日本の心・さいき

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為になるかも知れない本(その271)

2008-02-15 08:15:27 | Weblog
○昭和62年5月8日(金)晴。
 朝6:40に病院に行ったら、血だらけになっている人が玄関に立っていて、救急室に2人ウーンウーン言って横になっていた。交通事故って、本当に一瞬だなあ。悲惨だ。又、そんな交通事故(医療費が倍)があるお陰で、この病院がここまで大きくなったんだなあ。何かスッキリしない気もするが。物事には、多くのことに表と裏があるのだ。
○昭和62年5月10日(日)晴。
 血便、今日はなかったが、しばしばトイレに行った。少し下痢気味。起こされなかったので助かった。母の日だったが、(家内の母親がいる)鹿児島に電話しなかった。
○昭和62年5月16日(土)晴。
 午後に呻吟のある子が生まれた。左右差のけいれんのある子も来た。何とか上手く行った。休み前に来るのって、ホントにいやになっちゃうなあ。
○昭和62年5月17日(日)晴。
 ミーコとワコと(子どもの友達の)よっちゃんとで、今年初めて城山に登った。道が少し良くなっていた。城山の自然、素晴らしいなあ。城山は、やはり佐伯の象徴だなあ(鹿がいるし、ムササビもいる)。家に疲れた感じで辿り着いた。18:00からゴルフ練習場に行って、今から練習を使用とした矢先に病院から電話があって、タクシーで急いで行った。(代診の医大の先生が帰った後で)いろいろしたが、結局亡くなってしまった。婦人科の○○先生、かなり落ち込んでいた。仮死があったが、それだけのせいでもない気がしている。前も、こんな感じで亡くなったベビーがいたが。(18日0:10に、努力むなしく永眠する。この日、そのまま病院に泊まる)
○昭和62年5月25日(月)晴。
 170人近く来た。麻疹パラパラ来る。風疹多いなあ。こんな年も珍しい。
○昭和62年5月28日(木)晴。
 38歳になった。来年は39歳で、その次は、大台の40歳だ。信じられない感じだ。歳をとりたくないが、仕方ない。時間は決して前には戻らないのだ。父は38歳の若さで小学校長になっている。努力家の父、それなりにスゴイと思う。星がスゴクきれいで、久し振りによく観察した。


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