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黄昏どきを愉しむ

傘寿を過ぎた田舎爺さん 「脳」の体操に挑戦中!
まだまだ若くありたいと「老い」を楽しんでま~す

入院あれこれーその2

2025-04-19 | 日記

入院生活って、病院側の規則にそって生活することです。

50日間に十分慣らされました?

 いや、いい意味では「規則的」な生活が身体にはいい。

「自由」ばかりでは、人間は怠惰になってしまうのでしょう。

さて、そんな日々の動きをいろいろな「イラスト」を織り込んで

追いかけてみます。

 こうして「生活」の場面を細かく振り返ってみると

1日の動きってかなり変化のあるものだと自分でも感心しました。

 でも、まぁ、これも人によるとは思いますが…。

 

 救急車で運ばれて、夜には入室、一晩明けると実感として

「ああ、病人なんだ…この先、どうなるの?」がまず脳裏に。

左腕には、針が刺さり、点滴はずっと続いている。

ベッド脇で音がするので看護師さんが様子を見に…

 「もう少しで終わりますね~

   また次の種類に変えますからね」    

     

 そう、点滴は 数日、外すことなく体内に流れ

身体を洗浄?している。 いや、「毒消し」が進んでいるのかな? 

 鼻から空気、腕から点滴。 

      

  身動きするにも不自由な時間

体内に流し込む…だから「小用」が多くなる?

動きが不自由なので…傍の「尿瓶」を使う。

          

  朝になると、看護師さんが…

    

   仕事とはいいえ~「申し訳ない。

 「お手数おかけしますありがとうございます」

  とお礼の言葉が素直に出てきます。

 

 さて、日々の細かい動きはといえば~

 

私ごとではありますが、この20年。

 朝はほぼ、6時前後の起床。

洗面、髭剃りをすませて、テーブルにつき

朝日新聞を読み

    一面、下段の「天声人語」

    書き写しを

 朝の日課として朝日がこの「書き写し」 ノートを販売してから

 今日まで継続しています。(2011.4月)

 まず先に全文を読んで~当初は「声が出して読んでいました」が

  現在は「おとなし」く 読んでいます。

 我ながら…あっぱれ! よく続けてこれたと思っています。

 この習慣、良いことばかりですよ。

 「読み書き」(字を覚えるには格好の材料です)

「ニュース性」「文章力」 脳の体操に最高!

 

 ここではしばらくお休みに。

 この習慣から、朝起きるのもほぼ「6時」には

 おもむろに、窓のブラインド開け、朝日を入れる。

     

 洗面、髭剃り

      

 

  病院の診察開始は思ったより早い~

 大体、6時初めに 「検温」に来ます。

 「お熱測りますよ~ 

 はい、酸素の具合いはどうかな …

 「ここで、酸素を測るのが、これから私の日常生活でも

 必要な道具」 パルオキシメーター  

       

  酸素の量を体を動かした後に不足していないかを測るものです。

 次に、「血圧」    「今朝はちょっと高いわね…」 

        

 「はい、OK じゃまた来ますね~何かあったらすぐに連絡して」

      夜勤明けの看護師さんは患者さんの数も多いので~

    大変朝は大忙しのようです…・

           

 

  「検温」の後は、朝食まで少し時間があります。

 私は、その間、「読書」の時間に~

 女房殿が、この50日観、毎日顔を出してくれ

「洗濯物」を始め、必要なものを届け

 励ましてくれたので~大変感謝しています。

 やはり、「病気」は「気(き)の病(やまい)」です。

 注射、薬よりも効き目は抜群です。

  本といえば~ この際、時間もたっぷり。

 これを逃すことはないと…長編に挑戦!

 まずは、読み返しをしたかった本から

 安部龍太郎の「家康」 2巻 約950ページ

       

 一気に読み終えました。

  夜中まで 黙々と・・・

 

  お昼の時間で、夕方までの時間には

 軽い、エッセイで、これも地元北九州の作家 

 葉室麟さんの 「古都再見」と「洛中洛外をゆく」

   

 

 そして3月の終わりから~退院まじかまでは…

 3回目の読み返しになる ご存じ

 司馬遼太郎の「竜馬がゆく」をむさぼりました!

   

 全8巻ですが… 5巻までで退院

 全部読み切れず…帰宅後も続けていますが

 

 打ち込み中、お見舞いのお客さんが・・・

  ちょっと中断。

  また、明日ね~ 

 

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入院生活あれこれ・・・

2025-04-18 | 日記

今日は退院後2回目の診察へ。

 どこの病院も同じでしょうが、

まったく「時間待ち」が病院へ行く大仕事なのだ。

そのため、少し早めに家を出た~

診察券を機械に入れて、出てきた今日のカルテ

の検査項目確認し

受付に提出~看護師のチェックを受けて

検査項目を順番に廻る。

 まずは「採血 腕をまくって1分   

 次に 「レントゲン」    

 「息を吸って、はい止めて、終わりました」 1

  シャツを着て 出てくる 

  検査 2項目終了 僅か5分足らず

  この為の「待ち時間」 30分あまり。

 次は、主治医の診察

 ここからが 大変、患者さんの多さにびっくり。

 待合室の椅子は満席? いやはや、この早朝の時間なのに

 集会でもあるのかと疑う賑やかさ…

                   

 待つこと~2時間!

  途中で、「順番、どうなっているの?」と

 声を出したくなる気分ですが…

 そこは、もうみんな同じ気持ちでしょうから

 ぐっと我慢で

 「ようやく 〇番さん、2番診察室へ 」の声。

 

 主治医に挨拶。

                     

主治医のPCのデータと撮影されたレントゲン写真の解説がされ

 「少しづつ良くなっているね~今日のレントゲンは、これ!

  いいね・・・その後の経過を見ましょう~

  酸素もこのままで… 生活は普通でいいよ

 じゃあ、次回の 診察日は…  お大事に」

 要約すれば・・・こんな 会話かな。

 「診察時間は、もうそれこそ5分もあれば? …」

 

ことが起こったのが、60日前のこと。

 地域のお祭り(どんど焼き)

この町一番の冬の行事です。

    

6組ある隣組が順番でこの祭りの当番で「祭り」の

準備から、当日の祭事を担当する大仕事です。

近年は、この「どんど焼き」も「昼」に行う処もあり

また、時代と共に消えていくところもある。

   まぁ、なんとか無事に終了しました。

 

お祭りは無事終わったのですが…

 担当したそれぞれの皆さんが 「コロナの症状を…」

これは大変! …「診察の結果は」

 皆さん 軽くて済みました・・・

が、私だけが?  コロナの延長線上…肺病を。

  レントゲン診察の結果

     

   肺が真っ白に! 

 担当医も、これを見て、直ぐに一声、

     「 即、入院!だ 」

行きつけの病院から、そのまま 救急車で総合病院へ直行!

        

 救急治療室で、「点滴」を。   

  「CT」に 「レントゲン」  矢継ぎ早の検査が続き

   

 夜半まで、  

その後、病室へ運ばれ~入院 

気がついた時には~ 鼻から管を…

      

 酸素を吸いながら…のこんな姿に。

 さぁ、これから長い 病院のベッド生活です。      

入院といえば、私が50代の頃(現在83歳)

 30年ぶりの入院。

(考えれば、健康な時間を頂いたことになりますね)

 朝、起きて 診察の結果が… 

「間質性肺炎」 でした。

 初めて聞く病名。

 先の レントゲン

   

  どんな症状かと言うと。

 

 

  

 

  そうなんです。

  「肺」の機能が 正常な方より衰え、酸素を取り込む力が低下する。

  肺の壁が固くなるために、元には戻らず…

   「酸素吸入装置」を使わなければ・・・生活できない。

  

  と、まぁ、次第となりました。

  現在、83歳。 残された私の時間は、この病気に掛からなくても

  それほど、先があるとは思いません。

  素直に受け入れて、少しでも回復し、元とは違った「生き方」を 

  見つけていくしかありませんね。

  

      明日は、日々の入院生活からの出来事を

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退院しました!

2025-04-10 | 日記

長い入院生活からやっと家に帰って来ました。

  50日にも

 「間質性肺疾患」・・・

 まだ酸素吸入器付けていますので入院生活の様子

少し気持ちが落ち着いてからアップいたします。

 しばらく日常生活に慣れてから・・・?

 

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再会!「田中一村様」

2025-01-09 | 日記

 昨日の続き~

 今回の特別展の大きな収穫は、一村記念館以外の「美術館」

 「個人蔵」の作品を見ることができたことでした。

     

 

 「軍鶏図」 昭和20年代 千葉市美術館蔵

 千葉市内の軍鶏師・田辺義郎宅に通って軍鶏の写生を集中して学んだ頃

 には習作的なものから落款のある作品まで多数の軍鶏図が残された。

 中でも本図は唯一、題画賛として【荘子】の「木鶏」の故事が記されて

 おり、軍鶏の姿に投影したものはなにか、思想的背景をうかがうことが

 できる。

  「朱實紫實」  株式会社ジャパンヘルスサミット蔵 昭和25年代

   

  「花菖蒲」   株式会社ジャパンヘルスサミット蔵

   

  「梨花春禽」  株式会社ジャパンヘルスサミット蔵

   

  

  

   左図 「枯木にきつつき」(冬) 右図「柿にかけす」(秋)

     昭和20年代 個人蔵       昭和20年代  個人蔵

      作品名に加えて(秋)(冬)と朱書きがある。

       四季の掛物とされたものらしい。

       江戸琳派風の構図に絞られたモチーフの色彩が印象的で、

      背地の淡いぼかしのニュアンスも美しい。

 

   「秋色虎鵣」  昭和20年代   人蔵  

     

 

   「白い花」   昭和30年代 栃木県立美術館蔵

 

  昭和22年、第19回 青龍展で初入選した二曲屏風(白い花)は自身と周囲の

  人々にとっても記念的な、当時の一村の代名詞的な図であったとみえ、20年代を

  通じて何点も制作されてきた。

  この頃の他の作例と同様、一段と繊細で洗練された描写が見られる。

 

 今日は正月9日 ちょっと過ぎましたが~

  ちょうど季節感のある1枚を見つけました。

 「七草」に因んでの作品が。

 「春の七草図」  昭和30年 個人蔵

 

  正月7日に行われる恒例行事「七草会」に用いるために

  一村に作画依頼が。

    輪郭線なく透き通るような彩色や墨の調子が美しい。

  因みに  七草は

 「セリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、スズナ、スズシロ」

  これぞ七草。 昔、覚えさせられましたよね~。

 

  「亀寿老人」  昭和30年  個人蔵

      

    やわらぎの郷に滞在時に、一村の身辺の世話をした鍋島家のため、

 依頼され現地で描いた図。富岡鉄斎による長寿を寿ぐ詩画を写している。

 寿老人も蓑亀も、瞳が大きく微笑んでおり、親しみやすい表情となっている。

 

 昭和30年、九州、四国、紀州への旅をし、訪れた場所をのちに構成して

 色紙や小画面の絵画に描いた。 四国の足摺岬や室戸岬を。

 構図を工夫し、画面全面への厚く明るい彩色があるいずれも充実した作品で、

 千葉に帰ってから自分で撮った写真も参考にしながらじっくりと描き、世話に

 なった人々に贈られた。

   2023年のブログにも作品は掲載していますが、新しい作品を。

 

     「新緑 北日向」 昭和30年 千葉市美術館

  

  

  写真 (高千穂峡) 一村が撮影したもの

          

 

  「由布巌朝靄」 昭和30年   田中一村記念美術館蔵

      

 

  「室戸奇巌」 昭和30年  千葉市美術館蔵

     

 奇岩の間を海面に変え、波頭の白さや高い水平線と水面の青が強調されている。

 

  「足摺狂涛」  昭和30年  田中一村記念館

     

   「室戸ハ奇石畳々 足摺ハ断崖択   太平洋ノ 怒涛へ脚下ヲ噛ム」

 

  「平潮」   昭和30年  田中一村記念館蔵

    

     「鳴門ヨリ淡路島へ渡ラントス 船ヲ待ッ 朝風ノ印象」

 

    同じような「題材」でありながら縦横倍の作品

      この景色をどのように捉えたかったのか…他にも「色紙」

    で描いたもの、「岩戸村」をスケッチしたものとの関係。

    謎がまだ解けていない~ 。そんな 珍しい作品です。 

  

     「山村六月~北日向にて」        

          昭和30年 個人蔵         

   

 

    「山村六月」 昭和30年 田中一村記念美術館

      

  

  最終章

  縁もゆかりもない新天地。

  人生の最後となるかも知れない大きな賭けを打って出る。

  半世紀を超える画業の集大成を奄美で遂に実現することになるのだった。

 

  奄美へ来島間もない頃、トカラ列島の宝島にも足を伸ばした。

  広い空に浮かぶ雲、女神山を背景に、天然記念物のトカラ馬と背に乗る

  サギ、足元の草花を表す小さな点々など、丁寧に細かく描かれている。

 

         宝島」 昭和34年 千葉市美術館

    

 

   奄美へ来てすぐに、最南の与論島まで「視察した」ことなどが

   便りに長い絵入りで残っている。その色紙絵の1枚。 

 

    「日暮れて道遠し」 昭和33~34年 千葉市立美術館蔵

    

 

  「大熊風景」  昭和44年 個人蔵

  

 一村が紬工場の務めをやめ絵に専念していた時期に描かれた。

 染色工として働いていたその工場がある奄美市名瀬大熊町の、山を背後

 に抱く町の通りや家並が、個々に特定できるというほど詳細に描かれた実景図。

 

 いよいよ最後です。

 一村といえば、奄美の「アダン」のシリーズ。

  パパイヤ、ソテツ、ゴム、アカショウビン、クロトン そして魚の数々。

 2023年のブログには精一杯掲載しました。

  まだまだ 載せたいのですが・・・・もういいでしょう!

  華やかに 「クロトン」と「ポインセチア」

  で締めたいと思います。

   

   

 

  そして もう最後の、最後に この1枚も。 再び。

 

    「不喰芋と蘇鉄」(クワズイモとソテツ)

      

   「アダンの海辺」

   ポスター、チラシ、美術館前、美術館内

    特別展会場の各所に この代表作が

    

        

    こうして時間が過ぎた後も・・・

  まだ私の中の興奮は治まっていません!

  タイトルにあるように「魂の画家」

   一村は 今も 奄美の地に息づいている。

  彼の存在は 未来永劫 奄美の人々の手で受け継がれ

  そして、見る者の感動もどの時代の人々にも

   「魂の」凄さを堪能させることでしょう。

 

     

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再会!「田中一村」様

2025-01-08 | 日記

2025年が明けて 1月。

2023年1月28日~NO.5まで「田中一村」についてブログアップしました。

 「孤高の画家 田中一村」

 「 私の手元に 1冊の古書 NHK出版(2001年出版)

      この本を眺めて~いつになく興奮していた…。」

 

   あれから、すぐにでも「奄美に行こう!」と計画を~

 

天の見方がやって来る! 朗報です。

 2024年9月19日~12月1日 東京都美術館で

「田中一村展 奄美の光 魂の絵画」が。

    秋を楽しみに、いざ、東京へ。 (昨年のことです)

10月 この企画展を含めて「東京美術館巡り」に行ってきました。

 会場での写真撮影は出来ませんでしたので…残念!

 

是非、 2023.1.28から5回に分けて ブログアップしていますので

    ご覧いただければ幸いです。

 また今回は、各地の美術館から、個人像からも出展されて

その総数はいままでかってないほどの規模でした。

         

           (当日のチラシより)

    一部、追加で 今回のブログに掲載します

 

   (但し、この写真も、企画展版カタログからの写真です) 

 

  2023年のブログ見て頂きましたか?

 それでは これから 幼少時代から、千葉、九州旅行などの新しい作品を

 ご紹介します。

 「個人像」これは 大変貴重なもので、今回の企画展での特別出品なので

 もうこれから目にすることはできません。

 また、他の美術館よりの作品も、借りてきたものなので今後はその美術館に

 直接訪ねていかねば見ることはできません。

 

  幼少時代 

 

  満年齢6~7歳は数え8歳

 一村の作品としては最も早い年の1点である。

 筆跡はまだたどたどしいが、すでに「米邨」の画号で描いている。

 彫刻家であった父(稲邨が号を与えたのだという)

        「紅葉にるりかけす/雀」栃木県立美術館蔵

        

         「菊図」 個人蔵

        

       この絵も8歳の時の筆です。

     「米邨」の印も捺されている。その下の部分の紙の欠損は、父が

     筆を入れたことが気に入らず破り取ったのだという。

     誇り高き画家一村の伝説的エピソードの始まりである。

         「つゆ草にコオロギ」  千葉美術館蔵

            

     12歳の作。市立芝中学校に入学した年

      客の前でも揮毫したという「神童」だった。

    「蘭竹図/「富貴図」衝立   個人蔵の作品。

  

 重厚な衝立の金地組本大画面いっぱいに片面は

 水墨のみの「蘭竹図」、片面には「富貴図」と題し極彩色で大湖石の

 前後に牡丹を密に描く。 蘭竹の群生の脇には霊芝や若竹が、牡丹も

 枝を湾曲させながら空間を埋め尽くす感覚は、一村の資質の発奮とみえる。

 画面の隅々に各種の蝶や蜂も描き込んでいる。  (昭和4年 21歳の頃)

     「山水図」上段 「浅き春」 下段    千葉美術館蔵

          

   

「雁来紅」と題された作品。  個人蔵

   雁来紅(雁が渡って来る頃に葉が紅色になる葉鶏頭の別名)

     

   輪郭線を用いず画的に描いた葉と、葉脈などの極細線を駆使し、

   1本の葉鶏頭の微妙な色合いの変化や立ち姿の存在感を。

  

   「観世音菩薩」 個人蔵

           

   「蓮上観音像」左(個人蔵) 右(株式会社ジャパンヘルスサミット)

       

「百済観音」の名で親しまれる法隆寺の国宝・観音菩薩立像をモデルにしたのであろう。

 一村は、百済観音の写真の切り抜きをもっており、蓮池の写真の資料も貼っていた。

 これを組み合あわせ試行錯誤し本図像をつくり出したようだ。

  「翡翠図(かわせみ)」 個人蔵 昭和10年代 

         

   「桐葉に尾長」 個人蔵  昭和10年代

         

     「立葵に蜘蛛」 個人蔵 1940年代半ば

     

 

本図は、銀色に蒔き付けた色紙にクローズアップした濃彩の立葵、大きな蜘蛛、白銀色 

 の非常に細い蜘蛛の巣の糸が全面に引かれて輝き、それらの繊細な心配りに打たれる

 色紙絵の名品。

 

  「四ッ手網」  昭和22年頃  栃木県立美術館蔵

   

  「一村」誕生の意欲作。

太平洋上に注ぐ夷隅川河口付近に木製長橋が架かる景は絵葉書とされたような名勝で、

画面手前全面に大きく四っ手網を配慮し、網を透かしてその橋の遠景を見せる手法を

浮世絵版画などの古典で馴染みの構図に学び活用している。

 

           だいぶ目が疲れてきたのでは?

 

       今日はこの辺で・・・また明日 続きを    (@^^)/~~~

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特別展 はにわ

2025-01-07 | 日記

昨年の秋、東京国立博物館で開催された「特別店 はにわ」を

見てきました。

 今春、九州国立博物館で( 1.21~5.11)まで開催されます。

私の住んで居る福岡県苅田町には、多くの「古墳」がありすぐそばには

「御所山古墳」と「番塚古墳」「石塚山古墳」「恩塚古墳」があり

以前より古墳には関心があったので、昨年、「東京美術館めぐり」

計画した際にそのチャンスがありたっぷり楽しんできました。

 遅くなりましたが、新年に当たり、この「東京美術館めぐり」の模様を

アップしていこうと…。

 まず この「はにわ」について

「埴輪」って何? なんですが…その前に「古墳」の説明を少し。

 古墳は、一般的に3世紀中ごろから7世紀の「古墳時代」と呼ばれる時期に

 土地を盛り上げて築いたお墓。 つまり墳丘をもつお墓を「古墳」と

 呼びます。古墳は、各地域を治める大王や豪族のものから家族のもの

まで、時期とともに形も様々変化していきました。

 「古墳といえば」の前方後円墳はもちろんのこと、四角いものもあれば、

丸いものもあります。いずれも亡骸を埋葬し土で盛り上げた古墳、

つまりお墓ということになります。

 古墳と形 こんなに種類がありますよ。

 

 近くの「御所山古墳」の写真です。(前方後円墳)です。

        

 古墳は全国には16万基以上あるといわれ、前方後円墳の割合は、およそ

 3.3%ほど…意外と少ないようです。 

 古墳の話を続けると、長くなりますのでまた機会があったら。

 とにかく、皆さんに「埴輪」って 面白いので是非、九州に住んで居て

 近くでこんな素晴らしい企画展が行われ機会に足を「九州国立博物館」へ

 向けて頂きたいと思います。

 

 埴輪って なに?

 埴輪とは、王の墓である古墳に立て並べられた素焼きの造形です。

 今から1750年ほど前に溯ります。

 古墳時代350年間時代や地域ごとに個性豊かな埴輪が造られ、王を取り巻く

 人々の当時の生活を今に伝えています。

 「埴輪」は、古墳の上や周囲に並べられた巣焼物で、死者の魂を守ったり

 沈めたりするものと考えられています。

 古墳や埴輪が作られたのは、まだ文字が広まるより昔のことですが

 調べてみると、楽器を弾いていたり、農具を持っていたり、服装も髪型など

 昔の人の生活の様子を知ることが出来ます。

 なかでも、国宝「埴輪、挂甲の武人」は最高傑作といえる作品です。

 これは今回の特別展の「目玉」でもありますから「トクと御覧下さい」

  

            

 他にその仲間たちが並んでいます。

 同じ工房で作成された可能性も指摘されているほど、兄弟のようによく似た

 埴輪が4体あります。そのうちの1体は、現在アメリカのシアトル美術館が

 所蔵しており、日本で見られる機会は限られています。

 頭から足まで完全武装しており、古墳時代の武人の様子を眼前に

 見せてくれます。

             国宝          シアトル美術館

    ☟             ☟

   

こんなに楽しいい「埴輪」も 「躍る人々」

     

( 楽しいですね~ これ男女ですかね )(見ぶり手振りも板についてる)

 

「笠をかぶり鍬をかつぐ農夫」「琴を弾く人」「琴を弾く男子像」

          

  畑仕事? 凄いよ!  琴? もうすでに楽器があった

     生活の中に「楽しむ」余裕? かな この時代に

 

 女性の姿も多い…

 「島田髷をした女」  すてきな髪形 お洒落の極み~ 

     (子供に乳を飲ませていますよ)

      生活そのものを描写しています

 「子を背負う女」   「正座の女」    「盃を捧げる女子」

       

 これって、昔も今も            乾杯! 何かの宴会の音頭?

 「膝まずく男女」 

  この家に、偉い方が訪問したのかな?

   夫婦? きちんと礼を正してご挨拶なんでしょうか

    それとも、「ハハッ~」王様の御成り…。

     

  可愛いい動物たちも沢山顔を見せてくれます!

   

                    犬         鶏

     馬        鹿       猿        牛

     

こんなものもありました 「家形埴輪」

 古墳時代って、凄いね、現在の工房でも難題の造形をきちんと造ってる?

  

                           切妻造家

          

              高層建築? 

  「舟形埴輪」

 古墳時代は、船は波濤を超えた交流に用いられるだけでなく、死者の魂の

 乗り物と考えられていました。

        

  「埴輪棺」

これこそ 古墳の主人公が丁寧に納められた棺でしょう。

もちろん、地位やその人の歴史の証なのでいろいろな形があったようです。

  「これは 等身大の棺? 凄く大きく 豪勢な造形ですよね」

   

  まだまだ お見せしたほどの画像はありますが・・・・この辺で。

   是非ぜひ、時間をなんとか見つけ出して、九州国立博物館へ!

      5月11日までです。 時間はありますから。

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脱皮するぞ!

2025-01-06 | 日記

開けましおめでとうございます。

 長らくご無沙汰していました「ブログ」新年を迎え

 改めて挑戦することにしました。

 指先もなんとか普段の生活に支障がない程度に回復。

 齢83歳を迎え 気持ち切り替えて画面登場することにしました。

  さて、早速ですが「年賀状」のこと。

 今日までに約50通到着。ほぼ出した分返って来ました。

 この3年間で一生懸命「減らすことに」

 本当はやりたくない「今年限りでご遠慮します」を

 時間的にお付き合いの少ない方から出していき…

  多い時は約200通を 心を鬼にして?

 年賀のあいさつを失礼させてもらい、今年でこの数字に。

 私ごとですが、転勤が多く赴任先も、北海道、東京、広島、島根

 九州(小倉、大分、博多)と財産捨てての股旅人生でした。

 まぁ、言い訳がましく言うと、財産は「お付き合いした友人」

 思い、今日まで続けてきましたが、同輩や先輩諸氏も「先に旅立ち」

 また、遠くの為、1年1度の「年賀」のみで段々、返信も

 「1行コメント」から、それもなくなり「印刷」だけの両面。

 そんなところから、年齢のことも考え、思い切りました。

 今年の干支は巳。

 いろいろな面で、今迄の自分から「脱皮」して

 「83歳なり? の自分をみつめる!」

 そんなスタートにして生きたいと。(どう理解する?)

 賀状の1行に。

 「目出度さも ちう位也 おらが春」 小林一茶。

 いろいろまだやりたいことあれども?

 「ちる花や すでに己も 下り坂」

 心して、 身の丈に合う 時間を過ごすことに

 本年も どうぞよろしく

   お付き合いお願い申し上げます。

              (*^^)v 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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もう少しで指が動くように

2024-08-28 | 日記

 長い間ブログを休んでいました。

 早く 早くと思いながら~指の関節が思うようにならず

 不精の日々です。

 日々 リハビリして もう少しです。

 気持ちは毎日 投稿している?

 完全に記事が書けるようにと頑張ってキイを打つ自分です。

 もう少しでなんとか・・・それまで 

 いちばん楽しみにしているのは 私なんですから。

 

 

 

 

 

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「棟方を追いかける~」第13話

2024-05-10 | 日記

棟方の「 ~ 海道棟方板画」の発想は、松尾芭蕉の奥の細道

その芭蕉が「奥の細道」への旅は 芭蕉46歳

       

元禄2年(1689)3月27日~9月6日までの長旅

門人曾良を伴い、江戸を発ち奥羽・北陸の各地をめぐるものでした。

 「月日は百代の過客にし行かふ年も又旅人也 船の上に生涯を

  うかべ馬の口とらえて老をむかふる物は日々にして……」

 棟方は70歳からの旅たちだった~。

 

 貴重な資料が見つかってます。

  芭蕉が描いた絵巻物がこれなんです。

 「野ざらし紀行」の際、芭蕉自らが筆をとって描いた・・・。

 なかなかシンプルなタッチですが面白い~

  

  

                  (福田美術館蔵)

 

  12話で「中尊寺」をアップしました 「奥海道棟方板画」から

   「奥海道棟方板画ー奥入瀬十和田の柵 」

     

 

         <一宿標の柵ー岩手登米>

    

 

   名句をひとつ 「古池や 蛙とびこむ 水の音」

     

           <東京 深川 芭蕉庵跡>

 

     

  それでは、各地への旅の「棟方板画」もそうとうな数なので

   各「海道シリーズ」から 私なりに選んでアップします。

 

 「西海道棟方板画」より

          <福岡 若戸大橋>

     

          <宮崎 磐戸神楽>

     

          <熊本 大阿蘇山>

     

      

          <長崎 大江天主堂>

     

 

  <南海海道棟方板画>

             徳島 阿波おどり

     

 

              愛媛  石鎚山

     

  

  <羽海道棟方板画>

            山形  羽黒山

     

            新潟   荒海

     

            秋田   象潟

     

 

  まだまだ多くの作品を紹介したいところですが。。。

  またの機会に。

 

  そうそう、 棟方といえば、「女人」の板画ですよね。

  最後に、こんな素敵な「女人」をご覧ください。

    まずは やっぱりこの美人から

             <門世の柵>

     

 

     < 鍵板画柵「大首の柵」>

     

     < 懸世運(けよう)の柵 >

     

     < 円窓石向妃図 >

     

     < 弘仁の柵 >

    

     < 緋薔薇頌 (背髪の柵)>

    

     < バラライカの女の柵        

       

 

   昭和49年 71歳

 10月 個展と講演のため4度目の渡米。

    旅先で倒れ 帰国後 入院

 

 11月 改組第6回 日展に 「捨身飼虎の柵」を出品。

    

    昭和50年 72歳

 病床にて 達磨図を多く描く。

   

 

   

   

 

      9月13日 肝臓がんのため自宅で死去。

 

   

  

       我は、ゴッホになる   棟方志功

           

  大きい、大きい向日葵花、それも、真中にあの雌雄もない、花びらで囲われている

様な、カドミュームイエロー唯一彩に描きつくされてた、向日葵花が、満一杯、枯れて

いても咲き盛っていても、きっとその景色があることばかり想っていました。

 ゴッホとテオドールの墓は、同じ凸字型の、新聞紙を全開きを横にしたぐらいの

大きさでした。 白い石の面に明朝字体の英書で(オランダ綴り)、黒く凹字に刻された

行儀のよいつつましい墓が、左右に並んでありました。

       

 そこにはオカメツタというのですか、そんなツタがところかまわなく、ハビコッていま

した。ウラガナシイ気漂いがありました。

 一寸前に置かれた花束がありました。オランダギクか、赤、紫、白の色々花でした。

 

  ゴッホが、仲よかった弟と、こうして、静かに寝ている有様は、不思議な程に、

 わたくしにも安心させられた様な、うれしい、ひっそりさでした。

 思いがけない、沁み沁みさでした。

 今度ヨーロッパに来て、システィンの天井絵を見て、ここに来たという事だけで

 わたくしは、ナントモ知れない深い借金を、返し済んだ様な気がしました。

     

     

 ・・・一番好きな絵描きの仕事と、寝ている所に佇ったのですから、体心が、

 ナンダカ胸から、肩から軽くなった様な塩梅でした。ーヨカッタ、ヨカッタと

 側にいるチヤコや、巴里爾に話したのか、誰に話したのかワカラナイままに、

 そう、独り言でした。

 チヤの黛で、ヴィンセント・ヴァン。ゴッホ。 また テオドール・ヴァン・

 ゴッホでしたか、それを拓さして頂いて参りました。

 

   ・・・・この棟方の 思い出話はまだまだ続くのですが~

  とても長文、最後まで載せることが出来ません。 あしからず。

 

  「棟方志功」の「板に咲く」15話から「棟方を追いかける~」13話 まで

    実に、ながながと綴ってきましたが、これでお終いです。

 

  「一人の画家」の一生・・・

  しかし、これほど魅了した対象はそれほどはいません!

  ブログをしながらも、新しい発見があり、これからの私の人生にも

  役立つものをいただきました。

 

  この20年  毎年、6月に上京して、近辺の(関東、信州)の

  「美術館巡り」をして

  美術の歴史や画家について勉強しているのですが、この歳(82歳)

  もうそんなに先もない? だから、是非、この棟方の里

  青森 棟方志功記念館へ 足を延ばしに来たいと思案中です。

 

   先の、志功の「思い出」と同じように、志功が「ゴッホ」に。

 私も「志功」の想いでを叶えられるように・・・現地へ・

 

         ご愛読ありがとうゴザイマシタ!

  

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「棟方を追いかける~」第12話

2024-05-09 | 日記

昭和45年 67歳

 この年は高度経済成長のシンボルとして万国博覧会が開催

 日本列島は北から南まで大阪へ民族の移動?が行われた。

  歌手の三波春夫の「こんにちは、こんにちわ~」の一節は

 出始めのテレビから絶えることなく流れていました。

    思い出すでしょう・・・この「太陽の塔」

      

 

  その年の11月 

  棟方志功は文化勲章受章。文化功労者に顕彰される。

         

 

  還暦を過ぎてから急速に数を増した自板像だが、同時に棟方は

望郷の想いをしばしば板画に表現するようになった。

小学校の秋、目の前に揺れる沢瀉(おもだか)の花に心を奪われ

「このような美しいものを表現する人間になりたい」と心に決めた

 思い出を、棟方は歌に詠み、多くの作品に織り込んだ。

 これもその1点。 赤く塗りつぶされ眼は見えない印。

 実際は左眼は失明していた。

   

  昭和46年 68歳

 陸奥新報社創刊25周年を祝して描いた「志功ねぷた」

 弘前ねぷたまつりで運行される。

   

     < ねぷたを紙に直接描く 棟方 >

  この時の「ねぷた」

     <天之宇受女之美古登の図>

   

          <天の磐戸>

  

 

  昭和47年 69歳

  妻(チヤ)と詩人草野心平とともに棟方が深く帰依する仏教興隆の地

  インドを訪れた。 

  インドの旅から帰って後、ヒンドウー教の寺院の彫刻から想を得て

  型破りなこの作品を制作した。

             <彪濃の柵>

   

           

            <大印度の花の柵>

        

 

   昭和48年 70歳

   4月 「奥の細道」を辿り取材、「奥海道棟方板画」を制作。

現代版の「東海道五十三次」版画の制作を依頼された志功は、

を皮切りに10余年をかけて、九州、四国、東北、北陸を巡る

海道シリーズに取り組んだ。

 

 <奥海道棟方板画>では、芭蕉(おくの細道)を辿るという構想が

立てられ、志功は4月22日から11日観の日程で東北各地を歴訪している。

     <奥海道棟方板画 人肌雨の柵ー(5月 岩手)

   

 本作の取材地は岩手県平泉の中尊寺、

    

 

 芭蕉の「五月雨を降り残してや光堂」の句を添え、秘仏とされる

 一字金輪佛頂尊を、その上半身を画面いっぱいに拡大して表している。

 「人肌の大日如来」とも呼ばれるこの仏像は、その名のとおり

    

  まるで生きているかのような白い肌が特徴である。

 その肌合いとともに志功は本作において、実際の顔立ちを忠実に

写し取っている。丸くふくよかな顔におちょぼ口。半円を描く眉に

切れ長の吊り目。興味深いことに、それは、志功が描く女性像の特徴

にも極めてよく似ているのである。

 

      奥海道棟方板画 他 次回にアップ

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続 黄昏どきを愉しむ

 傘寿を超すと「人生の壁」を超えた。  でも、脳も体もまだいけそう~  もう少し、世間の仲間から抜け出すのを待とう。  指先の運動と、脳の体操のために「ブログ」が友となってエネルギの補給としたい。