オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

チキン・ソテー

2016-06-14 | Weblog

6/14(火) 昨夕は銀座のカフェ「モナリザ」で開かれた異業種の交流「モナリザ会」に二か月ぶりの参加。三十人近く集まったが、初めて見るメンバーが十人程いたように思える。それほど真面目に名刺交換をする方でないが、それでも五人と名刺の交換をしていた。自営業や、中央区でビジネス展開をしている企業の営業担当など、顔ぶれは様々である。

軽食と飲み物はビール・ワイン・焼酎と飲み放題だが、それほどのがぶ飲みはしない。紳士(?)はほど程、適量を旨とするのだ。とはいえ、紳士らしからぬ発言もあるので面白い。19時から始まった会は、約二時間でお開きとなり、人形町に戻るか、戻らざるか、それが問題であった。思案六方の末、日比谷線で直帰した。

帰宅は22時前と早い。駅の売店で東京スポーツを買い、前日の競馬の結果をチェックすることができた。翌日の弁当メニューを検討し、ノンフィクションの文庫本を読むうちに眠っていた。東スポを買ったのは、土曜日の築地から帰りの路上で、近所に住む顔見知りのオッサンが後ろポケットに突っ込んだ新聞をポンポンと叩き、馬券売り場へ行こうと誘ったのだ。

と云うことは、俺もその道の愛好者と思われていると云うことだ。飛んだ勘違いも甚だしいが、それはそれ。半チクな遊び人オヤジと思われることは嬉しいじゃないか。その折に、オッサン曰く「石川だよ、絶対にくるから。間違っても二着は間違いないから」と、言うのだ。日曜日はボートレースだ、そのオッサンの親切に応える分けにはいかないが、結果だけでもチェックしておかないと・・・・・、よく顔を合わすからね。

そのレースはエクソンカップというやつで、ルージュバックが久々に本領を発揮していた。オッサンご推奨の石川騎手は、残念なことに5着と云う結果だった。私的には、これでいいのだ

眠りが早かったのか、五時に目が覚めた。早すぎら~と、また眠った。次に目覚めたのは、六時半であった。丁度いい頃合いだと、飯を炊き菜の準備に入った。メニューは昨夜のうちに決めてある。段取りは万端だ。

今日のメインは「チキンソテー」だ。牛や豚の出番は多い。作り手のチキンハートに倣って鶏と言う次第さ。チキンにはアスパラ・ピーマン・ズッキーニ炒めを添える。他には、土曜日に仕入れてきた紅鮭を焼き、新牛蒡と茄子の味噌炒め、胡瓜&若布の酢の物。以上であった。

                                            

毎回似たようなもので我ながら厭きてくる。梅雨も本番、夏を迎えるので暫く夏休みを頂こうかと思っているが・・・・。

                              

 

 - 運のない日 -

昨日の天候は大荒れで参ったネ!昔勤めた品川のビルの脇を抜けて、出来たばかりの立派なビルを訪問したが、ビル風と悪天候が重なり傘も用をなさない。そんな中で訪れたものだから、『いや~立派なビルで結構ですね。儲かってるでしょう 。アベノミックスを支援するためにも仕事をジャンジャン出してよ』なんて、余計な憎まれ口が出てしまった。これじゃ、来るものもこんわな!

昼前に行った歯医者も碌なもんじゃなかった。歯医者は、レーザでオイラの唇を焼きやがった。治療が終わって、「済みませんでした。薬を出しますので、それを塗って下さい」と言った。『これじゃ、キスもできえねぇな』と、軽くジャブを噛ましたら、返ってきたのは「やさしくしてもらって下さい」だった。これじゃ、面白くもなんともないやね。銭を稼ぐ方はなかなかしっかりしているのに。まあ、憎まれ口を叩くからこんなことになったのかな  。

ちょいと気の利いた応えがあれば、『いいってことよ、そんなものはとうの昔に忘れてらぁ』と、笑えたのに・・・・

 

 

 

 

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鯛とモーターボート

2016-06-13 | Weblog

6/13(月) 朝から大雨になった。東京の水瓶が干上がり心配をしていた向きもいるようで、これで一安心か?こっちはそんな高尚なことは思いもしなきゃ考えもしてなかった。

今朝の大雨で気になったのは、午後から久々の客先訪問だ。一体なにを着てきゃいいのかだった。高価なスーツは雨に弱くてグズグズになっちまう、かと言って夏の定番スタイル、アロハじゃ寒い。こんな日は、秘書・車・個室が付く大物の経営者が羨ましいねェ~。オイラなんぞは、その三役すべてに加え、掃除や案内役掛かりの五役だと云うに?

『雨が降ったんで、今日の訪問は取り止めさせて頂きます』なんてことが、サラリと言いたいもんだが・・・・。夜は、銀座の喫茶モナリザで定例開催されている異業種の集まり「モナリザ会」に参加する。それまでには、上ってほしいもんだ。八代あきの姐さんに、今日だけは「雨の慕情」は唄わないでくれと言いたいね。

週末の土曜日のことを記すと、久々に築地市場に行ってきた。弁当用の鮭が無いのでそれを買うのが主目的。かといって、折角築地に行くのに鮭だけじゃあな、となる。色々考える中で、思い当たったのは、最近「鯛」を喰っていないような気がする、五月、産卵で浅場にくる乗っ込み鯛。これも喰ってないし、桜鱒も買わなかった。

そんなことで、遅ればせながら「鯛」にした。鯛刺し、鯛茶漬け、鯛ご飯、潮汁と楽しめる。他にも料理方法はあるだろうが、うちでやるのはこんなもんだ。

商売人が仕込みを終えた頃合い、遅めの時間帯に行くのが常だ。仲買の店も決まっている。十時前、場外市場の前は歩けないほどの人、人・人・・・。場内市場へと向かう歩道には、黄・褐色・白に混じってオバサンたちがちらほら。場内のヤッチャ場を抜けながら、野菜のチェック。そして、目的の魚「鮭」を先ずはゲット!

鮭の「北田」のはす向かい「原秀」のオヤジが、「よう!金持ち。今日は何にするんだね?」と声を掛けてくる。何時もの通りだ。『金持ちなら、こんなとこへ来やあしねえよ!』と切り返しはするが、大向こうから声が掛かりや無下にもできん・・・・。鯛とシロイカ、柳カレイを贖った。隣のマグロやから声が掛かるが、丁重にお断りをした。そうそう魚ばかりは喰えんのだ(財布も薄いし)。

魚を買った後は野菜と、ヤッチャ場で「アスパラ」と「山葵」を買う。魚には、生山葵がよく似合う・・・・、太宰の、富士に月見草の捩りだが。

場内市場の寿司屋は相変わらずの大行列、人の波が押し寄せていた。この時間帯は暇なはずの「愛養」のカウンターも、お隣の国のネエチャ達でほぼ満席状態だった。『ケンチャン、繁盛してるね』と声を掛け、端っこに潜り込んだ。築地に来れば、ここでコーヒーを飲まなくちゃ。それだけここのコーヒーは美味い!

                            

                     場内は店仕舞いだ     寿司屋の前は・・・

そんなことで、土曜日の夕食は「鯛刺し・イカ刺し」に加え、当日の午後から干した柳カレイを焼いた。鯛茶漬けに潮汁も、食したことはいうまでもない。

この夕も、過食大将となってしまった・・・・。

 

明けた日曜日、今日は久々に水遊びに興じようと渋谷のオッサンに電話。『平和島が二日目だけど、行くの行かないの?』と。気の弱い私は、お金を投じて遊ぶような場所には、独りではいけないのだ。蚤の心臓、シラミのキンタマだ。

「おうそうか、今日は二日目か。久しぶりだな、電話するよ」との応え。電車に乗って平和島まで行くような熱心さはない。オッサンが家のそばで拾ってくれるからこそだ。行きや、乏しいお小遣いが減るだけのことだからネ。それでも行くのは、日常からの脱皮と気分転換さ。決して日常からの逃避、と云う訳じゃないよ?

平和島へは一月振りぐらいになるのかな。オッサンの車が着いたとの電話を受けた時は、朝飯(昨夜の鯛刺しの残りでビールを飲み)後の一休みで、寝惚け眼だった。大急ぎで顔を洗い、乏しい軍資金を懐にして車へと向かった。

そう云えば、オッサンの店「奈加野」へは半月も顔をだしてないことに気付いた。電話では時々話をする。そんなことで、それほど長く空いたとは思っていなかった。そんなことで、はじめに聞くのは『客の入り具合はどう? 』と、商いの様子である。オッサンの気のない返事からすると、良くも悪くもない、そんな状況らしい。

オイラの方は、桜家の鰻・修善寺温泉・沼津港と、旅話に、郷里の安田川の鮎は少ないらしいぜと、鮎のことなど。同郷なので、先月合った町長選挙のことなど。四方山話をするうちに、平和島競艇場だ。

場内に入ると、これから第一レースが始まる処だった。どうしたことかと思いきや、夏時間でスタート時間が繰り下げられていたのだろう。そんなことで、第二レースからの参戦となってしまった。場内に最近若いペアの姿が多いようだ。夏だから?それとも、PR・広告の効果? ・・・・。どっちでもいいけど、老若ともにマナーの悪いのが多い。予想紙や舟券、空き缶や食い物の空箱、これらを平気で座席や周りに散らかしたままで居なくなるのだ。

こういう姿や物を見ると・・・・バカヤロー、ちゃんと始末をしろ と、言いたくなるわな。日本人のマナーやエチケットもここに極まれり。そんな思いがするね。人のふり見て、わがふりを振り返る。そんな教育的時間でもある。だからネ、舟遊びも勉強になるのよ・・・・。

久しぶりにエンジンの弾ける音を耳にし、疾走するボート・ターンで競り合い抜ける巧みさ、そんなものを楽しんだのだ。舟券が当たると外れるとか、そう云う次元の違うことには・・・・やっぱ一喜一憂するわな     と云うように。それはそれで、また楽しさ。11レースも買って、五当六外だった。当たりと言っても、その中には外れたのもあるので、そのレースの収支はトントンと云うのが二レースだからネ。

十レースから十二レースまでの、上りの三レースに命運を託したが・・・・、10・11レースと微妙なところで来ない。とうとう諦めて、最終十二レースは棄権・退場をしようと思った。持ち金すべてを注ぎ込んで外れても、オッサンの車で帰ればいいのだが・・・そんな勇気はないし、持ち金も知れている。

されど、我も男。老いたりと云えども、土佐武士(鰹節じゃねえよ1)の名に懸けて、このままでは済まされぬ。憎い吉良に、財布握ったその手放して今一レース、打たせて下され梶川殿・・・・。と、頑なな梶川ならぬ我が胸に懇願した。と、手を放してくれた。さあさあ、おやんなさい!と。

最後に残ってた二枚の小札を握りしめ、手に汗を握る思いで最終レースの行方を考えた・・・・。決まった、否。決めた。一枚づつの二点買いだ。それも三連単で勝負 

                             

半ばやけくそ、半ばこれまでのレース結果を見極めての展開予想だ。と云えるほどのことでもないか・・・・。それまでは、三階の席から見ていたが、最終レースだ。レース場のフェンスに胸を預けて食い入るようにレースを見よう。と、下に降りた。本当は、帰りの駐車場に近い方へと向かうのだが・・・まあいいや。

レースは第一コーナーを廻ったところで先頭はオイラが買っているボートだ。二・三・四着は凌ぎを削って差し合い押し合い、押しクラ饅頭だ。第二コーナーを廻って、二・三着の行方が見えたきた。どっちが入ってもいい  。で、オッサンは「帰ろうぜ、早く帰ろう。見てもしょうがないだろう」と、帰りたがる。その気持ちは分るよオッサン!、と言ってやりたかったが。レースの展開を見つづけた。ゴールに入るまで、何があるか判らんのが勝負毎だから。

かくして、その手放してくれた梶川殿のお蔭で、 となったのである。

そんな次第で、この夜は「鯛めし」でバンザーイである。そうか、最終レースで女神が下りてきたのは、オイラが「良い男」ってわけじゃなく、目出たい鯛を前日から食した成果か?毎回これでいくか・・・・・。

 

そんな今朝の弁当は「鯛のソテー」残りの鯛だが、それだけ大きな鯛だった。メインは「肉じゃが」、牛小間とアスパラ・ピーマン・椎茸の中華味炒め。オムレツ風の卵焼き。以上である。

                   

 

 

 

 

 

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OB会・・・

2016-06-10 | Weblog

6/10(金) 今日は朝から東京地区のOB会総会へ。遅れちゃ様にならない、雛壇に座って居なくちゃならいので。そんな事情で、昨夜パトールならぬ、パトぐらいにして早々に切り上げて帰った。帰宅は22時であった、あまりにも早いので駅前の「てんや」で500円の天丼を喰ってしまった。これが命取り、致命傷とは知りながら・・・・。

                         

                      昨夜もこの面々で・・・、先に失礼したが。  

23時前には蒲団に入り「ちあきなおみ」を聞きながら眠りについたのである。早く寝た所為か、目覚めたのは深夜の2時半。草木も眠る丑三つ時と云うやつだ。それから一時間程本を読み、前夜に目覚めた3時半になって漸く眠れた。次いで、目が覚めると5時半。弁当の準備に入ってもいい時刻であった。

今朝の弁当は「生鮭のソテー」。昨夜、駅前の東急ストアで弁当用に贖ったものだ。そして「冷凍水餃子」を、中華味のスープで野菜(小松菜・もやし)と一緒に煮た。更に、ズッキーニ・オクラ・細竹をオリーブオイルで炒める。もう一品、肉系がタレ漬け牛小間炒め。定番の卵は、スクランブル風に。以上で完成。

                       

これだけでも弁当に詰めるのに一苦労だ。当然、作っても見きってしまう菜も出ることになる。

                            

今日のOB会総会後の懇親会には三百人ほどが出席。懐かしい方々や、挨拶をすべき方と、多々に会えるのがいい。こっちゃ商売のこともあるから、こう云う機会は有難い。

                            

                            お開き間際

昔と変わらない人もいれば、恰幅の良かった人が鉛筆のようになっていたり、その反対ありと、飯をl喰い酒を飲んできた年月の長さを感じずにはおられぬ。居るべき人の姿が見えなくなりと、在りし日を偲び思い出を語ることもある。こっちも、何時までつづけられるやらだ。

懇親会終了後、お手伝いの方々の慰労と食事。結局最後まで残り、ウイスキーからビール、日本酒を注がれるままに飲んでしまった。

 

 

 

 

 

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ペーパーカツ

2016-06-09 | Weblog

6/9(木) 今日の弁当は「ペーパーカツ」だが、要は紙のように薄いトンカツと云うことだ。居酒屋あたりで、ハムカツというメニューを見かけるがハムならぬ豚の生姜焼き用肉をトンカツにした次第だ。

なんでそんなものを? と訊かれれば、『先日友人のNAOKIが人形町に来てくれたが、その折に日山の前を通りかかった。弁当用に肉を買っていくからと、ちょいと彼を待たせてウインドーの中を物色。牛がつづくので今度は豚だと、肉厚のロースや薄切の生姜焼き用を検討した。その折に浮かんだのが、生姜焼き用の肉で薄いトンカツを揚げることだった。これなら小さな弁当箱の負担軽減になるかなと。」そんな次第で、ハムカツならぬ、ペーパーカツの登場となったのだ。

他には、よく熟れたトマトがあったのでこれをベースに、鶏肉、新牛蒡・新タマネギを洋風味付けにした煮物。茹でた新牛蒡とアスパラに豚バラを巻いて炒め焼き。そして定番の卵焼きと、カツ用に使ったた残りパン粉と溶き卵のお好み焼き風チジミである。

                    

ペーパーカツは、パリパリ感と肉の歯触り、味もあって狙いどおり。そうそう、揚げ物ついでに小エビも少しだがフライにしたのだ。

キャベツの千切を菜の下に敷き、揚げ物と豚巻を置いた。以上で完成!

                           

 

それにしても今朝は眠かったよ  。PCの具合が悪いとかで、家人の帰宅が夜中の三時。寝ている部屋に来なければいいものを、明日の朝が心配だから起こしてくれと言いに来た。夜中に起こされて、こっちも目覚めが心配になり目覚まし時計をセットした(これが正解だった)。その後の夢見がこれまた良くない、目覚まし時計に起こされたが、気分は今日の天気さ。蒸し暑く、雨模様と云う次第・・・・・。

昨夜の帰宅も決して早くはなかった。hOYA兄いと「高松」で飲み始めたのが午後六時過ぎ。そこから「ローカーボ」へ移動してハイボール、悪徳チャンが現れ、旧知のチーちゃんも合流した。

                            

湯煙旅の話になり、演歌ムードが漂い出した。結局、三人で「セイジュ」で昭和演歌のオンパレードとなった。修善寺温泉で唄い足りなかった分を取り返へそうとばかりにマイクを握った。未だ若いチーちゃんも「演歌縛りルール」で頑張った。

                             

これで帰ればいいのだが、そうはイカンザキ。仕上げに「ちょっぷく」へ。YAMAちゃん店長と、ヨッチャんチーフを相手にひと騒ぎした。帰り着いたのは、零時に近かったはずだ。本格的な夏もせまり、オイラの財布も衣替え。薄くなる一方だ・・・・・。

 

 ― 湯煙旅終章へ ―

一泊二日の小旅行に、終章などと云う大袈裟な言い方は如何がなものかとも思うが。ここはまぁその・・・、そう云うことでご容赦頂きたい。人形町パトロール隊としては初めての試みだったので、感動も大きい故に!

月曜日、質量ともに値段相応のバイキングの朝食を終えて宿を出たのは九時半頃だった。ホテルから道路に出る僅かな坂を下り、温泉場の方へと緩やかな登りを歩くのだが、昨夜のスナック「みんなの家」は直ぐそこに在る。その前を通り掛かった時、棟つづきのスナックの隣玄関からママさんが出てきた。

まるで我等を見送るために、一時間も前から見張っていたかのように。チップが利いたか? 。そんなこたぁねえだろうが。余談だが、昨晩の席でママさんは北海道は北見の出だと言っていた。流れ流れて、伊豆の温泉場に流れ着いたか、辿りと着いたと思いきや、「北見から、ここへ真直ぐに来た」と、力を込めて言った。根無し草、流れ者じゃないよ! と言いたかったか。

何時からだい?と、問うと「店は三十六年やっている」と応えた。一時は賑やかに繁盛した時期もあったと言い、「今はさっぱりよくないネ」と、問わずもがなことも言った。我等よりはひと回り半は年嵩と思えるママさんの紆余曲折、問わず語りを聴きたかったが、途中から客が入り聞けなかった。これが、この小旅行での心残りだ。

玄関から出来たママさんを見ると、反対側の歩道を歩いていた兄いが向こう側に渡った。何を話しているか、言っているか聞こえぬが、大方昨夜の礼に違いない。まさか後から来た女客の素性や電話番号を問うてはいまい? 男客のことは少し分っている。この前まで修善寺の旅館の板前で、伊東温泉の旅館に移って間もないこと、旅館の名は「米屋」と聞いた。

前夜、第四コーナーを廻ってから、演歌欠乏症だったオイラは「奥飛騨慕情」を熱唱し、湯煙・温泉気分を盛り上げた。つもり。すると男客が「四年程いたんだよ」と、懐かしげに言った。その時に、「腕のいい板前さんだから方々に呼ばれるのよ」と、ママさん。包丁一本晒しに巻いて、の歌のとおりに板さんは板場を変わるのが早い。この業界独特のようなものか。

その板さんが、オイラの傍にきて「ご同年配かと思いますので、宜しくお願いします。伊東のコメヤにおりますので、機会があれば是非お立ち寄りください。南伊東です」とのこと。『じゃあ、いずれ機会を作って寄らしてもらいます』と返したのだが・・・。機会が作れるといいんだが・・・、そうなれば唄の上手な板さんとカラオケかな?。- ネットで米屋を検索した。するとオイラ達が泊まった宿の3~6倍の宿泊代だった 。- ウ~ン、一週間程、酒場通いを止めなくちゃなんねぇ。ネエちゃんでも連れてった日にゃ、半月は酒断ちだぜ。

 

すっかり余談が長くなった。ママさんに手を振って、ゆるゆると温泉場へ。NAKAさんは独鈷の湯も、川沿いの小道も歩いていない。それを案内し、「修善寺」に参拝。同じホテルに宿泊してたらしい外国の人や、老人会のお年寄りに多勢に行きあった。

                            

温泉場をひとめぐりの後は、その昔訪れたことのある「菖蒲園」に向かった。年月の長さを感じたのは、菖蒲園は「虹の郷」という、一大パークに変貌していたのだ。後に、園内巡りのバスの運転手から聴いたが、虹の郷ができて26年になるとか。

着いてみて驚いたのは、菖蒲園の昔の面影はない。テーマパークそのものであった。四季折々の草花、花木があり、広場やテーマに因んだ家屋群が配置されている。一部、かつて見た菖蒲園がそのままに、山に囲まれた園内の底に残っているのを、周遊のクラシックなバスの中から見下ろすことができた。

家族連れでゆっくりすれば、一日遊んでいられそうだ。入園料は大人1200円、周遊バス400円(25分程度)、可愛い鉄道も400円である。子どもは、いづれも半額。

虹の郷から、修善寺駅まではバスで二十分程だったか。正午過ぎ、そこからまた伊豆箱根鉄道にて三島に向かった。この沿線にBARリラのマスターだった田村さんが眠る寺と墓があった。そこを訪れたのは何時だったか、秋の小雨降る午後であったように思う。原木」あるいは[伊豆新田」の駅からタクシーを使ったはずだが・・・・。

                          

そんな思いが過りながら、三十分ほどで三島駅に着いた。直ぐに下りのJR電車があり、隣の沼津に着いた。駅前のお通りを真直ぐに海に向かうと沼津港が。その港に隣接して海産物や飲食店が軒を寄せあい、凌ぎを削っている。何処に入るか、どの店がいいか、オイラ達にやぁ判らん。適当に探すのみだ。

ウロウロしているうちに、NAKAさんが「ビール飲みたい~」を連呼する。適当に入った店が「魚河岸 丸天」であった。店名どおり揚げ物から魚まで、何でも有の店だ。先ずは生ビール、肴は「イカソーメン」「生桜エビ」「イカフライ」「マグロ尾のシチュー」と魚から揚げ物と雑多な注文となった。その中で一番美味かったのは「イカフライ」言ったのはNAKAさんである。

                              

わざわざ沼津港まで足を延ばすこともなかったか、そんな思いがしないでもないが・・・・。駅から、大手町を抜ける途中でドライバーに『丹沢楽器店はまだやっているの?』訊いた。直ぐそこの右に入ったとこにありますよ、との応え。その楽器店は、仲間だったTANZAWAの実家だ。次男坊の彼は、富士市に住んでいるので兄貴が継いでいるのだろう。学生時代、二・三度店に訪ねたことがあった。

沼津の街は、変わっているようで変わっていない。そんな印象であった。尤もこの町は、三島時代以降に何度も通っている。

沼津駅から熱海へ、ここでJR東に乗り換えて一路、東京へ。路銀も尽きた、缶ハイボールを飲みながら帰るのみ。いざ、かえりなん人形町だ

                    

人形町では、旅に縁が無かった悪徳チャンが、成果を聞こうと手ぐすねを引いていることだろう。

それにしても、一様に疲れた顔をしている。喰い疲れ、唄い疲れ、飲み疲れ、移動疲れ、せっかれと云うことか、オイラに!。 ていうことは、グリーン車にして正解だった。

                              

17時半、予定どおりに人形町に辿り着いた。先ずは「こま吉」に参集して、ホッピーをやりながらの成果報告会、つづいて「ローカーボ」にて解団式となった。流石にアルコールの引き用が遅い・・・・。お疲れさんでした。

                            

 

 

 

 

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サーロイン・ステーキ&湯煙の宿

2016-06-08 | Weblog

6/8(水) 今朝の弁当は、なんと「サーロインステーキ」、これをステーキ丼風の弁当にした。丼風と云うのは、弁当箱が小さいのでご飯の上に肉を載せないと納まりきらんのだ。肉は、先日「日山」で贖った一枚3940円也の黒毛和牛と云うやつだ。家人が仕事でくたびれきっているので、”これでも喰って元気出せよ”の、麗しきエール弁当である。

                           

牛脂とバターを少し、ニンニクのスライスと塩胡椒、仕上げに醤油をひと垂らし。美味い肉は、これで十分だ

牛肉のいいのは、焼くだけで直ぐに出来上がると云う手軽さにもある。他の菜はあっさりと「ポテト・人参と茹卵のマヨ和え」「アスパラ・オクラ・細筍・小松菜のオリーブ油炒め」、以上である。ゆで卵を余分に作ったので、スペースが空けば弁当に加わる。

                          

ご飯の上にレタスの千切りをチラシ、その上に焼きあがった肉をスライスして載せた。他の菜とのバランスも申し分ないだろう ? と、思うが。

                            

忙しい、忙しいとボヤイている家人だが、こんな弁当の日ぐらいは、ゆっくりと食事を摂って欲しいものだ・・・・。

 

昨夕、学生時代からの友人TAKAHASHI・NAOKIが人形町に寄ってくれた。二ヶ月に一度、上野のマンションの理事会があり、その帰りだ。因みに彼の住いは田園都市線の沿線である。

彼は求人広告ビジネスをやっていたが、数年前に廃業した。今は孫の世話をしながらのんびりり過ごしている。と云う、結構な御身分である。その彼と、軽く食事でもして一杯と思っていた。処が「理事会で弁当が出た」と、食の方は要らんと云う、軽く一杯はと思ひきや、酒も要らんと言う。飲むならお茶がいいと、ドトールでコヒーを飲みながらの四方山話となった。

こっちも、夕方の歯科で歯茎を切られて出血が未だ止まっていなかった。先ずはお茶で良かったのかもしれない。最近の状況や、彼との話では何時も出る、「沼津の連中は元気かな?一度訪ねたいもんんだね」の会話となる。

そんな中で、『俺も草臥れて使えないよ。潮時を考えんとな』と云うと。「仕事があるのはいいよ、行くとこがあるからな」と、けだし迷言を吐いた。そんな考えもあるわな、と苦笑するばかり。

午後八時前に彼と別れた。歯の方は痛み止めが効いたのか、気にならなくなった。『これなら大丈夫だ、軽く一杯やってから帰ろう』そう考えるのは、パトロール隊としての自覚の現れ? で、「ローカーボ」へと向かった。美味いハイボールを軽くいただいてから帰ろうと、千円札をカウンターに置いた途端に、パトロール隊のHOAYA兄いと悪徳マッチャンが打ち揃って姿を見せた。当然素面じゃない。

                             

NAKAMURA大将は、この日の午前便で佐賀に帰った。次は、一週間後に上京する予定とか。これで残留メンバー三人が雁首を揃えちまった。我等の会話は、他愛もないことばかりだが、脳味噌の凝りをほぐすには持って来いだ。ハイボール二杯で切り上げ、ひと足先にと失礼をした。歯痛のこともあるので、珍しく大事を取った次第。そんなことで、帰宅は目茶早やの22時であった。

 

 - 愈々、湯煙と演歌が登場 -

日曜日の五時、修善寺駅から修善寺温泉へとタクシーで向かった。駅前から温泉場の入り口にある宿泊のホテル「滝亭」まで十分程であったか。大型のマンションを思わせるようなホテルは、情緒に欠けるが贅沢は云えない。宿代の安さで選んだのだから。このホテルは、中国資本に買収されていた。そのことから、外人観光客で一杯、落ち着いて温泉に入れないのではと危惧していたが・・・・・。

合理化の所為か? 夕方のフロントには女性の受け付けが一人だけ。「お部屋まで案内します」の声を丁重に辞退し、自分たちで部屋に上った。ネットの写真で見たとおりの部屋、期待以上も以下もない。それでいいのだ。ロビーにも客の姿を見なかったが…、到着時間の違いか。

桜家で食した鰻丼がこなれきれてない。夕食までの一時間ほどを、HOYA兄いと二人で、湯の町を散策することにした。NAKAさんは湯に入るとのこと。泊まっている宿から川上へと十分弱、幅狭になった道を上っていくと、弘法大師が発見したとの云い伝えの「独鈷の湯」が、道路下の川床に見えた。記憶にある独鈷の湯とは佇まいが違っていた。それも道理、何時だかの大洪水に浸かり、大改修されたと聞いている。

独鈷の湯に足先を浸し、その上の道路脇あった足湯で本格的に浸けながら、暫し川沿いの景色を楽しんだ。川を挟んで向かい合って建つ宿は、夫々に趣向を凝らした和風の作り。湯の宿の風情を醸して、山あいの出湯の宿だ。川沿いに設えられた散歩用の小道、せせらぎの音と朱塗りの橋。木立と手入れの行き届いた竹林の小道を抜けて「修善寺」の門前に出た。

                          

「修善寺」は、ここで暗殺された源頼家の悲劇物語「修善寺物語」(岡本綺堂作)で知られるが、八百年代の始めに空海の開山によるとあった。和風作りの落ち着いた旅館を横目にしながら四十分ほどの散策を終えた。

                               

修善寺温泉にはこれまで、三度は来ているが・・・・。初めて訪れた学生の時には、温泉街を流れる桂川の「独鈷の湯」に入った。日本手ぬぐいを一本だけ持っていた記憶がある。おそらく、夏の夕暮れ時のことだったろう。湯壺の周りは、腰までの高さの葭簀で囲ってあった。

                              

「いい温泉場だ」と、HOYA兄いも考えを新たにした様子。泊まっているホテルの周りにゃあ、なんの情緒も感じないからね。鼻緒の緩い宿の下駄にぶつくさ言いながら、なだらかな坂道を下ってホテルの近くまで来た。すると兄いが、目敏くスナック「みんなの家」に灯りが点いたのを発見。三島の鰻屋の一件は勿論、界隈パトロールにおいても目敏さと行動の早さは人後に落ちない。

早速、灯りが点いたばかりのスナックのドアをそっと押しながら「偵察・偵察、リサーチ」とか言う。そろりそろり、夕日が沈むほどのスピードで店内へ。処が店内に人影なし、声を掛けても返事は返ってこない。それでも、兄いの店作りのチェックと、勘定書きのチェックは素早かった。

「しょうがねえな、縁がないんだ」と、ドアを閉めて七八歩離れた処に後ろから声が、ドアを開けて大年増の姉さんが顔を出して呼んだ。

こうなりゃ黙って去る分けにゃイカンザキと、引き返して店に戻った。俺たちは浴衣姿に下駄の二人連れ。どう見たって、どっから見ても観光客・湯あみ客だ。「今晩どうしようかと思って、ちょっと覗いたんだけど。値段はどうなっているの?」と兄いは、本格的なリサーチ&チェックだ。訊くと、飲み代は手頃、あるいはお安かった。焼酎やウイスキーは600円から、カラオケは100円/曲、お通し代300円と判明した。店のマッチを貰い「来る時は電話するから」と、店を後にした。

もう直ぐ七時、夕食の時間が近い。宿に戻り、大急ぎでひとっ風呂浴びて、指定されている四階のレストランへ。テーブル席でお定まりのコース料理が供される。この階の客は、我らの他に三組だけだった。

ビールを飲み、酒が少々進んだのみで一向に箸が進まぬ。未だ鰻の残骸と御霊が、腹の中で成仏してないのだ・・・・。

大半の料理を残したままで、夜の饗宴第一部はお開きとなった。愈々二部だが、ホテル内のラウンジか、リサーチを済ませた「みんなの家」か。二者択一となった。が、論議もせめぎ合いもなく、明るい農村のようなネーミングの「みんなの家」に軍配が上った。

下駄を鳴らしてホテルの坂を下り、道路を渡って「みんなの家」になだれ込んだ? この短い距離の間に、海の向こうからお見えになった方々に十数人会った。だが、店には先客の姿なし。これなら唄い放題・ワンマンショーだぜ

ドリンクは面倒が無かろうと、ボトルを一本頼んだ。黒霧焼酎だ。後は唄うのみ。口火を切るのは旅の提唱者、NAKAさん。待望の「おんなの宿」がオープニング曲で、修善寺温泉「湯煙演歌旅」大公演の幕が上った。兄いはラブミーテンダーなんぞを甘い声で唄い、NAKAさんは青春時代の歌と尽きることなし。世話掛かりの出番はなかなか来ない・・・・。

結果だけを伝えると、三人で二十数曲は唄ったか。途中、地元のオジサンと姉さんが二人参加したが、マイクを奪い合うこともなく、喜寿過ぎとおぼしきママさんには「湯の町エレジー」なんぞも披露して頂いた。学校飼育動物の世話係は、専ら焼酎ボトルを抱いて空けることに集中していた。が。第四コ-ナーを廻った辺りから鞭が入った。ゴール前で一気抜きとばかりに、末脚の強さを発揮した。つもり?

                            

                             誰だ?このオヤジは?

やがて、時計の針が23時30分を指した。頃合いだ。ボトルも空いた、カボチャの馬車が発つ前に「修善寺温泉・演歌旅」の幕が下りた。お代は、少しもお高くない! そこで気持ち良く遊ばせてもらったと、心付けを置いたのであった。

と云うことで、修善寺温泉の夜に幕を下ろしたが、部屋にて・・・・・。続きは、何れまた。

 

 

 

 

 

 

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湯煙演歌旅

2016-06-07 | Weblog

6/7(火) 日曜日の東京駅、9番ホームを12時丁度に発車する「踊り子号」にて三島へと向かった。この踊り子号は、熱海で下田に向かう踊り子号と修善寺に向かう三両編成の踊子号に別れる。青い海と潮風に戯れての出湯なら下田方面に向かうのだが、喧々諤々もなく、口角泡も飛ばさずに我等の演歌旅は修善寺に衆議一決したのだ。清流とオゾンの山あいの出湯で、「おんなの宿」を唄おうと云うことだが・・・・・。

同行し幹事役で飛び回るはずの悪徳チャンが、居ないのだ。悪徳ならぬ悪だけの限りを尽くした報いか、彼は千葉刑務所ならぬ千葉市を通り過ぎた房総の先っぽ館山の病院に入所ならぬ見舞いとなっていた。母親が急遽の入院になってしまったのだ。こう云う時に日頃の行い、善悪でサイコロの目が出るのであろう・・・・、我等三人は何の障りもなく出発したのだ。窓際に酒缶、膝の上に惣菜の数々を並べて・・・・。

日曜日の最初のイベントは三島「桜家」での鰻だ。午後二時頃の到着の旨を事前に伝え、しかるべき手筈を打ったのは当然だ。三島駅に降り立っても小雨がパラついていた。その小雨の中で、先ずは一服と喫煙所だ。処がこれが駐車場脇の青空喫煙なのだ。歩道の大樹の下で、無事到着の安堵息を煙とともに吐き出し、鰻への期待に胸ならぬ腹を膨らませたのであった(後にこれが禍う・・・)。

                        

車中の酒と惣菜で気と腹が大きくなったオジサンたちは、剛毅にもタクシーで「桜家」に乗りこんだ(精々7~8分だが)。と、店の横にある待ち合わせ広場には雨にも関らず席待ちの大衆が二十人程屯していた。店前に用意された受付簿を見ると、細かい文字で順番待ちの名がびっしりと記され、席に着いた名は棒線で消されていた。凄い人数が既に鰻を喰った勘定だ・・・・。ちょいとリサーチをすると、土日休日に関らず、ほぼこんな状況だとか。三島の衆は、ここいらの衆はよっぽどの鰻好き?

                         

タバコを吸いながら十分ほど待つと、順番が来た。引き戸を開けて店に入る。外に居た所為か店内は薄暗く感じられた。通路挟んで左側が小座敷、右と奥にテーブル席が並んでいる。我等は二階の座敷へと通された。ここには四・五度来ているが、二階に上るのは始めて。

店の歴史を感じる幅広の厚い階段を7~8段上がった先が広い座敷、朱塗りの座卓が四人掛けから十人掛けと云う塩梅に数組配置されていた。午後二時を過ぎており、昼食の時間帯としては遅い、客の姿は半分ほどしかなかった。片付け前の丼や重箱が空いた席に未だ残ったままである。

この広い座敷の他に、左右に中二階があった。お女中連は、オーダ担当、運び屋さんと役割が決まっている。というのも、何かを頼もうとすると別のやり手らしき人間がやってくるのだ(やり手お女中に唆され、一番高い冷酒を飲むことになった)。

                                 

肝心の鰻だが、NAKAMURA大将が「一番小さいのにしてくれ!」と、早々に音をあげた。HOYA兄いとオイラは、6200円也の鰻四枚の柵丼の予定だったが・・・・、三枚の鰻丼にトーンダウンした。車中の惣菜と酒が尾を引いているのだ。因みにこの店は丼もお重もお値段は一緒。鰻の枚数で値段が異なる。

                             

冷酒をやりながら、鰻を頬張る。ちょいと焦げっぽい感じがここの蒲焼きの特徴だ。タレは甘からず、濃からず、薄うからず。てっ云うことは丁度の塩梅か?それがオイラの舌には何か物足りないんだ。誤解があっちゃいけないんで敢えて云うが、何処で何を喰ってもこれが最高!とか、美味くてしょうねえな!なんてことは感じない男なんだ。

旅の途中に、敢えて立ち寄って食す。それも、同伴のオジサンを誘い。それだけでこの店への信頼は判っていただけよう。要は私好みの店、鰻屋なんだ。ここは立地条件もいいや。伊豆箱根鉄道の広小路駅からすぐ、市の中心部にあるのだから。それに店構えが良いね、幕末からつづく店らしく仕舞屋風の雰囲気がある。

NAKA大将は二枚、オイラとHOYA兄いは三枚の鰻丼で、満腹・満足で二階の階段から転がり落ちそうになった。と、下りた処に福が待っていた

                              

                            右はNAKAさん

 HOYA兄いが、お女中に訊いていた。「この店の跡取りは店に居るのかい?」と。すると、お嬢さんが店で働いてますとの返事。気の弱いオイラならそんなことは訊けもしないが、続けて「名前は何て言うの」と畳みかけた。と、人気の焼酎と同じ呼び名が返ってきた。HOYA兄いの話術と云うか、人柄と云うべきか。流石にインドネシア辺りでネエサンやニイサンを相手に、手籠めじゃねぇ、手玉にして仕事をしてきただけのことがあるぜ。

満腹で転がり落ちた階段下に、調理場から出てきた可愛いネエサンと鉢合わせした。その姐さんならぬお嬢に「MAOチャンて居るの?」と訊ケルのは兄いだけさ。と、「私です」と爽やかな応えがあった。面の皮が厚くなって清寿軒のドラ焼き程の厚さのおいら達は、お嬢と記念撮影となったのである。

これで旅の思い出が一つとなれば、帰京しての成果報告会で悪徳マッチャンへの自慢話となろうってもんだ。

満腹の千鳥足で外に出ると、雨が上っていた。NAKAMURA大将が「俺は晴れ男なんだ」と、気焔を上げる。次の目的地「三島大社」までは、街をお散歩しながらである。懐かしき中央通り、かつてあった「BARリラ」の前を通る。このために、ちょっとだけ遠回りしたが。

                              

                          中央通りと、BARリラの在った場所

富士山の伏流水が絶え間なく流れる小川の側道を三島大社へ。大社の境内、社の大きさに、初めて来たNAKAさんはチョっくら驚き、感心をした。本殿に参拝し、鹿の飼育をする園、夏の大祭には流鏑馬が行われる境内脇の通路などを見て、三島田町駅へと向かう。区画整理か、この駅前も随分とすっきりした。この駅前の左手に、リラのマスター田村さんがやっていた喫茶店「榛名」が、その昔にあった。建物も、中央通りと同様に様変わりしている。

                               

                              三島大社

毎年、8月15日~17日に開催される、この大社の夏祭りは中々の賑わいである。 それを知って、未だ十年にもならない。この地出身のお嬢ちゃんが銀座の店で週に何日かアルバイトで出ていた。その娘に教わり、その夏に初めて祭りを見た。当然、桜家で鰻を食した。

田町駅から伊豆箱根鉄道にて終着の修善寺駅に着いたのは五時頃であった。スケジュール表とおりの進行である。

と、修善寺駅に着いた処で、ひと先ず演歌旅の報告を中断する。つづきは明日にでも・・・・。

 

今朝の弁当を紹介しておこうではないか。

今朝のメインは「牛小間炒め」付きあわせはアスパラとシメジのオリーブオイル炒め。牛小間といっても、何時ものホルスタインのような名前だけ和牛じゃない。れっきとした和牛であろう?100gが890円プラス税なんだから。日山の牛小間の一番高いのを買ったからネ・・・・。

牛小間炒めと言っても、ちゃんと牛脂がついてきたからこれで炒め、味付けは塩胡椒で仕上げに醤油をひと垂らしだけ。美味い肉だったよ! 明日は、ロースステーキのつもろだ。

                            

そして「ポテトサラダ」、ジャガイモ・人参・ゆで卵に胡瓜とオニオンスライス。作り過ぎてしまった・・・・。

鯖の文化干しを焼き、卵焼きを作ってお仕舞にした。

                               

 

余談だが、昨日から歯茎が腫れたので先ほど歯科に行った。歯茎を切られて出血がまだ止まらない。治療中にでも、どういう治療になるか説明でもあればいいのだが、一時間半も治療椅子で仰向けにされたまま。終わってから、こっちが聴いてから応えたのだ。歯は痛むし、薬局では見栄を張って「アルコール消毒だ」とか言ったが・・・・とてもとてもだな。

 

 

 

 

 

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バーベキュー

2016-06-04 | Weblog

6/4(土) 今日は「高松」の主催によるバーベキュー会があった。-いくべきかいかざるべきかー 迷ったが、迷った時は行動すべしの家訓に従い、午後二時過ぎに会場の「浜町公園バーベキュー広場に舞い降りた。ここは、人形町駅から十分歩の隅田川べりに在る、中央区の公園内にある。先月の五月六日のローカーボとの合同B・Q以来である。

人形町駅から浜町公園へは、甘酒横丁を通って行くのだが、この名前だけ由緒が有りそうな通りには、ブラ散歩の暇なシニアが多かった。大した店も物もありゃしネェが人出だけはある。この通りを隅田川に向かって行くと、明治座なる劇場のビルが有り、その先どん詰まりが浜町公園なのだ。B・Q場は公園の奥、一段上がった川に一番近い所にある。

着くと二十数名が、子どもから還暦過ぎの親父まで、最高齢はうちにいたUSUI老の76歳のようだ。昼前から始まっているので相当に出来上がっている『風情だ。こっちは正式に案内を受けているわけでもないので、勝手な押し掛けだ。とは云いながら、概ね知っている連中だ。J今日のB・Qの主体は高松を御用達にしているJFKのグループだった。

                                

焼酎を、ビールを飲んですっかりできあがってしまった。会社にちらりと寄って、酔いざましをし横浜へと向かう。歌姫の歌とピアノを、KISHIMOT大に付き合って頂いて聴こうとういうことなのだ。

今しがた、酔眼朦朧のところに携帯が鳴った。悪徳チャンだ!今夜は付き合えないぜと言をうとすると「申し訳ありあません、明日行けなくなりました」とのこと。修善寺行の世話役を買っていたのだが、母親が骨折で入院、これから房総・館山へ行くとか。残念なことだが、致し方ない。明日は三人旅となる。

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連投・・・

2016-06-03 | Weblog

6/3(木) 連日連夜マウンドに上る、いやパトロールに勤しむと云うべきかな?ホームグランド以外のパトロールもあるので、些か草臥れモードになっている。然し、そうも言っておられんのだ。今夜は銀座で、某社の監査役退任の慰労をする。明日は横浜・野毛で歌姫を聴きながら一献交わす。

日曜から月曜にかけては、パトロール隊の移動研修? 「湯煙昭和演歌旅」なんだよ。昼間の列車で飲み、三島・桜家の鰻で一杯。夜は修善寺温泉で演歌酒。翌日は、沼津港で魚を肴に一杯やり、夕方には東京に戻って反省会&打ち上げで一杯。胃も財布も忙しいぜ

昨夜は七時前に退社、悪徳不動産事務所で込み入った話を聞き、それから連れしょんで「こま吉」「ローカーボ」「ちょっぷく」と綱渡りをして、帰宅は23時45分。前夜より15分も早い帰宅であったが・・・・。

                              

連投の所為か、今朝の起床は七時半になっていた。もう少し早く目覚めていたが、右足のふくらが「こむら返り」をおこして悶絶、これで治まってくれればと願っていたが・・・・。そうはいかんざき、今度は左の太もも裏がこむら返しで猛烈な痛みが襲ってきたのだ。踏んだり蹴ったりでのたうち廻った。

家人にこの話をすると「アルコール摂り過ぎで、水分不足じゃないの」と言われてしまった。

そんな次第で、弁当作りに入ったのは7時35分になっていた。長女には『作っとくから、夕食用で食べてよ』と伝えた。そんな塩梅だからなるべく手抜きと「冷凍チキンカツ」「鶏と根菜の煮物」小松菜の卵とじ」「豚バラのアスパラ巻き炒め」「卵焼き」、以上である。

                          

 

小さいのは孫娘用なのだ。今朝は孫娘が通う保育園で - 爺・婆と遊ぶ ーという企画が昼まであった。そんなのは嫌だと言ったが、旦那の方の実家は調布と遠方なので気の毒と云う。家人は仕事でダメだというし、とうとう暇なニイサンが駆り出されたのだ。弁当作りで保育園に着くのが遅れた。

すでに爺・婆達が園児を前にして、自己紹介が始まっていた。一番端の椅子に座って待つ。自己紹介は、園児の名前と自分の名前名乗るだけだ。最後に私の番になった。大きな声で『こんにちわ、私はISHI SORAのオニイサンで、〇〇と言います』と挨拶した。

一部に笑い声が上がったが・・・。日頃から孫娘には「オニイサン」と呼ばせているからね、徹底しないと面倒なことになる?

園児を相手にコマ回しや、カルタ取りをして遊んでもらったのであった。

 

 

 

 

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歌姫

2016-06-02 | Weblog

6/2(木) 昨夕、歌姫(?)から電話をもらった。歌姫とは、かつて赤坂・一ッ木通りに在ったピアノラウンジのオーナーでピアノ弾き語りの葉子さんのことだ。一昨年の暮れに店を閉めて、郷里の秋田と東京を行き来している。昨日の午後、銀座でご婦人たちへのレッスンを終え、暇ができたのでご飯でも一緒にどうかとの誘いだった。

夜の予定があったが、早い時間ならいいよと人形町まで来てもらった。店を閉めた後、銀座の店で唄っているとのことで一度だけ顔だししたが、あれから一年になる。一年ぶりの再会だったが変わっちゃいなかった。

「旨いラーメンの店があるぜ」と言ったが、ラーメンより日本そばいいと「高松」に行くことになった。と云うのも、以前に高松のご夫妻を「禅」に案内したことがあったのだ。数年経つがその時のことを覚えていたようだ。高松に入ると、女将が「ようこそ、お久しぶりです」と挨拶をした。女将もちゃんと覚えているとは・・・大したものだ。

我が歌姫が、人形町までお出ましと云うのにラーメンや日本そばでお茶を濁すとは、俺も見上げた根性だ。どちらもお気に入りの店なので、勘弁頂くしかないが。四十年以上も前から彼女の歌とピアノを聞いてきたし、亡くなったご主人東郷さんとは、店がはねた後にカラオケ合戦をし、夫妻とのゴルフ交流も数へきれない。

今更、妙な気を使うこともないのだ。この日も時間が空いたので、気軽に電話をしたとのことだった。

六本木に店が在った頃のこと。スタッに厳しかった東郷さんが、家ではお茶目だっことなど、話題は尽きない。赤坂「禅」の最後のスタッフでべースギター弾きのKASAI君が最近結婚したメデタイ話も出た。6月4日に横浜・野毛の店にダーナと一緒に出演する話がでた。ついつい、顔を出す約束をし、上大岡在住のKISHIMOTO大兄を巻き添えにしてしまった。

人形町界隈の安酒場巡りばかりじゃ景色が同じだ。偶には港横浜の景色と空気で、気分転換もいいだろう・・・と、言い聞かせている。ダーナのハスキーな声も暫く聞いていないし。

歌姫を人形町駅で見送った後、「ちょっぷく」へ。心地よい風に誘われるままに入り口の特別設えの席でワイン。そこから、日曜日の湯煙演歌旅に備えるため、「SEIJU]で喉の鍛えた。喉の鍛錬後「ちょっぷく」に戻ると、奥にスタッフが来ているとミムラッチが云う・・・・。

                          

見ると、AOKI君とRIE嬢が来ていた。二人と暫し歓談するも、どんな話をしたのか記憶がさだかじゃねえ・・・脳軟化症かも?店に飾ってあったスナップ写真のことから、AOKIが嫌みな写真をスマホで撮ったことは覚えているが・・・・・。

                              

そんなことで、学芸大学に辿り着いたのは零時直前。それでも、弁当用にと牛小間と粕漬けを東急ストアで買ったのだ。

今日の弁当は、その牛小間を使った「肉じゃが」がメイン。賞味期限が近づいた「破竹とグリーンピースの炊き合わせ」「粕漬け焼き」「牛小間と破竹の炒め物」「オクラとアスパラのベーコン炒め」「スクランブルエッグ」以上、盛り沢山である。

                          

肝心のご飯の方は「破竹と豆のご飯」である。なんとまあ、ゴテゴテとした弁当か。我ながら呆れる。

                          

 

 

 

 

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中華寄り

2016-06-01 | Weblog

6/1(水) 今日から六月。梅雨入りも近いが、東京は昨日も今日も薫風の爽やかな好天。こんな天気の日は気分も爽やかになろうと云うものだが・・・・。残念ながら今朝は一日なので全体ミーチングやプロデューサ会議があった。言わずもながの小言の一つを云へざるを得なかった。ゲン直しに、ふらりと外出でもしたい処であるが・・・・・。

今朝は珍しく眠かったのだ。起床は六時前だったが、その15分ほど前に目覚まし時計のベルが鳴った。それを止めてから、眠くて暫く起きることができなかった。こんなに眠いのは久しぶりのことだ。体は睡眠を欲しているが、そうはいかんざき。弁当を作り、朝のミーティングのための早い出勤なのだ。

昨夜の帰宅は23時頃のはずだ。七時前に会社を出て、久々の人形町パトロールへと・・・・。黄昏の中、悪徳チャンの入居するビル前に差し掛かった。彼の事務所のある二階を見上げると・・・、なんと悪徳チャンが見下ろしているではないか。「ちょっと寄って下さいよ」の声に誘われて、事務所に寄った。初めての訪問である。

隅に、佐賀のNAKAMURA大将から貰ってきたばかりと云うソファが鎮座していた。そこに腰を下ろして事務所の中をひと舐めするように見渡した。特に変わったところはない。缶コーヒーが出てきたが辞退した。ビールなら別だが・・・・、それは出て来なかった。残念!

100mほど先の店、HOYA兄いが既に居るという「こま吉」へ二人して向かう。兄いは上機嫌でホッピーを飲っていた。俺たちも同様にホッピーを飲る。話題はどうしても日曜日からの湯けむり道中のことに向かう。と、兄いが週末に妻と行ったという伊東温泉や韮山反射炉の写真を披歴した。自分だけ遊びに行く前の奥さん懐柔策だったと言う。なかなかきめ細かな芸ができる、これなら仕事の方も万事そつがなかろう・・・・。

次は10m先の「ローカーボ」と、こま吉を出ると、タイミングがいいことにNAKAMURA大将がローカーボの前にいるではないか。ドンピシャのタイミングであった。パトロール隊、四人揃い踏みで本日未踏のカウンター席を占めた。飲むのはハイボールだ。

                            

もう少し暑くなるとギムレットが、それもシャッキとした味のやつが飲みたくなるのだが・・・・。こうなれば気分はフィリップ・マ-ロウだな。あのロンググッバイの主人公のタフな探偵さ。ジンにライムジュースだけで、シロップは加えない方がシャッキリとしてていいのだ。

うんと暑い日には「フローズンダイキリ」がいいかな。熱気が冷めやらぬ夕暮れのカウンターに越しを下ろして、額の汗をぬぐいながら『マスター、フローズンダイキリを頼むわ!』。こんな感じで、ラム酒&ライムをベースにクラッシュアイスのフローズンダイキリがタンブラー(ロックグラスでもいいね)に注がれて供される。一口すすり「美味いな、汗が引くようだぜ」なんて、呟くのもいいな。これを飲むときの気分は、ハバナかキーウエストのBARにいるパパ・ヘミングエイだね。

と云うような気分には些か遠かったが、四人で旅の話を楽しんだ。最後の店は、中華の「三浦」へと。久しぶりに電話をするとテーブルが空いていたのだ。三浦にしたのは久しぶりと云うのもあるが、もう一つ。この近所のスギ薬局で働いているIKUMI姐さんに薬を頼んだのだ。咳込むので、スプレー型の喉薬を。”立ってるものは親でも使え”って言うじゃない。ましてや近所の薬屋だ・・・・ありがとさん。

三浦ではなにを飲んだか? 記憶が飛んでいる。多分ハイボールのはずだが・・・・・。餃子にハムカツ・・・ほかにもあったが ? これや駄目だ、全然出てこない、記憶障害だ。記憶障害と云えば、蜘蛛幕下出血で武蔵村山の病院に入っていたIKEDA氏から昨日電話を貰った。

「今日退院しました。この前はありがとう」と。どうなの? と訊くと「日常の生活には支障がないそうだが、仕事への復帰は未だ難しいと言われましたよ。ケアレスミスがおきて無理だろうと」とのこと。言動では判らないが、脳内出血の障害が残っているとのことであった。俺なんかも入院こそないが、障害だらけだが・・・・・。

どうも話が脱線気味だね! 三浦を出たのは22時過ぎ。帰宅は23時頃であったろう。翌日のミーティングに備えて目覚まし時計をセット(こんなことは稀だが)した。これで大丈夫と、お布団に横たわったのは零時前だった。六時間近く睡眠を取っているはずなのに・・・今朝は眠かった。どしょうもないぐらい眠かったのだ。

そんな朝だが、お弁当タイムだ。残りご飯が沢山あったので「炒飯」を作る旨、前夜に宣言してあった。従って「炒飯」、小エビ&ウインナ入りだ。菜の方は「冷凍シュウーマイ」「冷凍塩秋刀魚焼き」、「茄子と挽肉の味噌炒め」「破竹と豚小間の中華風炒め物」「小松菜の胡麻和え」となった。

                             

使用した調理器具は中華鍋のみ。味付けも中華スープの素「ウェイバー」を中心にした。大陸寄りか?と思われそうだが、実は親台湾なんだ・・・・・。破竹と茄子が美味いね! チャーハンは、パラりと仕上がり玄人はだし?

                         

 

折角の「炒飯」弁当だったが、家人曰く「お菜があるなら、白ご飯がいいわ」だって。そんなこともあろうかと、白飯を弁当一つ分ぐらいは残しておいた。昨夜のことは朧ながらも、先を読む力は未だ残っていたようだ。

 

 

 

 

 

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