日本の心・さいき

日本の文化を通じて、世界平和を実現させましょう。

会話術

2008-02-03 11:10:07 | Weblog
 試してガッテンで、「会話術」のことが放映されていた。どうしたら、上手な会話が出来るのか?(以下、NHKのその時に内容より抜粋)

 「ミラー・ニューロン仮説」
 90年代にイタリアの研究者が提唱した仮説です。脳には、相手の動作を見た時、あたかも自分も同じ動きをするかのように活性化する神経群があるというのです。元々はサルの実験で発見されましたが、最近の研究で、ヒトにもそのような脳の領域があることが分かってきました。
 たとえば、人の脳は、サルやイヌの声を聞いた時、聴覚をつかさどる領域だけが活性化します。しかし、人が話しているのを見たり聞いたりするときは、聴覚だけでなく、言葉を発するために口やのどを動かす神経の領域も活性化します。この領域こそが「ミラー・ニューロン」だと考えられ始めています。
 私たちが「表情」や「音の調子」から相手の「感情」が分かることがよくあります。それは、脳の中で、「鏡のような神経=ミラー・ニューロン」が働き、相手がどのような感情で話しているのかを、まるで自分も追体験しているかのように働いているのではないかというのです。

 どんなに面白い話でも、話し手が「ほんとうに面白い」と感じ、笑顔で話さなければ、相手には伝わらず、もっと話を聞きたいと思えなくなります。だから、「会話上手な人」を目指す前に、「会話しやすい人」になることが大前提なのです!
 
 中高年以上の年齢になると「話が長い」「くどい」「同じ話を繰り返す」と後ろ指をさされがち。これは脳の「鏡」の感度が衰え、相手への共感力が低下するのが原因。これでは「KY(空気読めない)」と言われ、趣味の仲間や家族にも敬遠されてしまう! そこで役立つのが、人間の脳の「クセ」を利用した会話テクニック。
 話し手の仕草を真似したり、言葉を繰り返すことを「ミラーリング」といいます。心理カウンセラーも使う方法で、話し手に好感を持っていることが無意識に伝わり、相手が話をしやすくなると言われています。
 自分と相手に一定の関係がある場合、一方が家族や仕事の悩みなど少し「突っ込んだ」話をすると、相手も同じレベルの話をしてくると言われています。これを心理学用語で「自己開示の返報性」といいます。

 ムーッ、自分を反省してみると、若い時は、親御さんの顔色を見ることがなかったと思います。
 ある時、肺炎のレントゲン写真を指さして説明をしていました。で、終わった時、親御さんが、「で、先生、うちの子、カゼと思っていいのでしょうか?」と言われて、ガクッと来たことがありました。
 心電図の説明をしても、血液検査の説明をしても、一般の人の知識はさまざま。相手が理解できているかどうかを絶えず読み切って、説明して行くことが大切だと思います。
 最後に、連れて来た親御さんが不安にならない様に、言葉を添えることも、経験上、とてもとても大切なことだと思っています。何故なら、親を不安にさせると子どもが不安になり、子どもの不安が強いと、免疫力が落ちて治りが悪くなるからです。
 更には、親が医者を絶対的に信頼していると、早く治る感じがしています。前の病院で一緒に仕事をしていた小児科の先生は、子どもが笑ったら、退院させても大丈夫と言われていましたが・・・?!


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為になるかも知れない本(その260)

2008-02-03 10:33:52 | Weblog
○昭和61年10月12日(日)晴。
 学会で発表した。時間が足りなくて最後の方あせった。まあまあって感じだったかな。久し振りに少し上がったかな。夜、当直の(宮医大の)○○先生(現在、福岡で小児科開業)とちょっと飲みに出た。彼も、真面目でとてもいい人だなあ。いい人が来てくれると、ホントに助かるなあ。
○昭和61年10月13日(月)晴。
 自分の所(西田病院)で1カ年間研修したら、症例が多いので、バッチリと体ごと覚えるし、お金も貯まるし、何かの時は必ず自分と連絡がつく様にしているので、とてもいいと思うのだが、大学のからの派遣って何でこんなに難しいのかなあ。買い手よりも、まだ売り手市場なのだ。大学にいてもバイトに明け暮れている位なら、ここでガッポリ生活費を稼いだ方がいいと思うのだが。医者なんて、研究医になるのか、勤務医になるのか、開業医になるのか、3つの道しかないと思うのだが。本当に臨床が出来る医者を目指すのなら、第一線の現場でじっくりと腰を落ち着けて、初めから終わりまで沢山診て行くべきだと思うのだが。
○昭和61年10月16日(木)晴。
 夕方、ワコとマルミヤに行き、帰ってから直ぐに子ども3人を風呂に入れた。伸ちゃんに食事を食べさせてあげた。何かこれがパターン化した感じだ。体重を1日に10回程測っている。酒も飲めない、美味しい料理も腹一杯食べれない、甘いモノは全て駄目って感じになっている。近頃、(ゴルフの練習で胸が痛くなって)ゴルフに行かなくなったなあ。
○昭和61年10月24日(金)雨。
 ○田先生の話だと、(月報作成の関係でとても親しくしている)○○さんが直腸癌で肝にメタしており、医大に入院するとのこと。かわいそうだなあ。まだ、61歳。やっと忙しい仕事から退職できて(刑事退職)、今から奥さん孝行をしないといけないと言われていたのに。(仕事柄)目付きは鋭かったが(職業病と思われる)、ホントは、物わかりのいい、とても優しい人なのだ。それに、お酒が大好きな人。南海病院長も佐伯市長も先日亡くなったおばさん(母の妹)も、皆60歳代で亡くなっている。
○昭和61年10月26日(日)晴。
 朝、普通に(小)学校に行っているのに、女児が急におかしくなって、入院となった(以前に、やはり、細菌性髄膜炎になっていて、その為に少し後遺症が残っていたが)。脳外の(代診の)先生がルンバールしたら、(以前したのと同じ)肺炎球菌で、リコールの糖が8、蛋白が300以上だった。スゴク悪い。けいれんが急に起き、呼吸が急に止まり、心停止となった。いろいろそれから自分が受け取って試みたが駄目で、脳ヘルニアの状態になってしまった。肺炎球菌による電撃型の髄膜炎(これは、誰がしても、防ぎようがなく、予後不良)。
○昭和61年10月27日(月)晴。
 外来が150人前後来た。脳外の先生の話だと、この状態だと、大人だと1週間、子どもだから2週間ぐらい生きるかも知れないと言われた。しばらく地獄だなあ。こんな症例を持ってしまうと、開業医にも憧れる。しかし、自分はまだ若いのだし、頑張らなければいけないと思う。
○昭和61年10月31日(木)晴。
 髄膜炎の子、今日の朝の4:30に永眠した。初めにグリセロールをもっと沢山入れておくべきだったかなあ。又、抗生剤の使い方もまずかったかなあ。いろいろ言っても、(肺炎球菌の電撃型の髄膜炎の)この患者さんの場合、初めから勝負が付いていた様な感じがする。母親も、次第に落ち着きも取り戻して、亡くなる時も、諦めていた感じだった(亡くなって、しばらくして母親が来院し、深々と頭を下げられてお礼を言われた)。

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