海側生活

「今さら」ではなく「今から」

狂ったままのリズム

2011年09月28日 | 海側生活

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日常の生活に何となくメリハリを付けられぬ気持ちを抱いたまま、鎌倉の町を目的も持たず歩いた。

町角では、人力車を引くオニイちゃん達も手持ち無沙汰で、仲間内での井戸端会議が花盛りだ。
真夏の海水浴シーズンも終わり、寺々には花が殆ど咲いていない。山々の紅葉には早いし、行事も少ないこの時期は、一般の観光客が少ない、修学旅行の学生達の姿も殆ど目にする事が出来ない。
オニイちゃん達の真っ黒に日焼けした身体と、筋肉が盛り上がっている足を見るとはなしに見ているうちに、自分のこの夏を振り返った。

夏の初めに、忘れ物を受け取りに行くような感覚で東海道五十三次を歩き通し、京都三条に着いた時には、自分の生活の次のステップが現在以上に、まるで写真に撮ったように見えている筈だ、と考えた。
しかし、身体を痛めた割には、達成したと言う高揚感は無かった、ただ着いてしまった、と言う感覚しか残らなかった。まして次のステップ等は見えて来なかった。

昨年の自分の行動と比較したら、昨年の夏は磯遊びを3回、舟での魚釣りを7回と海に10回も出掛けていた。しかし、今年は海には1回も出掛けていない。ただ眺めていただけだ。これほど海が好きで、海側生活を楽しんでいた筈なのに、我ながらこの事実に改めて愕然とした。

そうなのだ。3.11の東北での出来事が、自分には今でも尾を引いているのだ。
思えば、ここからそれほど遠くない北の海で多くの犠牲者が出たのに、潮流で繋がっている同じ海で、自分だけが遊ぶわけにはいかない、と当初に考えた感情が、まだ自分の胸の内には残っているのだ。

既存の価値観に疑問を感じながらも、新たな思想や理念などを見出せずにいた。
生活の自分のリズムをすっかり狂わしていたのだ。美味しいものの食べ歩きも止めていた。好きな歴史散策も気が乗らなかった。

しかし富士山の初冠雪を見て思う。
時は絶え間なく流れているのだ。
そろそろ自分の「我がまま法則」を発揮しなくちゃ!