日本の心・さいき

日本の文化を通じて、世界平和を実現させましょう。

理想的な家庭教師?!(少し変更して再掲)

2008-02-07 10:38:34 | Weblog
 ある奥さんから、「田原先生は、命の恩人です。あの時、田原先生に会っていなかったら、今の自分はないと、主人が言うんですヨ」、と言われた。その奥さんの横に、何か、過去に見た感じの大人の人が立っていた。こんな大きな人、救急で、助けたことがあるはずないし、この人の子どもかなと思って、なかなか思い付かなくて、いろいろ考えていたが、その奥さんの御主人が、小学校の先生になっていると言われて、思い出した。
 その人から、「高校1年になった時に、先生から、勉強の仕方を教わり、その時、自分の好きな卓球をしてもいいかと尋ねたら、先生から、いいと言われ、ビックリした」と言われた。
 私の場合、大学に入った時、家庭教師をよく頼まれた。私は、常に、無料、そして、その方針は、家庭教師に付かないで、受験勉強をする方法であった。
 大学の教養部の時、クラスの女性から、「家庭教師を頼まれているけど、他もあるから、田原さん、代わりに行って」と言われた。で、代わりに、私は行った。
 その方針は、
1・・・無料。
2・・・家庭教師に頼ることは間違っているから、私は、勉強の仕方だけ教える。
3・・・勉強なんて、時間に正比例するもんではないので、よく遊び、集中的に勉強しなさい。
4・・・予習を徹底的にして(例えば、古典だったら、全訳をする、作文であれば、本番と思って、ちゃんと書いて行くなど)、勉強時間の中では、学校の授業時間が一番多いので、それを一番大切にしなさい。
5・・・受験直前まで、特に、理科と社会は、コツコツとマイペ-スで、自分なりに、まとめて行きなさい(楽しいですヨ)。
6・・・(試験は、朝あるのだから)朝型にしなさい。
7・・・規則正しい生活をしなさい。
8・・・中間試験・期末試験で、しっかり押さえて行きなさい(それをしっかりしてないから、不安になって、過酷な受験勉強となる。いくらしても、切りがない。すればするほど、知らないことが出て来て、不安になる。完全に覚えて行くことは、初めから不可能。受験直前に、新しいことを覚えようとすることは、辞めなさい。数日間に新しいことを覚えるよりも、長い間掛かって今まで覚えたことのまとめを見ることの方が、大切)。
9・・・受験の時は、自分なりにまとめた1冊のノ-ト(かなり厚くてもいいが)だけ、持って行きなさい。
10・・・自分との闘いと思いなさい。
11・・・睡眠時間は、常に、充分に取りなさい(4当5落など、全く、ナンセンス)。
12、試験時は、模試と思って受けなさい。出来る問題は、落とすまい落とすまいと思って受けなさい。
・・・など
 学生時代、その子どもの自立を考えて、家庭教師は、一切しなかったが、家庭教師を頼まれれば、しばしば、自分で体得した受験勉強の仕方を喜んで教えていた。多くの親から、お金を取らないので、不思議な人って感じに受け取られていたが・・・。


 受験は、ゲームである。短時間にパット決められた答えを出せるかどうかの?!(自動車免許を取る時の筆記試験みたいなものだ)。確かに、瞬発的な知識を直ぐに出せる能力は測れるだろう。しかし、そんなことは、今からはコンピューターの方が優れているだろう)。
 受験勉強の勝利になって、それで頭がいいとか悪いとか思う方が、土台間違っている。それに最高の価値観を与えることなど、全く間違っているのだが、現実は、どうだろうか?まあ、結婚式の時に皆の前で賞賛されるかも知れないが、土台、そんなものだろう。
 受験勉強でなくしたモノの方がはるかに多いことに気が付くべきだ。測られないモノ、つまり、思いやりの心や人の痛みが理解できる心や、物事を柔軟に捉えることが出来る能力、かえってなくしていると思う。実際に、有名大学卒の肩書きを持つ官僚のしていることを見れば、納得できるだろう。
 有名大学の肩書きに溺れて、社会に出てそれが役に立たないことを知って、今まで失ってきたモノの大きさに驚いて愕然としている人は多いのだ。
 社会に出れば、答えのないモノの方が圧倒的に多いのだ。書店に行けば、いろんな内容の本がある。成功する為の本、人を説得できる為の本、ありとあらゆる本があっても、それを読んだからと言って、そうなれないことは自明の理である。知識よりも体験が、それも、いろんな体験が大切なのだ。若い時には、許されれば、出来るだけ沢山失敗した方がいいと言う人がいる位だ(世の中に出れば、上手く行かない方が多いかからして)。
 自分なりに答えが出せる。いろんな答えを出して、それを吟味していける。間違っていたら、素直に訂正出来る。そんな訓練を学校でするべきだが、今の教育は、全く反対の方向に向かっている。学校が押しつけている。学校でそれをしていなければ、家で塾などに行かせている。小さい時から競争競争で、学問の本当の楽しさを知らないで社会人になっているなんて、考えただけでゾットするかな。
 今の様に、小さい時から競争すること、勝つことなどを植え込まれれば、皆と助け合って何て気持ちは、起こらなくなってしまうだろう。自分の力では、多くのことは出来ない。謙虚になって多くのことに感謝したり、満足することがなければ、例え高学歴でいい地位に付けたとしても、いつも人を羨んだり、自分に自信をなくしたりしてしまうだろう。
 子どもって、大人が思っているよりも能力あるし、やる気もある。何もかも全部教える必要はない。困るのは、大人がやる気をなくさせていることだ。知ることの面白さを失わせていることだ。土台、やる気のない子なんて、いないはず。興味があれば、面白いと思えば、真剣に聴こうとするし、もっともっと知りたいと思うはず。子どもの瞳は大きいのだ。

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為になるかも知れない本(その263)

2008-02-07 08:27:29 | Weblog
○昭和62年1月1日(木)晴。
 昼過ぎに、高校3年の時の担任の加納先生(数学)の所に行った。久し振りに話した。話し込んで、夕食ご馳走になった。悪かったなあ。

年頭所感
1、体を大切にする。(23:00までには家に帰っておくこと、出来れば、その時間までに就寝すること)
2、本を作ること(続・為になるかも知れない本)
3、整理・整頓すること(スライドやファイルや本)
4、規則正しい生活をすること。(朝6:40までに起床、7:30から診療、昼寝をすること)
(総和62年1月2日、13:35記載)

○昭和62年1月2日(金)晴。
 朝の3:00過ぎに起こされて、そのまま病院に泊まった。朝点滴が抜けたので、しようとしたらいろいろ言われ、お金のことまで言われた。初診はトラブルが多い。正月早々、文句を言われて、自分でもよく耐えていると思う。開業医だったら、深夜の初診、それも正月なんて、診ないと思う。
○昭和62年1月3日(土)晴。
 深夜のトラブル、昨年の年末年始もあった。トラブルの多くは、全く今まで診たことのない初診の人。その点、いつも掛かっている人は、深夜は遠慮してくれる。やはり医療は、お互いの思いやりが大切だと思う。私が常に言ってきたこと、「どうしても待てない様な一刻を争う場合は、(掛かり付けでなくても)いつでも必ず診る!」と。これが常に言えてホントに実行しているだけでも、自分としては凄いことだと思っているのだが(朝まで待てない状態がどんな状態であるのか、ずっと教育してきているつもりだし、夜の20~21時には、100%小児科医により診てきているのだから!)。
○昭和62年1月7日(水)晴。
 腹の調子が良くない。頭が少し痛い。それと、睡眠不足だ。もう一人小児科医が来たら、朝6:00から断らずにどんどん診てもいいと思っている(深夜電話が熱などで電話があっても、けいれんなどがなければ、心配なら朝早く来る様に指導していた。しかし、多くの場合は、7:30からの早朝診療に来る人は、殆どなかった。小児の患者さんが来院した場合、西田病院では、小児科以外の他の科の当直先生が診ることはまずなかった。365日、夜は、20:00~21:00に受付して、毎日集めて診ていた。それは、開業しても続け、佐伯で20年間近くすることが出来た。)。
○昭和62年1月12日(月)晴。
 インフルエンザらしきものに掛かってしまった。ゾクゾクする。夕方から横になっていた。夕食を食べる元気がない。明日は大丈夫かなあ。こんな時にもう一人いるとホントにいいんだが。結構健康には気を付けて来ているのだが。

*年末・年始は、どこにいても、普通の時以上に一生懸命にしてきた。表は、前勤務病院でのもの(月~金まで、病院内のドックの部屋に泊まり込んで、平日の夜の救急医療をしていた)。

http://blog.m3.com/syumi-syounikai/20080207/1

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