棚からぼた餅--岩淵龍王丸

信州の山郷での暮らしと、絵本と無縁になってしまった大人に向けた創作絵本や、芸術活動をお話します。

暑い・寒い・痒い 熱帯雨林

2008-05-15 06:50:07 | 海外紀行文
森へのイメージは人によってかなり違っています。
かろうじて生き延びている、鎮守の森。
整備の行き届いた、公園の森。そして、宮沢賢治の童話世界のごとき、人間をやさしくむかへ入れてくれる森。
しかし、通常ジャングルといわれる森は、恐ろしい。
全てがデカク、鉢植えの観葉植物が10Mはあり、畳一枚はあろう芋科の植物。
絞め殺しと呼ばれるつる性植物が、巨木にからみつく。
コケの鮮やかな緑色にバッとさせられるが、触れてみようなどと言う気はおきない。どことなく不気味である。

疲れれてチョイト根カブでイップクしたくも、ジメジメしているうえに、得体の知れぬ虫や蚊がワッとくる。
始末の悪いのが、ブヨで、こいつは音なしでおそってくる。
さらに、ゾッとするのがヒルで、妙なカユミに気ずけば、2-3cmほどの真っ黒なやつが、パンパンにふくらんでぶら下がっている。
タバコの火をあてて落とすのがコツで、ひっぱり落とすと、なかなか血がとまらない。
泉鏡花の「高野山」のシーンそのもので、思い出しても、気味がわるくなる。

獣のことを聞かれるが、日中での観察はほとんどできない。
樹木で覆われた天井では、確かに色々な声が聞こえるが、所在はわからない。
カメレオンなど、鼻先にいたのだが、いわれるまでわからなかった。
動物・植物などのカメラマンは、本当にたいへんな環境で、撮影をしていることだと思います。

シャーマン--祈祷・呪術

2008-05-14 08:49:44 | 海外紀行文
ケロシンランプのもとでは、ビデオ撮影は難しい、その上、奥地で困るのがバッテリー。
残念ながら、満足のいく撮影はできなかった。

祭壇の食べ物の盛り付けが面白かった。
鶏肉、穀物、果物・飴・菓子など、かなりの量がささげられていた。
盛り付けが曼荼羅模様のごとく、見事なもので、この模様にも意味があるとか。

カーチャン連はお喋りに夢中だし、男たちもゴロゴロしている。子供たちもいる。
しょうし抜けするほどあっけらかんで、これから村芝居でも始まりそうだ。
皆はあるていど知っている様子だった。
ただ、カーテンに仕切られた裏には、50歳くらいのオッチャンがフーフーいっていた。

8時頃、楽隊が来ると、出し抜けに激しい打楽器演奏が始まる。
民俗音楽的な旋律ではなく、アップ・ダウンの繰り返しだった。
祈祷の様子をとても書ききれないが、二人の祈祷師はまったく目を開けることなく、すざましい速さで踊り、駆けずり回る。
見えたとしても、狭い室内から外へ飛び回ることは難しいだろう。
だいぶたってから、なにやら人形を取り出し、病人の体にこすりつけ、踊りを繰り返す。
やがて、人形をかまどに放り込むと、家の中の物を手当たりしだい、火に投下しだす。
家のものはあわてて、取り出す。
どたばた喜劇のようで、見物人も大笑いをするが、祈祷師はまったく異次元空間にいる感じだった。

なにやら病人から真っ黒なものが取り出され、村人に見せる。私も見た。
その時も、祈祷師は目をつむったままだった。
夜もふけ、ゴロゴロ寝だすものや、帰宅する者などしだすが、祈祷は延々と続くようだった。
私も12時ごろ世話になっていた、村長宅にかえったが、私もアムラム君も真っ暗な道は、チビルほどおっかなかった。

翌日、病人宅に出かけると、庭に奇妙な祭壇が作られていた。
病気が快癒したかは判らなかったが・・。
残面ながら、アムラム君も言葉がわからず、祈祷の意味は全くわからないでいます。

シャーマン--呪術師

2008-05-13 06:42:04 | 海外紀行文

木々に覆われた川を、船外機をつけた丸木船で遡上。
ダヤック族の昔からの村ではないが、20軒ほどの移住地に行く。
集落に入ると、子供の声がしたはずなのに、人気がなくなってしまった。
強烈な光に照らされた砂道が、静けかえり、印象的だった。
村内は日中は、老人や女子供ばかりで、よそ者に対しての警戒心と、特に挨拶の習慣がないらしい。
つまり、私たち三人の対応に戸惑って、家の中から見ていたわけだ。

歳は40代で、キリッとしたハンサムな村長さんのお宅に世話になる。
村長のたどたどしいインドネシア語--アムラム君の英語--私のたどたどしき英語
なんとも、話半分どころか10分の一程度の、学術的(??)ンンタビューだった。
ダヤックの美術的表現については、めんどうなので割愛しますが、私には納得い行かないでいた「曼荼羅絵画のすきま」をうめてくれるものだった。
そして、命の永遠なつながり『連続スル生命体』の作品へとなっていきました。
http://ryuomaru3.web.fc2.com/man-aisatu.html
二日ほどして、夜に病気治療の祈祷があるから、見学に行けと。
通りを散歩しても、もう顔なじみになり、「たばこと1万ルピア」を持参し下見にいく。
タケで作られた込み入った作りの祭壇があり、すでにかなりの現金が献上されていた。

少し雰囲気の違った、Tシャッツ姿のオッチャンが二人。
いたって愛想よく迎えてくれ、写真を撮る。今夜ぜひ来てくれと・・。

ガイドのアムラム君。私を日本のTV局(セミプロ級のビデオカメラを持ち込んでいた)の者だとフイていたようだった。

カリマンタン-消えた熱帯雨林

2008-05-12 07:36:51 | 海外紀行文
ワハウ村でお世話になった家は、中華系の大農園主。
日本製の大型TVやクーラーなどなど、砂埃のかむった乗用車と、かなりの経済力。
よく、電気のあることが文明の基準と思われますが、いまや発電機があり、どこでもOKだ。
TVはもちろん衛星で、日本の番組も見れた。
ご主人は実に働き者で、一週間の滞在で二度しかあわなかった。
私たちは息子の運転で、ピカピカなトヨタの4Wで、一帯を探索した。

大農園は森林を伐採の跡地を、様々な地域から入植した開拓地だ。
ほとんどが身ひとつで来た人たちは、思うように収穫が出来ず、借金暮らし。
挙句が、華僑系や金持ちに土地を売ることになる。

森林開発は人々のためといっても、簡単に言ってしまえば、そんな図式がみられる。
インドネシアの熱帯雨林開発の裏を、様々なところで目撃したが・・・。

ワハウ川・テレン川・ペサップ川流域を訪ねてみたが、こざっぱりとした新しい家々の集落ばかりだった。
ダヤック族の文化はおろか、彼らを育んできたであろう森が消えてしまっていた。
インドネシアの政策である、定住化と一家族一家屋の促進は、ダヤック族本来のロングハウスと呼ばれる集団生活が、でなくなってしまった。
入植移住政策が、森に生きてきた人々とまったく無関係に、おしすすめられていることを知った。
伐採された巨木が岸辺を削り落としていく。

大農園地帯の不夜城

2008-05-11 10:25:57 | 海外紀行文
当ての外れたワハウ地域に、ふて寝が多くなってしまったある夜
「リュウ・・バーに行こう」
「この村の食堂で飲むのもあきた」の返事に、さにあらず、遠でをするようだ。

真っ暗闇のガタガタみちを、四駆は突っ走る。
3時間走った頃、突然、光り輝くところにでた。
泥だらけのオートバイ・乗用車・トラックが無造作に駐車されている。
大農園地帯に忽然と出現した、ミニミニミニ・らすべかすだ!!!

ぶっちょう面は、たちまちしまらない顔になり、いそいそとテーブルにつく。
すかさずオバチャンが「コーケア? タイペイ?ときた。
私にベッタリと座った女性は、20歳代後半。しきりに「ルーム・ルーム」と・・
アムラム君も農場主の息子も、まったく無関心に「いってきたら。まっている」

三畳ほどの小部屋は、ベットに彼女の私物が置かれていた。
ダヤック族だという彼女。学術調査ヨリ先に、必然的人間文化交流
親密な交流のあと、彼女は床板をめくると、小川が流れいて、自然を利用したトイレでした。

帰りはスコールになり、ぬかるみは雪道よりも始末が悪かった。
祭り稽古の娘さん。記事とはまったく関係ありません。アシカラズ

消えた熱帯雨林--カリマンタン

2008-05-09 10:39:28 | 海外紀行文
3日めに乗り合い船の終着地ワハウ村に着く。
桟橋といっても原木がワイヤーて゛むすばれただけ。
ともかく腹が減っていたが、食堂は無い。
小型トラックをチャターし、すぐに奥地に向かう。レンガ色の道は、すざましい土煙をたて、臓器がとびだしそうにな悪路をぶッ飛ばす。
ようやく着いた集落は整備され、店屋や食堂もある。
さっそく、ビールで乾杯。
ガイドのアムラム君が一気にここまできたのは、あのドイツ青年とかかわるのを嫌ったからだった。
「西欧人の捜索願が数件あるが、入域名簿に記載も無く、全く見当がつかないでいる。連中はクレイジーだ。」
後日サマリンダで行き会った警察官から、捜索隊に借り出されたことがあったが、二度と行きたくないと語っていた。

ようやく来たカリマンタン島の内陸部だが、熱帯雨林の茂みなどどこにも見えず、だたっ広いバナナ・コショウ・ココナッツ・陸稲などの農園が地平線を描いている。
暑い、すごい熱さだ。砂漠とはまた違って、蒸気サウナ風呂の熱さだ。
こんな地に、森の住人たちがいるわけがない。
久しぶりのビールと焼酎に、アムラム君に八つ当たりをし、ふて寝をしてしまった。

「りゅ-、Ryu 早く来い!!」 アムラム君が呼ぶ。
数人の若者たちが、木陰のオバアチャンたちを囲んでいる。
「ポートポート」と老婆の耳を指差す。
ダヤック族の風習である長い耳たぶと、手足にビッシリト刺青が見える。
ソット隠す老婆たちは小さな体を一層小さくし、哀しさを超え無表情な目になってしまった。
そのとき私はこの地は、生きたダヤック族の文化圏でないことを悟った。
というのは、以前にマレーシア領で保護隔離されたプナン族の人たちと、同じ悲しき目であったからだ。

ダヤックとは森に住む部族の総表で、アミニズム・シャーマニズムを信じ、「首狩り族」と呼ばれた好戦的な過去が在る。
しかし、ケニャー族に代表される美意識は、カリマンタンの芸術家とも言われるほどだ。
わたしは、その生活・文化を尋ねるために来たのだが・・・。
耳たぶに直径5cm以上もの輪などがはめられている。
かなりの技術で編まれた、すばらしき模様の傘

熱帯朝の川面は寒い カリマンタン

2008-05-08 08:40:15 | 海外紀行文
川面から広々とした空の広がりに、木々の枝がかかりだすと、上空がなんとなく賑やかになってきた。
アムラム君が指差す先に天狗猿がいる。フワーと大きな影が横切る。ドイツの青年がサイチョウだと教えてくれた。
鳶よりもかなり大きいが、私の写真機ではモノに出来なかった。

乗り合い船はひたすらトコトコトコトコ。
空が赤味がさしてくる。今夜はどこの村にとまるのかなー。楽しみー。
だが、この乗り合い船に雑魚寝となってしまった。

熱帯の夜はアッ!というまにおとずれる。
暗闇の中に鬼火のように、赤い光がが点々んとある。目を凝らせば、カンテラの番人の小屋がある。人の動きが、幽霊のように見える。
ライトをあちこち照らしながら、船はトコトコトコトコ。エンジンの音にあわせ電球がまたたく。
もう誰も語らず、身を縮めて川面を見つめ、一人二人とごろ寝。

寒さに目が覚める。
川は深い朝霧に包まれ、幻想的だが危険でもある。
地元の丸木船が、漁や交通手段として、けっこう運行しているのだ。
両岸に樹木が見え出すと、川霧は一気に消えへ、とたんに気温があがった。
イラストは後記します「森へ帰ろうⅡ」の表紙



熱帯雨林の茂みはどこ?

2008-05-07 06:28:29 | 海外紀行文
ボートタクシーと呼ばれて入るが、船倉には物資が詰まり、乗客用はその間に適当に座っている。写真は乗船した船からの、乗り合い舟
オートバイがあったり、電気冷蔵庫などの電気製品もある。
川幅は50Mくらいで、赤茶色した水が絶えず両岸を削り流している。
熱帯雨林帯でありながら、それらしき茂みなどどこにも見えず、赤道直下の強烈な日差しが、風景を白光色に変えていた。

乗客にダヤック族のことを聞くと、様々な島からの入植者で誰も知らない。
私が描いたダヤックアートを見せても、無反応。
まだ、下流域だから知らないんだ、と思ったが少し不安になった。
実はアムラム君は、この流域は初めてのことで、まったく予備知識が無かった。

乗り合い船は、次々と人と荷物を載せ変えつつ、浸すなトコトコトコ。
集落のある川岸には、いかだの上にガソリンスタンドや雑貨店などなど。
ときおりKARAOKEとでっかい看板が出ている。

午後になっても大木の茂みなどなく、バナナ園か稲作地帯が広がり、ときおり、200Mはある、原木のいかだとすれちがう。

二階にあがってみると、なんと寝袋にくるまって白人の青年がいた。
1990年にドイツのTVクルーが取材した、カリマンタン探検コースを行くのだと言う。私もそのコースの探検を研究したが、とても一人で行くところではない。
アムラム君に相談するように言う。
「私はMrリュウのガイドであって、あんな無茶なやつの相手は出来ない。だいたい、許可書もなく、そんな欧米人が増え、捜索願が出ているがまったくわからない。かかわりはごめんだ」
と、ハッきりと断られてしまった。

ネパールでも、欧米人の事故が多く、その根底に彼らのおごりに近い、我の通し方にあるような気がする。

マハカム川の遡行準備

2008-05-06 09:49:54 | 海外紀行文
写真--大河マハカムの下流域は2-300Mの川幅カリマンタン島の奥地への旅は、マハカム川を700Km遡行し、ダヤック族の圏内に入る。
最低2週間は必要だが、私はもっと長期になるから、一ヶ月の予定にした。
奥地に行くといっても、人跡未踏の地でもなく、ヒマラヤトレッキングのような大層な荷物は無い。
何よりも現金が必要だ。

特別区への立ち入り許可書が必要だと言うことであり、なぜか観光省の所長さんと面会。
友達のアムラム君のお力かと思ったが、狙いは別なことにあった。
アムラム君をガイドに、一式(足代・食事・ガイド料)1000ドル--現地では5倍の価値がある。
少し高いと思ったが、後日談によると3割以上は所長のフトコロに。

出発前夜アムラム君が宿に来て「マハカム川中流域で大洪水になり、とてもいける状態ではない。コースをカダン・カパラ流域に変更することになった」
海岸から奥地へは船便で、水が無くても行けないし、ありすぎても困ってしまう。
森の集落地へは、不定期な小型飛行便があります
全長15M・幅4mほどの木造船は、和船を少し大きくした感じだ。
二階建てといっても、まったく囲いは無く、時には水しぶきが飛び込んでくる。
なにはともあれ2泊3日予定の船が、トコトコトコトと、くたばり加減のエンジン音を立てながら動き出した。

カリマンタン島-バリクパパン

2008-05-02 18:03:53 | 海外紀行文
カリマンタンの旅は始まったばかり。
気分的には、バリクパパンの町がピッたしなンだけど、沈没する前に州都サマリンダにバスで行く。
州都は大河マハカム川の都市で、地盤が弱く飛行場が出来ないのだそうだ。
近代都市とバラック小屋が入り混じった、木材産業の集積地。大型船舶が出入りする貿易都市だ。
真昼間から酒と精液が流れた「チタニガラ」は、健全なショッピング街となりつつあった。
港と言っても海岸より60キロもおくにあるほどの大河マハカムを遡り、森の住人ダヤックの人々を尋ねるのが目的。

観光省に行くため地図を見るとたいした距離ではないので、歩く。
ものの20分もいくと暑さでクラクラしてしまった。

インドネシアの冗談で「犬と観光客」と言うのが在る。
強い日差しをさけながら、日陰を歩くさまが似ているのだ。なにも、クソ暑い昼日中、歩くこともナカローニということだ。

久しぶりに会った知人の「アムラム君」は、お坊ちゃまの雰囲気はまったく消えていた。
美大を卒業、絵の道に応援をしてくれた父親の死と共に、お家は没落してしまった。
彼は左足が幾分不自由であったが、達者な英語力を買われ役所勤務。
2年前に18歳の娘さんと結婚、一一児のパハだった。
「インドネシアの女は結婚するとナニモしなくなる。寝てばかりいるよ」とぼやいていた。
30歳の割には疲れた顔であったが、言語力をいかし部族語辞典でも作りたいと話してくれた。
写真は巨大なモスクのドーム

ryusun

つぶやき

絵本と無縁になった大人に

子供たちに向けたというより、内なるものを呼び覚ます大人への絵本