オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

チキン・チキン・チキン・・・

2012-05-15 | Weblog

5/15(火) 気温も上がらず朝から雨となった東京だが、電車の中はちょっと蒸し暑かった。昨夜の酒の勢いが残っているのかな・・・。昨夜も遅くなってしまった、ついつい度を過してしまった。

さて、今朝はオムスビの予定である。何のことはない、昨夜は酒場に行く予定が有り弁当箱を持って帰らなかった。日曜・月曜と、K用の弁当箱が二つと弁当バッグが会社泊まりとなったことからオムスビとした次第。

二日酔いに近い状態、1時前に帰還して朦朧とした頭で暫くTVを見ていた。気がつけば2時過ぎであった。そんなことで、今朝は体調が思わしくないのだ。が、弁当作りだけは欠かせない。

電気釜の中に丼一杯ほどのご飯が残っていた。これを丼に移して、ご飯四合を炊いた。オムスビにするとご飯が多めに要るのだ。炊き上がる間に鮭とタラコを焼く。

                        

菜は、出汁巻卵を予定していたが・・・。人参とジャガイモの姿を見付け、これを千きりにして水に晒した。ハーブチキンのスモークも千きりにし、晒したジャガと人参と一緒にオリーブオイルで炒め卵で和えた。そんなことで、材料が重複する出汁巻卵は欠場となった。

                        

材料の重複はしない、なんてことは言えない。何と、本日はチキンのオンパレとなったのだ。結果からすると、チキン・ハートの弁当オヤジらしいと言えるか!

昨夜の残り飯の始末を考えた末、チキンライスを作ることとした。主材は、チキンとなるわな・・。他には、人参とタマネギ・タケノコを使うこととした。刻み、炒め、ウスターソース・塩胡椒・ケチャップが投入されて完成である。

                        

冷凍のチキンが少し残ったので、これを炒め焼きにした。味付けは、ニンニクを一欠けらと塩胡椒・醤油ひと垂らし。最後の一品はサラダ、胡瓜の乱きりと千切りレタス、スモークハーブチキンの角きりを加えてオリーブオイルと塩胡椒・酢で和えてお仕舞い。

炊き上がったご飯で、オムスビを都合10個作る。しかし、チキンライスはあるし、オムスビありで、誰がこんなに喰うんだ?

                        

結局、家人と長女はチキンライス弁のオムスビ付きに。Kはオムスビを四個、小僧にもオムスビ三個を持たすことにした。仕様がない、私も一つ持参することとなった。

                   

やれやれ、今朝も何とか弁当が完成した。それにしても、オムスビオンリーの予定から、各も広がるとは。それほどに、調理の道は面白いか・・・・。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鶏の旨煮など

2012-05-14 | Weblog

5/14(月) 五月も半ばとなり、夏の感あり。季節からすれば夏だね~。明日、15日は沖縄復帰の日であるが、友人の大石夫妻の結婚記念日でもある。その折に司会役を仰せ付かった。五月の声を聞くと沖縄復帰と大石夫妻が重なる。

先週末、池袋の夜にご一緒したY社長は沖縄の出身。パスポートを持って晴海埠頭に着いたとのことであった。パスポートが要らなくなって四十年になるが、未だ沖縄問題は燻りつづけている。沖縄の人々、沖縄出身の人たちはどんな思いでこの日を過すのであろうか・・・。

さて、今朝の弁当だが「鶏肉の旨煮」と「豚肉の白菜包煮」、エビシンジョウ揚げなどとなった。

                    

鶏肉は根曲り竹の子のと一緒に煮た。豚&白菜は中華スープの素で中華味に、エビシンジョウ揚げ玉や油揚げ、小松菜まで参入した。手際がよかったのか、早くからと取り掛かった所為か、早々に三人分の弁当が完成した。

                    

                左上は、今が旬の「小夏」

 

 今日の東京は暑い。部屋の中に居ると、開けた窓から(今時、窓が開くビルも珍しいが)涼風が吹き抜けて快適であるが、外に出ると日陰を探して歩まないと堪らんような陽気である。腕捲くりをしたうえに、上着を抱えて歩くサラリーマンの姿を目にすると、尚更に暑苦しく感じる午後であった。

 昨夜、ポップス尺八の演奏家「昌平」さんから電話があった。昼間、CDの注文をメールでしておいたのでその件である。尺八の乾いた余韻のある音色で、暑い夏の夜をたおやかに過せそうだ・・・。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

中華風弁当Ⅱ

2012-05-13 | Weblog

5/11(金)の弁当は、前日に続き中華風の菜となった。ご飯は前夜の残り飯が多かったことから「炒飯」である。お菜は「ホイコーロ」と「小松菜&シメジの卵炒め」の二品となった。

ホイコーロは、豚肉とキャベツ・ピーマンを生姜・ニンニクと酒・醤油の他はトウバンジャン等の中華調味料で炒めるだけのこと。

                          

炒飯は人参・シメジ・ピーマンの野菜刻み、味付けのメインとする食材に悩んだ。冷凍庫を漁ると、ホタテとエビが出てきたのでこれを使う。シーフード炒飯となった。小松菜とシメジの卵和えも中華スープの素を使い、オール中華の弁当が完成となった。

                      

この日も弁当は三人分、私は残りもので朝飯となった。

                           

この日、椙森神社(すぎのもり)神社の大祭であった。出勤途上、人形町駅から会社に向かう道すがら、地元の人たちの浴衣や法被姿、祭囃子やお神楽の音が夏祭りの風情を盛上げていた。

                           

何時もであれば、スタッフのAokiも神輿担ぎに加わるのだが、この日はスタジオで収録の仕事を入れたとのことで残念がっていた。かく云う私も、朝の打合せを終えた後は、夕方まで外出。祭の賑わいを見ることも、酒を飲むこともできなかった。

が、夜はK大兄と一献交わすこととなっていた。夕暮れが近づく頃に人形町交差点で落ち合った。向かう店は、今日からオープンする「KOUCHI-YA」である。小網神社のわき道を20m程入ったところにあり、店の入り口には開店の祝い花が並んでいる。

一際目立ったのは、高知県知事からの生花であった。高知の魚菜を出すことに拘る、この店らしいとは云える。

この店で、そこそこに過して二軒目は大兄の庭とも云える池袋へとなった。向かう店は「野武士」というが、北口の繁華街を抜けたところに在る、毎度お馴染みの店。思いがけずにここで、いい出来事があった。

店の客に連れられて来ていたのだろうが、尺八演奏の名人がいた。以前にも見えたことがあるようで、同席したYさんなどが演奏のリクエストをした。お名前は、昌平(しょうへい)さんという。

気軽に尺八を取り出して何曲か聴かせてくれた。これが非常に良かった。尺八の音に惹かれて独学で吹くようになったとのことだが、中々のものである。帰り際のところを、声を掛けて名刺を頂戴した。

その名刺には「大衆の音楽を癒しの音色にのせて   ポップス尺八奏者  昌平 」とあった。哀愁・哀調と詫び寂びの世界に誘うかのような音色、それでいて軽やかでリズミカルな調べに魅了された次第。

「ホームページを見て下さい」とのことであった。「尺八演奏 昌平」で検索すると直ぐにありました。尺八の音が流れてくるホームページ。この音がまた良かった。

                           

在庫が少ないというCDをメールで注文したのは言うまでもない。深夜、眠りながら聴くのにはもってこいの調べである。まさに、癒しの音色である。

こうして池袋の夜は更け行き、ようよう終電車での帰還となった。

そんな翌朝の土曜日、重い頭を抱えながらも「五目ちらしすし」と丈夫鶏の「親子丼」と「鶏煮物」を作り、しっかりと食しながらビールを飲んだのであった。

                                             

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

中華風で(チンジャオロースー)

2012-05-10 | Weblog

5/10(木) 今朝は肉とピーマン・筍の干し細切り炒め、所謂中華と云うやつをメインに据えた。何の事は無い、冷凍の肉細切りとタレがセットになった物がある。これを使い、ピーマンと筍を細切りにして炒めるだけのこと。弁当には二度目の登場となるか・・・。これに一つ残っていたチンゲンサイを炒めて添えた。

                         

後は、冷凍の鯖文化干しとシューマイ。手作りは、ジャガイモのサラダであるが、何時もの作りを変更してゆで卵抜き。胡瓜と人参・タマネギを晒して塩胡椒・酢で味付けし、マヨネーズは少しだけ。要は、素材の味を生かそうという次第。

                   

そして定番の卵焼きとなるが、今日は出汁巻の卵焼きである。

                         

今日も三人分の弁当、私は残った菜の味見を兼ねてご飯を軽めに一杯食した。明日は、ホイコーローか?

長女の弁当ご飯の上に載った小魚は「モロコ」の甘煮。昨夜、会社のAokiから貰った代物だが、彼の母親が手作りしたものとか。家元を離れている息子(年齢は敢えて云うまい)のために丹精したようだ。AOKIとFの三人で、昨夜一杯やりながら試食したが旨かった。(飲み屋で持参の肴を喰うのは乙なものだ。嫌な客ではあるが)

 

 「1000円タバコ」

JTが、1000円のタバコを発売する話は聞いていた。研究開発に時間を費やして誕生したタバコ、その名は「The Peace」とある。こんな高いタバコを買う気は更々ないが、物好きなAokiは、吸ってみたいと言っていた。

既にHiroさんは試したとのこと「旨くなくてよかったよ、もう買わなくて済む」が言い分であった。その高いタバコを、一昨日Aokiが買ってきた。私は嫌々ながら吸ってやった・・・。

強いてコメントをすれば『気の抜けたシャンパン、炭酸が抜けたブラックニッカのハイボール』或は『行きそびれた深窓の令嬢』とでも言うべきか。パンチが無い、刺激がない、余韻のない、そんな風に私は感じた。が、そのタバコをAokiは私の机の上に置いたままである。

「どうぞお吸いになってください」と云うが・・・。旨くも無いが、仕様がないと、ばかりに時々吸ってやる。一本五十円也のタバコを。Aokiに言わすと、箱代が高いんじゃなか、だが。

                       

                     箱の上が中身・左は愛用のホープ

余談ながら、私の場合、タバコは吸うが自分で買うことは希。買うのは家人の仕事である。二十本入り1000円のタバコも、Aokiが毎日買ってくるなら少しは吸ってやるしかないが、其処まではしないだろうナ・・・。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

趣向を変えよう・・・

2012-05-09 | Weblog

5/9(水) またしても深夜に目覚める。眠れないままにNHKのラジオ深夜便を聴きながら弁当メニューを考えた。少しは趣向を変えないと面白くないな~等と。そこで浮んだのが鶏唐揚げと野菜の甘酢餡かけであった。(面白くもなんともないか・・・)

後のメニューをどうするか。そう云えば、従姉から貰った”流れ子”(関東風に云えばトコブシ)があった。これをバター焼きか何かにするか・・・。それと丈夫卵を煮卵にするか・・・。そんなことを考えながら、日記を付けて明け方になって一眠りした。(この一眠りが、失敗であった)

 夢を見ていた、魑魅魍魎と言うべきか訳の分からん夢・・・。


「昼前某社を訪問し、相手の手が空くまでの待ち時間に、何と其処の会社で昼飯を作り始めていた。
『ちょっと時間が掛かりそうなので飯を作りますよ』とか言って。其処の会社の事務所(台所があり鍋釜があった)で料理を始めた。

処が、流し場が汚れており後始末もされてない。『どうなってんだ』とか思いながら、什器を探したり、肉を焼いたり、煮たりと悪戦苦闘・・・。

そうこうする内に、其処の社員が顔を出し”私らの分もありますよネ”とか言う。『○○さんは(私の訪問相手)、胃 が弱いのであまり食べないから、皆の分も有りますよ』とか、応えていた。

そんな夢を明け方にみて、目覚めると夢のせいですっかり疲れていた。他所の台所には立つもんじゃない、とまじに思った。

昨日メールで、かつての上司(夢の中の○○さん)にアポイントを願った。今週末にその会社の決算発表がある、それが済めば忙しい方でも少しは時間が貰えるかと。その、昨日のメールのやり取りが記憶に残っていたのだろうか。

その方を訪問しての待ち時間、昼前の出来事の夢であった。(その方は、順調ならば副社長になると思われるが・・・こんな夢じゃ心配だ)

夢で疲れ果て、目覚めてからも弁当の用意に直ぐには取り掛かる気も起きない有り様であった。が、それでもオヤジは台所へと向かった。疲れていた・・・。

深夜に考えたとおり、先ずは飯を炊き、鶏唐揚げと胡瓜・人参・ピーマンの素揚げ、餡かけ用の甘酢を作った。

                     

”流れ子”は、バター焼きから煮物へと変った(白ワインが品切れの所為)。煮卵を作った残り汁で、金沢の義妹から届いたばかりの”根曲り筍”と一緒に煮る。

                           


 これで終われば面白くも無いが、これから更に一工夫ありて、仕上げの一品が登場。                           

挽肉と卵で二色丼の弁当へと進化させた。ニンニク・生姜・赤唐辛子を刻み、挽肉を味噌・醤油・味醂で炒める。溶き卵に牛乳と砂糖少々を加えたスクランブルエッグを作る。

                           

添え物用のレタスと絹ザヤを茹でて今日のメニューが完成となった。それにつけても、あの疲れ果てた状態からよくぞ頑張ったと我ながら感心する。

                           

今日の調理ポイントは、トコブシが硬くならないように煮ることと、甘酢餡かけの味となるが、後者の方は60点の出来栄えか?

                     

本日も家人・長女・K君と三人分の弁当である。

 

  「KOUHI―YA」

余談ながら、昨夜郷里の先輩・Yさんから電話が入った。丁度会社を出た頃合いであった。

「今、人形町に向かっているけど何処に居るのよ」とのこと。何でも日本橋・小網町に知り合いが高知の産物を使った店を出すとのこと。その試食会をやっているので付き合えとの仰せであった。

店は、小網神社の直ぐそばとのこと。小網神社は、日本橋七福神の一つでもあるが、商売の神様としてこの辺りではよく知られている。私も知っている神社である。

Yさんは東京から郷里にUターンと云うか、人生巻き直しというか、捲土重来を期してから早や十年が過ぎた。今では郷里の野菜を中心に扱い、首都圏のスーパーや専門店に卸している。地元では大した勢いのようである。

そのYさんが、野菜を卸す店が今度オープンするとのことである。日本橋に私の会社が在ることから、高知の品を出す専門店なので紹介したいと云うことであった。参りましたよ、当然。

店のオーナーは、仕事で高知に通って三十年とか。すっかり高知贔屓になり店を出すまでになったとのこと。

店の名は「KOUCHI-YA」といい、小網神社の脇の道を入ってすぐのところである。オープンは、5月11日(金)とのこと。近くに行く機会があれば、顔を出してみては如何でしょうか。

高知直送の新鮮な野菜や魚を、なるべく自然なままに提供したいとのことである。これやぁ、コジャンと旨いぜよ!(土佐弁)

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

マーボ茄子

2012-05-08 | Weblog

5/8(火) 今日の弁当に「マーボ茄子」が初登場。暇なオヤジは明け方から目覚め、何にするか考えていた。茄子を使いたい思ったが、弁当にはそぐわないような・・・そこで浮んだのが「マーボ茄子丼」である。丼にすれば使えそうだ・・・。

しかし、弁当の丼系は家人が嫌がる。そこで今日は、Kの弁当を主体にイメージすることとした。何でも喰らうKであれば、ボリューム満点のマーボ茄子はウェルカムであろうと云う次第。

他には、作り置きの「鶏ツクネ」の甘煮炒めに絹サヤ添え。K大兄から頂戴した加賀の「味噌粕漬け焼き」と「卵焼き」とした。

                           

ご飯を炊き、メインのマーボ茄子を作る。茄子とピーマン・茗荷が加わり、生姜・ニンニク・長ネギを刻む。中華味噌と酒・出汁・砂糖・醤油で味付けをして完成。

                           

Kの弁当箱は、久々に大きいのを使い飯もマーボ茄子もタップリと入れる。家人と長女は、丼にしないでお菜に。私は今週から弁当はお休み、三人分の弁当である。

                       

 

風邪の方は、驚異的な回復力で快方に向かっている。昨夜飲んだ白ワイン、よく冷えた安物のハウスワインであったが、喉越しが良かった。口に含み、喉から食道を通過して胃に収まって行く過程で、風邪菌が溶けていくような感じであった。

会社から駅に向かう途中にある、初めて入った店だが、"ワイン酒場”の看板が目に止り、チョイト立ち寄った。咳が収まらず、鼻水もタレていたが、連休明けでもあり、久々にU老と軽く一杯となった。結果的に、これが良かったか。

これからは、風邪には「冷えた白ワイン」となりそうだ・・・。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

稲荷寿し

2012-05-07 | Weblog

5/7(月) ゴールデンウィークとやらも明けたが、風邪を引いたようだ。鼻水が止まらず咳が出る。何とも締まらないことよ。一昨日の夜、寝汗をかきながら着替えもせずに明け方まで本を読んでいたのが災いの素か。おまけに、昨日は突然の雨に濡れた。

そんな週明けとなったが、今朝は月例の全体会議があるので休む訳にいかぬ。咳をしながら弁当の稲荷寿しを準備した。

昨夜の飯が沢山残っていた。私のお手軽メニューは、炒飯・オムライス・稲荷寿し・五目飯だが、先週チキンライスを作ったので、今朝は稲荷寿しとなった次第。

菜の方は、飯が稲荷なのでそんなに作るつもりはなし。根菜のサラダ(人参・ジャガイモ・アスパラのオリーブオイル和え)、ベーコンとホーレンソウ・シメジの胡麻炒め、出汁巻き卵焼き、以上である。

                        

稲荷寿しの方も簡単に、刻み生姜・茗荷に胡麻が入るだけのシンプルなものである。使用する酢は、勿論土佐・安芸の「てまいら酢」(柚子酢の合せ酢)である。こうして食材をみると、な~んだ、土佐で採れた食材ばかりではないか。と、なる。

                              

十個の稲荷で四人分の弁当だが、今日は自分の変りに次女が持参する。昨夜、次女が泊まりに来た所為もあり、何時ものオムスビから目先を変えて「稲荷すし」にしたと云うのが、最大のメニュー決定要因。

                           

 

昨日の昼前、風邪で体調優れぬ中を「プリン」作りに再チャレンジとなった。三日の時の轍を踏まぬようにと、今度はお菓子作りの専門書(材料が多すぎて駄目)などを参考にする。

                           

砂糖の量が多い!丈夫卵を6個、牛乳を500cc弱、砂糖は200g(キャラメル分を含め)ほどであったか。前回の間違いを繰り返さぬように慎重に進めた・・・。

                           

然るに、キャラメルの出来栄えが良くない。が、取敢えずカップに注ぐ。卵と砂糖、牛乳を混ぜ合わせて、漉す。キャラメルが固まったところで、カップに原液を注いだ。泡を除き、湯煎とオーブンで先ずは、15分。その後、アルミホイルでカップを覆い、表面の焼けすぎ防止をしてから5分焼く。

途中から風呂に入った。家人曰くに、「焼けが甘い、後15分焼く」とのこと。そして、完成した。処が、これが焼けすぎ・・・、要は硬い。柔らかでしっとりとした口当たりがないのだ・・・。

                           

もう一つ、大事なことを忘れていた。なんと、バニラエッセンスを振り掛けることを失念していたのだ・・・、このボケ!。カップの厚さも気になる、焼け方が良くないのは、この所為ではないか?

次回、三度目には三度目の正直で立派に仕上げよう・・・と、誓う!

                           

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

茶碗蒸&プリン

2012-05-04 | Weblog

5/4(金) ゴールデンウィークも後半に入った昨日は朝から雨。一日を家で過ごすこととした。暇なオヤジは、休み中のテーマとしていた卵料理の「茶碗蒸とプリン」作りをやることとなった。

 先ずは、午前の部に茶碗蒸に取り掛かることとした。使用する卵は勿論、生命農法研究会の「丈夫卵」である。茶碗蒸の中に入れる具、椎茸・銀杏・エビ・筍を用意した。鶏肉をどうするか迷った挙句、丈夫卵を産んだ親鳥の肉を使うこととした。

余談ながら、生命農法研究会を視察させて頂いた折に、この鶏肉を購ったのである。「肉は硬いですよ」と云われていた。Hiroさんと家人の弁によると、確かに硬かったようだ・・・私が高知へと行っている間に届いたので食していないが。

要は煮る方法と用途でなかろうか。硬い軍鶏肉を好んで食している小生からすると、軍鶏肉よりは全然食べ易い・・・。あれだけしっかりした殻の卵を産む親鶏である。肉がしっかりと締まっているのは当然か。

茶碗蒸を作るのは初めてのこと、レシピを参考にして手順等を頭に入れる。昆布と鰹節で出汁を採る。椎茸と筍に下味を付ける。丈夫卵5個を割、溶かし、キッチンペ―パーで裏ごしする。後は、カップに注ぎ、蒸篭に入れて蒸すだけのこと。

                      

出汁と卵の味が決めてのようだと推測し、蒸しあがるまで暫し待つ・・・。都合7個の茶碗蒸を作った。

イヤー中々の味であった。卵の味が意外とあっさりとして、嫌味が無い。上品な茶碗蒸の完成となった。

茶碗蒸を食し、部屋の掃除を済ませて暫し読書。連休前に”橋本和喜”氏の著作「やっぱり論語」が氏から届いていた。この本を読む。2500年前に生きた孔子の教え・言葉を、今風に解説し、例えを引いた非常に読み易くて判り易い本であった。我が身に置き換え、心を新たに出来る本である。

 橋本和喜著: ヘタな人生論より 「やっぱり「論語」  河出書房新社発行 定価1500円

 

夕方近くになり、今度はプリン作りに挑戦することとした。これも初挑戦である、やはりレシピを参考に取り掛かった。思った以上に砂糖を使うことを知る。先ずは、キャラメル作りからスタート。

作ったキャラメルをカップに注ぐ。これが終わると牛乳と砂糖を攪拌して砂糖を溶か仕込む。次に卵5個を溶いて牛乳に加える。バニラエッセンスを振り掛けて攪拌する。出来上がったものをカップに注ぎ、湯煎&レンジのオーブンで20分ほど熱を加える・・・。

                           

こんなことで出来上がる訳だが、大きな失敗をしていた。手順が違ったこと、牛乳を暖かいままにキャラメルが入ったカップに注いだことなど・・・複合ミスをしていた。後になって判ったことだが。

出来上がった代物は、色合いも上々と試食をすべく皿に載せたらグニャッとなってしまった。キャラメルは溶けているわ、柔らかいわで散々な結果となった

                           

今日の卵料理は一勝一敗の結果となぅた。何れにせよ、プリン作りには再チャレンジしなくてはならぬ。幸にも丈夫卵は未だ十分在庫あり。明日か明後日か、挑戦しよう

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

慣れぬことをやると

2012-05-02 | Weblog

5/2(水) 4/26~5/1まで帰郷して畑で遊んでいた。そんなことから、今朝は六日ぶりの弁当作りとなった。気合を入れて皐月の空に舞い揚がるような弁当といきたいところだが・・・。

昨日からの残り飯が釜にいっぱいある、冷凍にするには多すぎるし、我が家の冷凍庫は満杯状態。この残り飯を上手く使うしかないと「チキンライス」を作ることとなった。何の芸も無い飯だが致し方なし。

チキンライスの具に鶏肉が入るのは当然だが、後はタマネギ・シメジ・人参だけである。これを炒め、塩胡椒・ウスターソースとケチャップが入るだけ。簡単なものだ・・・隠し味に私流の調味料を少し使うが、秘密!

お菜は、チキンライスそのもので既に包含しているようなものだが、一応「絹ザヤの卵とじ」と「豚肉と野菜(パプリカ・セロリ・キャベツ)炒めもの」とした。作り置きの出汁で、絹ザヤを軽く煮る、丈夫卵でとじる。豚肉には酒を少々振り、焼肉のタレで炒め、野菜はオリーブオイルに塩胡椒で味を整えた。

                     

何時ものように四人分の弁当となった。

                          

 

さて、ゴールデンウィークとやらに入り世間は浮かれているようだが、私は既に26日夕から昨夕まで「南国土佐」で優雅に過してきた。と、云いたいが、四日間も畑遊びの連続で草臥れた・・・。炎天下、ゴルフを三日も四日もやったような気力・体力既になし。

今回は、今年初の草刈りに加えて「畑で炭を焼く」という一大テーマを抱えていた。それに夏場に向けた、スイカや瓜などの夏野菜を植えようという魂胆も在った。やることはてんこ盛、やるほうは愚図ときている。おまけに、月曜日は雨模様となったのである。

暮れに植えた絹サヤと春菊は一ヶ月前とは大違いの成長振り。春菊は花が咲き、蔓を伸ばした絹サヤは実が殆ど付いていない。良かったのはタマネギだけであった。タマネギは、ヒネタ苗だったが立派に成長し食べ頃であった。

                            

嗚呼、オヤジの運命や如何に

冬に選定した?柿や梅の枝木をミカンの周りに置いて鹿や兎の襲来から守ろうとしていた。この置いた枝を覆うように草が絡まっていた。先ずはこれを取り除き、草刈りの準備に取り掛かったがこれが一苦労だった。

                       

畑の炭焼きは、狙いは竹炭であるが、予行演習で梅の木の炭を焼ことにした。剪定してあった枝を50~60cmの長さに切り、50cmほど畑を掘って準備をする。これが草臥れるのよ・・・たった、これだけで。

                       

都会では、フィールドワーク・野外活動のプロじゃないかと言われた時代もあったが、もういかんな・・・根気が続かんのだ。いい加減な穴を掘り、枝木を積み、籾殻を撒いて準備を整えて(つもり)、火を点けた。程よいかと思うところで土を被せたが。初日は、これでお終い。草刈は少しだけとなった。

                             

様子を見に来た妹曰く「犬の墓かと思った」である。よく冗談に、家の犬が死んだらクール便で送るから畑に埋めてくれと、言っているのを逆手に取りやがった。

この日、母校の校長と教頭の三人で一杯やる約束があった。6時までに安芸市内にある「白川」と云うすし屋に行かねばならなかった。四時過ぎに畑を後にした。私は、田舎に帰ると夜の巷に疎い。そんなことから、店は校長が予約を入れてくれた。

「寿しが旨いと評判の店なので楽しみです」と、頂いたメールにあった。出かける前、親父に店の話をすると、オーナーは同じ町の出身で高校の剣道部の後輩になることが判明。親父が剣道を教えたとのことであった。奇遇ともいえるが、私は記憶が無い。

校長さんと飲むのは何度目かとなる。昨秋は東京での同窓会にも出席を頂いた。教頭は今春に着任されたとのこと。お二人とも私よりは年下になる。が、私が在校した時代のアルバムなど、改めて見てきたとのこと。それを聞くと、出来悪の生徒であった私は、ちと塩梅が悪い・・・のであった。

盛沢山の料理を頂き(もっとも私は酒を遣る時は殆ど食べないが)、母校のこと、これからの生徒集めのことなどあれこれ訊き話した。

勘定をしながら店主と少し話をした。大阪で修業し、帰郷して店を出してから30年以上とか、出身は私の生家から、2~3km安田川を遡った集落だった。剣道部では、従弟の"武本 章”の一級下であったと云う。「章さんは、早やく亡くなってしまいましたね」と・・・・。

38歳で逝った章のことは、20年以上も経ったが未だ辛い。次の機会には、ゆっくりと章のことなど話が出来るといいが・・・。

翌日からは大忙し、収穫をしてなかった「小夏」を採り、タマネギを抜き、竹炭用の孟宗竹の切り出し、残った草刈にスイカ・瓜・その他植え付けようの苗の買出しetc。

                        

「小夏」の木には次の花が咲く準備、沢山の蕾をつけていた。これがもう少し甘いといいのだが、都会の人達にはちょっと酸味が強いかも。夏はこのスイカが大きな実を付けるであろうか。

                   

あっという間が四日が過ぎ、帰京の朝を迎えた。畑の炭焼の首尾は?判らん。この朝も早くに畑を覗いてきたが雨が降っていた。蓋をした小さな煙突は未だ温もりがあった。掘り出すのは諦めた。万が一にも上手く行ったとしても腐るもんじゃない。ま~失敗であろうが、本番は準備した孟宗竹の竹炭作り。これは、次回の予定だ。

故郷、安田川の流れは今日もたおやかで、川面を煌めかせている。今年は、鮎の溯上が極端に少ないと地元の釣り師達は嘆く。私は、売上が少ないと密かにボヤクのであった・・・。

 

それにしても疲れた、疲れたのだ。未だ疲れ抜けず。されど、今夜も酒を飲もう。(待てよ、その前にK大兄から頂戴した沖縄土産の効果抜群というウコンを飲むか?)

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする