海側生活

「今さら」ではなく「今から」

笑い拒絶症

2011年09月20日 | ちょっと一言

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テレビをつけると笑い声が噴出す。
それも馬鹿笑いが主で、中にはオモチャの猿のように手を叩いているタレントも居る。何かよほど愉しいことがあるのかと、暫く画面を見ているが、殆どの場合、自分には全く愉しくない。

それは多分、笑いがあればテレビは明るく賑やかになり、世を明るくして、視聴率が取れるとでも思っているテレビ人がいて、タレントに対し、可笑しくも愉しくもなくても大声で笑えと、命じているのだろうか。

自分はいつの頃からか、テレビから噴出す騒音的笑いに対して拒絶反応を示すようになってしまった。
だから、テレビのスイッチを押し、いきなり笑い声が飛び出してくると、チャンネルを回すか切るようになった。
そのうち、この症状は進行し、常にそう言う笑いで売っているタレントが一瞬テレビに映っただけで、慌てて反射的にチャンネルを回すようになった。
こんな症状は自分だけの行動なのだろうか。

ユーモアの無い人とは付き合いたくないと思うぐらい、笑いはもともと好きだ。
しかし耐えられない笑いがある。ウケ狙いの笑い、媚びるための笑い、他人の苦境や欠陥への笑い等、そうした笑いは何とも苦々しい。

この種の笑いを幼児期から連日、馴れ親しんでしまうと、幼い脳は感化され、これが笑いだ、これが正常なのだと思い込んでしまうのは怖いことだ。

笑いは人間にとって無くてはならない貴重なものである。自分は笑顔を持つ動物を、人間以外に見たことは無い。

時には少年・少女達に話し聞かせたい。
人間は寡黙で近寄り難くても、心に響く言葉を持ち、独特の美意識を備えた人もいる。その人は本当に嬉しくないと笑わないし、サルのように手も叩かないが、寄ると暖かいし、語ると深い、そんな大人もいる事を。