松美の言絵(いえ)

私は誤解されるのが好きだ。言い訳する手間が省けるから。

シャクヤクは、一見に如(し)かず。

2021-06-03 10:59:55 | 日記・エッセイ・コラム
 どっかで原液をそのまま注射しちゃった。6人に。

 このニュースで実は、安心した。濃くても大丈夫なんだ。多く接種しても死なない。二度やったぐらいでは影響ないことがはっきりした。良い傾向だ。これで安心して二度目が出来る。


 でもやっぱりオレは、一度でいいんだがなあ。

 芍薬園もいいが、郊外の畑に咲いたシャクヤクもいい。
 おばさんに断わっておこうと話しかけた。「おれっ。おれどご写すの?」この辺は女性も「おれ」と言う。「いっ、いや。花の方」おばさんも入るけど、欲しいのはシャクヤクの方。


 道路から山を背景にした遠景を撮っていると。そんな遠くがらでねぇくて、近ぐさ行げ。畑の中にお邪魔してもいいという。そ、そうですか。じゃ、遠慮なく。思ったより打ち解けて豪快なおばさんだった。


 日本は昔からね。自分ちの畑に、花も植える余裕があった。こういうところが、日本的でいいよね。何をするにも、ココロにゆとりがある。

 富山の高岡で、銅製の火鉢が盛んに作られた。久しぶりに作るという職人さんは、3人で1工程づつ担当する。銅の打ち出し(鋳造)。彫金で銀を象嵌する職人。色をつける職人。


 これだけ豪華だと、今だば10万円以上するだろう。一家に一台あった頃の火鉢は、陶器製の質素な造りで。長屋なんかでは、お古(ふる)かリースもあったかも。
 こういうのに「用の美」を発見したエドワード・モースは、家庭用品を大量に持って帰った。


 職人の意地もあったろうけど。そうやって競って、いいモノを作った。仕事に妥協はしない。プライドはあったはずだ。

 後世に美術品として鑑賞できるほど質の高い「民藝品」。


 秋田で言えば、山桜の皮で作った「樺細工」の茶筒や「曲げわっぱ」の弁当箱。

 ちょっと前までの日本には、至る所に居たんだろうねえ。

 そういうプライドを持った、職人技の職人が。
コメント
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