棚からぼた餅--岩淵龍王丸

信州の山郷での暮らしと、絵本と無縁になってしまった大人に向けた創作絵本や、芸術活動をお話します。

消えた熱帯雨林--カリマンタン

2008-05-09 10:39:28 | 海外紀行文
3日めに乗り合い船の終着地ワハウ村に着く。
桟橋といっても原木がワイヤーて゛むすばれただけ。
ともかく腹が減っていたが、食堂は無い。
小型トラックをチャターし、すぐに奥地に向かう。レンガ色の道は、すざましい土煙をたて、臓器がとびだしそうにな悪路をぶッ飛ばす。
ようやく着いた集落は整備され、店屋や食堂もある。
さっそく、ビールで乾杯。
ガイドのアムラム君が一気にここまできたのは、あのドイツ青年とかかわるのを嫌ったからだった。
「西欧人の捜索願が数件あるが、入域名簿に記載も無く、全く見当がつかないでいる。連中はクレイジーだ。」
後日サマリンダで行き会った警察官から、捜索隊に借り出されたことがあったが、二度と行きたくないと語っていた。

ようやく来たカリマンタン島の内陸部だが、熱帯雨林の茂みなどどこにも見えず、だたっ広いバナナ・コショウ・ココナッツ・陸稲などの農園が地平線を描いている。
暑い、すごい熱さだ。砂漠とはまた違って、蒸気サウナ風呂の熱さだ。
こんな地に、森の住人たちがいるわけがない。
久しぶりのビールと焼酎に、アムラム君に八つ当たりをし、ふて寝をしてしまった。

「りゅ-、Ryu 早く来い!!」 アムラム君が呼ぶ。
数人の若者たちが、木陰のオバアチャンたちを囲んでいる。
「ポートポート」と老婆の耳を指差す。
ダヤック族の風習である長い耳たぶと、手足にビッシリト刺青が見える。
ソット隠す老婆たちは小さな体を一層小さくし、哀しさを超え無表情な目になってしまった。
そのとき私はこの地は、生きたダヤック族の文化圏でないことを悟った。
というのは、以前にマレーシア領で保護隔離されたプナン族の人たちと、同じ悲しき目であったからだ。

ダヤックとは森に住む部族の総表で、アミニズム・シャーマニズムを信じ、「首狩り族」と呼ばれた好戦的な過去が在る。
しかし、ケニャー族に代表される美意識は、カリマンタンの芸術家とも言われるほどだ。
わたしは、その生活・文化を尋ねるために来たのだが・・・。
耳たぶに直径5cm以上もの輪などがはめられている。
かなりの技術で編まれた、すばらしき模様の傘


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