日本の心・さいき

日本の文化を通じて、世界平和を実現させましょう。

看護師国家試験問題再考

2008-02-27 12:44:14 | Weblog
 消化器内科の専門医と消化器外科の先生が問題を見て、「きついなあ、これ、看護師さんの問題?!、自分が解いても・・・」とその解答を選ぶのに、躊躇している。
 代謝(糖尿病)の先生が、小児の1型の長い文章での問題を見て、対応の仕方でどちらを選ぶべきかで迷っている。
 麻酔の先生見せると、これ、問題悪いです。問題を作った人が古い人でしょうと言われた。午前中の問題で、麻酔前投薬で気管支粘膜からの分泌抑制を目的に使用するのはどれか?で、薬を選ばせるのだが、今は、麻酔前投薬は普通はしないで、する場合は、入室後にするとのこと。

*昔、エーテル麻酔をすると分泌物が多くなるので、麻酔前投薬としてアトロピンを使用していた。しかし、今の麻酔薬には、そんなことがなくなったので、使用しなくなった。しかし、分泌物が多くなる歯科口腔外科の疾患や子どもの場合(泣くと分泌物が多くなるので)、今でも、手術直前に手術場でアトロピンを使用することがある。
  麻酔前投薬が一般的にしなくなってから、既に10年は経過している。
 (平成20年2月27日16:40、午後の2つの麻酔を終えられた麻酔科の先生から拝聴)

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草の根外交

2008-02-27 08:52:25 | Weblog
 北朝鮮の招聘により、ロリン・マゼールが指揮する米国の名門オーケストラ、ニューヨーク・フィルハーモニックが、首都の平壌で2月27日に90分間程、公演した。
 大変いいことだと思います。肝心の金正日氏は、顔を見せなかったが(認知症との噂も?!)。
 思うに、政治のレベルで親善が行われると、何か肩苦しさを感じる。本当に親善をするには、やはり、民間レベルでの「草の根外交」が最もいいと思っている。日本人は、自宅に他人を泊めることを拒む傾向にあるが、外国では、それが最高のもてなしって感じだ。
 イスラム教の国に行くと、異教徒は大歓迎だ。部屋も食べ物も、特別待遇って感じで、接待してもらえた。異常な位だ。韓国にホームステイした時にも、入り口のドアに歓迎の紙が貼られていた。ホントに、お客さんって感じで扱われた。
 一方、アメリカに行くと、同じ様に家の手伝いをさせられる。全く感覚が違うのだ。パーティがあっても、それなりの食材をちょっとだけでも持って行くのが常識になっている。ニュージーランドに行った時に、あるレストランでの食事会に誘われて行ったのだが、お金を皆と平等に払った(誘われても、皆と平等にお金を払うのがここでは常識だと言われた)。
 とにもかくにも、やはり、草の根外交の方が、本当の友達になれると思う。最もいいのは、やはり子どもだと思う。小学生だと、全く偏見がないから。それぞれの文化を紹介する感じですれば、直ぐに友達にでもなれそうだ。小さい時から、異なる生き方をしている人を快く受け止める体験は、何物にも代えられない貴重な体験となるであろう。
 タイのチェンマイでのサンデーマーケットで、タイの若者のエレキに合わせて路上で楽しく演奏したこと、いつも思い出しています。

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為になるかも知れない本(その287)

2008-02-27 08:19:09 | Weblog
○昭和63年5月18日(水)雨。
 ヨガの本を2冊買った。佐伯図書館って素晴らしいなあ。大分のコンパルホールほどではないが、自分の家からもいい距離だし。今住んでいる場所も、最高だなあ。静かなのに、便利がとてもいい。郵便局にも警察署にも買い物をするにも、便利がいいのだ。
○昭和63年5月25日(水)晴。
 ヨガの本を又借りてきた。俺はホントにヨガを今からするのだ。そして、お茶もするのだ。ナポレオンヒルの成功哲学の本、とても面白い。この通りにすれば、何でも出来る感じだなあ。俺にはチャレンジ精神も、まだ旺盛だ。自分って恵まれてきたなあと思う。いい結婚をしたのが大きかったと思う。西田病院に就職したのも良かった。若くして部長になれて、自分の思う様に診療が出来たのが良かった。(宮崎)県病の梶原先生、(宮)医大の早川先生が良かった。それに、(西田病院の)産婦人科医の茂・猛史先生からとても大切にしてもらった。借金も確実に返しているし、家族も安泰だし、後は体に注意しないといけないなあ。(高脂血症があり、中性脂肪とβ-リポプロテインが高いまま)
○昭和63年5月29日(日)晴。
 (西田病院の)○○先生が亡くなられた。78歳。仕事一途に頑張って来られて先生で、初めて給料をもらった時に多過ると言いいに行った欲のない先生。お通夜が始まる前に行った。これで、自分がこの病院に来てから、ドクターが3人もなくなった。体を壊している○○先生も○○先生も、どうなるか分からない(その後、数年してその二人のドクターも亡くなられてしまった)。亡くなられた○○先生って、ホント、いつもニコニコされてどんな人にも頭が低く、医者の鏡みたいな先生だったなあ。
○昭和63年5月30日(月)晴。
 ○○病院で妊婦さんが、亡くなったらしい。原因は子宮破裂とのこと。それで、○○病院では、今ベビーは一人もいないとのこと。○○病院、長いこと産婦人科一人でずっと頑張ってきている。(産婦人科医の開業医だった)○○先生も、訴訟が○つもあって自殺してしまったが、産婦人科医ってホント大変だなあ。(○地で開業している産婦人科医の)○○先生も、訴えられてもう医者をホントに辞めようと思ったと以前もらった手紙に書いてあったなあ。産婦人科の場合、殆どがお産に関係することだ。
○昭和63年5月31日(火)晴。
 ○○先生の葬儀があった。香典は全く受け取らない。○○先生らしい。病院側は、せめて一つだけと頭を下げて、花を置かせてもらったとのこと。千葉医を出て外科をされていて、体を壊して保健所長をしていたのだなあ。

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