この本の最大の特徴は、本の題名が示す通りで、激しいネット議論が最も多い近現代日本史を通じて歴史学という学問自身を改めて根本から考えてみようという点にある。何よりも初めに、そのことを概論した「はじめに」と「序章 近現代日本史の三つのパラダイム」を要約してみよう。
歴史とは先ず何よりも「無数の出来事の束」である。その中から何かを選んでものを語っている事自体にすでにその出来事などの「選択」、「解釈」、「意味づけ」などの作業が含まれている。ある解釈に基づいて通史、時代、事項などを叙述したものが「歴史像」であって、歴史学とはこういう歴史像にしていく作業なのである。
という事自身が、「歴史論とは事実の説明にすぎぬ」とだけ考えているやのネトウヨ諸君にはもう解説が必要だろう。
明治維新一つとっても、そのなかの例えば開国一つを採ってみても、これらを説明していくのに不可欠な重要な出来事一つずつを採ってみても、まず、当時の「無数の出来事の束」の中からこれらを重要として選び出した選択・解釈やその基準があるということだ。そういう解釈や基準は、日本史全体を動かしてきた要因などにも関わる過去の歴史学(者)らの諸学説などを踏まえれば踏まえるほど、精緻なもの、学問として水準の高いものになってくる。歴史を解釈する方法論が豊かになるほど、歴史の叙述が豊かで、精緻なものになるという事だ。
ところで、この解釈という事がまた、変わっていく。重大な新資料が出てくると換わるのは当然としても、解釈者自身らの時代も移り変わるところから歴史事実の束に臨む「問題意識」自身が変わるからである。近現代史における解釈変化の一例として、こんなことを著者はあげる。
明治維新の基点である近代日本の始まりをどこに観るか自身が、変わったと。1950年代までの基点は1840年代の天保の改革の失政だったと観られていて、1960年にはペリー来航(1853年)がその基点に替わったというのである。歴史学会自身いおいて、そのように通説が変わったと。
さて、近現代日本の通史を見ていく見方、解釈法、思考の枠組みについて作者は、科学史の用語を借りてパラダイムと呼ぶ。そして、大戦後の日本近現代史学会には、2回のパラダイム変化が見られたと論を進める。つまり、日本近現代史を通した解釈について、戦後三つの解釈枠組みがあったと。もちろん、前の解釈枠組みを踏まえて後の解釈枠組みが、地層が重なるように生まれてきたわけだがと条件を付けて。この三つとは、こういうことになる。
第一が「社会経済史」ベースのパラダイム。第二が「民衆史」ベース、第三が「社会史」ベースだったと。第一ベースは既に、戦前の30年代からあったもので、第二は1960年ごろに始まり、第三が始まったのは1980年ごろだとも述べられてあった。
ちなみに、日本史教科書のパラダイムは、第一期をベースにして、第二期の成果も取り入れている程度のものだという説明もあった。
さて、以上を踏まえた上でこの本の全体はこう進んでいく。日本近現代史の各章名に当たるような重要事項、時期それぞれがこの三つのパラダイム変化によってどのように解釈変更されてきたかと。
先ず、明治維新には、開国、倒幕、維新政権と、三つの章が当てられる。以降は「自由民権運動」、「大日本帝国論」、「日清・日露戦争」、「大正デモクラシー」、「アジア・太平洋戦争」、「戦後社会論」と、全9章が続く。この9項目それぞれにおいて、三つのパラダイム時代でどこがどう解釈改変されてきたかと説明されていくわけである。





