日本の心・さいき

日本の文化を通じて、世界平和を実現させましょう。

為になるかも知れない本(その17)

2007-03-01 15:33:28 | Weblog
(平成19年3月1日記載)
 大学に入学しても、親は、特に、難関校を突破した大学1年生では、安心できない。
 つまり、今までの経過で、「人間関係欠乏症」の状態になっているかも知れないのである(私がそうであった様に)。
 人と友達になるのがおっくう、女性と話すと緊張してしまう、友達と騒ぎたくない、友達と一緒に何かを起こそうと思わない、自分に自信がない、人の目が気になる、・・・などである。その原因として、次の二つがあげられると思う。
 第一は、万事、勝ち負けや優劣を基準に育てられてきたからである。
 塾に通う(私は、通わなかったが)と、友達は皆ライバル。そして、大学入試の競争に勝つか負けるかが唯一の目標になる。勉強以外に、おけいこごとを始めても、周りの仲間が自分よりも上手か下手か、上達度がどうかが気になる。
 学習だけでなく、スポ一ツをするにしても、やはり、少しでも人よりも早く上達しようとする。
 負けることがいやで、負けると自尊心が強く傷つくので、敢えて何もしようとしなくなる。
 全ての面で本当に心の通い合う人間関係を体験しないで、競争の中で大学生になってしまったことが、大きな原因なのである。
 第二は、物事を万事、快と不快で区別する習慣になっていることである。
 深い人間関係を結ぶ為には、不快なことを超越する体験が必要である。例えば、自分の欠点を注意してくれる真の友人を持つには、不快な忠告にも耐えねばならない(親や配偶者だと、多くの人は、耐えられることが多いと思うが・・・)。
 人間関係で不快な思いをしたくないし、又、他人にも不快な思いさせたくないという、浅い次元でしか人間関係が結べないと、悩みを相談し合える本当の友人もできないし、本当に信頼し合える友人も出来ず、人間関係欠乏症に陥ってしまう。
 この二つの原因は、大学生自身の責任というよりも、受験本意に育ててきた親の責任、学校や塾(広くは、社会)の責任、それに、快的志向に偏った社会全体の責任といえるのではないだろうか。
 どうしたらいいのであろうか、・・・私が思うに、・・・自然の生き方に戻ること、つまり、「共生(調和)」と「知足の精神」を、小さい頃より、体得させることではないだろうか?!


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

為になるかも知れない本(その16)

2007-03-01 15:20:46 | Weblog
 昭和61年2月18日の「大分合同新聞」に、「補習時間の見直し」と題して、以下の内容が記載されていた(原文のまま)。

 (大分)県下の高校で大学受験の為の補習や課外授業の見直し、自粛が始まったのはいつ頃だったのか、本社調査の資料で調べてみた。

 記事では、「補習」の言葉は、32、33年頃から目立っている。34年は、冬休みの補習として、大分上野丘3年生の進学組では、大晦日と正月三が日を除いて、計8日間、毎日6時間が組まれていた。同年11月には「入学試験や就職試験に追われる中学生や高校生が生徒会役員を敬遠している」・・・という話題も。

 35年になると、補習は更に増えた。同年5月、大分上野丘では、1年生から週2時間の補習を実施、3年生では、水と土曜日を除いて、毎日2時間、週8時間の補習が報告されている。又、夏休みには、それまでの20日間毎日6時間の補習が更に強化される方向に。

 こうした受験体制の疲労によるものか、同年の県調査で、高校生の結核患者が中学生の倍以上という実態も報告されている。

 その後、第一次ベビ一ブ一ムの世代が大学入試へとさしかかる41年(私が高校に入学した年)前後をピ一クに、「学校での補習は限界」というところまでいきつく。

 県教育百年史第二巻通史編によると、40年当時の主な普通科高校10校の授業時間数の平均は、正課と補習合わせて1年生で週42.4時間、2年生で44.6時間、3年生で45.6時間。春夏冬の休み中でも、全学年にわたって補習が実施され、特に夏休みは、20~25日間というすさまじさだ。

 40年7月には、大分舞鶴3年生の国立大コ一スで夏休みのうち27日間が補習、「生徒も先生もクタクタ。夏休みという名の新学期」という記事もあった。


 同じ頃、昭和61年7月24日の朝日新聞には、「24時間教師が管理 現役合格は復習がカギ」と題して、以下の内容が記載されていた(原文のまま)。

 鹿児島市の県立甲南高校は今春、国立大学合格者数全国ナンバ一ワンの座を占めた。

 その数は389人。去年1位だった同じ県内のトップ校、鶴丸高校を39人も引き離していた。

 しかも現役合格者が驚くほど多い。323人、現役率は72.4%にも達する。

 「現役で地元の大学に入れてくれというのが、父母の強い要望です」と増永昭一郎校長。

 「それにこたえるには予習、復習を家庭で徹底的にやらせるしかありません」

 ともかく宿題が多い。一教科60分程度の量の宿題が、毎日三教科ぐらい出される。学校で指導している家庭での学習時間は、一、二年生が日に4時間、3年生で5、6時間、日曜日になると7時間。週当たり35時間から40時間も勉強しないと追いつかなくない。

 どう勉強したかは「学習の記録」に生徒自身が記入し、毎日先生に提出する。

 「学習の記録」は、1日24時間の行動をすべて記入するようになっており、数行だが、反省の記録もつけさせている。
 「高校生ですからね。嘘を書くこともあるが、学習状況と照らし合わせてみれば、わかります」と石踊政昭・同校進学指導主任。

 ある一年生の一学期の記録を見せてもらった。クラスで5番以内に入る成績の子だという。毎日6時起床、寝るのは12時から日によって午前1時になることも。
 バス通学。帰宅するのは6時過ぎ。食事、入浴をすますと、勉強を始めるのが8時から9時になる。4時間勉強するのがやっと。テレビ、映画、読書などの時間はない。

 「とても眠くて困ります」「宿題が大変。一日中しています」「委員会があると帰りが遅くなり、宅習時間や睡眠時間が減ってしまう。どうしたらよいでしょうか」「(日曜日)久し振りに外出した。でも2時間勉強できてよかった」
 「眠い」という言葉がしばしば出てくる。友達と遊んだという記録も見あたらなかった。

 「私が高校生ならとてもこんな勉強できませんね」
 増永校長は、苦笑しながらそう言った。

 「でもこうしないと、現役で大学に入ることはできない。いくら立派な授業をしても、復習をきちんとしなければ、習ったことは定着しませんからね。ただ、ここでやっている程度の進路指導は、珍しいものじゃない。どこの高校でもしています」

 事実、河野武郎・鹿児島中央高校進学指導主任も「週40時間学習は、無理があるので、うちでは35時間にしています」と言っている。指導方法で、甲南高校とさがあるわけではない。

 「学習の記録」も九州一円に広がっている。予備校に通う生徒がいない代わりに、高校の補習授業は徹底している。
 

*ある時、(医学部に入って教養課程の時、同じ)クラスの人から、鹿児島中央高校生の家庭教師を、自分の代わりにお願いしますと言って、頼まれたことがあった。私の主義として、学校で教わっているのに、家庭教師に頼ることは邪道と考えていたので、教科書を徹底的にして、予習復習を徹底的にして、それだけで充分と言った内容の勉強の仕方を(お金をもらうことなく)教授した。(相手の親は、その時、キョトーンとしていたが)

 その時、びっくりした。教科書そっちのけで、いきなり、問題集の宿題が山の様にある。学問の面白さとか、もっと突っ込んで勉強したいとか、そんな雰囲気は、みじんも感じられなかった。その時、正に、受験の戦士って感じに思えた。自分の高校時代も、1年生の時から、7時過ぎから補習があり、春休みも夏休みも、その半分近くが、普段と同じ感じで授業が進められ、宿題も毎日あったが、これ程ではなかった。

 大分県は、その後、そんな過酷な受験体制を改めたが、これ等の学校による締め付け教育方針は、宮崎など、他の県に飛び火してしまった。福岡県の事情は、これとは違い、浪人生を学校が面倒をみる感じで、学校に付随した予備校が存在した。

 昨年発表された、第100回医師国家試験ランキング(旧帝大のみ)
  医学部は、全国に、80あり、旧帝大で、半分以上のランクになっているのは、2校しかない。

阪大(15位)、94.6%
名大(16位)、94.4%
東大(43位)、90.3%
九大(46位)、90.1%
京大(54位)、89.0%
北大(58位)、88.0%
東北大(63位)、87.6%

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本語を理解する為に(その15)

2007-03-01 07:43:30 | Weblog
 ドイツ語にもフランス語にも、スペイン語やイタリア語同様に、動詞が変化する。やはり、Be動詞や、Have動詞は、変化が独特である。
 スペイン語やイタリア語と同じ起源を有するフランス語では、やはり、「行く」の意味の「aller」は、独特の変化をする。
「aimer」は、英語のloveのことで、「Je t'aime.(ジュテーム)」と言えば、(俺 君’愛しちょる)I love you.のこと。
 フランス語の場合は、単語の子音字が、(アンシェヌマンやリエゾンと言って)次の単語の母音字とつながって発音されるので、ヒアリングが難しい。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本語を理解する為に(その14)

2007-03-01 07:37:28 | Weblog
 ドイツ語とフランス語の発音であるが、スペルを見れば、ちゃんと決まっている。英語以外の言語は、殆ど、その文字で、発音が決まっている。逆に言うと、英語の場合は、新しい単語のスペルを見ても、どう発音していいのか、分からない。しかし、もっともっと曖昧な言語がある。それは、我々の日本語である。

 高低も、アクセントも、文字に出ていない。「はし」と言っても、橋か、端か、箸か、分からない。又、それを敢えて区別が付く様に書くことも、ない。(漢字を書けば区別出来るからかな?)

 ドイツ語では、eiは、アイと発音する。euは、オイと発音する。

 フランス語では、oiは、ゥワと発音する。ouは、ウと発音する。aiは、エと発音する(ギリシャ語も、又、漢語のaiをハングル語で言う場合も)ご。auをオと発音する。

 フランス語で最も難関なのは、「r」の発音である。これは、舌の先を下の前歯の裏に付け根に付けて言わないといけない。この舌の先の位置は、イタリア語の「gli」でも、スペイン語の「ll」でも、同じである。

 又、フランス語では、英語のcarefulにある、cとrとfとlの子音字は、末尾にある時には、発音されることが多い。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

為になるかも知れない本(その15)

2007-03-01 07:26:11 | Weblog
(平成19年3月1日追加記載)

 私が大学受験した昭和43年~45年頃は、学園紛争も激しかったが、(ベビ一ブ一ムの影響もあり)受験戦争も激しかった。今は、学園紛争は、完全に下火になってしまったが、受験戦争は、続いている、いや、質を変えて、それ以上に続いているのかも知れない。

 大学受験の時は、受験に関しては、中高一貫教育の学校程、優位である。当たり前だ、中学2年間で中学3年間の内容を終え、最後の1年半近くを、浪人と同じ感じで、大学入試の為の勉強をしっかりとしているから。

 しかし、そんな学校に行くには、それまでに塾通いを強いられる。特に、中学の段階で、そんな学校に入るとなると、大脳性理学的に大切な小学校高学年で、それに合わせての生活となり、長い人生から見ると、本当にいいことかどうか、疑問が残る(その時には、親も教師も気が付かないだろうが)。

 ちょっと前に、ラ・サ一ル中学を受ける為の受験生の模様が、○研の主催でテレビで放映されていたが、正に、闘う戦士って感じだった(競争率約5倍)。

 世間一般やマスコミが、受験校に関して大きく誤解していることがある。それは、6カ年一貫教育の名門校では、予想に反して、意外とゆったりとした学生生活が送られていると言うことである。それだからこそ、その後の大学での留年なども、少ない。問題の多くは、3年間で大学に合格出来るまでに成績を上げなければいけない進学高校である。そこでは、正に、成績でふるい分けされ、予備校と同じ感じで、成績が最優先されている。

 土台、受験は、競争。自分との闘いではなくて、入れる数が決まっているからして、どう見ても、実際は、他との競争となっている。そんなことを小学校の時から子どもに強いていたら、まともな人間が育つはずがない。人生なんて、勝つよりも負けることの方が多いはず。負けた時に、それからどうしたら這い上がれるかを小さい時から経験しておいた方が、長い目で見ると、いいはず。そんな試行錯誤の中で、人を思いやる優しい気持ちを育くむことが大切だと思う。人間の愚かさ、自然の偉大さ、この世は、他人の力のお陰で生きられると言うことを、出来るだけ低年齢で、その年齢に見合った感じで、体験的に教え込んでおくことが、子どもを育てる上で、何よりも大切なことだと思う。人間を育てる方法としては、勉強の成績を上げる以外にも、沢山あるはず。それを、成績にだけに比重をかる傾向にある今の日本の多くの進学学校の姿に、私は、どうしも納得できない。

 受験では、その多くが、決められた時間でどれだけ解けるかが問われる。それだけで、その人の能力が充分に測れるとは、誰が考えても不自然なのだけれども、他に手っ取り早いいい方法がないのだ(本当にないかどうか疑問だが)。ややもすると、そんな世界に長くいると、学歴や肩書きだけで人を見てしまう傾向になってしまう。そんな変な見方で人を見てしまっている人を、自分の周りにしばしば見ているが・・・(私がかってそうであった様に)。

 人生は、今は、80年。長いスパンで考えるゆとりが、今の日本には、まだまだないのかも知れない(今は、昔程、学歴偏重でなくなっている様な感じがしてはいるが・・・)。



*デ一タ:鹿児島大学医学部45年入学99名中、鹿児島県内高校出身者が、28名いました。その28名中、留年もせずに、医師国家試験にそのままストレ一トに合格したのは、16名でした。その内訳は、ラ・サ一ル6名中5名、鶴丸11名中6名、甲南・中央・玉龍9名中3名、その他2名中2名でした。その後、じっくりと私なりに観察していますと、留年した人、学生の時に成績が良かった人、悪かった人、ホント、全く関係ない感じで、今は、どの方も、皆さん、職業人として立派な(開業医や勤務医や大学の先生などで)お医者さんになられて、社会に貢献しておられます。受験って、一体、何なんでしょうネ?

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする