(七夕飾り/鎌倉八幡宮)
『ヒロシのお嫁さんになれますように』
『ショウ君が、私の事に気付いてくれますように』
可憐でいじらしい言葉が書かれた絵馬が八幡宮の棚には、提げる空きスペースが無いくらい二重、三重にも結び付けられている。
上を見上げると大きな七夕飾りの吹流しがサラサラと揺らいでいる。
眺めているうちに、「七夕」をどうして「たなばた」と読むのかと、親に教わった遠い思い出が蘇る。
『古くから「七夕」は「棚機(たなばた)」や「棚幡(たなばた)」と書いていた。七夕とはお盆行事の一つで、精霊棚とその幡を安置するのが7日の夕方だったから、7日の夕で「七夕」と書いて「たなばた」と読むようになったそうだ』と。
またその頃、七夕の日は学校に行く前に、親に起こして貰い、寝ぼけ眼のまま姉弟と連れ立って、サトイモの葉に溜まった夜露を集めに行った。陽が登る前に集めないと夜露は蒸発してしまう。それを硯に移して墨をすり、その墨で短冊に願い事を書き、裏山から取ってきた竹笹に結んだ記憶も蘇る。
あの頃自分は短冊に何と書いたのだろう、天の川の星に何を願ったのだろう。また親は、自分をどこに向かわせようとしていたのだろう。
時代が移っても親の願いはもどかしい。
七夕飾りを見上げながら、何を願おうかと考えた。自分はこれまで五年間もの長い間、方々の神社でお願いばかりをしてきた。そして聞き届けて貰い今日が有ると考えている。これからの自分の事は、もうあるがままで良い。
そしてあえて願った。人並みに孫と言うものをこの手に抱いてみたいと。
先日の息子との会話。
「お前の彼女に会いたいな」
「ほっといて頂戴---」と、ケラケラと笑っていた。
当分、願いは果たされそうに無いか。