日本の心・さいき

日本の文化を通じて、世界平和を実現させましょう。

為になるかも知れない本(その278)

2008-02-21 10:22:44 | Weblog
○昭和62年10月2日(金)晴。
 南中学に行った。立派な校舎が新しく建っていた。風疹の予防接種を100人程した。20分間で終わった。予防接種、10月は後2回ある。こんな感じで外に出ると、気分転換にもなるなあ。
○昭和62年10月14日(水)晴。
 青少年ホームで講演した。反応、もう一って感じだった。こちらもあんまり予習して行かなかったし、しょうがないなあ。質疑応答も大したことなかった。しかし、持って行った(無料の為になるかも知れない)本はあっという間になくなった。
○昭和62年10月22日(木)晴。
 今年は、昨年よりも患者さん、少ない。どうなるのかなあ。少なくなって行く状態で医者を増やせって言いづらいし。睾丸(今は、睾丸と言わずに精巣と言うことになっているが)炎で入院させていた子が睾丸の茎捻転を急に起こして、直ぐに医大に救急車で送った。医大で直ぐに手術をした(送ったその日、14:30~16:30まで掛かったらしい。今まで医大では4人同じ様な感じで手術して、全て、睾丸を摘出したとのこと。一方が悪くなると、他方も直ぐに悪くなる為に直ぐに送ったのだが、それがとても良かったみたいで、手術した翌日の23日には、父親から、24日には母親からも感謝の電話があった)。
○昭和62年11月3日(火)晴。
 勤労感謝の日なのに、仕事をした。診療後に、ミーコと一緒に映画に行って次郎物語を見て涙が出た。教育的な内容だった。24の瞳、大石役の田中裕子、この役者としてはもう一歩って感じだなあ。関根恵子の方がこの場合は、適役だと思った。
○昭和62年11月5日(木)晴。
 市の主催のパソコン講義に行った(これで2回目)。とても楽しかった。この調子なら行けそうな気がする。44人参加している。二人でタッグでするので、直ぐに覚えてしまいそうだ。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

為になるかも知れない本(その277)

2008-02-21 08:36:33 | Weblog
○昭和62年9月11日(金)曇。
 大分医大の法医学の教授の講演があった。とても良かった。最後の方、(夜20:00からの)患者さんが(6人)来ているとのことで、聞けなくて帰った。人に説得出来る感じで話せる能力って大切だなあ。この先生には、オーラが感じられた。声や顔の表情や間の取り方、話す力って、全ての総合力だなあ。こんな能力の試験ってないなあ。
○昭和62年9月13日(日)雨。
 (昨日の夕方着く)住吉浜リゾートパーク、雨が降ったが、結構よく遊んだ(初めて行った)。両親も長兄家族も喜んでくれたと思う。佐伯から遠いの難点だなあ。
○昭和62年9月20日(日)晴。
 ワコの運動会に行く予定で、まだ朝食を摂っていなのにに、蒲江の御手洗病院から電話があって、行くと腸重積症であった。バリウムでなく、ガストログラフィンで簡単にできたので、とても嬉しかった。もしも穿孔しても、バリウムよりも安全なのだ。(バリウム、空気、ガストログラフィンの3通りがあるが、ガストログラフィン200ml+生食800mlでし、その後、レントゲンを使用しなくて、超音波下でする様になった)
○昭和62年9月21日(月)晴。
 120人ちょっと時間内に来た。喘息での入院が多い。27人入院していて、今日一気に15人帰した。喘息発作が、明らかに天気に左右されている。正に、喘息は気候病だ。
○昭和62年9月27日(日)晴。
 (宮崎の小児科の)地方会、とても勉強になった。ATLの取り組み、宮崎県は積極的だなあ。20:40に佐伯に着いた。開業した○○先生、昨日元気なかった。風邪も引いていたのかなあ。働き過ぎなのかなあ。借金を沢山して開業、プレッシャ大きいだろうなあ。(開業するには、私の経験では、先の鋭い洞察力と逞しい鈍感力が必要だと思います)

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする