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九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

書評「近現代日本史と歴史学」   文科系

2020年07月12日 06時35分56秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など
 中公新書のこの本の著者は成田龍一氏、日本女子大学人間社会学部現代社会学科教授で、「専攻・歴史学、近現代日本史」とあった。

 この本の最大の特徴は、本の題名が示す通りで、激しいネット議論が最も多い近現代日本史を通じて歴史学という学問自身を改めて根本から考えてみようという点にある。何よりも初めに、そのことを概論した「はじめに」と「序章 近現代日本史の三つのパラダイム」を要約してみよう。

 歴史とは先ず何よりも「無数の出来事の束」である。その中から何かを選んでものを語っている事自体にすでにその出来事などの「選択」、「解釈」、「意味づけ」などの作業が含まれている。ある解釈に基づいて通史、時代、事項などを叙述したものが「歴史像」であって、歴史学とはこういう歴史像にしていく作業なのである。
 という事自身が、「歴史論とは事実の説明にすぎぬ」とだけ考えているやのネトウヨ諸君にはもう解説が必要だろう。

 明治維新一つとっても、そのなかの例えば開国一つを採ってみても、これらを説明していくのに不可欠な重要な出来事一つずつを採ってみても、まず、当時の「無数の出来事の束」の中からこれらを重要として選び出した選択・解釈やその基準があるということだ。そういう解釈や基準は、日本史全体を動かしてきた要因などにも関わる過去の歴史学(者)らの諸学説などを踏まえれば踏まえるほど、精緻なもの、学問として水準の高いものになってくる。歴史を解釈する方法論が豊かになるほど、歴史の叙述が豊かで、精緻なものになるという事だ。 

 ところで、この解釈という事がまた、変わっていく。重大な新資料が出てくると換わるのは当然としても、解釈者自身らの時代も移り変わるところから歴史事実の束に臨む「問題意識」自身が変わるからである。近現代史における解釈変化の一例として、こんなことを著者はあげる。
 明治維新の基点である近代日本の始まりをどこに観るか自身が、変わったと。1950年代までの基点は1840年代の天保の改革の失政だったと観られていて、1960年にはペリー来航(1853年)がその基点に替わったというのである。歴史学会自身いおいて、そのように通説が変わったと。


 さて、近現代日本の通史を見ていく見方、解釈法、思考の枠組みについて作者は、科学史の用語を借りてパラダイムと呼ぶ。そして、大戦後の日本近現代史学会には、2回のパラダイム変化が見られたと論を進める。つまり、日本近現代史を通した解釈について、戦後三つの解釈枠組みがあったと。もちろん、前の解釈枠組みを踏まえて後の解釈枠組みが、地層が重なるように生まれてきたわけだがと条件を付けて。この三つとは、こういうことになる。
 第一が「社会経済史」ベースのパラダイム。第二が「民衆史」ベース、第三が「社会史」ベースだったと。第一ベースは既に、戦前の30年代からあったもので、第二は1960年ごろに始まり、第三が始まったのは1980年ごろだとも述べられてあった。
 ちなみに、日本史教科書のパラダイムは、第一期をベースにして、第二期の成果も取り入れている程度のものだという説明もあった。

 さて、以上を踏まえた上でこの本の全体はこう進んでいく。日本近現代史の各章名に当たるような重要事項、時期それぞれがこの三つのパラダイム変化によってどのように解釈変更されてきたかと。
 先ず、明治維新には、開国、倒幕、維新政権と、三つの章が当てられる。以降は「自由民権運動」、「大日本帝国論」、「日清・日露戦争」、「大正デモクラシー」、「アジア・太平洋戦争」、「戦後社会論」と、全9章が続く。この9項目それぞれにおいて、三つのパラダイム時代でどこがどう解釈改変されてきたかと説明されていくわけである。

 
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古い書評のご紹介  文科系

2020年07月06日 10時09分18秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など

 このブログには多くの書評がありますが、それは長短はあってもすべて、内容要約。5日の拙稿休暇に関わって、古い書評をご紹介しておきます。最近の書評は「カテゴリー・書評」をクリックしていただけばすぐに出てきますからそちらを見ていただくとして。

 なお、以下のものそれぞれの出し方はこうです。まず、右欄外のカレンダーの日にちから入る方法。カレンダー下の「バックナンバー」と書いた年月欄を、スクロール・クリックします。「14年4月」とか。すると、すぐ上のカレンダーが14年4月分に替わりますから、その29日をクリックして下さい。エントリー欄がその当日のエントリーだけに替わりますので、お求めの水野和夫「資本主義は死期に突入」をお読みいただけます。

・「政府は必ず嘘をつく」 2015年10月15、18、19日
 角川新書、堤未果

・チョムスキーが説く「イラク戦争」 2015年08月11日 
 集英社新書 ノーム・チョムスキー著「覇権か生存かアメリカの世界戦略と人類の未来」

・「プーチン 人間的考察」 2015年07月3日~10日に全6回
 藤原書店 木村汎著「プーチン 人間的考察」

・「スティグリッツ国連報告」 2015年1月17~24日間に3回

・「暴露 スノーデンが私に託したファイル」  2014年06月4~5日に2回
 新潮社 グレン・グリーンウォルド著「暴露」

・「アジア力の世紀」の要約と書評  2014年05月08日
 岩波新書 進藤榮一著「アジア力の世紀」

・水野和夫「資本主義は死期に突入」 2014年04月29日
 集英社新書 水野和夫著「資本主義の終焉と歴史の危機」

 

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僕らのビストロ(続き)  文科系

2020年06月15日 14時29分58秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など

 13日の随筆に付けたコメントを、エントリーとして再掲させていただきます。新規開店後ちょうど9年たった今も、このお店と僕らとの関わり方はこんなふうに続いているという報告です。

『今もこの店は (文科系) 2020-06-14 19:57:10
 9年経った今も、この店はYさんたった1人で立派に続いています。1人だから人件費が少なくて済み、値段の割に良い食材などが使えたりするのでしょう。僕はこの間も、この店でずっといろんなことをやってきました。僕(の一族)の誕生会はいつもここ。ギター仲間で会食もするし、同人誌仲間の忘年会場でもあります。
 ギター仲間のときは、その時のお客に了承を取った上で、持参のギターを代わる代わる弾いたりもします。女性客が多いから大抵は快く了承して下さるだけではなく、帰り際にはお礼を言われる事が多いです。だからYさんも、僕らのギター持参をほぼ公認みたいにしてくれています。ただ無礼講ではなく普通の礼儀をわきまえる事は当然、貸し切りにすれば別の話ですが。
 同人誌仲間は、外国旅行に慣れていて、口が肥えている女性が多いのですが、みんなここの料理を褒めてくれます。去年の忘年会はクリスマスの日でここが取れずにあるホテル・レストランでやったのですが、後である人にこう言われました。
「Yさんとこのが、百倍美味い」

 嬉しい事です。そのお店、杏亭と言います。平和公園の北東、平和が丘のサンパークマンション1階にあります。バス停では猪高車庫前。
 念のために言っておきますが、僕は広告料など一銭ももらっていません。純粋にファンなんです。30年を超えるファンで友人。Yさんが選ぶグラス・ワインも美味しいし。

 もう一つ但し書き。僕はあくまでもビストロと書きました。ビストロのギリギリ値段でレストラン料理を食べさせてくれるわけです。ただ、そうしてもらおうと思ったら、5日ほど前に予約をする事です。小さなビストロは、丁寧な予約があるのと無いのとでは、料理内容が変わってきます。予約客に食材などをきちんと準備できることによって、リピート率が高くなるからでしょう。』

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今日の中日、朝日新聞から 1  文科系

2020年06月08日 12時17分37秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など

 二つの新聞を読むようになって、目立った記事を発信したくなった。中日の記事は全国の方々向けに、朝日の記事は愛知の当ブログ読者に向けて。記事を選ぶ観点だが、「世界の中の日本」あるいは「日米中関係」ということになろうか。これからの日本政経が特に、中米間の「トゥキディデスの罠」の動向によって没主体的に翻弄されて行く事が目に見えているからである。ちなみに、この問題は日本人政治意識の最弱点だと思う。ネトウヨ諸君など右翼は大変なアメリカ音痴だし、マスコミの中米報道は変な先入観に囚われた記事しか書かない。アメリカは「自由と民主主義の国」で、中国は「習独裁の全体主義」という昔ながらの構図だけである。前者は既に嘘だし、後者だけでは中国の事は正しく伝わらない。そもそも、日本の輸出入がどんどん対中の方に傾いていて、その中国に冷戦を持ちかけているのは国連無視が当たり前になったアメリカの方なのだから。
 ちなみに、この両新聞の記事紹介は、関東で朝日と東京の両新聞記事を紹介するのと同じ事になるのではないか。

 まず今日の朝日。「コロナ死者の3分の1は高齢者施設で亡くなっていると米マスコミは分析している」というのがあった。このことに関わってまた、こんな解説記事もついていた。「そういう高齢者施設の運営主体が、どんどん投資会社に移っていて、ヘッジファンドが運営している高齢者施設も多い」ということだ。「安い職員を使って、マスクや手袋も支給されない」とか。

 中日新聞では安保条約発効60年という特集があって、登場する3人の識者の1人、孫崎享が安保条約第1条と国連憲章との大変矛盾する現状を語っている、その内容が今時実に面白い。「国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎むことを約束する」が彼が上げた日米安保条約第1条部分なのだが、他方国連憲章第2条にはこうあると、孫崎は語る。
「全ての加盟国は、武力による威嚇または武力の行使を慎まなければならない」
 孫崎はこうして、武力の行使や威嚇をイラン、イラクなど近年しょっちゅうやって来たアメリカは「国際連合の目的と両立しない」のだから、安保条約第1条の約束違反であると日米政府をたしなめているわけだ。流石に元外務省国際情報局長というべきだし、近年のアメリカが困窮し尽くした末にそれだけ変わってしまったということをも教えている。ちなみに、こと世界の外交に関しては今や、中国の方がはるかに国連尊重国と言える。対するアメリカは今や、国連敵視国になっている。そんな事情にも関わって、昨日あるブログに付けた拙稿をここにも転載しておきたい。

【 新自由主義経済って、単なる暴力経済。「株主利益の最大化方針」を誰が正しいと決めたのか。彼らに良いように世界各国障壁が取っ払われてしまった。その昔の「自由競争こそ経済発展の元・政府はできるだけ小さな政府で」といういわれないやり方を金力・株主本位という形で世界に野放しにしたのである。アメリカは西欧や日本に対したように、企業の敵対的買い付けで世界を支配できると目論んできたのだろう。ところが、中国が障壁に立ちはだかった。現物経済も全てこの国に取られてしまった。中国元の障壁はそのままだ。さすれば、トゥキディデスの罠よろしく、米衰退一路になる。困った困った、当面保護主義と米大陸ブロック経済で凌いでおいて・・・と、そういうことなのである。もはや、普通のやり方では中国に対抗できないと認めているのである。
 前回の「トゥキディデスの罠」局面では、ゴルバチョフが「降伏」と手を上げたが、アメリカにそんな事はありえない。
 とすれば何か大変な事が世界に起こる。香港、台湾、ウイグル、それとも陸海の絹の道で?

 そこで日本は、というわけから、安倍の「中国寄り動向」も、既に18年から起こっている。こんな局面を馬鹿の安倍と胡麻擂り官僚上がり側近には、手に負えるわけがないのである。世界に翻弄されるのではなく、メルケル辺りと世界を回して欲しいし、その力もあるはずというのが日本の首相という立場なのだが・・。

 ただ翻弄されるだけは、日本国民には大悲劇しかあり得ない。既にこの25年ほどの国民1人当たり購買力平価GDPは世界5位から32,3位にまで落ちているはずである。日本31位、韓国32位というのが最新18年の数字だから、今はおそらく韓国にも抜かれたろう。あちらの方がコロナ被害もはるかに少なかったのだし、新政権に立ってすぐに最低賃金をいち早く上げて、内需拡大に励んでいる。
 激動の世界に、アメリカにはしごを外されてばかりの「選挙勝利だけ政治」という馬鹿な日本首脳部! そんな悲劇ばかりが巻き起こってきた国である!】

 

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来週14日、ギター教室発表会  文科系

2020年06月06日 13時53分50秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など

 コロナで危ぶまれていたが、来週の日曜日、本年度の教室発表会がある。今年弾く曲は、先生との2重奏でヘンデルのサラバンドと、バッハのBWV998「リュート組曲」からプレリュード。2回舞台に出ることにした。
 サラバンドは吉田光三のとても易しい編曲だが、「僕はこれが大好き」という奴。重厚な美しさに、気分良い盛り上がりも十分。思い切って弾いても音が割れない僕のギター(中出敏彦のアグアド・フルコピー)を正に思い切り鳴らすことができる。

 998プレリュードは、僕が長く憧れてきた曲。これを初めて習った日付が11年4月8日とあるから、弾き始めてもう9年になる曲だ。当ブログのギター随筆にもう何度も書いてきた事だが、僕は暗譜群というのを大小併せて25曲ほどを持っていて、これを月に数回りづつ弾いてきたその中の1曲である。しかも、この中で残り少なくなった「まだ人前では弾けない曲」の一つで、それを今度はじめて弾くわけだ。ちなみに、他の同類は、これだけ。バリオスの「大聖堂3楽章」、ソルの「魔笛の変奏曲」、そしてトレモロが下手なタレガ「アルハンブラ宮殿の思い出」である。

 さて、そんな9年越しの曲をとうとう舞台で弾くとあっては、当然意気込みが違う事になる。例によって指が震えなければ良いのだがなどと、色々心配になるわけだ。澄んだ音を流れるように滑らかに、かつ山場はちょっと激しくも弾く4ページの曲だから、力が入って雑音が出る事を最も警戒することになる上に、消音すべき箇所も多いから、意外に難しい曲なのである。

 この消音というのは、ピアノなど和音楽器には必ずついて回る技法であって、ある和音の特によく響く低い装飾音などを消すものである。つまり、この低音で装飾すべき旋律音が次の音に移った時に、この低音を消さねばならないのである。これを消す事によって、次の旋律音が澄んで、意味を持って浮かび上がってくるという事にもなっていく。ピアノではこれを、一つのペタル操作で行えるのではなかったか。フルートなどの単音楽器では、これを分散和音で修飾していくだけだ。

 考えてみれば誰でも分かる事だが、和音楽器は単音楽器とは違った楽しみがある分難しい。旋律を適当な音程、長短、強弱の和音で飾っていくという楽しさである。その楽しさを増やす分だけ、難しい技術も増えるのである。でも、そういう難しさを乗り越えるたびに新たな美しさが現れてくるからまさに音楽、楽しいのである。

 

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「悪辣、無責任」外信報道二例  文科系

2020年06月02日 09時09分07秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など

  政府のコロナ対策専門家会議が議事録を作っていなかったと分かり、非難されて、作るようになったという。マスコミ、新聞も同じようなもので、世界が荒れているコロナ関連で全く無責任な記事を流しても、何の反省もない。特に外信記事については、自分で調べないで、外国要人らの「誘導」を受けたそのままに書いたような「アクセス記事」に悪質なものが多すぎると読んできた。最近コロナ関連でここに書いた二例は、実質「アクセス記事」なのにそうでないように見せかけつつ、悪辣と言って良い内容を垂れ流している。いずれも「悪辣中国」関連記事なのだが、明らかに発信元はアメリカと思われる内容。それも今から観れば、馬鹿馬鹿しいほどの反中親米記事になっている。

 長妻昭議員が国会で首相にこんな質問をしたが、これをもじって、僕はこう言いたい。
「統計問題を甘くみない方がいい。扱いによっては国家の危機になりかねない、という認識はあるのか」
「外信報道を甘くみない方がいい。扱いによっては国家の危機になりかねない、という認識はあるのか」
 政府以上にマスコミの世論誘導の積み重なりが戦争をもたらすという、日本太平洋戦争やアメリカのイラク戦争の例を肝に銘じたいものだ。

 米中冷戦は今や明らかに、斜陽著しい米が仕掛けつつあるもの。核停止条約抜け。身勝手な保護貿易強行。世界に数々の戦乱を引き起こして来たその原油政策。そして何よりも、国連敵視をますます強めているのは、戦前の日独と一緒。こんな中で、下記拙稿で扱っている二つのマスコミニュースは、今振り返れば安易すぎて笑える、軽佻浮薄丸出し、その上で内容が悪辣なのである。 

【 随筆  情報・人心操作?   文科系
2020年03月25日 19時39分25秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)

 高齢者を肺炎で多く死なせるコロナウイルスで、世界が爆発しているようなこの三月二三日、新聞夕刊のとあるニュースには呆れ、驚いた。この記事の見出しは、こういうもの。
『無症状四三〇〇〇人、中国が計上せず』
  感染者を少なく見せて来たというこの見だしは、誰が読んでも「悪い国だ」という「感じ」にしかならない。だが、その記事の中にも書いてあった英米などよりは国民の立場から見たら遙かに上等な検査体制なのである。この記事の中に、こんな文言が入っていたので、むしろこちらの方に僕は驚いてしまった。
『韓国では無症状感染者もカウントしているが、米国や英国、イタリアは医療関係者を除き無症状者は検査もしていないという』
 さて、「無症状者は検査もしていない」英米、イタリアと、「無症状者も検査・隔離するけど、カウントには入れない」中国と、どちらが国民を救うことになるか。後者に決まっている。高齢者以外では症状が出ない感染者も多いこのウイルスに対しては、『検査で陽性になり隔離されていても症状のない人は確定患者に含めず、医療監視下に置かれたという』と同記事も述べている中国と比較して、『米国や英国、イタリア』は無症状感染者を野放しにしているからだ。
 この記事内容を見ると、イタリアに死者が多い理由が分かった気がするし、米英は今後大丈夫なのかなと心配になった。が、福祉対象以外は民間健康保険が中心で無保険者も多くて「医療は個人持ち」というアメリカなどは、無症状者の公的検査など元々するわけがないのだろう。こんなアメリカでは、ただでさえインフルエンザで死ぬ人が毎年一万~数万人いるのだから、このコロナで死ぬ人は一体どれほどになるのか。
 それにしても、韓国は立派である。だからこそなのだろう、コロナを抑えられそうな見通しも立ったようだ。その点日本は、ちょっと危うくなって来たのではないか。無症状者は同一集団発生に関わる範囲でだけ検査するという「クラスターの発見を中心にした検査方針」を採ってきたにもかかわらず、クラスターに無関係の症状者、つまり孤立発病者がここに来て増えてきたからだ。
  などなどと思い巡らせつつ翌二四日朝刊を見ると、この同じ記事内容がまた載っている。『無症状四三〇〇〇人 統計に含めず』、『武漢「感染ゼロ」に疑念』。そして、前日よりももっと悪いことには、英米伊の「無症状者野放し」記述がこの日は皆無、全く省かれていた。つまり、「中国は悪い奴だ」と誰が読んでも受け取れる記事に変わっている。僕は、公憤に駆られてつぶやいた。
〈見ているが良い。こんな意味の「少なく見せる」国よりも、「無症状者を野放しにしてきた国」の方が死者などの被害ははるかに大きくなるはずだ〉。
 するとどうだ、直後に読んだネット記事によると、アメリカではもうこんな事態になっていた。『米ジョンズ・ホプキンス大学の二三日夜の集計によると、前の日から一日で米感染者は八〇〇〇人増えた』。
 アメリカのコロナ感染者が中国を追い越していくのは確実だろう。無保険者も多いアメリカでは、死者はいったどれだけになるのやら。こんなアメリカで公表されているコロナ死者が、発病者の多さの割にとても少ないのだが、この国に毎年膨大にでているインフルエンザ死者にコロナ死者を含めているに違いないと、僕は推理している。そういう「アメリカ・インフルエンザ死者」が、今年度インフルエンザ季節分だけでそろそろ二万人を超えているはずだ。】

 

【 安易、悪辣な外信報道  文科系
2020年04月15日 07時10分48秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など

 本日の中日新聞のある外信報道には、呆れてしまった。4面国際面のトップ記事「コロナで米軍展開力に懸念」という記事だ。内容を読んでから、「どこがどう発信した記事か」と発信元を見たらワシントンと北京それぞれ常駐の二人の特派員が共同して書いた記事と分かった。
 何よりもまず、違和感を感じたのはこんな感じ。「米空母がコロナによって一艘ダメになったことは誰でも知っているはずで、そこにつけ込んで中国が何かしそうだ」という取材意図、問題意識を初めから感じたからである。まるで中国=火事場泥棒扱いの、アメリカ・ネオコン思想の宣伝文句のような・・・内容も案の定、そういうものになっている。記事中にも『「台湾を武力統一する好機」と、環球時報の電子版にある』とか、「3日に中国艦船がベトナム漁船に衝突、沈没させた」などというもの。これらの言葉、ニュースの前後関係はどうなっていたのかは全く書いてないのである。
「何を今時」とか、腹が立つことしきりであった。今、中国が台湾など近隣国を攻めるか? アメリカの自国第一主義、引きこもりにつけ込んで? これは完全に米ネオコン的発想であって、そんな誰かのリードで仕上げられた記事かも知れないとさえ、考え込んでいたものだ。
 この新聞は国際面が極めて貧弱で、当局の発表をそのまま伝えるようなアクセス記事ばかりだが、グローバル政治の模索時代に後れを取っているだけで無く、一応の「調査報道」体裁がこんなネオコン的視点丸出しではどうしようもない。これも、外信記者に日本外務省の指導がよく行き届いていると言うことか。いろんな記事を読んでいると、今の外務省は安倍以上にアメリカべったりであると見ざるをえなくなっているからである。】

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何これ、中日「考える広場」??   文科系

2020年06月01日 07時39分34秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など

 本日の中日新聞4面を全て使った「考える広場」には、もうびっくり、違和感いっぱい。『継続か特権か 21世紀の「世襲」』という見出しだったから興味津々だったのに、「何だこりゃ、新聞自社編集方針の弁解にこれ務めている」と、そんな違和感である。

 そもそも、世襲を問題にして「特権」として批判した識者談話を二つ載せているのに対して、「継続」記事がなぜ歌舞伎だけなのか。それも、この三つの談話だけで構成された特集のうち歌舞伎の方をトップに持ってきているのである。これでこの見出し「21世紀の世襲」って、僕に言わせればまさに羊頭狗肉。僕がそう感じたわけはちょっとややこしくて、以下の通りである。

 中日新聞文化・芸能欄には、歌舞伎(や能、落語)などの記事が多すぎて、僕はずっといつも辟易としてきた。編集幹部に歌舞伎好きがいるのか、名古屋御園座にテコ入れでもしているのかなどとかんぐったりもしつつ。もっとも、僕が世襲が大嫌いだからこれに敏感だった事は確かであって、「この新聞の文化欄は古くさい。伝統芸能ばかり載せるなよな。伝統芸能は世襲が多くて嫌いだ」などとこのブログに書いてきた覚えもある。そこへこの「考える広場」の『「世襲」特集』だから、こりゃ何じゃ?と、そういうわけなのだ。

 この記事は、ちょうどこれと同じものなんだろう。「野球はドラゴンズ、サッカーはグランパス」。それは正しいという言い分(よりもはるかに難しい事項)を、何とかこじつけたもの。
 さらにもう一つこの際言っておきたい事だが、文化・芸能とかスポーツとかを新聞が特集する場合などに、その消費者としての立場・編集方針以上に、これを行う人の立場・編集方針が重要になっている時代ではないのか。歌舞伎や能を観る人々と、軽登山やランニング、自ら音楽する人々とどちらが多いのだろう。新聞記者とは文化・スポーツを眺めてばかりいて、自らはしないものなのかな。

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書評 「シルバー民主主義」という陰謀   文科系

2020年05月28日 05時07分24秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など

 この文章は言わば書評に当たるもの。熊倉正修著「日本のマクロ経済政策」(岩波新書 2019年6月第一刷発行)という本をさしあたりざっと拾い読みした。「安倍・黒田の財政ファイナンス」と、その現在までの国家危機的結末とを根本的に批判して、「未熟な民主政治の帰結」という副題を付した本だ。ちなみに、国家が平気で財政赤字を積み上げ続けて、その分日銀に円をどんどん刷らせて穴埋めしていくやり方を財政ファイナンスと呼び、従来の国家財政学としは禁じ手とされてきたものだ。なお、今朝の新聞報道によると、今年中に日銀がGPIFを抜いて、日本株の最大株主になる見通しだとあった。

 さて、この書の中にあった表記の言葉「シルバー民主主義」が強く印象に残った。日本の財政危機の原因としてよく上げられる、「有権者に占める高齢者の比率が高まると若年層を犠牲にして高齢者を優遇する政策が行わ行われやすくなる」という議論のことだ。その上で著者は、財政危機の原因を、こういうシルバー民主主義にあると強調しすぎる風潮に対して、西欧先進国と日本を比較した上で民主主義の未熟さそのものにあると説くのである。

 この「シルバー民主主義」論はどうも、政府筋やこれを支援するマスコミから流れているようだ。それも、若者を与党に引きつける一種の陰謀として。ちなみに、こういう急下降経済・税収減から急激な少子化日本や、財政危機やを作ったのは自民党自身、特に小泉・安倍政権だということを忘れてはならないだろう。ここの拙稿で繰り返して言及してきたように、前世紀末世界順位一桁中位にあった日本国民1人当たり購買力平価GDPを今や31位にまで落として、「50歳まで一度も結婚したことがない男性が4人に1人」とか、「ここ130年なかったような出生数減少の急激少子化日本国」とかを誰がもたらしたのかちゃんと見ないと、この陰謀に引っかかることになる。

 この優れた著作についてはまた、いろんな事に触れていくつもりだ。既に大失敗が明白になったアベノミクスの失敗因を究明した著作である。国民1人当たり購買力平価世界順位は台湾にはもうとっくに抜かれ、1位下にいる韓国にも間もなく抜かれることは明きらかである。韓国現政権は内需拡大を重視して、不安定労働者らの最低賃金を大幅に上げたと聞いている。

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再選挙控えたトランプという人物  文科系

2020年05月16日 16時18分22秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など

   あるブログに米大統領トランプについて非常に面白い表現があった。「ホワイトハウス詰めの記者によると」と紹介してあったその人物表現と、そのブログに本日今付けた拙コメントとを転載したい。トランプ再選は世界、日本にとって最大の問題でもあると思うからだ。

 【「大統領は、知的な集中力が全くない。医療・感染症専門家の話はもちろん、側近政治家の話も、ほんの数秒聞いただけで遮る」
「誉め言葉を聞かないと、すぐに不機嫌になる。少しでも異論を唱える者は、二度と呼ばれない」
これが事実だとしたら、恐ろしい話だ。さらにあと4年続いたらと思うとやり切れない。】

 これは、事実でしょう。大統領になったばかりで出版された最初のトランプ本「炎と怒り」を拙ブログに6回連載で紹介させていただきましたが、内容的に全て合致いたします。その最終回分再掲エントリーの冒頭部分を以下に紹介させていただきます。なお、著者はずっと前から彼を追いかけていたからこそ、真っ先に伝記を出せたジャーナリストです。

『初のトランプ本、内容紹介   文科系
2018年09月07日 | 文化一般、書評・マスコミ評など
 本日もう一つの別記事もそうだが、アメリカ大統領ドナルド・トランプの勝手気まま、理不尽が、世界を大騒ぎさせている。唯一肯定的関心を示している朝鮮対策でさえ、「ノーベル賞狙い」と、僕は観てきたほどだ。そういう彼流のポピュリズム選挙対策ということなのだが、とにかくこれだけは言える。彼の動向が見えていなければ、日本の政治経済の目の前の先行きさえ分からないと。
 アメリカでベストセラーになった最初のトランプ本「炎と怒り」をこの4月にここで内容紹介した。4月8~16日の間に6回連載で。その最終回分を、ここに改めて再掲したい。興味のあられる方は、右欄外の「バックナンバー、年月」クリックから入って、4月の連載記事をお読み願えれば嬉しい。』

 この最終エントリーだけでもお読み願えれば嬉しいです。

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正に、裸の王様   文科系

2020年05月13日 04時00分41秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など

 中日新聞12日夕刊の1面最下段連載コラム「夕歩道」に、検察官定年変更新法における安倍首相批判が載っている。見事な文章と読んだので、全国に向けて発信し、併せて事の実態を僕なりに表現してみたい。

『説得力はありやなしや。「恣意的な人事が行われるとの懸念は全く当たらない」と答弁するのが今年一月、黒川弘務東京高検検事長の脱法的定年延長で法曹界を仰天させた安倍首相。よくもまあ。

 誰の知恵か。似て非なる国家公務員法改正案との「束ね法案」とし、法務委ではなく内閣委での審議に。黒川検事長問題の迷走答弁で泥沼にはまった森雅子法相を隠し、論戦の続きはうやむやに。

 首相は「今国会で成立させる必要がある」と述べ、自民党は明日内閣委採決、明後日衆院通過という絵を描く。アベノマスクさえまだ手元に届いていないのに、こういうことだけは手回しがよい。』

 

 さて、こんなやり口が現憲法下の諸法制蹂躙になるとは、官僚なら誰でも分かっていることだ。検察官が総理をも裁ける準司法であることも。だからこそ三権分立の原則、精神から検察官人事が一般公務員とは別に定められてきたことも。それを一般公務員と一絡げにしようというのである。それも、検事総長ら幹部を内閣の意思次第で長く務めさせることができるように。そんな質問や批判に対して安倍首相が答えたこれは、けだし名言、迷言として歴史に残ること間違いなし、このことが分からぬのはご本人だけなのだろう。
『恣意的な人事が行われるとの懸念は全く当たらない』
 ちなみに、こういう場合の「恣意的」が歴史上必然であったからこそ、三権分立や立憲主義の思想が世界史において確立されてきたのではなかった。完全に歴史を逆行させる安倍のこの言葉そのものが正に恣意的なものである。そして、こう述べる彼を誰も諫めないというのが、「安倍=裸の王様」を示している。まー、「立法機関の長」と的確にも自称するようになったのも、周囲から「そうそう、それも立派な貴方の衣装です」と持ち上げられてきたからでもあろう。実はそういう持ち上げる皆こそ、彼が裸であることも知っているのである。知っていて言わないのは、首相権力という虎の威を借りて出世したいから。冷酷佐川と同じである。

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安易、悪辣な外信報道  文科系

2020年04月15日 07時10分48秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など

 本日の中日新聞のある外信報道には、呆れてしまった。4面国際面のトップ記事「コロナで米軍展開力に懸念」という記事だ。内容を読んでから、「どこがどう発信した記事か」と発信元を見たらワシントンと北京それぞれ常駐の二人の特派員が共同して書いた記事と分かった。
 何よりもまず、違和感を感じたのはこんな感じ。「米空母がコロナによって一艘ダメになったことは誰でも知っているはずで、そこにつけ込んで中国が何かしそうだ」という取材意図、問題意識を初めから感じたからである。まるで中国=火事場泥棒扱いの、アメリカ・ネオコン思想の宣伝文句のような・・・内容も案の定、そういうものになっている。記事中にも『「台湾を武力統一する好機」と、環球時報の電子版にある』とか、「3日に中国艦船がベトナム漁船に衝突、沈没させた」などというもの。これらの言葉、ニュースの前後関係はどうなっていたのかは全く書いてないのである。
「何を今時」とか、腹が立つことしきりであった。今、中国が台湾など近隣国を攻めるか? アメリカの自国第一主義、引きこもりにつけ込んで? これは完全に米ネオコン的発想であって、そんな誰かのリードで仕上げられた記事かも知れないとさえ、考え込んでいたものだ。

 この新聞は国際面が極めて貧弱で、当局の発表をそのまま伝えるようなアクセス記事ばかりだが、グローバル政治の模索時代に後れを取っているだけで無く、一応の「調査報道」体裁がこんなネオコン的視点丸出しではどうしようもない。これも、外信記者に日本外務省の指導がよく行き届いていると言うことか。いろんな記事を読んでいると、今の外務省は安倍以上にアメリカべったりであると見ざるをえなくなっているからである。

 

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数学が、経済効果絶大なんだって! 文科系

2020年04月13日 00時41分12秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など

 10日の朝日新聞に、大変面白い記事があった。「新井紀子のメディア私評」というコラムに。
 その欄に『「ABC予想」機に』という囲み記事があって、ここにこんなことが書いてあったのだ。以下原文のままに転載すると、
『本紙記事(4月4日朝刊)には興味深いくだりがある。英国政府機関の調査では、イノベーションの経済効果を投資で割った「投資効果」は、物理は31倍、化学が246倍に対して、数学ははるかに高い588倍だそうだ。お金もなくなってきたことだし、日本はそろそろ真面目に数学に投資してみたらどうか。ただし数学者は、報告書を書いたり、大金を使ったりするのには向かないので、雇用して自由に数学に熱中させておくのが最適な投資だろう』

 このコラムは、日本政府の今の実用主義的、あるいは論文本数的に過ぎる大学(管理)方針をあざ笑い、皮肉っていること明らかで、面白かった。それで早速、上記引用文中の4月4日記事そのものにも当たってみたが、該当するその文章はこうなっていた。
『英国の政府機関による2018年のリポート「数学の時代」によると、数学が生み出すイノベーションの英国経済への貢献は年間26兆円以上。経済効果を数学研究への投資で割った「投資効果」は588倍で、物理31倍、化学246倍よりはるかに高いとしている。
 数学には、応用をめざす「応用数学」と、応用を意識せず、厳密性や抽象性、さらには美しさをも追求する「純粋数学」があり、ABC予想は後者だ。だが近年は、純粋数学でも先端技術や産業に応用される例が増え、両者の垣根は下がっている

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書評 金融グローバリゼーションということ④  文科系

2020年03月18日 09時50分02秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など

 ドナルド・ドーア著「金融が乗っ取る世界経済 21世紀の憂鬱」(中公新書2012年6月第5刷発行)の終章である第3章は、計4節に分かれている。「国際協調」、「適切な報酬制度」、「現状維持に終わる金融改革」、「金融化は不可逆的か」。 これを、順不同で要約していきたい。サブプライムバブルが弾けた後のG20やそのサミットでどんな改革論議がなされ、対立があって、ほぼ元の木阿弥に戻ってしまったか。リーマン以降、ロンドンG20から、10年のソウルG20とそのサミットまで、世界の金融規制論議経過は省いて、書かれている改革の内容自身を観ていきたい。

 ロンドン大学政治経済学院の「金融制度の将来」には4つの目的がこう書かれているとあった。①実体経済を攪乱しないように。②破綻金融の税金救済の問題。③そんな金融機関の報酬が高すぎる問題。④高報酬により人材が集まりすぎる問題。

 また、2010年11月のG20ソウル会議でもっと具体的に4つの討論がなされ、抽象的合意だけが成されたと言う。①銀行規制。②金融派生商品契約を市場登録すること。③格付け会社の公共性。④新技術、商品の社会的有用性。

 以上から何が問題になってきたかをお分かりいただけたと思うから、G20ソウル会議の4項目の順に討論内容などを観ていきたい。

 ①の銀行規制に、最も激しい抵抗があったと語られる。また、現に力を持っているこの抵抗者たちは規制提案に対して「否」と言っていれば良いだけだから、楽な立場だとも。国家の「大きすぎて潰せない」とか「外貨を稼いでくれる」、よって「パナマもケイマンも見逃してくれるだろう」とかの態度を見越しているから、その力がまた絶大なのだとも。この期に及んでもなお、「規制のない自由競争こそ合理的である」という理論を、従来同様に根拠を示さずに押し通していると語られてあった。

 ②の「金融派生商品登録」問題についてもまた、難航している。債権の持ち主以外もその債権に保険を掛けられるようになっている証券化の登録とか、それが特に為替が絡んでくると、世界の大銀行などがこぞって反対すると述べてあった。ここでも英米などの大国国家が金融に関わる国際競争力強化を望むから、規制を拒むのである。つまり、国家が「外国の国家、法人などからどんどん金を奪い取ってきて欲しい」と振る舞っているから換えられないと、酷く暴力的な世界なのである。

 ③格付け会社の公準化がまた至難だ。その困難の元はこのようなものと語られる。アメリカ1国の格付け3私企業ランクに過ぎないものが、世界諸国家の経済・財政法制などの中に組み込まれているという問題だ。破綻直前までリーマンをAAAに格付けていたなどという言わばインチキの実績が多い私企業に過ぎないのに。ここで作者は「ワイヤード・オン」という英語を使っている。世界諸国家法制にムーディーズとかスタンダードとかの格付けランクがワイアーで縛り付けられているという意味である。この点について、こんな大ニュースが同書中に紹介されてあったが、日本人には大変興味深いものだろう。
『大企業の社債、ギリシャの国債など、格下げされると「崖から落ちる」ほどの効果がありうるのだ。いつかトヨタが、人員整理をせず、利益見込みを下方修正した時、当時の奥田碩会長は、格付けを下げたムーディーズに対してひどく怒ったことは理解できる』(P189)
 関連してここで、つい昨日の新聞に載っていたことを僕がご紹介したいのだが、こんな記事があった。先ず見出しは、『国際秩序の多極化強調BRICS首脳「ゴア宣言」』。その「ポイント」解説にこんな文章が紹介されていた。
『独自のBRICS格付け機関を設けることを検討する』
 15日からブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカ五カ国の会議がインドのゴアで開かれていて、そこでの出来事なのである。ついでに、日本でこういう記事はまず大きくは見えないようになっているということも付け加えておきたい。なお、この会議宣言4つのポイントすべてにおいて「国連」が強調されていたということも何か象徴的なことと僕には思われた。国連を利用はするが無視することも多いアメリカと、国連を強調するBRICSと。
 とこのように、国連や、G7などではなくG20やにおいてアメリカ以外の発言力が強くなっていかなければ、金融規制は進まないということなのである。

 最後に「④新技術、商品の社会的有用性」について。金融商品、新技術の世界展開を巡る正当性の議論なのである。「イノベーションとして、人類の進歩なのである」と推進派が強調するが、国家の命運を左右する為替(関連金融派生商品)だけでも1日4兆ドル(2010年)などという途方もない取引のほとんどが、世界的(投資)銀行同士のギャンブル場に供されているというような現状が、どうして「進歩」と言えるのか。これが著者の抑えた立場である。逆に、この現状を正当化するこういう論議も紹介されてあった。
『「金作り=悪、物作り=善」というような考え方が、そもそも誤っているのだ』
 金融が物作りを「攪乱」したり、現代世界人類に必要な新たな物作りへの長期的大々投資を事実上妨げているとするならば、それは悪だろう。関連して、世界的大銀行は、中小国家の資金まで奪っていくという「罪」を史上数々犯してきたのである。そして、世界の主人公である普通の人人の生活、職業というものは、物(作り)とともにしか存在しない。

 この本の紹介はこれで終わります。ただし、この著作中に集められた膨大な数値などは今後の討論で折に触れて適宜ご紹介していくつもりです。「金融が乗っ取る世界経済 21世紀の憂鬱」という書名をどうかご記憶下さい。

 ここまでお読み下さった方、お疲れ様でした、ありがとう。

(終わり。2017年11月3日当ブログに初出)

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書評 金融グローバリゼーションということ③  文科系

2020年03月17日 07時46分25秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など

書評 金融グローバリゼーションということ ③   文科系

 ロナルド・ドーア著「金融が乗っ取る世界経済 21世紀の憂鬱」(中公新書、2011年10月初版)を要約している。その第二部は、世界の金融化が社会、政治、教育、そして学者たちをどう変えたかという内容。これがまた4節に分けられていて、各表題はこうだ。①社会を変える金融化、②金融化の普遍性、必然性?(疑問符が付いている事に注意 文科系)、③学者の反省と開き直り、④「危機を無駄にするな」(括弧が付いている事に注意 文科系)。

 第1節では、格差、不安の増大、最優秀人材が金融にだけ行く弊害、人間関係の歪みの四つに分けて論じられる。
・「格差」では、06年のゴールドマン・トレイダーら50人のボーナスが、一人最低17億円だったという例を28日のここで紹介した。こういう強食の背後には、無数の弱肉がいると解説を付けて。(この点については、28日拙稿を参照願いたい)
・「不安の増大」では、こんな例が良かろう。日本の国民年金掛け金未納者が38%にのぼること。日本で新たに導入された確定拠出年金が、10年3月末の110万人調査で63%が元本割れとなっている発表された。これらの人々の老後はどうなるのだろうか?
・人材の金融集中では、2010年8月の日経新聞広告を上げている。
『野村、「外資流」報酬で新卒40人採用へ 競争率16倍 専門職で実績連動 11年春、初任給54万円』
 マスメディアのライターからも、大学人やフリーライターとかジャーナリストらがどんどん減って、金融アナリストが急増している。
・人間関係の歪みでは、情報の非対称性(情報量に大差がある2者ということ)を利用して起こる諸結果から、「人をみたら泥棒と思え」と言う世の移り変わりが説かれている。

「金融化の普遍性と必然性?」の要は、金融に特化する先進国に不当な世界的優位性を与えているということである。そこから、西欧がアメリカを追いかけ、今日本がつづき始めた、と。ただし、主要国の家計に占める株と証券との割合は05年でこうなっている。アメリカ46・6%の6・7%、ドイツ23・7%の9・7%、フランス28・0%の1・4%に対して日本15・0%の4・0%である。
 この程度でもう100年に一度のリーマンが起こって莫大な公金を注ぎ込まざるを得なかったとあっては、これで儲けるしかないアメリカがいくら頑張っていても金融立国はもう駄目だという文脈と言える。上記4国の証券%合計は21・8%となるが、1980年のこれは合計34・9%となっていた。4国で割れば、この25年で8・7%から5・5%へと家計における証券保有率は大幅に低減したという事になる。ただこれは家計に占める率であって、世界から金融業者に掻き集められた金はカジノばかりに膨大に投入されているということである。

「学者の反省と開き直り」は省略させて頂く。作者自身も嘲笑的になりそうになる筆を押さえつつ書いているようだし。

「金融危機を無駄にするな」に括弧が付いているのは、掛け声だけという意味である。アメリカの妨害でちっとも進まないからだ。
 リーマンショックが起こって、「100年に1度の危機」と叫ばれた08年秋のころはアメリカも大人しかったようで、金融安定への不協和音はゼロだったとのこと(ただ、この「危機」の長期的根本的意味が一般には3割も理解できていたかどうか、僕はそう思う。)ところが、国際機構をきちんとして罰則を入れるようなものは全くできなかった。決まった事は、G7よりもG20サミットが重視され始めて、保護主義を排し、経済刺激策を取ろうという程度だった。IMFとこれによる規制との強化とについて、新興国と西欧とがかなり主張して端緒についたはずだったが、その後はほとんど何も進まなかった。

 ここで作者は、世界政府、国際制度作りの歴史などの話を起こすことになる。特定分野の国際協力機関は20世紀初めの国際連盟やILO設立よりも前に12もできていたと述べて、「万国郵便連合」などの例を挙げる。
 同じ理屈を語って日本人に大変興味深いのは、日本の戦国時代統一の例が語られている下りだろう。
『日本が16世紀の終わりに一つの国になったのは、信長、秀吉、家康の武力による統合と、幕府という統治制度の意識的な創出が決定的だった』(P132)
 アジア通貨危機やギリシャ危機は、大国金融が中小国から金を奪い取る金融戦争、通貨戦争の時代を示している。そんな金融力戦争はもう止めるべく、戦国時代の戦争を止めさせた徳川幕府のように、金融戦争に世界的規制を掛けるべきだという理屈を語っているのである。IMF(国際通貨基金)のイニシアティブ強化以外に道はないということである。

 金融の国際制度とこれによる執行力ある万国金融規制についてさらに、前大戦中から準備されたケインズの国際通貨、バンコール構想も解説される。が、これはドル中心にしようとのアメリカの終戦直後の実績と強力との前に脆くも崩れ去ったということだ。ドルが基軸通貨になったいきさつ説明なのである。
 以降アメリカは自国生産量より4~5%多く消費でき、日本や中国はその分消費できない国になったということである。それぞれ膨らんだドルを米国に投資する事になってしまった。その意味では、中国銀行総裁、周小川が09年に「ケインズ案に帰るべし、新機軸通貨、本物の国際通貨の創設を!」と叫び始めた意味は大きい。中国は今や8000億ドルの米国債を抱え、不安で仕方ないのであろう(この8000億は現在では1兆2500億ほどになっている。文科系)。中国のこの不安は同時に、アメリカにとっても大変な不安になる。「もし中国が米国債を大量に売り始めたら。国家、家計とも大赤字の借金大国の『半基軸通貨』ドルは大暴落していくのではないか」と。周小川中国銀行総裁が「本物の国際通貨の創設を!」と叫ぶのは、そんな背景もあるのである。

 なお、これは私見の言わば感想だが、アメリカが中東重視から西太平洋重視へと世界戦略を大転換させたのは、以上の背景があると観ている。中国に絶えず圧力を掛けていなければ気が休まらないのだろう。


(次回で終わりです。この拙稿は、2017年11月2日当ブログ初出です。リーマンショック以上のことが進行中の今、改めてという趣旨です)

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書評 金融グローバリゼーションということ ②  文科系

2020年03月16日 07時43分27秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など

 中公新書、ロナルド・ドーア著「金融が乗っ取る世界経済 21世紀の憂鬱」(2011年10月初版)の要約を行っている。同書が以下の3部に別れているのに合わせて。「金融化現象とは何か」、「これにより、社会、政治、教育などがどう変わるか」、「各国、国際機関による、これの弊害是正、金融改革の試み」である。今回はその第一部の要約とする。

 ただこの本、非常に難解である。最大の特長が21世紀日本経済(ある過渡期)の最新・最大テーマということなのだが、なんせ、日本語の達人と言っても外国人が書いた日本語。やはりどこか違うと言わざるを得ない。時に省略、時に冗長と、言葉の選択が普通の日本語とは違う。これに研究対象の難しさも加わったこの難物を、順不同、勝手に要約していく。

 第一部の目次はこうなっている。①金融化ということ、②資本市場の規模拡大、③実体経済の付加価値の配分、④証券文化の勃興、と。

 金融化について、ある人の要約が紹介される。『国際国内経済で、金融業者、企業の役割や、一般人の金融志向が増していく過程』。この「増していく」の中身は、こういうもの。社会の総所得における金融業者の取り分が増えたこと。貯蓄と企業との関係で金融業者の仲介活動が急増したこと。株主資本主義。政府がこの動向を国際競争力強化の観点から促進してきたこと。

 米企業利益のうち金融利益の割合が、1950年代までは9・5%であったものが急増して、02年には41%と示される。その後非金融業の巻き返しがあってやや減少期があったものの、2010年度第一四半期はまた36%まで来たとあった。サブプライムバブルの膨張・破裂なんのそのということだろう。

 次は、こうなった仕組みとして、金融派生商品の膨張のこと。
 著者は先ず、シカゴ豚肉赤味の先物市場投資額を、急増例として示す。初めの投資総額はその豚肉生産総費用にもみたぬものであったが、これが、生産費用とは無関係に爆発的急増を示すことになる。1966年の先物契約数が8000だったものが、2005年に200万を超えるようになったと。そして、これも含んだ金融派生商品全体のその後の急増ぶりがこう説明される。2004年に197兆ドルだった国際決済銀行残高調査による派生商品店頭売り総額が、2007年には516兆ドルになっていると。この期間こそ、08年に弾けることになったサブプライム・バブルの急膨張期なのである。同じ時期の現物経済世界取引総額とのこんな比較もあった。同じ2007年4月の1日平均金融派生商品契約総額が3・2兆ドルだが、これは世界のこの月の1日実体経済貿易総額(320億ドル)の実に100倍であると。

 これほど多額の金融派生商品の売買は、証券化という技術が生み出したものだ。
 証券化の走りは売買可能な社債だが、『住宅ローンや、消費者金融の証券化、様々な方法で負債を束ね「パッケージ」にして、低リスク・高リスクのトラッシュ(薄片)に多様に切り分けて売る証券や・・』というように進化していった。リスクが大きいほど儲かるときの見返りが大きいという形容が付いた例えばサブプライム債券組込み証券(の暴落)こそ、リーマン破綻の原因になった当の「パッケージ」の一つである。
 そんな金融派生商品の典型、別の一つに、これに掛ける保険、クレディット・デフォルト・スワップ(CDS)という代物がある。この性格について、有名な投資家ジョージ・ソロスが「大量破壊兵器」と語っているとして、こう紹介される。
『ゼネラル・モータースなどの倒産を考えよ。その社債の持ち主の多くにとって、GMの再編より、倒産した場合の儲けの方が大きかった。人の生命がかかった保険の持ち主に、同時にその人を打ちのめす免許を持たせるようなものだ』
 まさに「(会社再建よりも)打ちのめした方が儲かる」というCDSの実際が、投資銀行リーマン・ブラザースの倒産でも、見事に示された。倒産時のリーマン社債発行残高は1,559億ドルだったにもかかわらず、その社債へのCDS発行銀行の債務総額は4,000億ドルだったのである。社債を実際に持っている者の保険と言うよりも、単なるギャンブルとしての約束事だけの保険のほうが2・5も大きかったということになる。約束事だけへの保険ならば、競輪競馬に賭けるようなもので、無限に広がっていく理屈になる。

 こうして、こういうギャンブル市場がどんどん膨張していった。政府も国際競争力強化と銘打って証券文化を大いに奨励した事も預かって。各国年金基金の自由参入、確定拠出年金・・・。これらにともなって、機関投資家の上場企業株式所有シェアがどんどん増えていく。1960年アメリカで12%であったこのシェアが、90年には45%、05年61%と。そして、彼らの発言力、利益こそ企業の全てとなっていった。
「経営者資本主義から投資家資本主義へ」
そういう、大転換英米圏で起こり、日本はこれを後追いしていると語られる。

 この大転換の目に見えた中身は語るまでもないだろう。企業から「金融市場への支払い」が、その「利益+減価償却」費用とされたキャッシュ・フロー全体に占める割合の急増。アメリカを例に取ると、1960年代前半がこの平均20%、70年代は30%、1984年以降は特に加速して1990年には75%に至ったとあった。
 彼らの忠実な番犬になりえた社長は彼らの「仲間」として莫大なボーナスをもらうが、「企業の社会的責任。特に従業員とその家族、地域への・・」などという考えの持ち主は、遺物になったのである。こうして、米(番犬)経営者の年収は、一般社員の何倍になったか。1980年には20~30倍であったものが、最近では彼の年金掛け金分を含んで475倍平均になっている。その内訳で最も多いのは、年当初の経営者契約の達成に関わるボーナス分である。全米の企業経営者がこうして、番犬ならぬ馬車馬と化したわけだ。

「証券文化」という表現には、以上全てが含意されてあるということだ。企業文化、社長論・労働者論、その「社会的責任」論、「地域貢献」論、「政治家とは」、「政府とは・・?」 「教育、大学とは、学者とは・・?」、そして、マスコミの風潮・・・。


(二部、三部に続く。この拙稿は2017年11月1日当ブログに初出。これの再掲である)

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