現代から取り残されたような小さな漁師町で、海側生活を始めて三年が経とうとするのに、この漁港で行われている小さな伝統作業を始めて知った。
彼は毎年九月頃から海中に生えているいるポイントを数ヶ所チェックし、その後生育状態を一週間に一度は確認し、11月23日の一週間前にそれを採取して、大きな樽に入れ、常に新しい海水を注ぎながら、それに付着している海の汚れを取り除き、生かしたまま保存する。そして海水に入れたまま、一日前に皇居に出向き天皇に献上する。
彼は老齢のため本業の漁は休みがちだが、彼一人だけがこの作業を何十年も行ってきた。
「海松(みる)」の手触りはスポンジの様に柔らかく、うどんほどの太さの枝が規則正しく枝分かれして、高さは40cmほど。全体の形は松の木のように末広がりになっており、松の葉によく似ているので「海松」の漢字を当てたと言われている。
新嘗祭(にいなめさい)は宮中祭祀のひとつ。収穫祭にあたるもので、11月23日に、天皇が五穀の新穀を天神地祇(てんじんちぎ)に勧め、また自らもこれを食して、その年の収穫に感謝する行事とか。飛鳥時代に始められたと書いてある。
そして現在は勤労感謝の日として国民の祝日だ。
新嘗祭には各地から五穀、新酒、海産物等が奉納される。その内、海産物として奉納される「海松」は、小坪の海で採取された物が使用されている。
彼は言う。『どうして、小坪の海松が使用されるようになったのか、また海松が海藻類の代表として使われるのかは、現在の宮内庁の担当者にも解らないとの事。しかし、小坪が鎌倉から江戸時代を通じて都の蛋白質の供給地として確固たる地位を占めていた事、そして、「海松」は文様として平安時代から用いられていた事、海松文には海松丸という丸文の一種があり、この丸文は染型紙や漆器の文様に使われて来た歴史がある事等を併せて考えると、なんとなく納得できる』と言う。
また彼は『献上した海松は細かく刻まれ、お吸い物にされるようです』とも話してくれた。
しかし自分自身の今後については、何も話して貰えなかった。
季節は巡り時は流れる、人には一生と言う時間の制約があるが、ここには変わらず六百年以上(相州小坪浦漁業史)も続いている伝統もある。
今日という日に、自分にとって何が大切なのか、つい振り返ってみた。