棚からぼた餅--岩淵龍王丸

信州の山郷での暮らしと、絵本と無縁になってしまった大人に向けた創作絵本や、芸術活動をお話します。

シャーマン--祈祷・呪術

2008-05-14 08:49:44 | 海外紀行文
ケロシンランプのもとでは、ビデオ撮影は難しい、その上、奥地で困るのがバッテリー。
残念ながら、満足のいく撮影はできなかった。

祭壇の食べ物の盛り付けが面白かった。
鶏肉、穀物、果物・飴・菓子など、かなりの量がささげられていた。
盛り付けが曼荼羅模様のごとく、見事なもので、この模様にも意味があるとか。

カーチャン連はお喋りに夢中だし、男たちもゴロゴロしている。子供たちもいる。
しょうし抜けするほどあっけらかんで、これから村芝居でも始まりそうだ。
皆はあるていど知っている様子だった。
ただ、カーテンに仕切られた裏には、50歳くらいのオッチャンがフーフーいっていた。

8時頃、楽隊が来ると、出し抜けに激しい打楽器演奏が始まる。
民俗音楽的な旋律ではなく、アップ・ダウンの繰り返しだった。
祈祷の様子をとても書ききれないが、二人の祈祷師はまったく目を開けることなく、すざましい速さで踊り、駆けずり回る。
見えたとしても、狭い室内から外へ飛び回ることは難しいだろう。
だいぶたってから、なにやら人形を取り出し、病人の体にこすりつけ、踊りを繰り返す。
やがて、人形をかまどに放り込むと、家の中の物を手当たりしだい、火に投下しだす。
家のものはあわてて、取り出す。
どたばた喜劇のようで、見物人も大笑いをするが、祈祷師はまったく異次元空間にいる感じだった。

なにやら病人から真っ黒なものが取り出され、村人に見せる。私も見た。
その時も、祈祷師は目をつむったままだった。
夜もふけ、ゴロゴロ寝だすものや、帰宅する者などしだすが、祈祷は延々と続くようだった。
私も12時ごろ世話になっていた、村長宅にかえったが、私もアムラム君も真っ暗な道は、チビルほどおっかなかった。

翌日、病人宅に出かけると、庭に奇妙な祭壇が作られていた。
病気が快癒したかは判らなかったが・・。
残面ながら、アムラム君も言葉がわからず、祈祷の意味は全くわからないでいます。


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