
○昭和62年12月10日(木)晴。
毎日、眠たいなあ。夜診療で寝るのが遅いからなあ。23:00には寝て、昼30分寝れれば、何とか体が保てると思うのだが。何でもかんでも自分でしないといけないとなると、ホントに疲れるなあ。それでもここに来て一番楽になっているかなあ。
○昭和62年12月15日(火)晴。
ボーナス日だった。沢山もらった。今までで一番多く、その金額を見て、スゴイと思う。しかし、何故か嬉しいはずが嬉しくない。何故かなあ。まだ、借金があるし、まだお金が全然貯まっていない。借金があるから、頑張れる所、確かにあるなあ。
○昭和62年12月20日(日)晴。
大分で小児科の地方学会があったが、(全科の学会で、統計ばかりでちゃんとした考察がないと、○○先生から皆の前で言われたこともあり)演題を出さなかった。(元大分県病部長の)○○先生から、又、学会に発表する様に言われ、(大分医大の)小川教授からも、「先生のがないと寂しい」と言われた。二次会、医大の連中と6人で行き、いつもお世話になっているので、全て自分が出してあげた。
○昭和62年12月22日(火)晴。
西田病院の恒例の大忘年会が金水苑であった。18:15~23:00まで騒いでいた。ホント、騒ぐのが好きな人達ばかりだ。脳外科の演出で押しまくられた。その点、小児科はさえないなあ。最後に自分が、郷ひろみの「お嫁サンバ」を唄って、皆で踊りたかったが、出来なかった。小児科には、役者がいないのだ。
○昭和62年12月24日(木)晴。
宮医大小児科教授の○川先生の心臓外来があった。50人程来た。教授も、運動不足で太り気味で、血圧も下が100近くになると頭が痛くなると言われる。アルコールも控えている。エコーもバッチリしてもらった。来年、卒後2年間の研修を終えたばかりの3年目のドクターを西田病院の小児科常勤医として送りたいと言われた?!
○昭和62年12月30日(水)晴。
宮医大の先生は、年末年始は来ない。体を大切にしないといけないなあ。少し太り気味だ。油断をすると直ぐに太る。この1年は、ホントにいい年だったなあ。結構、ゴルフで遊んだし、星座も何とか独学で覚えて行ったし、英会話もちょっと上達、ちゃんとした本も出来て、借金もかなり返せて、子ども達も順調に大きくなり、家庭サービスもちゃっと出来たし、医者になって今までで一番いいかなあ。
○昭和62年12月31日(木)晴。
夜、大晦日というのに、5人診た。ホントに急患って感じで、それなりにひどかった。いつもの様に歳の暮れは両親のいる白潟に行って、若宮に参り、家内安全を祈った。今年の年末年始は楽だなあ。いや、自分の頭には、年末年始で特別という概念はない。そう思わなければ、年末年始に働いたって、何てことない。深夜起こされなければ楽なんだがなあ。今年の年末年始は、いつもの新患とのトラブル、起きないなあ。