日本の心・さいき

日本の文化を通じて、世界平和を実現させましょう。

中学生がインタビュ一に

2007-03-20 14:58:44 | Weblog
平成19年3月20日の14時に、「小児科医の実際の仕事の内容」を知りたいとのことで、又、それを今後の進路の参考にしたいとのことで、とても賢そうな顔をした、礼儀正しい地元龍ケ岳中学1年生の男女二人が来た。
 で、インタビューの前に、以下の資料を作成してあげた。

「小児科医の仕事」、平成19年3月20日(火)の龍ケ岳中学生への資料

 日本の医師は、高校卒業後、医学部6年間後に、医師国家試験を受けて医師になれるが、まだ、一人前でなく、2年間、いろんな科の研修を積んで、やっと一人前の医師になれる。科を選ぶには、2年間の研修後にすることが多い。科は、自分で決める。時間外が多い科や外科系や麻酔科や訴訟の多い科などは、避ける傾向にある。
 日本の医師の殆どは、当直翌日も、仕事をする。入院の患者さんが悪い時は、深夜でも、診察する場合が多い。
 小児科医と産科医の勤務医が、全国的に不足している。少ない原因の一つに、共に、深夜忙しいことがあげられる。当院では、昨年の8月から、小児科医二人体制で、時間を決めて救急医療を毎日(祝日も、年末年始も)している。上天草総合病院での小児科医の仕事は、外来診察(1日平均20~30名)、入院診察(1カ月に、20名~30名)、年100例の新生児管理、年に1000名以上の時間外診察。乳児健診、1歳半健診、3歳児健診、就学前健診、保育園の春秋健診、予防接種、マラソン前健診、小学校の学校検診、中学校の学校検診など、院外で年間35回もあり。それに、院内で、毎週、乳児健診と予防接種をしている。
 看護学校講義(小児科の講義を年に100分を20回、産科の新生児を2回、国家試験前に2回、統計学を6回)があり、講演依頼もあり(アロマなどで)、二人の医師で分担している。
 入院があると、入院時に書くことが多く、退院の時も、多い。毎朝、毎夕、必ず、診察し、カルテに記載。指示も、小児科は、直ぐに変わるので、しばしば記載。退院時には、入院のまとめを丁寧に記載している。
 小児科の特徴は、小児を診る以外に、親御さんの説明が大変で、親の協力がないと、いい医療が出来ない。全く子どもを見ていなくて、来院されるのが一番困る。3歳未満は、小児科医が診ても、それなりに難しい。しかし、小児科医は、年齢が小さければ小さいほど、その見方は、得意である。小児科医の診断的中率は、非常に高い。
 小児科医の仕事は、とても生き甲斐のある科であり、子どもの嫌いな人には、向かない。体力・気力・継続力が要求される。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

為になるかも知れない本(その40)

2007-03-20 07:56:22 | Weblog
○専門1年、6月1日(日)曇。
 法医解剖を初めて見た。赤ん坊だった。それを見て気分が悪くなるということはなかったが、無惨に解剖されている感じがして、かわいそうだった。自分の身内や知っている人だったら、見ることが出来ないだろう。
○専門1年、6月4日(日)曇。
 生化学ばっかり勉強している。勉強のし過ぎで、首が凝っている。鼻血も出た。目が充血している。気分転換に天文館に出た。自分の大好きな(ポンポン菓子とギョーザが昔から大好き)特大のギョーザを食べた。金魚5匹をもらった。途中でクラスの○○譲を見かけたが、見て見ぬ振りをして通り過ぎた。好きな娘だったら、飛んで行ってこの金魚を勇んでやるのに。ギョーザを食べている時、隣に座った女の娘がとてもかわいい感じの娘だった。しかし、話し掛けることが出来なかった。俺には、そんな才能はないもんね。仕方ない。
○専門1年、6月10日(土)晴。
 熱が39度2分あるのに学校に行った。生化学の実習は、さぼれないのだ。
○専門1年、6月12日(月)雨。
 熱があったのが嘘の様だ。だが、ちょっぴりフラフラしていた。早く実力のあるいい医者にならなければいけない、早く医学を修得したい、・・・いつもそう思っている。今日は、死体十体(前の学年の人が解剖したもの)を見て筋学の勉強をした。ホルマリンの匂いが臭くて、目が痛くてたまらなかった。指導教官が少ないのは問題だ。
○専門1年、6月17日(土)雨。
 組織学対策委員会(解剖2の試験の為)から、「傾向と対策」をもらった。生化学の授業の後、細見の所に行ってすきやきをごちそうになり、一緒に歌を歌った(細見がギターを弾いて)。彼は、青春を満喫している感じだ。
○専門1年、6月22日(木)雨。
 発生学の集中講義があった。熊大の藤本教授で、熊大では、解剖3まであるとは、驚いた。
○専門1年、6月29日(木)晴。
 生化学の実習の時間、稲益助教授と萩原講師から呼び出しがあり、「夏休みに生化学の教室に来て手伝わないか、二人やる気のある人が欲しい」と言われた。光栄。だけど、今の自分の実力では生化学の先生に申し訳ないが・・・。
○専門1年、7月11日(火)晴。
 いい日だった。解剖2の試験があった(82点だった)。実習の試験は、25問、顕微鏡を見て、1分間で、臓器名を当てて書いて行かなければいけなかった。自信を持って言えるのは、15問だけ(結果は、80点)。井口がノートを実に上手にとっていた。2学期からは、彼を見習わなければ。
○専門1年、7月29日(土)晴。
 衛生学、公衆衛生学、医動物学、生化学、小さな本を一応読み上げた。今週は、メチャクチャ頑張って習っていない学科の勉強までした。これだ。
 午後から天文館に行って、例の所で150円程ギョーザを食べ、その後、200円の温泉の風呂に入りに行った(次兄推薦)。俺って、ブルジョアかなあ・・・。次郎物語を読み上げた。
○専門1年、8月4日(金)晴。
 映画デーって感じの日だった。朝、申し訳程度に、臨床生理学の内分泌を勉強してから、高島屋であった「人間の条件」の映画を、朝の11時30分から、翌朝の9時40分まで掛かって全て見た。人間の条件と次郎物語の長大作を終了しただけでも、この夏休みの価値はあったかな。

*夏休みに入ると、1週間の内の5日間を医学部図書館で朝の9時から夜の8時まで必死になって勉強した(厚い基礎医学書を最後まで読み上げることに専念した)。8月7日~9月2日まで、生化学教室(午前中は、生化学教室、午後は、医学部図書室)に通った。そこでは、自分の部屋と対照的に冷房完備で、実に快適であった。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

為になるかも知れない本(その39)

2007-03-20 07:54:24 | Weblog
 解剖には、系統解剖、病理解剖、法医解剖とある。又、系統解剖学にも、ミクロの解剖(電子顕微鏡レベルの解剖学や、組織学など)とマクロの解剖(系統解剖など)、更には、発生学とある。

 系統解剖の実習に入る前に、金沢大学の解剖学教授の山田致知先生の書かれたエッセイ「解剖学実習の心得」を渡され、しっかりと読んでおくように言われた。以下は、その内容のほんの一部である。
 
 解剖学実習の心得
          金沢大学教授 山田致知
 解剖学実習は、学生諸君が一生かけて取り組もうとする”人体”との劇的な出会いの場面であり、諸君が生まれて初めて経験する系統的な最大規模の探求事業となる。解剖学実習では、人体構造の知識を得る以外にも、判断力や処理能力を高めることが要求されるし、更に生命の尊厳や医学の倫理についても自分自身の考えを練る必要がある。それだけに、そして人体を解剖するという特殊性の故に、指導の責任と学生の規律とが特に重要視されなければならなくなる。

 死体に対する態度
 総ての死体解剖は、昭和24年制定の”死体解剖保存法”という法律に基づいて行われる。その第20条は、死体の取扱いに当たって特に礼意を失わないように注意しなければならないことを定めている。
 法律は、総ての解剖に遺族の同意が必要であるとしている。いいかえると、我々は遺族の理解と協力によって”解剖させてもらえる”のであった、決して特権によって解剖できるのではない。大体、解剖することを特権だなどという考え自体が思想的に少々おかしいのではないだろうか。諸君は、実習体確保のためにどんな努力が払われ、関係者がどんなに苦慮しているかを知らないし、また知ろうともしないから、自分達のようなエリートには死体の方が集まってくるような錯覚に陥り易い。実習体確保という問題は、実習を担当する教室だけでどうこうする筋の問題でもなく、またできる問題でもない。それは医学の向上発達という大目的を達成する為に、医学関係者総員が節度を正して当たらなければならないことである。
 兎に角、諸君が今日実習を開始できるのは、文字通り慈悲の固まりのような故人および遺族の善意の御蔭によるものである。もしもこの明白な因果が理解できない者がいたら、冷静に次のことを自問して見るがよい・・・君の両親が死亡した時、自分はかって一体の死体を解剖したからその恩返しにと肉親の遺体を実習の為に提供できるか、後述のような解剖体収集のキャンペ一ンに応えて諸君自身の肉体を実習用にと遺言することができるか、その際に、反対する身内の者を納得ゆくように説得できるか。而も法律は、学生の解剖を無条件に認めているのではない。学生は、全く解剖学担当教授または助教授の責任において解剖することができるのである。
 解剖実習は医学専門課程のハイライトだといわれているが、それは医学を志す者が必ず通過しなければならない一つの難関であって、将来人命を預かる者が実際に人体に引き合わされる最初の機会でもある。我々が如何に無力であり無能であるかを先ず思い知らされ、ついで、我々のフシ孔のような観察力と型にはまった頭の働きによって一体何ができるかという能力検定の機会となるのが、解剖学実習である。
 解剖とする対象は死体である。だからこれは人体解剖学ではなくて、死体解剖学”であるなどと反抗期的理論を宣伝する者があるのは困ったものである。成程と思う者が沢山あるであろうが、それは死んでいるのは実は彼の頭であると自白しているようなものである。死体の所見であっても、見る人の立場によっては、生き生きと躍動することを彼は気づかないのである。 学問の真髄はどの分科でも同じであるから、解剖学実習を実りあるものとして完遂できない者は、恐らく臨床医としての野心なども抱かないがよいだろう。要するに、死体は”聖書”であり、”活師”のなのである。
 我々は初回に全員そろって黙祷をささげ、以後は各組ごとに礼拝、最終回には花束を手向けて冥福を祈り、感謝をこめて別れを告げるのが習わしである。
 ”死体を他人の遺体だと思うな。肉親を解剖する積もりになって、こうするのが当然だと思うように、絶えず自問しながら行動せよ。”


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする