レバノン・フランス合作という、まことにめずらしい映画である。
ベイルートの小さなエステサロンに集う、5人の女たちを描いている。
ナディーン・ラバキー監督・主演・脚本による、初長編作品だ。
語られる言葉は、レバノン語とフランス語だ。
この映画、驚いたことに、主演以外のほとんどの登場人物が素人だということだ。
ナディーン・ラバキー監督の、友人、知人たち6人までものキャストが共演者だ。
中東の女性は、昔から“キャラメル脱毛”という方法で、むだ毛の処理をしていたようだ。
街の雑貨屋で、有名化粧品会社の脱毛ワックスが容易に手に入るのだそうだ。
それは、砂糖に水とレモン汁を加えて煮詰め、キャラメル状にしたものだ。
この“キャラメル脱毛”というのが、かなり痛いものらしい。
この映画のタイトルは、そこから来たものだ。
女性たちは、エステサロンで、この脱毛法を受けながら、悲鳴を上げている。
独身女性ラヤール(ナディーン・ラバキー)は30歳、既婚の恋人に振り回されながら、エステサロンのオーナーを務めている、魅力的な人物だ。
そんなにぎやかなエステサロンの向かいで、ひっそりと仕立て屋を営む65歳のローズ、恋人に呼び出されると仕事を中断してまで車で会いにゆくラヤール、自分の外見を過剰なまでに意識し、若い恋人に夢中になっている別居中の夫と思春期の2人の子供に、イライラする毎日を送っているジャマル、結婚を前に、フィアンセに自分の過去を打ち明けられないイスラム教徒のニスリン、口数少なく内向的で、ほかの女たちのように肉感的でもコケティッシュでもないおとなしい女リマ・・・。
5人の女性たちが、それぞれの悩みを抱えながら、互いの友情を分かちあっている。
断ち切れない、身勝手な恋人への想い、女性たちが美しさを求めて集まる場所エステサロン・・・。
そして、ニスリンの結婚式を前に、それぞれの人生が動き始める・・・。
そのサロンを舞台に、恋愛、結婚、不倫、老い・・・など、さまざまなことに苦悩する世代の異なる女たちの人生は、しかし、ユーモアと優しさに満ちた涙で細やかに描かれる。
まともに観ていると、へぇ~っ!と驚くようなシーンもあったりで・・・。
女性は、幾つになってもいつまでも輝いていたい。
心情がよく理解できる。
レバノン本国では、6ヶ月というロングランを記録したそうだ。
中東のレバノンで、いまなお因習や慣習に苦しみながら、支えあって明日へ向かってたくましく生きている女たちがいる。
その女たちの強さと脆さを、キャラメルの甘さ(ビタースウィート)を使って、見せてくれる。
要するに、女たちの解放のドラマなのだ。
レバノンは、内戦のあった国だ。
1990年に、この内戦が終わり、このときナディーン監督はまだ17歳の少女だった。
映画「キャラメル」は、ベイルートが舞台なのだが、戦争のことは一切語らない。
それでいいのだ。
それでいて、初のナディーン監督作品となった。
西洋と東洋の女性の間で、レバノンの女性は自由であるように見えても実はそうではなく、心の深いところでいつも風習にとらわれ、教育や宗教的な束縛を感じているのだ。
レバノンの女性が、イスラム教徒であろうとキリスト教徒であろうと、自分の現在と、彼女たちのないものと世間に受け入れられるものとの間の矛盾の中に、常に生きつづけている。
そう感じさせる、作品だ。
内戦後のレバノンを考えるとき、すべてその出来事が、この映画「キャラメル」までもが‘政治的’な意味合いを持つと、ナディーン監督は言っている。
だから、政治的なものから逃げることはできないとも・・・。
今日、レバノンに君臨する、エキゾティックな緊張の感じとれる、希少な作品だ。
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