オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

慣れぬことをやると

2012-05-02 | Weblog

5/2(水) 4/26~5/1まで帰郷して畑で遊んでいた。そんなことから、今朝は六日ぶりの弁当作りとなった。気合を入れて皐月の空に舞い揚がるような弁当といきたいところだが・・・。

昨日からの残り飯が釜にいっぱいある、冷凍にするには多すぎるし、我が家の冷凍庫は満杯状態。この残り飯を上手く使うしかないと「チキンライス」を作ることとなった。何の芸も無い飯だが致し方なし。

チキンライスの具に鶏肉が入るのは当然だが、後はタマネギ・シメジ・人参だけである。これを炒め、塩胡椒・ウスターソースとケチャップが入るだけ。簡単なものだ・・・隠し味に私流の調味料を少し使うが、秘密!

お菜は、チキンライスそのもので既に包含しているようなものだが、一応「絹ザヤの卵とじ」と「豚肉と野菜(パプリカ・セロリ・キャベツ)炒めもの」とした。作り置きの出汁で、絹ザヤを軽く煮る、丈夫卵でとじる。豚肉には酒を少々振り、焼肉のタレで炒め、野菜はオリーブオイルに塩胡椒で味を整えた。

                     

何時ものように四人分の弁当となった。

                          

 

さて、ゴールデンウィークとやらに入り世間は浮かれているようだが、私は既に26日夕から昨夕まで「南国土佐」で優雅に過してきた。と、云いたいが、四日間も畑遊びの連続で草臥れた・・・。炎天下、ゴルフを三日も四日もやったような気力・体力既になし。

今回は、今年初の草刈りに加えて「畑で炭を焼く」という一大テーマを抱えていた。それに夏場に向けた、スイカや瓜などの夏野菜を植えようという魂胆も在った。やることはてんこ盛、やるほうは愚図ときている。おまけに、月曜日は雨模様となったのである。

暮れに植えた絹サヤと春菊は一ヶ月前とは大違いの成長振り。春菊は花が咲き、蔓を伸ばした絹サヤは実が殆ど付いていない。良かったのはタマネギだけであった。タマネギは、ヒネタ苗だったが立派に成長し食べ頃であった。

                            

嗚呼、オヤジの運命や如何に

冬に選定した?柿や梅の枝木をミカンの周りに置いて鹿や兎の襲来から守ろうとしていた。この置いた枝を覆うように草が絡まっていた。先ずはこれを取り除き、草刈りの準備に取り掛かったがこれが一苦労だった。

                       

畑の炭焼きは、狙いは竹炭であるが、予行演習で梅の木の炭を焼ことにした。剪定してあった枝を50~60cmの長さに切り、50cmほど畑を掘って準備をする。これが草臥れるのよ・・・たった、これだけで。

                       

都会では、フィールドワーク・野外活動のプロじゃないかと言われた時代もあったが、もういかんな・・・根気が続かんのだ。いい加減な穴を掘り、枝木を積み、籾殻を撒いて準備を整えて(つもり)、火を点けた。程よいかと思うところで土を被せたが。初日は、これでお終い。草刈は少しだけとなった。

                             

様子を見に来た妹曰く「犬の墓かと思った」である。よく冗談に、家の犬が死んだらクール便で送るから畑に埋めてくれと、言っているのを逆手に取りやがった。

この日、母校の校長と教頭の三人で一杯やる約束があった。6時までに安芸市内にある「白川」と云うすし屋に行かねばならなかった。四時過ぎに畑を後にした。私は、田舎に帰ると夜の巷に疎い。そんなことから、店は校長が予約を入れてくれた。

「寿しが旨いと評判の店なので楽しみです」と、頂いたメールにあった。出かける前、親父に店の話をすると、オーナーは同じ町の出身で高校の剣道部の後輩になることが判明。親父が剣道を教えたとのことであった。奇遇ともいえるが、私は記憶が無い。

校長さんと飲むのは何度目かとなる。昨秋は東京での同窓会にも出席を頂いた。教頭は今春に着任されたとのこと。お二人とも私よりは年下になる。が、私が在校した時代のアルバムなど、改めて見てきたとのこと。それを聞くと、出来悪の生徒であった私は、ちと塩梅が悪い・・・のであった。

盛沢山の料理を頂き(もっとも私は酒を遣る時は殆ど食べないが)、母校のこと、これからの生徒集めのことなどあれこれ訊き話した。

勘定をしながら店主と少し話をした。大阪で修業し、帰郷して店を出してから30年以上とか、出身は私の生家から、2~3km安田川を遡った集落だった。剣道部では、従弟の"武本 章”の一級下であったと云う。「章さんは、早やく亡くなってしまいましたね」と・・・・。

38歳で逝った章のことは、20年以上も経ったが未だ辛い。次の機会には、ゆっくりと章のことなど話が出来るといいが・・・。

翌日からは大忙し、収穫をしてなかった「小夏」を採り、タマネギを抜き、竹炭用の孟宗竹の切り出し、残った草刈にスイカ・瓜・その他植え付けようの苗の買出しetc。

                        

「小夏」の木には次の花が咲く準備、沢山の蕾をつけていた。これがもう少し甘いといいのだが、都会の人達にはちょっと酸味が強いかも。夏はこのスイカが大きな実を付けるであろうか。

                   

あっという間が四日が過ぎ、帰京の朝を迎えた。畑の炭焼の首尾は?判らん。この朝も早くに畑を覗いてきたが雨が降っていた。蓋をした小さな煙突は未だ温もりがあった。掘り出すのは諦めた。万が一にも上手く行ったとしても腐るもんじゃない。ま~失敗であろうが、本番は準備した孟宗竹の竹炭作り。これは、次回の予定だ。

故郷、安田川の流れは今日もたおやかで、川面を煌めかせている。今年は、鮎の溯上が極端に少ないと地元の釣り師達は嘆く。私は、売上が少ないと密かにボヤクのであった・・・。

 

それにしても疲れた、疲れたのだ。未だ疲れ抜けず。されど、今夜も酒を飲もう。(待てよ、その前にK大兄から頂戴した沖縄土産の効果抜群というウコンを飲むか?)

 

 

コメント
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