日本の心・さいき

日本の文化を通じて、世界平和を実現させましょう。

病院ホームページ作成

2008-02-22 15:30:44 | Weblog
 病院のホームページ作成をもう1年近く自分が手掛けている。で、それで募集して、2名採用出来たとのことで、早朝に事務長がお礼を言いに来た。で、先日の事務長が出席したある会合でも、当病院のホームページの話題となり、それをそこに勤務しているドクターがしていると言うことで、尚更、周囲が驚いたとのこと。
 まあ、そんなにスゴイホームページではないのだが、「アフタ5のページ」などで、病院の雰囲気が多くの人に分かって頂ければいいかなあと思っている。
 私がここに来てから、不在の小児科と整形外科が充実して、又、各科の先生方も優秀な先生が多く、今が病院としてはとても充実していると思われる。入院ベッドが不足して、入院のやりくりが難儀している。しかし、ベッドが空いて困ると言うことは全くない。
 泌尿器科の先生が4月から来れば、更に充実して行きそうだ。

http://www4.ocn.ne.jp/~kamiama/




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為になるかも知れない本(その280)

2008-02-22 08:12:40 | Weblog
○昭和62年12月10日(木)晴。
 毎日、眠たいなあ。夜診療で寝るのが遅いからなあ。23:00には寝て、昼30分寝れれば、何とか体が保てると思うのだが。何でもかんでも自分でしないといけないとなると、ホントに疲れるなあ。それでもここに来て一番楽になっているかなあ。
○昭和62年12月15日(火)晴。
 ボーナス日だった。沢山もらった。今までで一番多く、その金額を見て、スゴイと思う。しかし、何故か嬉しいはずが嬉しくない。何故かなあ。まだ、借金があるし、まだお金が全然貯まっていない。借金があるから、頑張れる所、確かにあるなあ。
○昭和62年12月20日(日)晴。
 大分で小児科の地方学会があったが、(全科の学会で、統計ばかりでちゃんとした考察がないと、○○先生から皆の前で言われたこともあり)演題を出さなかった。(元大分県病部長の)○○先生から、又、学会に発表する様に言われ、(大分医大の)小川教授からも、「先生のがないと寂しい」と言われた。二次会、医大の連中と6人で行き、いつもお世話になっているので、全て自分が出してあげた。
○昭和62年12月22日(火)晴。
 西田病院の恒例の大忘年会が金水苑であった。18:15~23:00まで騒いでいた。ホント、騒ぐのが好きな人達ばかりだ。脳外科の演出で押しまくられた。その点、小児科はさえないなあ。最後に自分が、郷ひろみの「お嫁サンバ」を唄って、皆で踊りたかったが、出来なかった。小児科には、役者がいないのだ。
○昭和62年12月24日(木)晴。
 宮医大小児科教授の○川先生の心臓外来があった。50人程来た。教授も、運動不足で太り気味で、血圧も下が100近くになると頭が痛くなると言われる。アルコールも控えている。エコーもバッチリしてもらった。来年、卒後2年間の研修を終えたばかりの3年目のドクターを西田病院の小児科常勤医として送りたいと言われた?!
○昭和62年12月30日(水)晴。
 宮医大の先生は、年末年始は来ない。体を大切にしないといけないなあ。少し太り気味だ。油断をすると直ぐに太る。この1年は、ホントにいい年だったなあ。結構、ゴルフで遊んだし、星座も何とか独学で覚えて行ったし、英会話もちょっと上達、ちゃんとした本も出来て、借金もかなり返せて、子ども達も順調に大きくなり、家庭サービスもちゃっと出来たし、医者になって今までで一番いいかなあ。
○昭和62年12月31日(木)晴。
 夜、大晦日というのに、5人診た。ホントに急患って感じで、それなりにひどかった。いつもの様に歳の暮れは両親のいる白潟に行って、若宮に参り、家内安全を祈った。今年の年末年始は楽だなあ。いや、自分の頭には、年末年始で特別という概念はない。そう思わなければ、年末年始に働いたって、何てことない。深夜起こされなければ楽なんだがなあ。今年の年末年始は、いつもの新患とのトラブル、起きないなあ。

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為になるかも知れない本(その279)

2008-02-22 08:09:11 | Weblog
○昭和62年11月10日(火)晴。
 (午後の院内健診で)60人も来た。今までこんなに多かったことなかったなあ。健診って、健康なのを診て異常を探す訳で、精神的にとても疲れる。超ベテランがするべきかも知れないなあ。
○昭和62年11月12日(木)雨。
 (佐伯市教育委員会主催の)コンピューターの講義、やっと5回目が終わった。(家の近くの)○○さんの車で連れて行ってもらった。○○さん、よくバッハのバロック音楽をよく聴いている。お兄さんが東大を出て、若くして癌で亡くなったとのこと。歳なのに、頑張るなあ。5回も講義を受けると、結構分かってきた感じだ。参加者、皆、一生懸命だ。生活がかかっている人もいるみたいだから。
○昭和62年11月18日(水)晴。
 渡台町のゴルフの打ちっ放しで、土屋先生(実は、この脳外科医の先生の薦めで、当初ゴルフをする気になったのだが)と偶然に一緒になった。ゴルフ、前よりはましになった感じで、土屋先生も褒めてくれた。もう1年以上もしている。いや、まだ1年しかしていないと言うべきだ。上手な人が多いなあ。自分には努力が足りない。練習量が少ない。まだ、地球を打ったり、空気だけを打ったりすること、ホント未熟だ。
○昭和62年11月20日(金)晴。
 コンピューターの講義8回目であった。欠席者って、1割もいない。8回目になってもだ。教える先生も上手だなあ。親切で優しい。ずっとあるともっともっとよく理解して行ける感じだ。その点、英会話は、駄目だなあ。(先生もアメリカ人のボブさんからカナダ人のポールさんに代わり)池田先生は上手になっているが、自分は駄目だ。
○昭和62年12月6日(日)雨。
 8:30から別府の豊岡でゴルフをした(西田病院ゴルフ同好会のメンバーで)。雨が午後から降り出し、雪も降り出し、霧もかかり、グリーンが白くなっていて、メガネをいくら拭いても白くなり、途中でとうとう中止になってしまった(この時のこと、今でも、ありありと覚えている)。車がチェーンを巻いていない為に滑って、怖かった。その後、温泉に入って、20:00に佐伯にたどり着いた。


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