オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

久々の弁当&幣立神宮・雉の松田屋

2013-09-25 | Weblog

9/25(水) 今朝は久々の弁当作りに励む?と、i云うほどのことでもないが、つづく旅の合間に台所に立った。

昨日は、朝早くから長野・飯綱高原に出掛け帰宅は22時前であった。帰宅してから遅い晩飯&ビールとなったが今朝の目覚めは早かった。蒲団の中で弁当メニューを思案する・・・。

昨夜の残りご飯が沢山あるので、チャーハンとかオムライスとかが浮かぶが、変わり映えがしない。其処で行き着いたのが『混ぜご飯』であった。鶏肉を小口に刻み、冷凍の青大豆とで甘辛に煮る。これをご飯と混ぜるだけのことである。

                      

菜の方は、ピーマンの肉詰め、大根・蒟蒻・里芋などの煮物、豚肩肉の塩麹炒めに小松菜とエノキを添えた。以上である。

                            

一口づつ味見をする。中々の出来栄えではないかと、自画自賛であった。長女が、家族でキャンプに出掛けているので、今朝の弁当は二つである。

                            

自分用のスムージーを作る。リンゴ・トマト・プラムに白菜と何となくそぐわない感じの組み合わせであるが、美味かった。

                             

 

昨日、碓氷峠を越えるまで雨。その雨が長野盆地に入ると消えた。上々の取材日和となり、それまでの心配をが杞憂となった。  

昨日のこと、先週の熊本・佐賀・福岡のことなどは追々に記す。今日は、これから都内で取材となる。今朝の東京は雨、外での撮影も予定しているが・・・。

 午後の取材も何とか終える。今日はマラソン対談のお二人、小雨の日比谷公園をランニング姿で走る姿も撮影した。私は「雨が残っているので止めたら?」と、ゲストのことを慮るが・・・、スタッフのFUJIKURAは、走って貰うと強引であった。

 

 熊本「幣立神宮から雉の松田屋~山田堰へ」

9/15(日)は幣立神宮の祭礼日、前夜世界平和道場(地球市民の会会長・佐藤昭二さん宅)にて、来合わせた女性陣達と一緒に痛飲する。但し私は控えめに、飲んで騒いだのはHIROさんとTOKIOである・・・ほんと?

朝、世界平和道場とは目と鼻の先の幣立神宮に参拝。私は何度か訪れているが、初めての二人は檜や杉の老木を目の当たりにして感嘆する。昼前頃から賑やかになるとのことだが、この日、昼に菊池市の山中にある「雉の松田屋」さんを訪ねる予定である。

              

佐藤会長からは、ゆっくりするようにと勧められるが、少ない日程の中に諸々を詰め込んだので致し方なし。皆さんと一緒に記念撮影をして菊池へと向かった。

                          

                             世界平和道場

 

雉の松田屋

予約の12時丁度に松田屋さんに到着。ここのご主人は、十年余前に早期退職をされて、この地に移り住んだ。当初、竹炭をやるつもりでいたそうだが、雉のことを知り雉の養殖をセカンドライフにした。

                          

先ずは自宅敷地内に建つ食事処で雉焼きコースのランチを頂戴した。雉肉は非常にヘルシーな鳥肉とのこと。固からず柔らかからずで、旨味のある肉を桜島溶岩の鉄板でジュジュうと焼きながら頂く。

                           

料理は前菜から始まる、ホロホロ鳥の燻製・鉄板焼き・炊き込みご飯・吸い物・デザートなどがセットの「鉄板焼きコース」(3500円/人)であった。ハンドルを握るTOKIOを尻目にビールなど頂戴し、料理にパクつくと言いたいところだが・・・拙いことに、平和道場で朝飯をたっぷりと頂いてきたのだ。

                     

それでも私は完食した、連日連夜の過食だ~。団子スープ、雉ご飯も美味かったし、デザートの雉卵を使ったプリンもGoodだった。

 食事の後、雉の養殖小屋を見せてもらった。自宅から1㎞ほど離れた山中に在る雉舎には千羽が飼育されているとのこと。この他にホロホロ鳥、40羽を飼育している。

                      

                      キジさん                ホロホロ鳥さん

山の中なので、イタチや狸の襲撃があるそうだ。以前、松田さんのBLOG「松ちゃん日記」にはマムシが載っていた。さもありなん、と思える処である。

                         

                           松田さんとHIROさん

 

  筑後川・山田堰

話を伺った後、明後日の取材の予備知識を得るために福岡県朝倉市の筑後川に築かれている「山田堰」へと向かったのは2時半頃か。出発予定時間を一時間ほど過ぎていた。

筑後川沿いをウロウロと探し、漸く行き着いた時は4時半頃か。この堰は、江戸時代の後期、灌漑用の用水路を拓くために土地の庄屋五人が連名で直訴、生命を賭して建設をしたとのことである。

                     

この堰の完成により、堀川用水が開かれて660ヘクタールの灌漑が成ったとある。

この堰を訪ねたのは、アフガニスタンで用水路を拓いた医師・中村 哲 氏が、ここなど古くからある用水路を研究・参考にして、機材・資材の乏しい彼の国で応用したことにある。

明後日のペシャワール会「中村 哲」氏、インタビューの伏線としてであった。日本の古の知恵をアフガンの大地に生かす。資金・物量の乏しい中で、現地でできる方法、現地の民が自らの手で守って行けるやり方。その原点の一つが、ここ山田堰である。

 

この後、我々は友人のSEIさんが待つ阿蘇山の南西麓の高森町まで戻る。最低でも3時間は要するだろう、前日と同様にすっかり遅くなってしまった。

それにしてもTOKIOの運転ぶりはタフである。この日も数百Kmは走っている、阿蘇外輪山の外れから福岡県へ、そしてまた出発地点に近い処へと向かった・・・・・。

 

 

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