをあらかた読んでしまった。エドワード・スノーデン、言うまでもなくアメリカ情報組織の大々的な違法情報収集活動を世界に次々と暴露して、去年世界を深閑とさせた人物である。当時最も世を騒がせたことに、こんなニュースがあった。ドイツのメルケル首相の携帯電話さえ、アメリカ情報部に筒抜けだったのである。この件では、メルケル自身がオバマ大統領に面接して抗議を申し入れている。
 このスノーデン、経歴が凄い。高校中退でありながら21才にしてCIA(アメリカ中央情報局)のテクニカルエキスパートになり、NSA(アメリカ国家安全保障局)元シニアアドバイザー、DIA(国防情報局)の講師という職歴を持っている。専門はサイバー防諜であり、CIAとNSA両方の上級サイバー工作員の資格をも有するこの人物が、去年の6月に著者と香港のホテルで会ったときは、まだ29才。若くないと務まらない仕事とは聞いていたが、それにしても。極めて頭脳明晰で有能な、かつ正義感に溢れた人物であることもまた、著者が繰り返しているところだ。



 この本の主内容は、スノーデンが職業上関わった大量の情報をある2人の人物を通してだけ世に告発するに至ったその経過である。この2人の一方が、得意分野を憲法と市民権としていた元弁護士で、今はアメリカ政府を見張るような仕事で知られているジャーナリスト・グレン・グリーンウォルド、この本の著者だ。書中にも再三出てくるが、スノーデンの告発動機は、アメリカ政府がこんな大々的盗聴をやって良いのか悪いのか、これは国民が判断すべきことだろうというものである。全く世の話題にもならず、自分だけが捕らえられて終身刑か闇に葬られるかと、そんな事態こそ彼が最も恐れていたことだとも明かされていた。

 本書のまず初め第1章であるが、2人の香港での出会いまでに数か月という長い時間と手間を要し、なかなかスノーデン(という名前)が出てこないのである。相手は初め、全くのペンネームで何回も著者と連絡を取ろうとしてきた。「あなたのコンピューターにこういうシークレットソフトを入れてください」。容易に実名を明かせないし、電話はもちろん著者が持っているような普通のコンピューターやメールもネットも使えないと知り抜いているからである。その要請を著者が長い間外って置いたので、今度はこういうことになる。そんなシークレットソフトを搭載したコンピューターを持っている1人の女性ジャーナリストを通して、彼女と2人で名も知らぬ香港の人物に会いに行くことに。その搭乗時に初めて知ったのが、エドワード・スノーデンという名前とその経歴であった。なお、何ヶ月もペンネームで連絡を取りたいといってきた人物が実はスノーデンだったとは、かなり後になって知ったこととあった。

 ここまでに本書の第1章50ページすべてが費やされている。
 第2章では、初対面の「証人尋問」が延々と続くのだが、ここがまずとにかく面白い。「このスノーデンって信用できるのか。動機などもよほどきちんと聞き取らなければいけない」、「俺自身が政府の罠に引っかけられるのではないか」などなどと恐れる心境さえ、この著者にあったのだと思いながら読み進んだものだった。
(続く)


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老後ギター上達法、僕の場合   文科系

2019年03月31日 14時13分11秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など
 老後ギター上達法、僕の場合  文科系

 久々に僕のクラシック・ギター人生を振り返ってみたい。振り返る視点は、こういうもの。アマチュア音楽活動において楽しみを増やし、大きくする一つの方法ということである。

①人前で弾ける曲はないという拙い一人習いから、定年退職後の62歳に初めて先生について、16年ほどたった僕は、音だしの基礎習いの後はずっと、好きな曲を選び暗譜主義でやってきた。極端に言えば、1~2小節ごとにくそ暗記して、それをつなげていく。1ページの楽譜を1週間ほどかけた末に全曲暗譜し終えてから、おもむろに弾き込みにかかるというやり方だ。

②こういうやり方で、その都度技術的にとうてい無理な曲にも挑んで通し暗譜・弾き込みをしてきたが、そこで出てくる技術的難点は全部残っているという経過をたどってきた。これは、無理もないのである。習い始めて2年で魔笛やローボスのプレリュード1番を、3年でソルのグランソロなども暗譜群に載せて来たのだから。この暗譜群とはこういうものである。大好きな暗譜維持群目次を作り、それを月に数回りずつ弾いてきたということ。新たな曲を入れるためにここから落とした曲も多いし、魔笛の変奏曲とか大聖堂、アルハンブラとか、難点が残っていて人前では未だに弾く自信が持てない曲も含まれている、現時点では20数曲である。なお、僕の先生はこの特殊なやり方を全て認めて下さった。

③さて問題は、こういう音楽習得法のどこが良かったか。何よりも先ず、こんなことがある。大好きな曲、弾きたい曲をずっと暗譜し温めてきた前向きな気持ちから、技術的難点の自覚や克服へのエネルギー、「この曲は、音楽としてこう弾きたい」という改善、気持ちよさの深化などが、もたらされてきた。つまり、「読譜(弾き)という不自由」に費やす神経を、技術的難点の自覚、修正や、「その曲の気持ちよさの創出」などに自由に費やすことができたということである。

④そして今では、こんな喜びも生まれるに至った。人前で弾けなかった暗譜群曲や、暗譜群から落とした曲を復活させて、発表会で弾けるようになったこと。一昨年の発表会で弾いたバリオス「郷愁のショーロ」やタレガ「マリーア」がこの復活組に当たり、昨年のソルのエチュード作品6の11番(セゴビア編集ソルのエチュード20曲集の第17番)が今までは人前では弾けなかった暗譜群曲に当たる。そして、現在着手したのが魔笛の4回目のレッスン。今回気付いたことだが、この曲がもう一歩で、人前で弾けそうになっているのである。この曲に多い消音箇所とか、速いパッセージも含めてのことだ。

⑤さて、こんなやり方だと78歳になる僕がまだまだ上達できているのである。その主たる原因は、こう理解してきた。暗譜群のあちこちにある自分の技術的難点などと常に集中的に戦い続けていたという結果になっていること。「どれだけ苦労してもこの悪癖は直そう」としていくつかの基本技術的欠陥修正という結果を出してきたエネルギーもここから生まれたといって良い。たとえば、左手小指が薬指に連動してしまう硬さを苦労して直すことに成功しなかったら、郷愁のショーロもマリーアも、そして17番も、発表会では弾けなかったはずだ。

⑥最後になるが、高齢者のどんな活動でも最後は体力勝負。そして、活動年齢を伸ばしてくれる体力こそ、有酸素運動能力。酸素がよく回る細胞、身体は若いのである。ギターやパソコンの3時間ぐらいなんともないというように。ランニングが活動年齢伸ばしにこんなに効力があるとは、骨身にしみて感じてきたことであるが、これは今では世界医学会の常識になっていると言える。その証言がこのブログのいたるところにあるが、一例がこれ。『「よたよたランナー」の手記(222)走る、歩くで活動年齢が伸びる 2018年05月10日』。老後長くやりたいことがあるならば、有酸素運動(と活性酸素対策としてのポリフェノール摂取)は不可欠である。時速7キロ以上で歩ける老人は長生きすると医学界で言われるようになったが、これは血管や細胞が若いということだ。
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米教育、進化論を教えない影響   文科系

2019年03月30日 12時53分19秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など
 これも旧稿の再掲。ある国の宗教、死生観がそこの政治動向にも強く影響するという好例であると言いたい。アメリカという国は歴史的伝統が少ない、非常に新しい国で、言わば近代以前の体験が無く、これを知らない国と見ても良い。そういう国の大小の影響を最も半世紀以上にわたってまともに受け入れて来た日本で、マスコミなどアメリカ文化を一方的に受けるだけで良かったのか。そんなことを考えながらお読み頂ければ嬉しい。

【 米教育、進化論を教えない影響   文科系 2018年11月01日 | 国際政治・時事問題(国連・紛争など)

 7月14日当ブログ拙稿に紹介した論文には、このような記述がある。
『 アメリカ人と進化論に関する統計(ギャラップ、2012年)によると、46%のアメリカの成人が、「現在の人間の形を創ったのは神だ」と答えています。それに対し、「人類は進化したが、それは神の導きによる」と考える人の割合は32%、「人類は進化した。そこに神は介在しない」と考える人は15%です』
『 全米の高校の生物学の教師を対象とする調査と分析(National Survey of High School Biology Teachers, Pennsylvania State University)によると、授業で進化論を積極的に取り入れようとしない生物学教師は60%にのぼります。
これらの先生たちは、進化論とともに、神が生命を創ったとする創造論(creationism)も生徒に説明し、「どれを信じるかは個人が決めることである」「各種試験には進化論が出る」等の補足をすることで、起こりうる問題を回避しているとのことです。そして、進化論を明確に教える教師は28%にとどまっています。 一方で、13%もの教師が創造論だけを授業で教えています』



 さて、進化論を教えず、聖書の創世記だけを教えるから、人間の生い立ちについて後者を信じている人が圧倒的に多いアメリカ! このことがアメリカ社会にもたらす影響は計り知れないほど大きいと、改めて述べてみたい。

 例えば、進化論否定根拠について、昔はこんな風なことさえ語られていた。「猿から進化ということは、道徳も罪もない、ただ欲望のままにということだろう」、とか。「(神から与えられた)人間の長所の一切を否定するものだ」、とか。これは、人間誕生の理論が当然のことながら、人間観、世界観など哲学の内容も決めていくということだろう。

 そもそも進化論を否定するというのは、人間の自然的成り立ちを否定するということだから、人間の営為の一切を、特にその美点の一切を自然から取り上げて、結局神に委ねていくということにもなる。その影響は計り知れぬほど膨大なものと考える。その国の教育だけではなく、人生観さえ偏ってくるというように。そういう偏向教育だと思う。人間の生い立ちそのものを誤解させることに他ならぬものだから。

 例えば、政教分離という考え方さえ、無いと言える。教育行政がそういう政教一致をやっているのであるから。

 アメリカの人種差別とか、イスラム蔑視とか、他民族への戦争とかに賛成する人々に、人間の誕生で創世記だけを教えているということが関わりがないはずがないとも言いたい。トランプの当選そのものがこのようなある宗教一派の貢献と言われている国なのだし。

 アメリカは歴史の浅い新しい国であり、基本的な政治思想の転換などは一度もなかったと言えるし、近代先進国の政治世界などで必ず起こった政治と宗教の激しい争いなども経験がない国である。一般の政治意識にも、政治と宗教のそういうナイーブな考え方が広く存在するということだろう。

 こういう影響の一つを最後に上げておく。最近まで米エスタブリッシュメントの資格を表すものとしてに、WASPという用語があった。ホワイト、アングロ・サクソン、プロテスタントの頭文字を取ったもので、広辞苑にさえ載っている。

 なお、日本人は意外に、こういうアメリカの負の面を知らない。戦後の日本マスコミは、アメリカを綺麗にしか描いて来なかったのではないか。 】
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まともな死の新聞記事   文科系

2019年03月29日 18時19分21秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など
 全く珍しく、新聞でまともな死の記事を読めたように思う。28日の中日新聞記事に「死とは何か」を講義してアメリカはイエール大学で大人気を続けてきたという教授を1面と最終面とに登場させて語らせているが、その末尾の言葉はこうなっていた。
『私は身体が朽ちても魂は生き続けるという考え方に賛成しない。考えたり、恋をしたり、創造したりといったことは、物体にはない私たちの身体機能の一部だ。死とは、身体が壊れ、こうした機能も果たせなくなること。それが全てだ。だからこそ、死を考えることは、どうすれば人生の価値を高められるかを考えることにつながる』

 こういうまともな記事が新聞でなんと少なかったことだろう。古くさい宗教欄ばかりがでかでかと続いてきて、そういう死生観だけを紹介する新聞のやり方を僕はここでずっと、こう批判してきた。「人間誕生について進化論を教えず、聖書の創世記だけを教えるアメリカのいくつかの州の教育と同じだ」と。進化論の死生観こそ僕には、上の教授のような死の見方、考え方に近づいて行くものと思えるからである。因みに僕はここで、こんなことを書いたこともある。
『人間の身体から離れて、それと別物として魂の存在を認めれば、その魂の創造者が容易に生まれることになっていく』
 だからこそ、上記ケーガン教授のこの言葉は決定的に大きな意味を持つことになるのだと考える。
『私は身体が朽ちても魂は生き続けるという考え方に賛成しない。考えたり、恋をしたり、創造したりといったことは、物体にはない私たちの身体機能の一部だ』

 日本人は、もっともっと死にまともに向き合っていくべきだ。もちろん、よりよく生きるために、である。新聞の宗教欄も従って、広く死生観のようにあるべきだと思う。つまり、無神論も同列に並べるべきであると。
 
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再掲、書評「サピエンス全史」(4)「現代の平和」に起こったある論争  文科系

2019年03月26日 08時41分11秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など
【 「サピエンス全史」書評で起こった論争  文科系
2019年01月21日 | 書評・番組・映画・演劇・美術展・講演など

 「サピエンス全史」書評の旧稿紹介について、これを初めて紹介した時に起こったある戦争論の論争をご紹介しよう。日本人なら常識になっているような「人類史論から見たら誤った戦争論」を反論された方がおられたからだ。
 さらにまた、以下の僕は厳しい言葉で応えてはいるが、このお相手SICAさんにはとても感謝している。しっかりした、内容も簡潔明瞭な文章を書かれて、この書の内容の深さを掘り起こして下さったとも言えるからである。げに、人間、人類の明日に臨むに際して、過去の歴史を正しく知る事が大切かという事だろう。ただし、歴史をきちんと知る事はものすごく難しい。それはどうしてなのか。その秘密の最大の柱をこそ、以下の論争からお分かりできるようにと願っている。


【 Unknown (sica)2017-05-03 16:00:44
『現代は史上初めて、平和を愛するエリート層が世界を治める時代だ。政治家も、実業家も、知識人も、芸術家も、戦争は悪であり、回避できると心底信じている』
これには「一般国民」は入ってないんですよね・・・
左翼勢力特有の傲慢さを感じるのは私だけでしょうか

Unknown (s)2017-05-04 04:34:16
私は
『現代は史上初めて、平和を愛するエリート層が世界を治める時代だ。政治家も、実業家も、知識人も、芸術家も、戦争は悪であり、回避できると心底信じている』
に疑問を呈しただけで、「政治指導層が平和を愛する心を持ったから戦争が少なくなった」より「戦争は損になる割合が多くなった」「核による恐怖の平和」という現実を認めているのなら、それほど反論もありません】

【 反論 (文科系)2017-05-04 19:05:49
 この文章に反論。
『私は「現代は史上初めて、平和を愛するエリート層が世界を治める時代だ。政治家も、実業家も、知識人も、芸術家も、戦争は悪であり、回避できると心底信じている」に疑問を呈しただけで、「政治指導層が平和を愛する心を持ったから戦争が少なくなった」より「戦争は損になる割合が多くなった」「核による恐怖の平和」という現実を認めているのなら、それほど反論もありません』
 これも、この歴史家が述べているような人類の過去の史実、人間の真実を知らなくって、現代の感覚で過去を見るから言えること。だからこそ、「この点に関して、過去の人類がどうだったかを貴方知っているのですか?」と怒って詰問した訳でした。
 貴方が嘲笑った文章のすぐ前にこう書いてあります。
『歴史上、フン族の首長やヴァイキングの王侯、アステカ帝国の神官をはじめとする多くのエリート層は、戦争を善なるものと肯定的に捉えていた』
 つまり、民主主義はもちろん、広範囲な統一国家も少ない時代では、我が部族だけが「人間」で、他は獣なのです。獣に対する人間の勝利は「我が信ずる神の栄光」も同じこと。こう理解しなければ奴隷制まっ盛りの時代なんて到底分からない訳です。
 こういう大部分の人類史時代に比べれば、「人種差別は悪」というような「民主主義のグローバル時代」では、どんな為政者も「戦争は悪」、万一必要と理解したそれでさえ悪となるわけ。つまり必要悪。


 追加です (文科系)2017-05-05 17:02:16
 追加します。
 こういう大事な史実一つを知っているかどうかで、現代史とその諸問題の見方もかなり変わってくるはずだ。現代世界政治で最も重要な民主主義という概念の理解でさえもこうなのだから。つまり、今の民主主義感覚で過去の人間も観てしまう。
 現生人類どうしでさえ、「自分の感覚で相手を捉えて,大失敗」とか、長年の夫婦でさえ、『相手がこんな感覚を持っていたとは今まで全く知らなかった。人間って、違うもんだなー』なんて経験は無数にあるのだ。そして、相手と自分が違う点が認められた特にこそ、人間理解、自己認識が一歩進む時なのだ。ソクラテスが喝破したように「自分を知るのがいかに難しいか」と同じように「(過去の感覚との違いを認めてこそ)その時代の感覚を知ることができる」ということがいかに難しいかという問題でもある。
 だから僕は、このブログにこんなことも書いてきた。僕は時代劇なんてまともには観ない。すべて嘘だからだ。現代の感覚で過去の人間を見ている。現代人に、「士農工商」が華やかだった江戸時代前半の人々の対人感覚が分かるはずがない。
 時代劇なんて全て、当時の感覚からすればリアルさに欠けるはずである。
 むしろ、それをいい事に、現代のリアル感覚を書けないストーリー作家が時代劇を書くのだろう、などと。


 反論が書けなかった? (文科系)2017-12-21 18:14:17
 SICAさん、反論が書けなかったでしょ? ご自分の判断基準が、世界史から見たらいかにちっぽけな、狭いものかが、お分かりになりましたか。(この場合は僕が自分を誇っているのではありません。この著作に顕れた人類史を誇っていると言えるでしょう。・・・これは今回付けた文章です)
 このエントリーがベスト10に入ってきて、改めて読み直したもの。それでお返事。
 民主主義が正しいとか、一般的殺人が悪などとなったのでさえ、たかだかこの200年程のことです。200年前など、今のアメリカでは黒人を殺すことなど何ともありませんでした。人間ではなく、所有物だからです。ジャンゴという映画見たことがあります?

 こうして・・・ (文科系)2017-12-25 07:10:34
 こうして、例えば200年ほど前から民主主義がどう変化、発展してきたかが分からなければ、今後50年など何も見えてこないわけです。そういう人がまた「戦争は人間の自然、必然」などと語っているのでしょう。僕は、そのことが言いたかった。
 過去の世界変化がきちんと見えなければ、未来は予測も希望も出来ないということ。特に日本だけを見ていたり、20世紀になって初めて出来た世界の民主主義組織・国連も見えなければ、日本の明日も見えて来ないでしょう。】

(これで、このシリーズは終わりです。)】
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再掲、書評「サピエンス全史」(3)続、現代の平和  文科系

2019年03月26日 08時23分26秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など
 いま公立図書館で、「サピエンス全史」の貸し出し予約が列を成しているらしい。その書評の第3回目をお送りしたい。ここでのモチーフは、日本のネトウヨ諸君や、世界に今大流行の右翼ポピュリズムの愛国主義が世界史論から観たら誤りが多いということになろうか。

【 書評「サピエンス全史」(3)続、現代の平和  文科系
2017年05月07日 | 歴史・戦争責任・戦争体験など

「部族社会時代の名残がある時代には、戦争は善(悪ではなかったという程度ではない)だった」という文章を紹介した。今は防衛戦争を除いては、良くて「必要悪」になっていると、コメントで書いた。だからこそ、こう言えるのであるとさえ(これは僕が)書いた。
 防衛戦争でもないのに国民が熱狂したイラク戦争などは、太平洋戦争同様国民が欺されたから起こったというものだと。


 さて、今書いたことがこの時代の真実であるかどうか? もし真実だとすれば人間の未来は、戦争が地上から無くなるか、政権とマスコミが国民を欺し続けられるか、このどちらかだということになるが・・・。

 さて、この歴史学者の本「サピエンス全史」には、こういう歴史的知識が溢れている。暴力,戦争についてのそれを、さらに続けて紹介してみたい。
『ほとんどの人は、自分がいかに平和な時代に生きているかを実感していない。1000年前から生きている人間は一人もいないので、かって世界が今よりはるかに暴力的であったことは、あっさり忘れられてしまう』

『世界のほとんどの地域で人々は、近隣の部族が真夜中に自分たちの村を包囲して、村人を一人残らず惨殺するのではないかとおびえることなく眠りに就いている』

『生徒が教師から鞭打たれることはないし、子供たちは、親が支払いに窮したとしても、奴隷として売られる心配をする必要はない。また女性たちも、夫が妻を殴ったり、家からでないよう強要したりすることは、法律によって禁じられているのを承知している。こうした安心感が、世界各地でますます現実のものとなっている。
 暴力の減少は主に、国家の台頭のおかげだ。いつの時代も、暴力の大部分は家族やコミュニティ間の限られた範囲で起こる不和の結果だった。すでに見たとおり、地域コミュニティ以上に大きな政治組織を知らない初期の農民たちは、横行する暴力に苦しんだ。権力が分散していた中世ヨーロッパの王国では、人口10万人当たり、毎年20~40人が殺害されていた。王国や帝国は力を増すにつれて、コミュニティに対する統制を強めたため、暴力の水準は低下した。そして、国家と市場が全権を握り、コミュニティが消滅したこの数十年に、暴力の発生率は一段と下落している。現在の殺人の世界平均は、人口10万人当たり年間わずか9人で、こうした殺人の多くは、ソマリアやコロンビアのような弱小国で起こっている。中央集権化されたヨーロッパ諸国では、年間の殺人発生率は人口10万人当たり1人だ。』

『1945年以降、国家内部の暴力が減少しているのか増加しているのかについては、見解が分かれるかもしれない。だが、国家間の武力紛争がかってないほどまで減少していることは、誰も否定できない。最も明白な例はおそらく、ヨーロッパの諸帝国の崩壊だろう。歴史を振り返れば、帝国はつねに反乱を厳しく弾圧してきた。やがて末期を迎えると、落日の帝国は、全力で生き残りを図り、血みどろの戦いに陥る。・・・だが1945年以降、帝国の大半は平和的な早期撤退を選択してきた。そうした国々の崩壊過程は、比較的すみやかで、平穏で、秩序立ったものになった』
 こうしてあげられている例が、二つある。一つは大英帝国で、1945年に世界の四分の一を支配していたが、これらをほとんど平和裏に明け渡したと述べられる。もう一つの例がソ連と東欧圏諸国で、こんな表現になっている。
『これほど強大な帝国が、これほど短期間に、かつ平穏に姿を消した例は、これまで一つもない。・・・・ゴルバチョフがセルビア指導部、あるいはアルジェリアでのフランスのような行動を取っていたらどうなっていたかと考えると、背筋が寒くなる』
 この共産圏諸国の崩壊においても、もちろん例外はちゃんと見つめられている。セルビアとルーマニア政権が武力による「反乱」鎮圧を図ったと。

 こうして、どこの国でも右の方々が陥りやすい「社会ダーウィニズム」思想(無意識のそれも含めて)は、こういうものであると断定できるはずだ。世界史を知らず、今の世界でも自国(周辺)しか観ることができないという、そういう条件の下でしか生まれないものと。社会ダーウィニズムとは、こういう考え方、感じ方、思想を指している。
「動物は争うもの。人間も動物だから、争うもの。その人間の国家も同じことで、だから結局、戦争は無くならない。動物も人間も人間国家も、そういう争いに勝つべく己を進化させたもののみが生き残っていく」
 この思想が誤りであるとは、学問の常識になっている。
 今の世界各国に溢れているいわゆる「ポピュリズム」には、この社会ダーウィニズム思想、感覚を持った人々がとても多いように思われる。今のそういう「ポピュリズム」隆盛は、新自由主義グローバリゼーションの産物なのだと思う。

( もう一度、続く。「この書評で起こった論争」へと。)】
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