どっかで原液をそのまま注射しちゃった。6人に。
このニュースで実は、安心した。濃くても大丈夫なんだ。多く接種しても死なない。二度やったぐらいでは影響ないことがはっきりした。良い傾向だ。これで安心して二度目が出来る。
でもやっぱりオレは、一度でいいんだがなあ。
芍薬園もいいが、郊外の畑に咲いたシャクヤクもいい。
おばさんに断わっておこうと話しかけた。「おれっ。おれどご写すの?」この辺は女性も「おれ」と言う。「いっ、いや。花の方」おばさんも入るけど、欲しいのはシャクヤクの方。
道路から山を背景にした遠景を撮っていると。そんな遠くがらでねぇくて、近ぐさ行げ。畑の中にお邪魔してもいいという。そ、そうですか。じゃ、遠慮なく。思ったより打ち解けて豪快なおばさんだった。
日本は昔からね。自分ちの畑に、花も植える余裕があった。こういうところが、日本的でいいよね。何をするにも、ココロにゆとりがある。
富山の高岡で、銅製の火鉢が盛んに作られた。久しぶりに作るという職人さんは、3人で1工程づつ担当する。銅の打ち出し(鋳造)。彫金で銀を象嵌する職人。色をつける職人。
これだけ豪華だと、今だば10万円以上するだろう。一家に一台あった頃の火鉢は、陶器製の質素な造りで。長屋なんかでは、お古(ふる)かリースもあったかも。
こういうのに「用の美」を発見したエドワード・モースは、家庭用品を大量に持って帰った。
こういうのに「用の美」を発見したエドワード・モースは、家庭用品を大量に持って帰った。
職人の意地もあったろうけど。そうやって競って、いいモノを作った。仕事に妥協はしない。プライドはあったはずだ。
後世に美術品として鑑賞できるほど質の高い「民藝品」。
秋田で言えば、山桜の皮で作った「樺細工」の茶筒や「曲げわっぱ」の弁当箱。
ちょっと前までの日本には、至る所に居たんだろうねえ。
そういうプライドを持った、職人技の職人が。