オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

チキン

2017-12-13 | Weblog

12/13(水) 今朝の起床は、なんと七時になっていた。その前に一度、目が開いたようであるが・・・・。それだけ眠かったと云うこだろう。寝る子は育つとか云うが、これ以上育っても、また育つわけもなしだが、眠れるのはいいことだ。

前夜は、十五年も前に在席た剣道部の納会&忘年会に参加。十八時時過ぎから二時間ほど田町にある某社のクラブで和気あいあいの飲み会。挨拶を促され、「十五年も経て、こうして会に呼んでいただけることに感謝」と伝えた。部や部員のために、幾許かの協力・支援が出来ればとは思うが、心もとない限り。

会に向かいながら、自分が若かった頃にふり返った。私が、どうにかサラリーマン人生を全うし、それなりに終えたこと。また、その後の歩みにおいても然りだが、剣道部に在籍したことでどれほど恵まれたか。先輩や先生方のご指導や引きで、表街道を、階段を上ることができた。そこには感謝しかない。

生意気盛りの二十代から三十代、先輩の戒めや上司の指導。その本当の意味を理解できたのは、何年も何年も後のことだ。今更、そんなことを若い人たちに話しても馬の耳に念仏、説教オヤジにしか思えないだろうが。仕事も人生も、気付きだと思う。自分が気付き、自らが学んでいく。それくらいのことは、伝えてもいいだろう・・・・、具体的な事例で。若い剣士に、少しだけそんなことを話した次第。

会がお開きになって、またしても人形町に戻った。一日の〆は、この町でハイボールの一杯を啜ってからにしようと。馴染のカウンターに腰を落ち着け、シャッキとしたハイボールを飲む、これに勝る至福のひと時はない。

そして馴染のメンバーが居り、軽い会話が弾めば更に云うことなしだが・・・・。この夜、ローカーボに居たのは、マッチャンとスタッフのAOKI、それに中村王子だった。HOYA兄いと、その友人がさっきまで居たそうだが、河岸を変えた後。

王子とAOKIは閉店のニュースが流れた「白バラ」に行ったそうだが、来月の閉店まで予約客で一杯と断られ、戻ったという。マッチャンは、前夜の酒で記憶喪失に陥ったようで、手前勝手な御都合論議を開陳する。

ニ杯も飲まないうちに眠くなり、お先にと失礼をした。帰宅は23時であった。

夕方、料理コーディネータのJIN先生とメールのやり取り。週末、土曜日に迫ったオヤジの料理教室のメニューについてだ。自分たちで作る、春巻き、タコの酢の物、鶏団子鍋と、牛蒡の唐揚げについて、材料手配などの確認。明日の木曜日、このメニューをマッチャンの事務所で予行演習をすることにした。習うより慣れろ、実行が一番である。暇なオヤジたちである・・・・・。人生は面白く、そして可笑しくがモットーなのだ。

 

七時に起床、台所には五分後に入った。今日のメニューは「チキンライス」だが、前日の残りご飯を前夜の内に確認してあったので、炒めご飯と云う次第。

今日は二つ弁当だが、台所のスタートが遅いので余裕がない。ここは手早くと云うところだが、頭と体がいうことおをきかないのだ。愚図愚図とタマネギをピーマンを人参を刻み、鶏肉を解凍する。菜の方は時間もないので、鮭を焼き、ピーマンの肉詰めを作るだけにした。

これまで何十回となく作って来たメニューだ。目新しい調理をする訳じゃなし・・・淡々と進む。時間の方も刻々と進む。家人が「もうすぐ七時半よ」と、長女の来る時間が迫っていることを告げた。

                           

長女が来て、五分を経過しれから漸く弁当箱に詰めることができた。ギリギリのセーフ!、という処だった。

                    

オイラの人生そのものが、常にギリギリだからねぇ~。それでも何とか凌ぎ凌ぎでやってきたわけだが、このギリギリ、塀の内か外か、危ないことの繰り返しだが、神のご利益か先祖のご加護か、幸せな男と云えよう・・・・。

 

 

 

 

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