今回の和歌山遠征もラストに近づいてきました。
続いて前から参拝したかった宝来山神社へ。
所在地:和歌山県伊都郡かつらぎ町大字萩原56
主祭神:八幡大神 菅原大神、猿田彦大神、大山祗大神
配祀神:大國主大神、素盞鳴大神、蛭子大神、少彦名大神、市杵島姫大神、稲荷大神
創建:宝亀4年(773)
【由緒】
光仁天皇の宝亀4年(773)和氣の清麿公が、
八幡宮を勧請し八幡山と称したことに始まる。
寿永2年(1183)後白河法皇が田の庄を洛西高雄山神護寺に寄進し、
その縁りをもって同寺の僧文覚上人が熊野、高野に参詣の途次、
当地に錫を止めて壮麗な社殿を造営されたと伝えられている。
当社が鎮座する地は桛田荘と呼ばれ、京都高尾の神護寺の荘園になるのは、
寿永2年(1183)のことで、当社の保護にもあたりました。
しかし戦国時代には神護寺が桛田荘を支配することが困難になり、
高野山との関わりを深めていくことになる。
その後社殿は荒廃に帰したのであるが、大永の頃、
当地の豪家に是吉『伊都郡誌』には仙人翁是吉という人があり、
この人は後柏原院の三宮青院が高野山福藏院に寓居されていた時、
福藏院の後見となって三宮の伝育に当たられた人であるが、
特に当社を崇敬し荒廃した社殿を再興。
歳を経て元亀、天王の頃に至り、織田信長の高野攻めに際して、
その兵火に遭い天正10年(1582)年社殿が灰燼に帰したのであるが、
天正19年(1591)是吉の子孫莊民等が相謀り社殿を再建している。
【一ノ鳥居】
神社はこの先にあります。
【二ノ鳥居】
両部鳥居はやっぱりカッコいいね~。
鳥居横に無料駐車場がありました。
【拝殿】
見事な拝殿です。
しかし本殿は今年の秋の正遷宮に向けて修復中でした。
本殿は春日大社と同じく4殿と、
左右に東殿・西殿があるそうです。
【狛犬】
【境内社】
【遥拝所】
【奥宮】
暑いし粉河寺が待っているので回避。
後で調べてみると行かなくても良かった。(^^;
【御朱印】
続いて前から参拝したかった宝来山神社へ。
所在地:和歌山県伊都郡かつらぎ町大字萩原56
主祭神:八幡大神 菅原大神、猿田彦大神、大山祗大神
配祀神:大國主大神、素盞鳴大神、蛭子大神、少彦名大神、市杵島姫大神、稲荷大神
創建:宝亀4年(773)
【由緒】
光仁天皇の宝亀4年(773)和氣の清麿公が、
八幡宮を勧請し八幡山と称したことに始まる。
寿永2年(1183)後白河法皇が田の庄を洛西高雄山神護寺に寄進し、
その縁りをもって同寺の僧文覚上人が熊野、高野に参詣の途次、
当地に錫を止めて壮麗な社殿を造営されたと伝えられている。
当社が鎮座する地は桛田荘と呼ばれ、京都高尾の神護寺の荘園になるのは、
寿永2年(1183)のことで、当社の保護にもあたりました。
しかし戦国時代には神護寺が桛田荘を支配することが困難になり、
高野山との関わりを深めていくことになる。
その後社殿は荒廃に帰したのであるが、大永の頃、
当地の豪家に是吉『伊都郡誌』には仙人翁是吉という人があり、
この人は後柏原院の三宮青院が高野山福藏院に寓居されていた時、
福藏院の後見となって三宮の伝育に当たられた人であるが、
特に当社を崇敬し荒廃した社殿を再興。
歳を経て元亀、天王の頃に至り、織田信長の高野攻めに際して、
その兵火に遭い天正10年(1582)年社殿が灰燼に帰したのであるが、
天正19年(1591)是吉の子孫莊民等が相謀り社殿を再建している。
【一ノ鳥居】
神社はこの先にあります。
【二ノ鳥居】
両部鳥居はやっぱりカッコいいね~。
鳥居横に無料駐車場がありました。
【拝殿】
見事な拝殿です。
しかし本殿は今年の秋の正遷宮に向けて修復中でした。
本殿は春日大社と同じく4殿と、
左右に東殿・西殿があるそうです。
【狛犬】
【境内社】
【遥拝所】
【奥宮】
暑いし粉河寺が待っているので回避。
後で調べてみると行かなくても良かった。(^^;
【御朱印】
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